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日本の孤立戦略のゆくえ

2005年11月24日  田中 宇

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 11月18、19日に韓国の釜山で開かれたAPEC(アジア太平洋経済協力会議)で、小泉首相は、中国の胡錦涛主席に首脳会談を断られ、今回の議長である韓国の盧武鉉大統領も、小泉首相には、議長の社交辞令としての20分しか会談時間を割り当てなかった。一方、中国と韓国の間の会談では、首相の靖国神社参拝に反対する意志が確認され、中韓が組んで、靖国参拝する小泉の日本を排除するかたちとなった。日本国内のマスコミの論調も、小泉外交は失敗しつつある、というトーンが目立つようになった。

 しかし私が見るところ、小泉外交は「失敗」していない。小泉首相は、10月17日に靖国神社を参拝した時点で、11月のAPECでは中国や韓国から冷たい扱いをされることは、十分に予測していたはずだ。むしろ小泉はAPECで本格的な日中、日韓の首脳会談をしなくてすむように、10月に靖国参拝し、中国や韓国を怒らせたのではないかとすら思われる。

 というのは、小泉は以前から「中国が日本に接近してくると、靖国参拝で中国を怒らせる」という行動を繰り返してきたからだ。2002年4月には、小泉は中国の海南島で開かれたボアオ・フォーラム(アジア経済の発展を論じる国際会議)に招かれて中国の朱鎔基首相と会談し、日中関係が強化されていくかと思われた矢先に、海南島から帰国した2週間後に靖国参拝している。

 また今春には、3月にジャカルタで国際会議が開かれた際に胡錦涛・小泉会談が持たれ、それを機に中国側は日本との戦略的な関係を構築していこうとした。だが、その流れの中で5月に中国の呉儀副首相が来日したところ、小泉は「靖国参拝は外国が介入すべきことではない」と国会で述べるなど、中国側の神経を逆撫でし、呉儀はこのまま小泉と会談したら、面子を潰されることを言われかねないかねないと判断したらしく、会談の直前に突然帰国してしまった。(関連記事

 今年3月の胡錦涛・小泉会談の後、中国では、さかんに「ジャカルタでの共通認識をもとに、日中関係を戦略的なものに深めていく」といったメッセージが、マスコミなどで発表された。このことからは、胡錦涛政権が日本との関係を強化し、日中関係を「東アジア共同体」の中枢に据えたいと考えていることがうかがえる。韓国の盧武鉉政権も、東アジア共同体の構想に賛同し、韓国が日中の橋渡しをするという構想を持っている。

 小泉はこうした中韓の構想に乗りたくないので、靖国参拝によって中韓を怒らせ、日本に接近できないようにしている。日本のマスコミなどでは「日本はアジアで孤立しつつある」と最近よく批判的に書かれているが、これは失敗の結果ではなく、日本はアジアで意図的に孤立する戦略を採っているように見える。

▼崩れる日米の中国包囲網

 ここで湧く疑問は「なぜ、日本はアジアで孤立したいのか」ということだ。それに対する一つの説明は「中国が日本を巻き込んで作りたい東アジア共同体は、アジアからアメリカを追い出すことが目的なので、アメリカとの関係を何よりも重視する小泉は、そんなものに乗るわけにはいかない」ということである。小泉はむしろ、日米が中心となって中国を包囲敵視する体制を作り、それをテコに日米同盟を強化したい構想というわけだ。

 ところが、日米で中国を封じ込める構想は、すでに破綻しつつある。アメリカが中国に対してどんどん譲歩し、敵視を弱めているからである。

 象徴的なのは北朝鮮の核問題だ。2003年ごろには、アメリカは北朝鮮を先制攻撃するのではないかと世界から思われていた。だがその後アメリカは、北朝鮮問題を解決するための6カ国協議を中国に主導させた。今年9月にアメリカが同意した6カ国協議の共同声明は、中国が草稿を書き、アメリカに「これを飲むか、交渉決裂か」と迫って同意させたものだ。共同声明でアメリカは、北朝鮮を攻撃しないと約束し、北朝鮮と国交を結ぶ努力をするとまで宣言している。(関連記事

 ブッシュ大統領は、10月20日の北京での胡錦涛主席との会談では「北朝鮮の金正日総書記と会ってもよい」と表明している。2003年ごろまでブッシュが金正日を酷評・中傷していたのがウソのような軟化である。(関連記事

 アメリカの不可侵宣言によって、北朝鮮は国家として存続できる可能性が強まった。アメリカに不可侵を約束させた中国の胡錦涛主席は、その後北朝鮮を訪問し、大歓迎された。北朝鮮にとって、残っている問題は経済の再建だが、それについては中国と韓国によって経済支援やノウハウ提供が行われている。日米と中韓の対立という枠組みで考えると、北朝鮮をめぐる外交戦は、日米の惨敗で決着がついた観がある。

 アメリカは、韓国に駐留させている米軍を縮小する計画を打ち出している。しかも在韓米軍は、すでに装備がぼろぼろで戦闘不能な状態だ。昨年の段階で、在韓米軍の装備のうち8割は使いものにならない状態だということが、米議会の会計検査院(GAO)の調査で発覚している。(関連記事

 そんな事態になっている理由は、イラクの戦線が予想外に悪化したためだ。使える装備はイラクに回し、イラクで消耗したり壊れたりしたものを韓国に送り返し、在韓米軍の装備を数だけ合わせている。イラク占領が終わったら、在韓米軍の装備は新調される可能性もないわけではないが、米軍は数年前から進めている世界的な体制再編計画の中で、韓国やドイツに駐留している軍隊を大幅に縮小する方針をとっており、在韓米軍が充実した状態に戻る可能性は低いと思われる。

(米軍では、ドイツや東南アジアの駐留軍の装備も、使えるものがイラクに回され、消耗したものばかりが残されている)

 北朝鮮の核問題の解決を中韓に任せ、韓国からも事実上、軍事撤退していることからは、アメリカが1945年以来、自国の覇権下に置こうとし続けた朝鮮半島を放棄する決定をひそかに下しているのではないかとも感じられる。これは「世界多極化」路線の一環であろう。

▼台湾も見捨てるアメリカ

 アメリカは台湾に対しても、いろいろ理由をつけて、これまでのように中国を牽制し、台湾を支持することが難しくなっているというメッセージを発している。(関連記事

 最近では10月24日、アメリカ国務省で以前に台湾問題を担当する次官補代理だったランダル・シュライバーが、台北で行った講演で「米政府はイラク占領に忙殺されているうえ、中国は米国債を大量に買ってくれている(つまりアメリカに金を貸している)ので、アメリカが中国に対して圧力をかけることは難しくなっている」という主旨の発言を放っている。(関連記事

「中国が米国債を買っているから、アメリカは中国にものが言えなくなっている」という分析は、最近アメリカの新聞でも散見されるが、日本人から見るとおかしな話である。日本は中国よりも多額の米国債を購入してきたが、それによってアメリカが日本にものを言わなくなったとは感じられないからだ。

 米政界では冷戦時代から、反中国派(軍産複合体、台湾ロビー)と親中国派(多極主義者)がしのぎを削っており、イラク占領の失敗後は、ブッシュ政権内では多極主義者が強くなっている。このことから考えて、シュライバーの発言は、米政府が中国に寛容な政策をとることについて、台湾人に対して言い訳をしたのだと思われる。

 台湾では、元外務大臣の田弘茂も「アメリカは今後、孤立主義を深め、中国の覇権拡大を容認する度合いを強めそうだ」と発言している。(関連記事

 ブッシュ大統領はAPEC出席の後で中国を訪問し、中国政府に対し、人権重視や民主化の実現を要望し、北京ではキリスト教会を訪問して宗教の自由を拡大せよと求めた。このことからは、アメリカは中国に圧力をかけ続けているとも感じられる。だが、ブッシュは発言を発しただけで、中国側には何の効果ももたらしていないことを考えると、ブッシュの言動は、米国内の反中国派の目をくらますためのパフォーマンスでしかないと思われる。(関連記事

▼空洞化する日米軍事同盟

 アメリカが中国の台頭を容認する寛容な政策をとり始めていることは、日本にとって「日米同盟を強化し、中国の台頭を封じ込める」という戦略がとれなくなったことを意味している。むしろ今後、アメリカが東アジアのことに関与する度合いが下がる中で、日本がアメリカに頼れなくなる時代が訪れる可能性が大きい。

 日本のマスコミでは、日米の軍事同盟は強化されていると報道されており、大多数の日本人もそう信じているだろうが、実際には、軍事同盟は強化されていないどころか、空洞化している。(関連記事

 戦後ずっと日本に駐留し、在日米軍の司令部として機能してきた第5空軍の拠点は昨年、横田基地からグアム島に移されている。さらに、沖縄に駐留する海兵隊1万4千人のうち7千人もグアムに移転する。残りの海兵隊員の多くも、イラクに派兵されたまま戻ってきていない状態である。(関連記事その1その2

 一方、アメリカの領土で最もユーラシア大陸に近いグアム島の米軍基地では、2年ほど前から急ピッチで施設の拡張工事が続いている。在日米軍だけでなく、在韓米軍も規模を縮小しており、その分の多くがグアムに移転している。(関連記事

 米軍が日本から部隊を撤退させる代わりに、日米は、東京の米軍横田基地に日米空軍の統合司令部を新設し、これをもって「日米軍事同盟の強化」と発表している。だがこの司令部は、もともとアメリカ側が日米の軍当局者の情報交換の場として設立するつもりだった組織に、日本側の希望で「司令部」という看板をつけたものであり、恒久的な司令部ではなく、有事の際だけ機能する「前方作戦司令部」(forward operational headquarter)である。(関連記事

▼在日米軍の撤収と憲法改定

 米軍が日本や韓国から撤退するのは、米軍の世界的な再編の一環である。「ミサイルや戦闘機、輸送機などの性能が向上し、より遠くから大量の武器や物資を戦場に運べるようになったので、以前より後方に基地を置いても十分有事に対応できる。だから、米本土から遠い日本や韓国の基地を縮小し、より近いグアムに結集させることにした」というのが、米軍再編の考え方である。

 だが、米軍再編の構想を支える新技術の中には、まだ実用化されていないものがいくつもあり「米軍は撤退しても強化される」というのは机上の空論にすぎない可能性がある。構想を鵜呑みにせず、現実ベースで考えると、米軍の撤退は「強化」になっておらず、単なる「撤退」で、アメリカの軍事支配力を低下させる世界多極化の動きに見える。(関連記事

 米軍が撤退した後、日本や韓国の防衛は、地元の自衛隊や韓国軍が、米軍に頼らずに行わざるを得なくなっていくだろう。今の日本の憲法や世論のままでは、米軍が急に出ていった穴を埋めるために自衛隊を急拡大させることが難しい。そのため、日米で協議して、米軍が撤退しているという印象を消し、逆に「日米軍事同盟が強化されている」というイメージを喚起する戦略を立て、マスコミや国民を信じ込ませているのだと思われる。実際には、米軍の代わりに自衛隊が日本の防衛の中心的存在になりつつある。自衛隊は、米軍の皮をかぶって展開している。(関連記事

 米軍が日本から撤退する傾向にあるということをもとに、小泉首相の靖国参拝の目的を考え直してみると「中国を共通の敵とした日米同盟を強化」とは別の目的が浮かび上がる。「米軍撤退に対応する憲法改定や自衛隊の強化を行うため、中国との緊張関係があった方がよい」という見方である。(関連記事

 小泉が靖国参拝を繰り返さず、日中や日朝の関係が好転し、日本と周辺国との間に緊張がない状態になっていたとしたら、日本国民の間には「在日米軍が撤退しても、今のままの憲法で良い。自衛隊を強くする必要はない」という世論が強くなる。戦後の日本人の中には「軍隊なんか持たない方が平和になる」という考えが根強いが、実際に政府を動かしている人々は、そこそこの軍隊を持たないと国の安全は守れないと考えている。

 アメリカが「日本の防衛は日本自身でやってくれ」という意志である以上、従来の「日本はアメリカが守る」という前提で作られた日本国憲法も、改定が必要になる。しかし、改定を実施するためには、いわゆる「平和ぼけ」の世論が邪魔だ。

 そこでしばらくの間、靖国参拝や、東シナ海油田、竹島問題の扇動、北方領土問題に対する強硬姿勢の持続などによって、中国や韓国、ロシアなど周辺国との関係を悪くしておき、国民を「強い軍隊を持たねばダメだ」という気持ちにさせ、憲法改定や、防衛庁の省への格上げ、防衛費シーリングの緩和、独自の軍事産業の育成などを実現しようというのが、小泉政権の意図ではないかと思われる。(関連記事

 実際、自民党は11月22日の結党50周年大会で、戦力不保持を決めた条項(9条の2)を削り、軍隊(自衛軍)の保持を明記する憲法改定案を発表した。また自民党は同日、防衛庁の省への格上げを政府に求める決定を行っている。(関連記事

▼日本の技術力がほしい周辺国

 つまり、小泉首相の靖国参拝は、暫定的に日本を東アジアで孤立させることで、米軍の撤退に対応できる新体制を日本に作ろうとする「暫定孤立戦略」であると考えられる。この戦略は、日本の体制を、アメリカの庇護のもとにあった戦後体制から脱却させるためであり、その転換のプロセスが一段落したら、役目を終えることになる。

 日本が今後、孤立戦略を止めたときには、もう周辺国は日本を相手にしてくれなくなるのではないか、という懸念があるかもしれないが、現実を見ると、あまりその心配はない。周辺国は技術力や経済力の面で、日本からもらいたいものがまだたくさんあるからである。

 ロシアのプーチン大統領は、北方領土問題は話さないという日露間の合意のもと、11月20日に訪日し、ロシアの石油産業に対する日本の資金協力や貿易促進について、売り込みをして帰った。(関連記事

 またこれと前後して、中国が計画している高速鉄道に、ドイツと並んで日本の新幹線技術が使われることも決まっている。中国側は従来「小泉首相が靖国参拝している限り、日本には発注しない」と言っていた。しかし、日本の鉄道技術はフランスなどより進んでおり、日本を外して独仏に発注するのは惜しいと判断したのだろう。中国は、日独から鉄道技術をコピーして自分のものにすることを狙っており、日独の側は、技術を盗まれずに利益を出すことが重要になる。(関連記事

▼大衆扇動政治の懸念

 もう一つ心配なのは、日本の孤立戦略はいつまで続くのか、ということだ。中曽根元首相は最近、小泉の政治手法について、大衆扇動の傾向が強いと批判している。靖国参拝や領土問題によって周辺国との緊張を高める戦略は、暫定的なものに終わらず、大衆扇動によって人気を集める手段として、今後長く歴代の政治家が使い続けるものになる懸念がある。 (関連記事

 これはフランスで、ニコラ・サルコジ内相がアラブ系住民の暴動を扇動した結果、フランス国内の世論が急速に右寄りになり、移民系国民を嫌う発言を繰り返すサルコジの人気が高まって、シラク大統領の影が薄くなり、サルコジが次期大統領になる可能性が強まったのと同じ構図である。

 フランスの場合、国内に「アラブ系住民」という格好の標的がいたが、日本の場合は、戦前に標的にされた在日朝鮮人がすでに同化され標的として使えないため、中国や韓国、北朝鮮といった外国を敵視することで代用したのだろう。

 大衆扇動による人気取りをやった政治家として象徴的なのはドイツのヒトラーであるが、彼が政治力をつけた結果起こった第二次世界大戦は、ヨーロッパを自滅させてしまった。そのため戦後、欧米を中心とする国際社会では、大衆扇動の政治を行うことがタブーとなった。

 ところが冷戦終結後、このタガがゆるみ、2000年にはオーストリアで移民排斥を呼びかけるハイダー政権ができたりした。当時はまだ、欧米のマスコミはハイダー非難を展開したが、その後911事件を機に、世界の規範だったはずのアメリカが「イスラム教徒はみんなテロリストだ」といった感じのプロパガンダをまき散らすようになり「大衆扇動政治は悪だ」という国際的な規範が完全に無効になった。

 政治は「何でもあり」の世界になり、その流れの中で、小泉やサルコジのような大衆扇動型の政治家が台頭している。靖国参拝は、今はアメリカの撤退に対応するための暫定的な孤立戦略であるとしても、今後それが自己目的化し、永続化してしまう懸念がある。



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