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安倍訪中と北朝鮮の核実験

2006年10月17日   田中 宇

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 10月9日に北朝鮮が実施した(と発表した)核実験には、謎が多い。本当に核実験が行われたのかどうか、はっきりした確認がとれていないことが謎の一つである。8月中旬の段階で、すでに「北朝鮮が通常爆弾を爆発させ、それを核実験だと発表しても、世界はそれがウソか本当か判別できないだろう」と指摘されていた。核実験が小規模なら、放射線を浴びたちりの発生が少なく、それが外国勢力によって検出されない可能性が十分にある上、地震波の測定だけでは核爆発であると断定するのは難しい。(関連記事

 核実験から5日後、アメリカ政府は、北朝鮮周辺の大気中で、核実験によって発生したと思われる放射線を浴びたちりを採取したので、北朝鮮が核実験を行った可能性は80%となったと発表した。しかし米政府は、採取されたちりから、爆発がウラニウム爆弾とプルトニウム爆弾のどちらと判断されるか、といった具体的なことは何も発表していない。また、韓国政府は、核実験による放射線の痕跡が見つかったとは発表していない。(関連記事

 実験は実施されたが、失敗だったのかもしれない。起爆装置の作動が微妙にずれただけで、核分裂は部分的にしか起こらないか、全く起こらない。(関連記事

 これらの件はあるものの、私から見て最も大きな意味を持った謎は、核実験そのものに関することではなく、「なぜ核実験が、安倍首相が訪中を終えた翌日に行われたのか」ということである。「それは偶然の一致だ」と思う人が多いかもしれないが、事態の流れを詳細に分析していくと、偶然ではないかもしれないと思えてくる。

▼中国は核実験を事前に知らされていた

 まず指摘すべきは「中国政府の中枢は、北朝鮮が核実験を実施することを事前に知っていたようだ」ということである。北朝鮮が核実験しそうだと頻繁に報じられるようになったのは今年8月後半からのことで、その流れの中で8月31日から9月10日ごろまで、北朝鮮の金正日総書記が中国を訪問したのではないかと報じられ続けた。

 8月31日、韓国の偵察衛星が、金正日の特別列車が中国国境に向かっていることを確認したことから、金正日の中国訪問が取り沙汰され始め、金正日が核実験の計画について説明するため、中国の胡錦涛国家主席に会いに行ったのではないかとする憶測が流れた。(関連記事

 その後、9月7日には、特別列車が新義州から平壌方面に戻るのが、韓国の偵察衛星によって確認されている。中国政府は、金正日の中国訪問を否定しているが、9月10日には「最近、金正日が、中国とロシアの外交官に、地下核実験を実施することを決定したと伝えた」というロシア政府筋の話が報じられている。(関連記事その1その2

 金正日が北京に行ったかどうかは確定できないものの、少なくとも金正日が9月上旬に、核実験を実施するつもりだと中国とロシアに通知した可能性は非常に高い。このことから、北朝鮮の国家運営に不可欠な経済支援を行っている中国に対しては直接金正日が北京に行って核実験を行うことを説明し、ロシアに対しては、駐平壌のロシア大使に核実験実施を伝えたのではないかと推測できる。

 金正日が北京から平壌に向けて戻ったのと入れ替わりに、9月5日には、米政府の北朝鮮担当であるクリストファー・ヒル国務次官補が北京を訪れた。ヒルは、金正日と胡錦涛の話し合いがどんなものだったか聞くために北京にやってきたとも思える。(関連記事

 ヒルは、その北京訪問時に「中国は、北朝鮮に失望している」と述べている。ここからうかがえることは、中国は北朝鮮に「核実験をするな」と言ったが、北朝鮮の意志はかたく、翻意させることはできなかったということである。

▼中国は核実験のタイミングを制御しえた

 中国側は、核実験停止要求を金正日から拒否されたが「核実験をやったら北朝鮮に対する石油供給などの経済支援を止める」とは言わなかった。核実験が実施されたあとの現在も、中国から北朝鮮への援助は止められていない。中国は、北朝鮮の核実験を容認する態度をとったことになる。中朝国境の町では、国連の制裁決議などどこ吹く風で、従前どおりのビジネスが展開しているという。(関連記事

 中国が北朝鮮への経済援助を停止すると、北朝鮮では物不足がひどくなって社会が不安定になり、金正日政権が崩壊するかもしれない懸念がある。中国は、自国の周辺地域の安定を重視しており、北朝鮮が不安定化したり、崩壊したりすることを望んでいない。中国は、北朝鮮への経済援助を止められない状況にある。(関連記事

 胡錦涛は、金正日の核実験をやめさせることはできなかったとしても「どうしてもやるというのなら、実験をするタイミングは、こちらが良いといってからにしてくれ」と、注文をつけることができたはずである。つまり中国は、北朝鮮がいつ核実験をやるかということを制御できる立場にいた。

 ここで私が推測するのは「胡錦涛は、日本の安倍新首相を中国に来させて日中関係を好転させるために、北朝鮮の核実験を使ったのではないか」ということである。

▼日中接近は対米従属の終わり

 中国政府は以前から、日本との関係を改善させることを求めてきた。日本では「中国が日本との関係を改善したければ、首相の靖国神社参拝を認めるべきだ。中国が首相の靖国参拝を認めないのは、日本との関係を改善したくない証拠だ」と考える人が多いが、間違いである。中国共産党は、抗日戦争に勝ったことが政権を支える正統性として存在している。首相の靖国参拝を容認することは、譲れない一線を越えており、中国にとって非常に難しい。小泉前首相は、中国がどうしても容認できないことであると十分知った上で、あえて靖国参拝を繰り返していたと考える方が自然である。(関連記事

 中国が、日本との関係改善を望むのは、アメリカが中国に「国際社会での責任をもっと果たしてくれ」「アメリカに頼らず、中国が中心になってアジアの問題を解決してくれ」と求め続けているからである。ブッシュ政権は昨年夏から、中国を世界運営に責任を持つ勢力のひとつ(responsible stakeholder)にすることを、対中政策の中心に掲げてきた。(関連記事

 中国政府は、アメリカが自国に、国際社会における責任と覇権の一部を割譲したがっていることを、自国が大国になるチャンスと見て、ある程度は受け入れつつも、外交に力を割きすぎると、なかなか安定しない内政や経済の問題がないがしろになるので、躊躇し続けている。このため、胡錦涛政権は「アジアの大国としての責任は、中国だけでなく、日本というもう一つの大国にも果たしてもらいたい」と考えて、日中関係を改善して「戦略的関係」にまで高め、日中が協調してアジアを主導していきたいと考えてきた。(関連記事

 おそらく日本政府は、すでにアメリカや中国の思惑を把握し、それに乗りたくないので、首相の靖国参拝が繰り返されてきた。日本にとって最良の体制は「対米従属」であり、アメリカが中国に「アジアの盟主になれ」と圧力をかけ、中国が「一国で盟主になるのは大変だから、日本と一緒にやりたい」と言って接近してくるのに日本が応じたら、アメリカは「これでアジアの問題に煩わされずにすむ」と言って、日米関係を含むアジアとの関係を希薄化させていきかねない。それは、日本にとって対米従属の終わりを意味する。(関連記事

 小泉前政権は「そんなシナリオ展開は許さない」とばかり、靖国参拝や、東シナ海油田問題、尖閣諸島、教科書問題など、日中間のあらゆる問題を再燃させ、マスコミを動員して国民を中国嫌いにさせて、日中関係が改善しないように努力してきた。(関連記事

 アメリカは昨年秋ぐらいから、小泉の靖国参拝を問題にし始めた。昨年11月に訪日したブッシュ大統領が、改善しない日中関係を懸念すると、小泉は「誰に止められても参拝は続けます」という主旨の発言をして、アメリカの思惑どおりには動かない姿勢を見せた。(日米間のやり取りは当初秘密にされ、かなり後になってから報じられた。日米関係は安定しているので、アメリカのマスコミの関心は薄い)

 その後、今年に入って、アメリカから日本に対し、中国との関係改善を求める動きが強まった。今年6月には、米国務省の元日本担当者が「次の日本の首相が誰になったとしても、次期首相は靖国参拝はしないだろう」と東京での記者会見で述べていた。

▼アメリカが安倍を訪中させた?

 このような経緯を踏まえると、10月8日の安倍の訪中は、中国にとって、かねてからの希望がかなった出来事だったことが分かる。安倍は1泊のあわただしい北京訪問で、胡錦涛国家主席、温家宝首相、呉邦国全人代常務委員長(国会議長)という、中国のトップ3の指導者全員に会った。胡錦涛は、昨年4月に小泉前首相とのジャカルタ会談で実現しようとして果たせなかった「日中を戦略的関係にまで強化する」という目標を、安倍との会談で果たし、日中関係を「戦略的互恵関係」にするという共同声明を出した。

 安倍は本来、小泉以上の日米同盟重視派とされていたから、小泉の路線を継承し、できる限り対米従属を続け、中国と一緒にアメリカ抜きのアジアを切り盛りすることなどまっぴらだったと推測される。そんな安倍に対して「首相になったらすぐに中国に行きなさい」と命じることができるのは、アメリカだけである。公明党や財界など、日本国内にも、日中関係を改善したい勢力はあるが、それらの勢力からの要請なら、安倍は、首相になったばかりの時に急いで訪中する必要はない。

 ブッシュ政権の対中戦略は、議会などの反中国派に配慮して、表向きは「中国包囲網」などで中国を敵視するそぶりを見せつつ、実際には中国を少しずつ覇権国の方向に押し出していく「隠れ多極化戦略」である。こうした「戦略的な曖昧さ」重視のため、ブッシュ政権はこれまで、日本政府に対中関係の改善を強くはっきりと求めることはできなかった。

 だが、北朝鮮が核実験するとなれば、話は別である。核保有国になった北朝鮮に対峙するためには、周辺諸国は団結せねばならない。「日本と中国が仲違いしているのは非常にまずい」とアメリカは日本にはっきりと言うことができる。

「安倍が首相に就任したら2週間以内に訪中する」という話が、安倍周辺からマスコミに流れ始めたのは、8月末か9月始めのことである。これはちょうど、米韓の諜報機関が「北朝鮮が核実験しそうだ」と言い出し、金正日が中国やロシアに核実験すると報告した時期である。

 北朝鮮の核実験が不可避になった時点で、中国側は金正日に「中国が良いと言ってから実験を実施せよ」と命じる一方で、アメリカに「核実験後の北朝鮮との交渉に中国が責任を持つから、その代わり、日本の安倍に、首相になったらすぐ中国に来いと言ってほしい」と求め、かねがね中国に責任を持たせたいと思っていたアメリカは中国の提案に応じ、安倍に「もうすぐ北朝鮮が核実験するから、早く中国との関係を改善しなきゃダメだ」と強く言って訪中を実現させ、中国は北朝鮮に「安倍が中国を離れたら核実験しても良い」とゴーサインを出し、核実験は安倍が北京から離れた半日後に実施された、というのが私の仮説である。

▼訪中の奇妙さを隠す強硬姿勢の芝居

 北朝鮮の核実験が行われた後、日本は国連決議を待たずに独自の対北朝鮮制裁に踏み切り、北朝鮮の船が日本の港から追い出される光景がテレビで延々と報じられた。日本は、国連では、北朝鮮に寛容な中国やロシアと対立する厳しい制裁決議を求めた。こうした動きを見ると「日中の対立は解けない」という感じを受けるが、私は、これはむしろ安倍政権が自分たちを「強硬派」に見せるための国内向けの芝居であると感じる。

 右派のはずの安倍が、首相就任早々に異例の中国訪問をせざるを得なかったのは、どう見ても奇妙である。だから訪中に対する疑問を吹き飛ばすように、強硬姿勢をとって見せたのではないか。北朝鮮と日本の間の貿易はここ数年ですでに激減し、制裁をどんなに厳しくしても、大した効果はない。国連決議は、どんなに日本が強く言っても、拒否権のある中国が考えたとおりの内容になることは、最初から分かっている。

 米政府は、国連で北朝鮮制裁を議論している真っ最中に、中国の代表をホワイトハウスに呼び、ブッシュ大統領自らが会談に出てきている。アメリカの態度は「北朝鮮問題は、中国中心の外交交渉ということで、よろしくお願いしますよ。アドバイスはしますから」という感じである。アメリカのボルトン国連代表は安保理での演説で北朝鮮を罵倒したが、ネオコンらしい見事な演技である。(関連記事

▼日本の核武装は対米従属の終わり

 日本の政界では「北の核に対抗して日本も核武装するかどうか考えよう」という主張が出てきたが、これはまさに、日本が対米従属を続けられなくなってきたことを示している。日本は、対米従属が続けられる限り、アメリカの核の傘から出て自前の核兵器を持つことはあり得ない。以前の記事に書いたように、日本は中国やロシアと異なり、戦略的な国土の厚みがないので、独自の核兵器が抑止力にならない。

 日本が対米従属を保ったまま、アメリカの許しを得た上で独自の核兵器を持つという選択肢がある、と言う人もいるかもしれないが、ブッシュ政権が「アジアのことはアジアに任せる」という姿勢を強めていることを考えると、この考えは幻想にすぎない。日本が独自の核兵器を持ったら、アメリカは「もうアメリカは日本の防衛に協力しなくても大丈夫ですね」と言って出ていく傾向を強めてしまう。

 911以降「もはや同盟国も要らない」と主張する「単独覇権主義」を掲げるアメリカに対し、日本政府、特に外務省は、何とかしてアメリカの忠実で便利な同盟国であることを示そうと努力してきた。対米従属を1日でも長く続けたい外務省は、独自の核武装については、検討することさえごめんだと思っているはずである。

 以前の記事に書いた日露関係と同様、政治家の中から、そろそろ独自の核武装(つまり対米従属が終わった後の日本のあり方)について検討した方がよい、という意見が出てくることは自然な動きである。

 北朝鮮の核実験は、米中関係、日中関係、日米関係のすべてを、新しい局面に引っぱり出したといえる。北朝鮮がどうなるかということ自体より、北朝鮮問題をきっかけにして日米中の三角関係が今後どうなっていくかということの方が重要である。



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