サウジを対米自立させるカショギ殺害事件2018年11月11日 田中 宇
この記事は「カショギ殺害:サウジ失墜、トルコ台頭を誘発した罠」の続きです 10月2日にトルコ・イスタンブールのサウジアラビア領事館で、体制批判のサウジ人ジャーナリストだったジャマル・カショギが殺されてから1か月以上が過ぎた。サウジ政府は、当局者の計画的犯行によってカショギを殺したことを認めたが、なぜ殺したのか、殺害計画の責任者が誰なのか、事実上の最高権力者であるムハンマド皇太子(MbS)が殺害計画を知っていたのか(殺害計画は権力を一手に握るMbSの了承が必要だったはず)、殺害後の遺体をどうしたか、といった重要事項が未発表のままだ。トルコ当局は「MbSが殺害を了承した」とか「遺体は強酸で溶かされた」といったリークをし続けているが、トルコの狙いは犯罪捜査より、サウジをいじめてMbSから外交的な見返りを得ようとしている観がある(トルコ当局は、前々からサウジ領事館に盗聴器やスパイを入れ、犯行の一部始終を知っている可能性がある)。現在未発表の事項の多くは、永久に未解決のまま、お蔵入りしそうだ。 (Mohammed bin Salman: Too Big to Fail) (Turkish official says none of Khashoggi's remains survive) 事件直後は、サウジの王室内や国内でMbSに辞任を求める声が強まって、サルマン国王がMbSを辞めさせるか、クーデターが起きるのでないかと言われていたが、その後、全くそうなっていない。国王はMbSを擁護している。サウジ王政は「これは米英やトルコがサウジを弱めようとする謀略だ」と臣民に思わせ、政府批判でなく逆のナショナリズム扇動につなげる策略をやって、成功している。MbSは昨年、ライバルの王族たちをリヤドの高級ホテルに閉じ込めて権限や財産、行動の自由を剥奪し、自分の独裁力を強化した。それ以来、サウジ上層部でMbSに楯突く者はいない。MbSを辞めさせるには、王族内の反MbS勢力の相当な団結が必要だが、カショギ殺害から1か月経っても団結の気配がない。もうMbSの辞任はない。MbSは予定通り、数年内に国王になり、寿命がくるまで50年ぐらい国王をやって、対米自立も果たし、サウジの中興の祖になるだろう。 (Despite Stigma of Khashoggi Killing, Crown Prince Is Seen as Retaining Power ) カショギ殺害事件は、サウジの国内政治的に見ると終わったが、国際政治的には全く終わっていない。米英の諜報機関は、サウジの政権転覆を画策したふしがある。米CIAと英MI6は、MbSが権力を握る前にライバルだったアフメド・アブドルアジズ(MbSの父親であるサルマン国王の弟。元内相)を、亡命先のロンドンからサウジに帰国させ、王族内でMbSを批判する動きを扇動・公然化させる策を進めた。CIAとMI6は、アフメドが帰国してもMbSに逮捕などの手出しをさせないとアフメドに約束し、アフメドは10月30日にサウジに帰国した。CIAとMI6が、アフメドをそそのかして帰国させ、MbSに対抗させる構図だ。 (Saudi dissident prince flies home to tackle MBS succession) MbSが辞任に追い込まれる可能性はもうないので、アフメドがMbSに反対する王族などを集めて宮廷クーデターを起こして成功する可能性も、すでにゼロだ。王室内には、MbSの荒っぽいやり方を嫌悪している王族がたくさんいるが、彼らは今回のカショギ事件でMbSの権力が揺るがないのを見て、むしろMbSに楯突いても無駄だ、黙っていた方が良いという結論に達している。アフメドがサウジに帰国してから2週間近くたったが、帰国後のアフメドの消息は全く伝わってこない。 (Regime Change In Riyadh? The CIA Has Just Publicly Dumped MbS) (Despite Khashoggi Killing, Saudi Crown Prince Seen Retaining Power) CIAとMI6のMbS転覆計画は、すでに失敗が確定した感じだが、この計画から見えたものは、米英が諜報機関を使ってサウジ王政を米英に都合の良いようにねじ曲げてきたことだ。サウジでは1964年に、ファイサル皇太子が、兄のサウド国王を追い落として自分が国王になる宮廷クーデターがあったが、このクーデターは、ファイサルが率いていたサウジの国家警備隊の訓練役だった英国軍(英軍事諜報部であるMI6)が支援していた。英国は、リベラルを自称するファイサルを好んでいた。上層部の王族で、英国と協力してファイサルを国王にするクーデターを成功させたのは、アブドラとサルマンで、彼らはファイサルの後、相次いで国王になった。サルマンは現国王であり、その息子が摂政として全権を握るMbS皇太子だ。カショギはファイサル家と親しかった。 (Will the US and UK seek a palace coup against Mohammed bin Salman?) (Khashoggi Family Had Deep Connections to Lockheed Martin, Saudi Power Struggles ) 英国(英米)に支援され国王になったサルマンだったが、MbSを自分の後釜に据えたことは、英米とくに米国の諜報界(CIA、国防総省など)に好ましく思われていない。90年代末から米国は、CIAなどがサウジ人のオサマ・ビンラディンが率いるアルカイダを「(誇張された)強力な敵」とみなして「第2冷戦」的に恒久対立することで世界を支配する「テロ戦争」の構図を構築し、それは01年の(米国の自作自演的な)911テロ事件によって爆発的に実現したが、テロ戦争の永続には、アルカイダを取り締まるふりして支援して「強敵」っぽい状態にしておくサウジ側の協力が必要だった。サウジ王政の上層部で、この「敵役の演出」を担当していたのが、内務相や内務次官をつとめてサウジの諜報機関の統括者を長くやったモハメド・ナイーフ王子(MbN。元皇太子)だった。911以来、サウジで、米国との関係を仕切ったのはMbNだった。 (サウジアラビア王家の内紛) MbNは、2015年に皇太子に昇格した。テロ戦争の永続化を望むCIAなど米諜報界は、MbNがサウジ国王に昇格することを望んでいた。だが、サルマン国王は2017年6月、MbNを降格させてすべての権限を剥奪するとともに、末息子のMbSを皇太子に就任させた。2015年から17年まで、MbSは副皇太子であり、国防相を兼務し、MbNのライバルとして置かれていた。サルマン国王は、自分が英米の影響下で国王になっただけに、サウジの王政を、英米に牛耳られ続けている状態から自立させたいと思っていたおり、それで、米国(軍産)とつながったMbNでなく、軍産とつながっていない息子のMbSを次期国王に据えたと考えられる。 MbSが皇太子になって以来、米諜報界からは、MbSを批判する声が出続けている。今回のカショギ事件後に、米諜報界(=軍産)やその傘下の米マスコミがさかんに「MbSを辞めさせるべきだ」と叫んでいるのは、こうした経緯の延長である。カショギ殺害事件自体、カショギをサウジに拉致して監禁するつもりが殺してしまったとか、米諜報界がMbSをうまいこと騙してハメた可能性がある。MbSが信頼してきた側近群の中に、米諜報界のスパイがいて、カショギを拉致する代わりに殺してしまったことが考えられる。 (Khashoggi case underlines fears over Saudi’s ‘reckless’ crown prince) 昨年6月、サルマン国王が、皇太子を、軍産とつながったMbNから、軍産とつながっていないMbSに交代させたのは、昨年5月に初の外遊先としてサウジを訪問したトランプに扇動されたためだ。トランプが勧めなければ、サルマンはこんなに早く皇太子を替えなかっただろう。サルマンは、自国が米英諜報界(軍産)の傀儡であり続けるのがいやだった。トランプは、軍産が米国と世界を支配する覇権体制を壊したかった。2人の戦略的利害が一致し、MbNが一気に外され、MbSが皇太子になって全権を掌握した。 (サウジの新事態はトランプの中東和平策) 2015年にサウジがイエメンを空爆して始まったイエメン戦争は、MbSが副皇太子・国防相になった途端に始まっている。イエメン戦争は、イエメンのサウジ傀儡政権が、イラン系のフーシ派に政権転覆されそうな時に、イエメンに駐留していた米国勢が一気に撤退したため、フーシ派が米国撤退後のイエメンの空白状態を埋めて政権を奪取するのを防ぐため、サウジが軍事介入せざるを得なくなって起きている。当時の米国(オバマ政権)は、今より軍産が強かった。軍産は、サウジで対米自立的なMbSが台頭するのを妨害するため、MbSがイエメンで泥沼の戦争に陥り、米軍(=軍産)の支援を受け続けねばならない状態に陥れた。イエメン戦争は、対米自立的なMbSを、対米従属に陥れるための、軍産の策略だった。 (米国に相談せずイエメンを空爆したサウジ) MbSに失敗する戦略をやらせて対米従属に陥れるのが軍産の策略だが、トランプは表向き、この軍産の策略に乗っている。そうすることで、軍産(米諜報界やマスコミ、議会)が、トランプのサウジ戦略に反対しないようにしている。MbSに対する、以前の軍産の戦略と、今のトランプの戦略は「上の句」が同じだが「下の句」が正反対だ。軍産は、MbSが対米従属するように仕向けていたが、トランプはMbSが対米自立するように仕向けている。 (多極側に寝返るサウジやインド) トランプ就任後、米国のサウジ戦略は、カタール制裁、ハリリ監禁、サウジとイスラエルを接近させることなど、MbSに稚拙なイラン敵視策をやらせて失敗させることを繰り返している。今回の、ムスリム同胞団系のカショギをサウジに殺害させた事件(米諜報界が了承・黙認しないとサウジは殺害しなかった)も、最近同胞団系とイランが連帯していることを考えると、同じ方向の事件だ。トランプとMbSは、まだ表向き仲が良いが、トランプの言うとおりにやっていると失敗の連続なので、MbSはしだいに米国の言うことを聞かなくなっている。またMbSは、ライバルの王族たちの権限を剥奪しただけでなく、アルカイダを支持してきた国内のワッハーブ派のイスラム聖職者たちも降格・弾圧している。これは、サウジ(アルカイダ)が米国の「やらせの敵」を演じる軍産主導のテロ戦争の構図を破壊している。 (カタールを制裁する馬鹿なサウジ) 冒頭に書いた、CIAとMI6がMbSのライバル王族の一人であるアフメド・アブドルアジズをサウジに帰国させてMbS潰しをやらせようとしたことも、MbSを怒らせてCIAやMI6との関係を切る方向に扇動する策と考えられる。トランプと諜報界の対立は、トランプ個人と一枚岩の諜報界との対立でなく、諜報界の中の多極派と米単独覇権派(=軍産)との対立である。CIAやMI6の中に両方の派閥がいて、誰が敵なのかわからない状態でスパイどうしが暗闘している。 (Saudis Furious With Washington Post Coverage, Call For Amazon Boycott) (イラク石油利権をめぐる策動) カショギ殺害事件以来、ワシントンポストがMbSを非難中傷する記事をさかんに出しており、MbSを激怒させている。ワシポスは、トランプを誹謗中傷し続ける軍産系の新聞だ。軍産は、MbSを激怒させて対米自立させるのでなく、MbSをチクチク批判しつつ大枠で擁護して対米従属させねばならない。ワシポスは軍産のはずなのに、MbSに対して多極派みたいなことをやっている。諜報界で軍産のふりをした多極派が、ワシポスにリークして記事を書かせているのでないか。トランプら多極派は、軍産の戦略を途中でねじ曲げて(意図的に失敗させて)多極派好みの結果に持っていく。多極派は、軍産のふりをして政策を立案実行して失敗させ、自派の成功につなげる。ブッシュ政権で稚拙なイラク戦争を起こしたネオコンが一例だ。これは諜報界でよくある、スパイとして入り込む「なりすまし」「背乗り」の手法だ。 (Saudi campaign to abduct and silence rivals abroad goes back decades) (A year after the Ritz-Carlton roundup, Saudi elites remain jailed by the crown prince) カショギ事件後、米国ではマスコミも議会も、MbSへの非難を強めている。サウジ国内で権力を維持したMbSは、米国に非難されるほど、対米自立の傾向を強めていく。トランプは、自分自身はMbSを支持する姿勢を続けつつ、議会やマスコミ(世論)に流される形で、MbSを非難せざるを得ない状況を作っている。中間選挙でトランプの共和党が議会下院の多数派を民主党に奪われたことは、サウジが非難される傾向を加速する。 (Democratic midterm win threatens to constrain Trump’s Middle East policies) (Murder of Saudi Journalist Builds Opposition to Yemen War) トランプ政権は10月30日以来、サウジに対し、カタールと早く仲直りしろと求め始めている。MbSのサウジは昨年6月、それまでGCC(ペルシャ湾岸産油諸国の連合)の仲間として親しくしていたカタールを突然経済制裁し、カタールをGCCから追放したが、これはその直前にサウジを訪問してMbSとの親密さを高めたトランプ自身がMbSをそそのかしてやらせたことだ。トランプは、自分がMbSにやらせたカタール制裁を、今になって突然、早くやめろと批判し出している。 (US Says Raising Pressure on Saudi Arabia Over Qatar and Yemen) (Khashoggi’s Killing Could Ease Saudi-Qatar Breach) またトランプ政権は10月31日、サウジとUAEに対し、イエメンでの戦争を早急に終わらせてイエメン側のフーシ派との和解に入るよう公式に要求し始めた。ポンペオ国務長官とマティス国防長官が別々に発表した。マティスは、サウジが1か月以内に停戦して、国連の仲裁でイエメン側と和平交渉を始めるよう要請すると発表した。 (Washington calls for end to war in Yemen) (Mattis Calls For Yemen Ceasefire Within 30 Days) サウジが1か月で停戦するのは無理であり、1か月の期限がすぎても停戦交渉を始めないサウジを米国が非難する構図が用意されている。イエメンを空爆するサウジ軍は、米軍の後方支援が必要だが、米軍はすでにサウジ空軍機への空中給油をやめており、今後さらに後方支援を減らすだろう。サウジ軍はイエメン戦争を継続できなくなり、MbS米国を恨みながら、ロシアの仲裁で、フーシ派とその背後にいるイランと停戦交渉していくだろう。 (Saudi Arabia ignores Trump administration on Yemen) (US Officials Call for Immediate Peace Talks on Yemen) カショギ殺害事件に対し、米欧がこぞってサウジを非難する中で、プーチンのロシアは、サウジ批判を控え、静かに傍観している。傍観の意図は明らかだ。プーチンは、MbSのサウジが米国に煽られてやって失敗して行き詰まっているイエメン戦争やイランとの敵対について、サウジとイラン側(フーシ派やカタール)を仲裁して問題解決に結びつけ、MbSを対米自立や露イラン中国の仲間入りへと誘導しようと、手ぐすね引いて待っている。MbSが対米自立していくことは、トランプら米英諜報界の多極派の目標達成でもある。 (Russia key if quiet player in southern Yemen) トランプは以前から、OPECが談合して石油価格を高騰させていると批判していた。産油国の集まりであるOPECは、生産余力が並外れて大きいサウジが主導してきた。トランプはOPECを「石油を高騰させ米国と世界の経済を悪化させる機関」と非難しているが、OPEC側の言い分は「各国の生産を調整して石油価格を安定させる機関」だ。サウジはこれまで、米国から頼まれ、OPECを通じて石油価格を動かしてきた。80年代に石油安を招いてソ連を崩壊させたのが好例だ。それなのにトランプはOPECを潰せと言う。トランプのOPEC批判を受ける形で、サウジの国営シンクタンクが先日、OPEC解体のシナリオを発表した。OPECでなくサウジ一国で国際石油価格を安定させられるのでOPECを解体してもかまわないという論調だ。 (Saudi Arabia Is Evaluating A Break Up Of OPEC) (Saudi Arabia, OPEC’s Anchor, Ponders a Future Without the Cartel) サウジがOPECを潰すと、困るのは欧州や日本など、石油を消費する側の米同盟諸国だ。OPECは、米国がサウジに頼んで同盟諸国のために石油の安定供給を実現してやる、米覇権体制を維持する機関だった。OPECを潰すことは、米覇権体制を自滅させる覇権放棄の策だ。サウジが一国で石油価格の安定に取り組むと、それは米国覇権のためでなく、サウジ自身の国益に沿う形になる。 (OPEC's Foundation Shaken, As Saudi Arabia Mulls Withdrawing) サウジの家来たるUAEがダマスカスの大使館を再開した話や、イスラエルがオマーンなど湾岸諸国に急接近している話も、今回の記事の延長で分析できるのだが、長くなるので改めて書くことにする。 (In Huge Shift, UAE To Reopen Embassy In Damascus As Gulf Rapprochement With Assad Likely) (Oman using Israeli card to stand up to Saudi interference: Pundit)
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