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イラン訪問記

2006年4月14日   田中 宇

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 3月30日から10日間ほど、イランを旅行した。首都テヘランに着いた翌朝、宿の近くの街を歩いてみて驚いた。白い雪をすっぽりとかぶった高い山々が、街のすぐ近くにそびえ立っていたからである。日本でいうと、富山市内から見た立山連峰か、長野県の大町市内から鹿島槍ヶ岳を見ているような感じである。地図を見ると、山の高さはテヘランの郊外で4000メートル前後、もっと奥には5000メートル級の山もある。

 私は、テヘランに来るのはこれが3回目で、以前に来たときにも山々は見えたが、こんなにはっきりと見えたのは初めてだった。市内は自動車の排気ガスがひどく、ふだんはうっすらとしか山が見えない。私がテヘランに着いたのはペルシャ暦の正月休み(ノールーズ)の最中で、4月2日まで2週間の連休だった。休みで自動車の数が激減した上、前日の雨で空気がきれいになり、山々がよく見えたのだった。一昔前の日本の正月のように、街の商店もほとんど閉まっている。

 イランでは、太陰暦のイスラム暦と、イスラム以前のゾロアスター教などの時代からイランで使われていた太陽暦のペルシャ暦が両方使われている。ノールーズはペルシャ暦の新年で、年末から正月にかけて、イスラム以前にあった信仰の名残を思わせる行事が連なっている。

 家の中に「スィ」の文字で始まる7つの品物を飾っておくと良いとか、火を燃やしてその上を7回飛び越えると今年の悪いことを来年に持ち越さずにすむとされる年末行事を行う日や、外出するとその年を幸せに過ごせるとされる「ピクニックの日」などが、ノールーズの行事である。

 ピクニックは、遠くに行かなくてもいいとのことで、街の公園は、木陰の芝生の上で小さなプロパンガスコンロを置いてお茶をわかして飲んだりしている家族連れで賑わっていた。また、火を飛び越える日は、今では爆竹を鳴らす日に様変わりしていて、走っている車に爆竹が投げ入れられたり、誰かが投げた爆竹が顔の近くで爆発して死ぬ子供がいるなど、物騒な日になっていると聞いた。

 何人かのイラン人に「なぜ正月にこれらの行事をするのか」と尋ねたが、誰も由来や理由を知らなかった。1979年のイスラム革命後、権力を握ったイスラム法学者の中には、ノールーズはイスラム以前の迷信なので廃止すべきだという主張があったが、人々は新年を祝うことをやめようとせず、今はもう誰も止めろとはいわなくなった。イランの正月行事は、火が出てくるあたり、イスラム以前のゾロアスター教(拝火教)の影響を感じる。「7」という数字にこだわるあたりは、日本の正月の「七草がゆ」(中国由来)などにつながっているのかもしれない。

 イランと日本は何千キロも離れているが、かつて仏教はインドからイラン(ペルシャ)の文明圏だった中央アジアのシルクロードを経由して中国から日本に入ってきた。イスラム以前のペルシャ文明の影響が、日本の伝統文化の中に存在している可能性は十分にある。日本ではこのことはほとんど研究されていないようだし、イスラム世界でも、イスラム教の発生以前を「暗黒時代」と決めつけて、深い調査分析をしない傾向があり、大昔のことがよく分からないようになっている。(関連記事

▼より大胆になった服装

 今回私がイランを訪問して知りたかったことの一つは、昨年夏に大統領が超保守派といわれるアハマディネジャドに代わってから、人々の生活に変化があったかどうかということだ。

 私が前回イランを訪れた1999年には、経済自由化が進む中、裕福層が酒を飲んでパーティを開いたり、屋根にパラボラアンテナを乗せて外国の衛星放送を見たりするのが流行っていた。昨夏から保守派の政権になって、こうした裕福層を中心にした生活の「西欧化」の傾向が規制されたかどうか知りたかった。(関連記事

 イランを訪問して私が得た答えは「西欧化に対する規制はあまり行われていない」ということだった。テヘラン市内の北部の比較的標高が高い(夏は涼しい)地域のマンションなどに住む裕福層は、相変わらず自宅でパーティを開き、酒を飲んでいた。北部のマンションに住んでいる日本の新聞の特派員の人は、週末も平日もおかまいなく、夜になると隣や上階の住人がパーティを開き、大音量で低音を効かせて音楽をかけて騒ぎ、眠れないとこぼしていた。

 女性の服装は、髪の毛を隠すベール(ヘジャブ)を、どのくらい後ろにずらせて前髪を見せるかが「不良」ぶりを示す基準の一つだが、相変わらず前髪を大胆に見せてショッピングモールなどを歩く女性たちの姿が目立つ。女性のファッションがしだいに大胆になる傾向は、アハマディネジャドになっても変わっていないという指摘を聞いた。

 髪の毛の出し方と並ぶもう一つの「不良」ぶりは、コートの長さである。イランのイスラム保守派としては、女性は、コートを着たり、黒い布をかぶったりして、膝の下までを隠すのが「正しい」服装であるとされる。テヘランの北部では、布ではなくコートを着ている女性が多かったが、中には腰のすぐ下ぐらいまでしかないコートを着ている人がけっこういて「大胆さ」を感じさせた。

 コートの色は、一般には黒に近い色なのだが、モールでは、日本の小学生が雨の日に着るような黄色の短いコートを着ている女性が颯爽と歩いていたりして、はっとさせられた。黒っぽいコートばかりの中で見る黄色いコートは、日本の街で水着姿で歩いている女性を見かけたときに匹敵する大胆さを感じさせた。

 私が6年前に来たときには「はいても問題ない」という存在だったジーンズは、今では若者の間ですっかり定着し、モールではジーンズ姿にコートをはおる女性も多く見た。

▼宗教警察バシジの表と裏

 イランには「バシジ」と呼ばれる、宗教系の若者が作る政府肝いりの団体がある。彼らは街をパトロールして、女性の服装の「乱れ」を取り締まったり「カップル狩り」をしたりすることがある。

 バシジは昨年夏、大統領選挙でアハマディネジャドが当選した直後には、テヘラン市内を凱旋的に練り歩いたりして、これからは保守派全盛の時代が来るかのような印象を人々に与えた。テヘラン市民は「これからは街を歩くときも、男と女はお互いに反対側の歩道を歩かなければならなくなるよ」などと冗談めかして言い合ったりしていたというが、実際には服装の取り締まりは、ほとんど強化されていない。

 バシジはときどき、ショッピングモールの出入り口に立って、お客の服装を取り締まることがあるが、皮肉なのは、バシジを支援しているはずの保守派の宗教学者やその親族が経営しているショッピングモールには、バシジがいないということだ。

 イランは「イスラム共和国」で、イスラム法学者が権力を持ち、ナンバー2のラフサンジャニら何人かの宗教学者が石油収入を私物化して大金持ちになり、余った金を投資してショッピングモールなどを経営している。バシジが来てお客にうるさく言うモールは、敬遠されて客が来なくなる。宗教学者は自分が投資するモールには傘下のバシジを来させず、ライバルのモールにバシジを行かせ、自分のモールが儲かるようにしているのだという。宗教家が投資するモールには宗教警察が来ないという、革命後のイランらしい皮肉のこもった小話である。

 バシジと同じような宗教警察的な集団は中東各地にある。たとえばサウジアラビアでは「ムタワ」と呼ばれている。興味深いのは、地元の人々と話していて「バシジ」や「ムタワ」について尋ねたときの現地の人々の反応が、イランとサウジアラビアで良く似ていたことだった。一様に「よく知ってますね」と言った後、苦笑いをしつつ「宗教かぶれの人々には困ったものです」という反応をした。バシジやムタワに注意された場合、無視したり言い返したりして果敢にやり返す女性が多い点や、バシジやムタワがジョークのネタに使われる点も、イランとサウジで共通だった。(関連記事

 共通点はあるものの、サウジを比べるとイランの方が、公的な場所における男女の関係についてはかなり寛容である。サウジでは、飲食店の中は完全に「男性用(男性のみの客用)」と「家族用」に分かれていたが、イランではそのような「独身男性差別」的な区分はない。テヘランでは、モールや公園で、手をつないで歩いているカップルもいた。サウジでは女性に選挙権がなく、自動車の運転も許されていないが、イランでは女性の国会議員がおり、自動車を運転している女性も多い。

(イランとサウジの間にあるイラクでは、サダム・フセインの時代には、社会主義的な政教分離の政権だったので、女性の服装や男女関係についてイランよりもずっと寛容だったが、米軍占領下で宗教系の武装勢力が支配的になり、今では非常に厳しくなっている。多くのイラク人にとって、アメリカよりサダムの方がましだった)

 サウジよりは寛容だが、イランでは男女の区別がないわけではない。テヘランの市内バスでは、男性が前の方、女性は後ろの方に乗る。これはアハマディネジャドがテヘラン市長の時に決めたことだと聞いた。市内地下鉄では、前の2両が女性専用車両である。長距離バスや乗り合いタクシーでは、知らない男女が隣り合わせに座らないよう配慮がなされる。夫婦連れは、妻が奥に座り、夫が他人と接して座る。一人で移動する女性は、長距離バスでは女性どうしで座るよう車掌が配慮し、乗り合いタクシーでは助手席に座っていた。

▼衛星放送とインターネット

 服装や自宅パーティと並んで「西欧化」の象徴である衛星放送のテレビも、ここ数年で自由化が進み、以前は当局がテヘラン市内にヘリコプターを飛ばしてパラボラアンテナを立てている家を調べて回ったりしていたが、今ではそのようなことはなく、衛星テレビを見ることが黙認されている。しばらく前から、アメリカの亡命イラン人組織がドバイなどから反政府的な衛星放送をスタートさせ、今では対政府系の衛星放送が3チャンネルある。

 イラン政府は、パラボラアンテナを取り締まることを止める一方で、テヘラン市内のテレビ塔から妨害電波を出し、反政府系のチャンネルや、CNNやBBCといった欧米系のニュースチャンネルが見られないようにした。アハマディネジャドになって、この妨害電波が強まった。ただ、妨害電波が出される時間帯は夜7時から朝7時までで、反政府系のチャンネルの中でも音楽主体のチャンネルには、夜でも妨害電波はかかっていなかった。

 もう一つの「西欧化」の象徴ともいうべきインターネットについては、逆に政府による積極的な普及政策が行われている。街角の店で、500円相当ぐらいのプリペイドカードを買い、カードの表面をこすって出てきたIDとパスワードを使って決まった電話番号にアクセスすることで、20時間インターネットにつなげる。

 一般家庭へのADSLの普及もかなり進んでいる。イラク国境近くのクルディスタン州の州都サナンダジや、ペルシャ湾岸の古い港町ブッシェールといった人口20万人規模の街にもインターネットカフェがあり、1時間50円相当ぐらいの値段で、ADSLで100kbpsぐらいの速度が出ていた。外国の反イラン政府系のウェブサイトにはブロックがかっていたが、英米の主要新聞のサイトは見ることができた。ftpやtelnet、smtpなどのポートもふさがれていなかった。

 プリペイド方式のネット接続は中国とほとんど同じだ。憶測だが、中国とイランの最近の親密度から考えて、もしかすると接続システムから問題サイトをブロックするシステムまで、中国から買ってきたのかもしれない。

▼相反するアハマディネジャドへの評価

 昨夏から大統領になったアハマディネジャドに対するイラン人の間での評価は、裕福層と貧困層で正反対である。私が接したイラン人はわずかな数でしかないが、その中で感じたことは、テヘラン市内の北部に住んでいるような裕福層は、アハマディネジャドを嫌い、対立候補だったラフサンジャニが勝った方が良かったと思っている(誰がやってもダメだと言う人もいたが)。

 アハマディネジャドの当選後、テヘラン株式市場の平均株価は下落傾向を続けている。アハマディネジャドは貧困対策として金利を下げると宣言したので、金持ちの投資家はイランの株を売り、外国に投資先を求めて資金流出する傾向が強まった。持ち株を真っ先に売ったのは、対立候補だった大金持ちの宗教学者ラフサンジャニだったという小話も聞いた。(関連記事

 裕福層とは反対に、貧困層はアハマディネジャドに期待している。ペルシャ湾岸の貧しいブッシェール州で、乗り合い長距離タクシーの中でとなりに座った青年は、イランの地方では珍しくカタコトの英語ができた。彼は私と話すうちに、自宅に来ないかと誘ってくれ、私は農村にある彼の自宅に一泊することになったのだが、彼は、石油収入を広く貧困層に分配すると宣言したアハマディネジャドは、前任の金持ち法学者のハタミ大統領よりずっと良いと言っていた。

 テヘランでも、英語ができる知識人で「アハマディネジャドは貧困対策に注力しているので、自分たちの利権にしか関心がないハタミやラフサンジャニよりずっと良い」と言っている人がいた。

 このところの石油価格の高騰で、イランでは国家収入が増えていることは確かだが、その金がどう分配されているかは全く不透明だ。テヘランに駐在する日本人商社マンによると、テヘランの裕福層の消費はこのところ旺盛で、洋服や内装品などの高級品がよく売れているという。消費の元になる収入がどこから来ているかは分からないのだが、もしかすると政府に入った石油収入が、権力者である宗教学者たちからその周辺へと回り、裕福層の消費の源泉となっているのかもしれない。

 大統領になって以来、アハマディネジャドは国内各地を訪れ、各地でいろいろ金のかかる貧困対策のプロジェクトを実行すると約束して回っている。これらのプロジェクトの財源をどこから持ってくるのか明らかでないが、おそらく相場高騰が続きそうな石油収入の一部を使うつもりなのだろう。その場合、既存の支配層である宗教学者とその取り巻きの勢力と、アハマディネジャドの間で、石油収入の争奪戦が激しくなっていると推定される(新政権の石油大臣の任命が、議会に何度も否決されたことが、そのことを感じさせる)。

 イランではもともと大統領職に大した権力がなく、アハマディネジャドは前任のハタミ同様、宗教的な最高指導者であるハメネイ師の言うことを聞かねば何もできないとされていた。だが、実際にはアハマディネジャドは就任後、ハメネイやその下の宗教学者たちの言うことを聞かなくなっているとされる。

 アハマディネジャドは、アメリカとの対立を故意に扇動するとともに、国内の貧困層を味方につけることで、イラン政界内での自らの権力を強め、石油収入の分配方法も強引に変えようとしているのかもしれない。

 今のイランと言えば、アメリカと戦争になるかどうか、ということが最も大きな課題である。今回は、そのことについて入る前に、かなりの分量を書いてしまった。アメリカとの関係をめぐる話は、次回に書くことにする。

(先週から、アメリカのイラン攻撃が近づいていると感じさせる出来事が立て続けに起きているが、イランとアメリカの関係の基本的な構図は、今年2月の記事3本に書いたとおりである)(関連記事その1その2その3



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