トランプの経済ナショナリズム2016年12月13日 田中 宇11月8日にドナルド・トランプが次期米大統領に当選して以来、米国の長期金利が上がり続けている。長期金利の基準である10年もの米国債の金利は、投票日に1・86%だったのが、その後の1カ月あまりで2・5%まで上がった。今後さらに上がって3%に近づくと予測されている。グリーンスパン元連銀議長は、いずれ5%にまで上がると言っている。 (10-Year U.S. Bond Yield Closes at 17-Month High) (Greenspan Predicts Bond Yields Rising As High As 5%) 金利が上がるのは、トランプが1兆ドルという巨大規模のインフラ整備の公共事業を計画しているからだ。整備せず放置され、老朽化がひどい米国の交通や都市のインフラを整備するこの事業で、巨額資金が実体経済につぎ込まれることでインフレがひどくなり、長期金利にインフレ分が上乗せされるので金利上昇になる。まだトランプは大統領就任前だが、トランプが選挙に勝って金利上昇が予測された時点で上昇が市場に織り込まれ始め、金利がじりじりと上がっている。12月13-14日の連銀会合(FOMC)で短期金利の利上げが決まると、長期金利もつられてさらに上がりそうだ。 (Money Managers Have Never Been More Sure That Interest Rates Will Continue To Rise) 金融市場ではこれまでも、米日欧の中央銀行が、通貨を巨額発行して債券を買い支えるQE(量的緩和策)によって、08年のリーマン倒産後、合計12兆ドルもの巨額資金を市場に注入している。だが、QEの資金は金融のマネーゲームの世界のみにとどまり、実体経済の方に入らないので、QEをいくらやってもインフレにならない。 ($12 trillion of QE and the lowest rates in 5,000 years.. for this?) QEは、リーマン危機後に崩壊状態が続いている「死に体」の債券金融システムを、あたかも生きているかのように見せるための救済策であり、永遠に続ける必要があるので、中銀群は、いくらやってもインフレにならないQEを「デフレ解消(インフレ誘発)」のための策であると発表して続ける、意図的な間違いを挙行している(米国は、基軸通貨であるドルを高め誘導するため、14年にQEをやめて日欧に肩代わりさせた)。 (QEやめたらバブル大崩壊) QEは、実体経済から離れた金融システムだけの動きなのでインフレにならないが、トランプが始めるインフラ整備は、実体経済への巨額資金注入なので、インフレになると予測され、それが米国の債券金利を押し上げている。インフレ率2%、10年もの米国債金利が3%ぐらいまでは、健全な状況の範囲内だが、それを大きく超えてインフレや金利上昇がひどくなり、グリーンスパンが予測する5%ぐらいになると、それは不健全な超インフレだ。何とかして金利を引き下げる必要があるが、超インフレは通貨に対する信用失墜を意味し、失われた信用を回復するのは時間がかかる困難な作業だ。歴史を見ると、超インフレに陥った多くの通貨が、信用を回復できず紙くずになって放棄され、代わりに新しい通貨が発行されている(それがまた超インフレになって放棄されることが繰り返されたりしてきた)。 (アメリカ金利上昇の悪夢) 米連銀(FRB)のバーナンキ前議長は「金融システムに対してだけでなく、実体経済に対して巨額資金を注入してもインフレにならない」という理論を信奉し、ヘリコプターで空から人々に札束をばらまく方法での実体経済への資金注入策(ヘリコプターマネー政策)にも効果があると(非常識な)主張をして「ヘリコプター・バーナンキ」と揶揄的にあだ名されてきた。彼は連銀議長になってヘリコプターマネーをやれる立場になったが、実施しなかった。連銀内外で、彼の持論に賛成しない人が多かったからだ。彼自身、ヘリコプターマネーをやってインフレにならないと本当に考えているのかどうか怪しい。 (Kuroda set to dash hopes of `helicopter money' for Japan's economy) バーナンキは今年7月、日本銀行がQEで買える日本国債が市場に足りなくなり、日銀のQEが行き詰まり始めたとき、日本にやってきて安倍首相や黒田日銀総裁らと会い「QEがダメならヘリコプターマネーをやれ」とけしかけた。日本政府は、その提案を受け入れなかった。政府の財政赤字総額が先進国で最悪のGDPの2倍以上になっている日本でヘリコプターをやると、破滅的な超インフレになる確率が高い。日銀のQEは、自国のためでなく、米国の債券金融システムを救済するためで、米連銀がやるべきQEを肩代わりしている。米国勢は、日本がQEを続けられなくなって米国の債券市場が再崩壊するぐらいなら、日本に自滅的なヘリコプター策をやらせ、日本の犠牲のもとに米国が延命する方が良いと考え、バーナンキを日本に派遣して安倍や黒田に圧力をかけたのだろう。 (Japan policymakers to meet on markets, Bernanke to talk with Abe) (米国の緩和圧力を退けた日本財務省) バーナンキのヘリコプターの話を持ちだしたのは、トランプがやろうとしている1兆ドルのインフラ整備事業が、ヘリコプター策と同等の悪影響(超インフレ)をもたらしかねないからだ。トランプ当選後の米国の長期金利の上昇は、市場(投資家)が、そのような懸念を持っていることを物語っている。 (`Helicopter Money President' Trump To Create Inflation and Gold Will Rise) ▼覇権国としての利他的消費大国の責務を放棄して経済成長を引き出す とはいえ、トランプの大規模インフラ事業が、超インフレを引き起こさないシナリオもありうる。米国の実体経済を成長させつつインフラ整備を進めるなら、税収が増えるので財政赤字が増えず、インフレが悪化しにくい。オバマ政権時代にほとんど成長しなかった(成長したように見せかける統計粉飾ばかりの)米国の実体経済が、トランプになったとたんに成長するはずがない、と考えられがちだ。だが、オバマまでの米政権と、トランプは、一つの大きな違いがある。それは、従来の米政府が、米国の覇権体制の維持を重視してきたのに対し、トランプは覇権を放棄しようとしている点だ。 (ひどくなる経済粉飾) 第2次大戦後、覇権国になってからの米国が常に進めてきたのは、政府の財政赤字や民間の負債を増やしつつ旺盛に消費し続けるとともに、米国以外の国々(最初は日本や西欧、その後は韓国東南アジア、最近では中国やインド)が製造業を発展させ、製品を米国に輸出して経済成長し、その国々の中産階級が育つように仕向けることだった。 (経済覇権国をやめるアメリカ) 戦後の米国は覇権国として、世界経済を成長させ続ける責務を背負い込んだ。世界から輸入して旺盛に消費するのは、覇権国としての責務だ。その代わり、米国の負債(米国債や社債)は、世界的に信用度の高い(=金利の低い)債券として、貿易黒字を貯め込んだ対米輸出国がどんどん買い込んだ。ドルは、唯一の基軸通貨として、いくら刷っても世界がほしがる備蓄通貨であり続けた。この覇権システムを維持したため、米国の製造業はすたれ、米国のインフラは整備されず老朽化したまま放置された。覇権システムを利用し、紙切れの債券を高く世界に売りさばく金融界が、米国を支える業界になった。 (飢餓が広がる米国) 覇権研究が禁じられている(大学にその道の専門家が全くいない)敗戦国の戦後日本では、覇権を国民国家の狭い枠組みでしか考えられず「覇権運営者も米国民なのだから、米国の発展を何より優先するはずだ」といった思い込みが席巻している。だが実のところ、米国の覇権運営者は、米国自身の発展や米国民の幸福を二の次に考えている。「国際主義=インターナショナリズム」は、対米従属の日本で「良いこと」ととらえられているが、米政界においては、米国自身を重視する「ナショナリズム=米国第一主義」を「孤立主義」として排斥し、覇権に群がる勢力(投資銀行、国際企業、軍産複合体など)の利益を最優先にする考え方だ(日本の国際化教育は従属教育でしかなく大間違い)。 (アメリカを空洞化させた国際資本) 覇権に群がる人々は近年、米国という国家でなく、米国の投資銀行やネット企業(グーグルとか)を新たな受け皿(ビークル=乗り物)として、覇権を運営する新システムまで開発し、それをTPPやTTIPとして具現化しようとした。彼らにとって、従来の覇権の受け皿だった「国民国家」は、選挙や社会保障など、めんどくさい手続きや「無駄」が多く、非効率で時代遅れだ。 (大企業覇権としてのTPP) (覇権過激派にとりつかれたグーグル) トランプは、このような米覇権システムの「効率化」や「(運営者にとっての)進化」に、真っ向から対立するかたちで、大統領選挙に出馬した。覇権運営者の中に、国家を捨てる覇権の進化策を阻止したい者たちがいて、彼らがトランプを大統領選に押し出した(対照的にクリントンは、グーグルやJPモルガンなど覇権の進化を目指す勢力と結託した)。トランプは、米国の製造業を復活させると豪語し、TPPに反対し、製造拠点を外国に転出させる米企業に報復的な課税をすると言いつつ、ラストベルト(五大湖周辺)の失業者など覇権運営の犠牲者たちをけしかけて、エリート敵視・トランプ支持の政治運動を引き起こし、選挙に勝った。 (米大統領選と濡れ衣戦争) トランプは、米国内での油田やパイプラインなどエネルギー開発を規制していた環境保護政策を破棄しようとしている。これは一般に環境の悪化につながると考えられている。だが、覇権の視点でとらえると、従来の環境保護への過剰な重視は、米国内のエネルギー開発を抑止することで、中東やその他の産油国からの輸入に頼らざるを得ず、シーレーンの確保を含め、米軍を世界中に駐留させ、世界中の国々の内政に干渉し続けねばならない覇権運営優先の国家体制を維持するための歪曲策だったとも考えられる。かつて、トランプと同様に国内エネルギー開発規制の撤廃をめざしたブッシュが政権についた時は、911テロ事件が(自作自演的に)引き起こされ、ブッシュは逆に中東の戦争に没頭させられた。 (米国民を裏切るが世界を転換するトランプ) 延々と回り道の説明をしたが、要するに、トランプは、これまでの覇権運営優先・国内実体経済の発展軽視の風潮を破壊し、米国の覇権を放棄する代わりに、国内実体経済(国民経済)の発展を最優先する経済ナショナリズムをやろうとしている。これまでの覇権優先の体制下で、意図的に諸外国に無償供与されてきた「米国民に商品を売る権利」を、米国民を雇用する米企業の手に引き戻そうとしている。これまで米国にどんどん輸出して儲けてきた中国に対し「米国からもっと買わないと、台湾を冷遇する『一つの中国の原則』を守ってやらないぞ」と脅すという、新たな「非常識」を展開している。 (Trump questions 'one China policy' without Beijing concessions) トランプは、他の国々にも同種の前代未聞な揺さぶりをかけていくだろう。これまで米国が意図的にないがしろにしてきた国内産業の振興をトランプが進め、外国勢でなく米国の(国際企業でなく)土着企業を儲けさせる政策が奏功するなら、米経済は意外な成長を始めるかもしれない(これまでの意図的なないがしろが見えないようにされてきただけに、新たな成長が「意外な」ものになる)。この手の成長が始まれば、大規模なインフラ整備が超インフレにつながらず、むしろ成長を後押しする。 中国を筆頭に、対米輸出で儲けてきた国々は、内需を拡大しない限り、国内経済の成長が鈍化する。トランプの米国が、経済ナショナリズムを重視し始めるとともに、米国から中国など新興市場諸国に流入していた投資資金が米国に逆流し始め、ドル高人民元安が進み、中国政府は資金流出や人民元安を止めようとやっきになっている(トランプの「中国は為替を引き下げる不正をやっている」という主張は大間違いになっているが、彼にとって主張の正誤は重要でない)。 (China: Renminbi stalls on road to being a global currency) ▼金融バブルが再崩壊して実体経済の成長を吹き飛ばしそう トランプの覇権放棄と経済ナショナリズムは、これまで覇権運営の裏側で軽視されてきた米国の製造業など実体経済に成長をもたらしそうだ。だが、米国の金融バブルの規模は、実体経済の何十倍もある。トランプ政権が、バブルを延命させる策に失敗し、金融危機が再発すると、実体経済の発展など簡単に吹き飛んでしまう。 (Donald Trump's unhappy fate is to oversee a financial crisis far worse than the last) バブルが延命されている間は金利が低く、倒産しそうな企業でも比較的低金利でジャンク債を発行できるので倒産が増えず、実体経済の景気が底上げされた状態を維持できる。バブルが崩壊すると、これが逆回しになり、金利高騰で資金調達難になって企業倒産が急増し、実体経済の悪化に拍車がかかる。トランプは、自分の政権下で金融バブルが崩壊して企業倒産が増えることを予測しているのか、財務長官になるミヌチンや、商務長官になるロスは、いずれも企業倒産のプロフェッショナルだ。 (Nominating Mnuchin for Treasury Will Dredge Up Mortgage Meltdown Controversies) (Donald Trump expected to pick billionaire investor dubbed 'King of Bankruptcy' as Commerce Secretary) 米国では近年、自動車の販売が回復しているが、その大きな要因の一つは「サブプライム自動車ローン」だ。超低金利が続く中、ふつうなら自動車ローンを組ませてもらえない低所得者に融資が行われ、それで自動車が売れている。最近の米国の家計の負債の増加分の約半分が自動車ローンだ。住宅のサブプライムローンがバブル崩壊してリーマン倒産につながったように、いずれ自動車ローンも破綻が増えて金融バブル再崩壊の引き金を引きかねない。 (More than half of the debt increase came through auto loans) トランプが、リーマン危機の直後に大統領になっていたら、中央銀行群が何年もQEを続けてバブルを前代未聞な規模にまで拡大させてしまう現状の発生を防いでいたかもしれない。だが現実は、この8年間のオバマ政権下で、QEがバブルを膨張させ、中銀群は余力を使い果たし、いずれ起きる次の金融危機を救済できなくなっている。日本人の多くは、トランプよりオバマを好んでいるが、米国の国益から見ると、オバマは無意味なバブル膨張と中銀群の余力低下を看過した「悪い人」になっている。 【明日の米利上げを見すえつつ次回に続く】
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