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イスラエルは総選挙を経て中東和平に向かう?

2018年11月19日   田中 宇

2018年11月20日追記:イスラエルのメディアは、「ユダヤ人の家」のベネット党首が11月19日の記者会見で連立政権からの離脱を発表すると予測していたが、実際には、ベネットはこの日の記者会見で、連立政権を離脱しないと発表した。ベネットは、今のタイミングで連立を離脱すると、自分が連立政権を壊したと非難されて不利になるうえ、解散総選挙になるとネタニヤフが右派を見捨てて中道派と連立を組むことになりそうなことに気づき、方針を急転換して連立に残ることにしたようだ。これにより、とりあえず解散総選挙はなくなり、この記事に書いたシナリオの進展が止まることになった。しかし、解散総選挙・連立組み換え・中東和平というシナリオを進まないと、イスラエルは国際的に不利が大きくなる。トランプとネタニヤフの関係にも亀裂が入る。 ('Israel Stopped Winning': Bennett Slams Netanyahu, but Won't Quit Government) (Israeli education minister vows not to resign in reprieve for Netanyahu


この記事は「東エルサレムが来年パレスチナの首都になる?」の続きです。

イスラエルでは11月14日にリーベルマン国防相が辞任し、リーベルマンの政党「イスラエル我が家」がネタニヤフの連立政権から離脱した。全120議席のイスラエル議会の中で5議席を持つ「我が家」の離脱で、連立政権は過半数ギリギリの61議席しか持たなくなった。さらに、後任の国防相のポストを連立政権内の極右政党「ユダヤ人の家」のベネット党首(現教育相)が要求し、ネタニヤフがこれを拒否して自身が国防相を兼務したことから、この経緯を不満として、議会で8議席を持つ「ユダヤ人の家」も連立政権を離脱する見通しだ。連立政権は議会の過半数を割るため、ネタニヤフは数日内に議会を解散し、90日後の2月下旬もしくは3月に総選挙を行うと予測されている。 (Political Crisis In Israel: Defense Minister Resigns, Slams Netanyahu For "Surrendering to Hamas") (Netanyahu’s Coalition in Turmoil as He Rejects Partner’s Demand

(もしネタニヤフがベネットを国防相にしていたら、ベネットは、ハマスとの停戦を破棄してガザで再び大規模な戦争をやるだけでなく、ロシアの警告を無視してシリアへの空爆を再開し、イスラエルを自滅的な中東大戦争に向かわせる。イスラエル軍の参謀長は、ベネットを国防相にすべきでないと表明した。イスラエルの極右の中には、親イスラエルのふりをした反イスラエルが多い) (IDF chiefs impart their wishes for next defense minister. Improper interference in the political process?) (Now, Zionist Union, it's time to support the government of Bibi Netanyahu

イスラエル最大の30議席を持つネタニヤフの右派政党「リクード」は、ガザを統治するハマスとの停戦和解を維持したい。だが、連立政権内でも「ユダヤ人の家」など入植者勢力は、ハマスとの停戦和解に反対しており、すでに連立政権内が国家戦略で合意できなくなっている。入植者勢力は、今のネタニヤフ連立政権を、そのままの形で議席増にするために解散総選挙をやりたい。入植者たちは、ネタニヤフを首相にしたまま牛耳り続けたい。だがネタニヤフ自身は、これと反対の計略を持っている。ネタニヤフは表向き解散総選挙に反対しているが、これは今後の選挙戦で、解散総選挙に至った責任を「ユダヤ人の家」など他党に押し付けたいからであり、本心は、連立政権を「パレスチナ側との和平に反対する右派の集まり」から「パレスチナ側と和平を推進する中道派の集まり」に転換するために解散総選挙をやろうとしている。 (Netanyahu says early election in Israel must be avoided) (Amid election talk, Netanyahu aims to keep government until year's end, source says

リーベルマンは、ガザに対するネタニヤフの弱腰を批判して国防相を辞めたが、これも表向きだけの演技だ。リーベルマンは、ネタニヤフが和平反対から和平推進に鞍替えするため解散総選挙をやれるよう、連立政権を離脱した。リーベルマンは、ロシアからイスラエルに移住してきた人々を代表する政治家で、パレスチナ人やアラブ系イスラエル人の権利を剥奪すべきと言い続けてきた「右翼」だが、同時にプーチンのロシアと親密で、シリア(アサド政権)との和解や中東和平など、プーチンの中東戦略に沿って動こうとしている部分がある。そのため、連立政権内の右派(極右・入植活動家)から「隠れ左翼」と揶揄批判されてきた。入植活動家の幹部の中には米諜報界(軍産)の要員が多く、彼らは、軍産の敵であるロシアと仲良くするリーベルマンを疑っている。中東の覇権国が米国からロシアに代わりつつある中で、リーベルマンは、ネタニヤフとイスラエルを、軍産の傘下から引き剥がし、ロシアの傘下に入れようとしている。 (Will Israeli defense minister's exit impact Russia-Israel cooperation on Syria?

11月7日の前編記事で、ネタニヤフが解散総選挙して自分の権力を強化し、その上で来年トランプが提案してくる、東エルサレムを首都とする西岸のパレスチナ国家を認める2国式の中東和平を進めるのでないかという予測を書いた。その後、イスラエルはリーベルマンの突然の辞任で解散総選挙に向かい、今のところ、予測どおりに事態が進んでいる。 (東エルサレムが来年パレスチナの首都になる?

2国式は、イスラエルの「ユダヤ国家性」と「民主主義」を両立させるために必要なシナリオだ。イスラエルがパレスチナを併合する1国式だと、パレスチナ人(とアラブ系イスラエル人)から公民権を剥奪し続ける「民主主義無視」の「アパルトヘイト国家化」(イスラエルが悪い国になること)をやらないと、ユダヤ人がイスラエルの政権を握り続ける「ユダヤ人国家性」(イスラエル建国の目的)を保持できない。パレスチナ・アラブ人をイスラエルから分離し、イスラエルをユダヤ人だけの国として維持し、その中で民主主義を続けることで国際社会から尊敬される国であり続けるのが、イスラエルにとっての2国式の目的だ。 (Can Israeli Opposition Leader Tzipi Livni Connect With American Jews?

ネタニヤフが率いる右派政党リクードの支持者には、入植活動家など、2国式の中東和平に反対する人々が多い。世論調査では、2国式の中東和平を望む人がイスラエルで少数派になっている。トランプの米国は「世界の民主化」を重視しなくなる一方、イスラエルを強く支持している。トランプは、イスラエルが民主主義を守らなくても批判しない。だから2国式なんかもうやる必要がない。イスラエルは、米国とだけつながっていれば国家存続できる。イスラエルをアパルトヘイト国家扱いする、米国以外の国際社会のことなど無視すれば良い、と考えるイスラエル人が多い。 (西岸を併合するイスラエル) (イスラエルのパレスチナ解体計画

こうした考え方は、世界や中東に対する米国の覇権が今後もずっと続くことを前提としている。実際には、米国の覇権が縮小している。中東の覇権は、米国からロシアに移りつつある。ロシアもイスラエルに寛容だが、ロシアは米国ほど支配力が強くない。米国の中東覇権が低下し、MbS皇太子のサウジアラビアも対米自立して、イランとアラブ諸国がイスラエルを共通の敵として和解する事態になりかねない。そうなると、ロシアはイスラエルを助けられない。米国は、中東諸国を軍事外交と経済の力でねじ伏せてきたが、ロシアはもっと安上がりな覇権を望んでいるので、イスラエルのためにアラブをねじ伏せたりしない。 (ロシアの中東覇権を好むイスラエル

2国式を拒否したアパルトヘイトのイスラエルを、トランプは容認し続けるかもしれないが、トランプは同時に覇権放棄を進めている。米国の力が弱くなるほど、他の国際社会は、米国に気兼ねなくイスラエルを非難するようになる。この展開は、MbSのウジが陥っている事態と似ている。カショギを殺したMbSを、トランプは容認し続けているが、他の国際社会は「殺人鬼」として非難している。今日のMbSは、明日のイスラエルである。 (サウジを敵視していく米国

米国の覇権が低下するなか、イスラエルは米国に依存しない国家戦略をとらざるを得ない。米国の後ろ盾がないと、イスラエルは大して強くない。アラブ諸国やイランとの和解(少なくとも冷たい和平)が必要になっている。和解には、2国式の中東和平の推進が必須だ。イスラエルの有権者の多くは、米国の覇権低下に気づいていないだろうが、ネタニヤフら政府中枢は気づいている。 (米国に頼れずロシアと組むイスラエル

ネタニヤフはこの9年間、米国(軍産)との関係を利用してイスラエルで政治力を拡大し続けた入植活動家集団の言いなりになることで、不死身と言われる強い政治力を持って首相の座を守り、権力を維持してきた。彼は、次の選挙でも勝ちそうだ。だが今や、米国の覇権低下により、イスラエルは、入植者たちが強く反対する2国式の中東和平を進めねばならない時にきている。ネタニヤフは、リクードの党の内外にいる入植者ら和平反対の人々を騙しつつ、総選挙で勝たねばならない。「和平か否か」は、選挙の争点として避けられる。 (Is The Gaza Ceasefire The End For Netanyahu?) (Netanyahu needs Hamas to rule Gaza, not Abbas

選挙に勝った後、これまで野党だったシオニスト連合(現在24議席)など、中東和平の推進を掲げる中道勢力と新たな連立を組み、党内の和平反対派を押し込めつつ、トランプが提案してくるはずの最低限の2国式の中東和平案を急いで進める。リクードとシオニスト連合が組むはずない、と考えるのが「常識」だが、中東和平を実現するには、大連立の途方もないシナリオしかない。イスラエルの分析者アキバ・エルダーも「いまこそ大連立をやるべきだ」と書いている。 (Liberman's exit offers Netanyahu chance to build new coalition) (Netanyahu is not invincible

トランプはネタニヤフを強く支持してきた。トランプは、2国式におけるイスラエルの交渉相手であるパレスチナ自治政府(PA)を徹底的にいじめて弱体化させ、ネタニヤフが中東和平を進めやすいような状況を作ってきた。トランプは今夏以来、PAに対する米政府の支援金を打ち切り、ワシントンDCのPA代表部に閉鎖を命じ、東エルサレムにあったパレスチナを担当する米領事館も閉鎖して、PAを完全に見捨てる演技を続けている。来年、イスラエルが総選挙後の新政権になり、トランプが最低限の2国式中東和平を提案すると、それがPAにとって以前の和平案よりはるかに不利な、西岸のユダヤ入植地を大幅に容認するものであっても、東エルサレムが首都として認められれば、PAは和平案を受諾するだろう。イスラエルは、これまでで最も有利な条件で和平を進められる。これは、トランプからイスラエルへの贈り物である。 (トランプの中東和平

イスラエルの入植者たちが、この贈り物を受け取って和平を容認するなら、それは、中東和平の実現につながる。だが逆に、入植者をはじめとするイスラエルの人々が中東和平に猛反対し続け、イスラエルの新政権が和平の推進を放棄せざるを得なくなると、その後の来春以降のイスラエルは、今のMbSのサウジが米国や国際社会から受けているのと同様の「同盟国だったはずが敵国にされるシナリオ」の諜報の謀略にさらされる。トランプ自身は、その後も表向きイスラエルを支持し続けるが、米民主党や英国やEUなど国際社会が、イスラエルのアパルトヘイトへの非難を強め、国連安保理がしだいに強いイスラエル批判決議を出し、やがてトランプもイスラエルを擁護しきれなくなる。今のサウジが受けている仕打ちと同様、これは「自然な流れ」に見せかけた諜報作戦である。 (サウジを対米自立させるカショギ殺害事件



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