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北朝鮮:金正日のしたたかな外交

2000年6月26日  田中 宇

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 今年5月、北朝鮮の労働者がストライキを起こした。

 社会主義体制をとっている北朝鮮は、建前上は「労働者の国」であるが、実のところ、独裁的な朝鮮労働党とその指導者である金正日総書記らに対して絶対服従しなければならない全体主義の国である。一般の労働者が職場の待遇に不満足でストライキを起こせば、すぐに弾圧され、首謀者は極刑に処せられるだろう。なのに、この5月のストライキは、北朝鮮当局から弾圧されないどころか何週間も続き、当局はそれを放置した。

 北朝鮮はついに民主的な国になったのか?。いやいや、そうではない。このストライキは、アメリカと韓国、日本の資金で建設されている原子力発電所の工事現場で起きた。そこで働いている100人ほどの北朝鮮の作業員が、それまで約12000円だった月給を、6万円強まで引き上げろと要求し、ストライキに入ったのである。

 過去数年間で100万人の餓死者が出ているかもしれないといわれる北朝鮮では、賃上げ前の水準でも高給取りなのに、なぜこんなストライキが起きたのか。実は、この工事現場で働く北朝鮮の人々のために支払われた給料の大部分は、本人の手に渡らず、北朝鮮当局がピンはねしている可能性が高い。当局は、政府がピンはねする額を増やしたくて、労働者にストライキを起こすよう司令したのではないか、と米韓日の担当者はみている。

 原子力発電所の建設は、北朝鮮が独自の原子炉を作って核兵器を開発しているという疑惑が持ち上がった1994年、アメリカが北朝鮮に対し「核兵器開発を中止したら、もっと良い原発をつくってやる」と持ちかけ、日本と韓国にも金を出させ、工事を始めたものだった。このときのアメリカの戦略には、経済が弱っている北朝鮮を援助に依存せざるを得ない体質にして、核兵器開発など問題行為を再開したら援助を打ち切ると脅して止めさせることができるようにしよう、という意図が隠されていた。

 だが北朝鮮は、米国・ソ連・中国・日本という強国に取り囲まれて生き延びてきただけあって、外交手腕にたけていた。アメリカが自国を援助漬けにしようというなら、その援助を骨までしゃぶってやろうという作戦に出た。北朝鮮は、原発が完成するまでの間、石油を無料で受け取れる約束をアメリカから引き出した上で、原発の建設を進ませないようにする妨害工作を始めた。

 その一つが5月のストライキなのであるが、これは工事を遅らせられる上、北朝鮮政府の収入も増えるので、まさに一石二鳥の戦法だろう。建設開始から5年、すでに工事は大幅に遅れている。

▼テポドン試射で変質した北朝鮮外交

 とはいえ、アメリカが「ゆすりたかり外交」などと呼ぶ北朝鮮のこうした戦略は、すでに効果が薄くなっている。1998年夏、ミサイル「テポドン1号」を日本海に向けて試射したことが、大きな転換点となった。

 これは「核兵器ではなくミサイルを新しい交渉テーマにして、新規の援助を引き出そう」という北朝鮮の作戦だったと思われるが、アメリカはそれに乗らなかった。むしろクリントン政権は、北朝鮮がテポドン1号の次に開発中とされるテポドン2号がアメリカ本土まで届くと予測される点を利用して、軍事産業から永年にわたって要請されている「ミサイル防衛構想」を実現する作戦に転換した。

 この構想は、北朝鮮がミサイルを撃ってきたら、アメリカから迎撃ミサイルを発射し、太平洋上で命中させて破壊するシステムを作るものだ。総額600億ドル(6兆円強)の費用がかかり、実現すればアメリカの軍需産業が潤う。もともとソ連のミサイルを迎撃する「スターウォーズ計画」としてレーガン政権時代に練られたが、その後ソ連が崩壊し、棚上げされていた。

 アメリカは「北朝鮮と真剣に交渉しても無駄だから、むしろアメリカが防衛力を強化した方が良い」という理論を展開しつつ、アメリカ本土を攻撃できる可能性を持った「敵」が現われてくれたことに利用価値を見つけ、日本や韓国、台湾までをミサイル防衛構想の傘下に入れ、資金を拠出させようと考えた。

 この転換をみて慌てたのは中国だった。アメリカのミサイル防衛構想は、北朝鮮だけでなく、中国をも仮想敵としている可能性が大きかったからだ。中国を刺激したくないアメリカ政府は、慎重に明言を避けているが、アメリカ共和党などは、民主主義国となった台湾を見捨てない姿勢をとっており、この防衛構想は実現した場合、中国の台湾攻撃に対する防御としても使われる可能性が大きい。

 北朝鮮の経済を支えていたソ連が崩壊した後、中国は北朝鮮にとって唯一最大の同盟国となっている。その北朝鮮が試射した一発の空砲ミサイルによって、台湾を併合する野望が妨げられるとしたら、それは中国にとって大きな迷惑であろう。中国は北朝鮮に対し、軍事的な挑発をするなと強く求め、金正日はその要求に従わざるを得なかった。

▼「演出家」金正日の技量

 金正日は、大の映画好きとして知られ、以前には、韓国の有名な女優と監督の夫妻を拉致し、北朝鮮で映画を作ることを強要する事件まで引き起こしている。だが、彼の映画好きは、単に映画そのものが好きだというだけではなさそうだ。映画監督や演出家としての技量を磨くことで、政治や外交の世界での自らの演出能力を向上させようとしているようにみえる。

 そう思えるのは、北朝鮮の外交のやり方が、完全なトップダウン型であるからだ。日本や韓国、欧米などの多くの国では、有能な外交官というものは、他国の政治家や有力者とつき合って信頼関係を築き、その人脈の力で困難な外交交渉を成功させようとする。だが、北朝鮮の外交官がそうした個人的な努力をしたら、それは彼(彼女)の生命そのものを危うくしかねない。

 北朝鮮では、金正日もしくはその側近が外交のシナリオを書き、交渉現場の外交官たちは、その筋書きに沿って、俳優のように、あらかじめ決められた言動を展開するだけだ。交渉相手と個人的に親しくなって交渉を成功させることなど「俳優」には求められていない。そんなことをすれば忠誠を疑われ、敵と密通していると思われて、本国に呼び戻されて処分されてしまう。

 平壌でシナリオが変更され、それが交渉現場に簡単なメモとして伝わると、次の瞬間に北朝鮮外交官の態度が大きく変わるとか、唐突にこれまで問題になっていなかったテーマを持ち出したりする、といったことがよく見られた。その裏では、金正日が「演出家」として振る舞っているのだが、外交現場という舞台上からは、黒幕の意図が見えにくい。そのため北朝鮮との交渉は、日本やアメリカなど世界の国々にとって、外交界の常識が通用しない難しいものになっている。

 だから昨年4月、オーストラリアの外務省が、北朝鮮の外務省から「両国の関係を強化したい」という趣旨の手紙を受け取ったとき、それがどのような意図に基づくものなのか分からず、オーストラリア側は当惑した。

 当惑はその翌月、金正日から晩餐会に招かれた平壌駐在の中国大使にとっても同じだった。金正日が中国大使を食事に招くことなど前代未聞で、あまりに唐突だったからだ。

 だが昨年秋になって、ニューヨークで開かれた国連総会の会場のすみで、北朝鮮の代表団がイタリアの代表に近づいて「両国関係を親密にしたい」と持ち掛けたときには、すでに世界の外交専門家たちの間で、北朝鮮の変化が指摘され始めていた。イタリア外務省の高官は北朝鮮の代表に対し「それなら正式な外交関係を結びましょう」と返答し、今年1月、北朝鮮とイタリアは外交関係を樹立した。

 オーストラリアとの間でも、バンコクやニューヨーク、平壌などで密会が繰り返された結果、今年5月に外交関係を締結した。中国との関係では今年3月、中国大使が金正日を平壌の大使館に招いて食事会を開き、返礼とした。この延長に、今年5月末の金正日の北京訪問があった。

 そして今年に入ってからは韓国との交渉をも積極化し、6月13−15日に韓国の金大中大統領が平壌を訪問する歴史的な会談へとつながった。

▼存在意義を問われる米軍基地

 こうした流れをみると、金正日がテポドン試射後、アメリカだけを相手にしていた外交戦略を、中国やヨーロッパなど「国際社会」全体と幅広く付き合う戦略に切り替えたことがうかがえる。その背景にあると思われることの一つは、アメリカからの支援に限界が見え、昨年の冬には平壌の外国人用のホテルでさえ、暖房用の石油が不足するという事態に至ったことだ。

 北朝鮮のような独裁国の指導者は、多くの国民が飢えに苦しんでも、あまり気にしなくてもよい。民主主義国と違い、国民からの人気が落ちても政治生命が終わらないし、政府以外の報道機関がないので、多くの国民は飢餓が政府の責任だと思っていない。だから、金正日は一般国民のことは気にせず、政権を維持するための軍や党の組織だけを大事にし、クーデターなどを防げばよかった。(北朝鮮の軍隊は100万人の兵士を抱え、国民一人当たりの軍事支出は世界最高)

 だが昨冬、平壌のホテルに暖房が切れがちだったということは、軍や党幹部が使う石油も底をついていた可能性が大きく、さすがにこの状態はまずい、と金正日は思っただろう。こうした窮状は以前から予測できただろうから、それが金正日を新たな支援国を求める積極外交に転じさせる一因となったと思われる。

 北朝鮮の外交戦略の転換はまた、アメリカのミサイル防衛構想をつぶす意図もあった。北朝鮮が韓国との平和共存を受け入れれば、北朝鮮を仮想的とした防衛構想は存在意義を失う。この構想には、中国だけでなくロシアや西欧諸国の一部も反対していたから、金正日が金大中と仲良くしている映像が世界に流れれば、アメリカに対する風当たりはいっそう強くなることは確実だった。

 この線に沿って金正日は動き、成功した。彼は中国からの追加支援を獲得したし、ロシアのプーチン首相は7月の沖縄サミット前に北朝鮮をロシアの指導者として初めて訪問し、北朝鮮に何らかの支援をおこなう見通しとなっている。

 中国やロシアとしては、韓国や沖縄に駐留するアメリカ軍を「必要ないじゃないか」と言えるようになったメリットもある。在韓米軍については南北会談の前から、存在意義を問う声が韓国内で上がっている。沖縄の米軍基地は今や、中国の攻撃から台湾を守るためにあるようなものだが、アメリカも日本も、中国を怒らせたくないため、そう明言していない。だが今後は、アメリカがそれを明言しない限り、沖縄の基地の存在意義を問う声が、日本の内部からも強くなるかもしれない。

 南北会談後の世論調査によると、韓国人の9割は金正日に対して良い印象を持つようになった。在韓米軍に対する反発が強まったことも考え合わせると、アメリカは金正日の外交政策に「してやられた」ことになる。南北会談の成功に際して、アメリカ政府はとりあえず賞賛のコメントを発表したが、共和党議員などの中には、今回のようにアメリカが主導しないかたちで南北が接近することを歓迎しない人が多い。

 日本政府は、こうしたアメリカの態度を重視して、様子見の姿勢を続けている。今年3月の日朝交渉では、北朝鮮側から関係改善の意思表示があったが、その誘いには乗らずに終わった。1990年に自民党の有力者だった金丸信・副総理が北朝鮮を訪問した際、金日成主席に歓待されて感激し、日本独自の外交を展開しようとしたが、すぐにアメリカから横やりが入り、つぶされてしまった。それ以来、日本は北朝鮮に対する独自外交を一切やめているが、そうしたあり方を見直すべき時がきているのかもしれない。



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