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行き詰まる覇権のババ抜き

2005年6月15日   田中 宇

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この記事は「否決されたEU覇権」の続きです。

 フランスとオランダの国民投票でのEU憲法否決については、欧米の知識界から、たくさんの分析文や解説文が発表されており、ネット上でも多数読める。それらの中で私が最も興味を持ったのは、アメリカ・ルイジアナ州立大学のソブハッシュ・カク教授という科学史の専門家が書いた「帝国は要りません」と題する、アジアタイムスに寄稿された分析記事だった。

 カク氏はインド系で、イギリス帝国主義支配を経験した母国の歴史を良く知る哲学者でもあり、そのことと、もともとの専攻である科学とを組み合わせ、帝国主義(覇権拡大戦略)について、独自の指摘を展開している。彼の主張を私なりに敷衍して理解すると、以下のようになる。

 200年前の産業革命は、鉄道や海運といった交通や電気通信網、油田や鉱山、パイプラインなどを世界的に所有する勢力が、大儲けするとともに強さも維持できる状態を作り出した。帝国主義とは、この状態を活用し、自国の外にある地域にまで交通や通信網を敷設して儲けるため、政治的、経済的に外国を支配することであった。主要な鉄道や港湾や海路を独占的に利用できれば、安い原料を入手し、自国の製品を世界に売り、他国の製品の販売を阻止できる。交通と通信を押さえることが、帝国の要諦だった。

 ところが、その後の世界経済の発展により、交通手段や通信網は世界的にありふれたものになり、独占は崩れ、安売り競争の分野になった。物理的な交通・通信網を押さえれば大儲けできる「工業化」の時代は終わり、ブランドのイメージ力に象徴される情報管理戦略が重要な「情報化」の時代になった。物理的に交通・通信網を押さえるには「土地」を押さえる必要があったので、帝国主義は直接間接の領土拡張の行為だったが、工業化の時代が終わるとともに、帝国主義は時代遅れになった。

 今回、EUの市民がEU拡大に反対したのは、帝国主義が時代遅れになったことを象徴している。独仏首脳が画策してEUの影響圏を東欧や中東(トルコなど)まで拡大する覇権拡大(帝国主義)をやっても、もはやEUは大儲けできず、経済は上向かない。「もう帝国は要りません」という意志表示が、仏・蘭のEU憲法拒否の意味である。

 産業革命から200年、領土や影響圏の拡大を模索し続けた欧州は、今回初めて「領土や影響圏の拡大は馬鹿らしい」という意志表示を行った。これは人類の歴史の転換点である。

(カク教授は一本の論文の中で他にもいろいろなことを書いているが、私が感銘を受けたのは以上の点である)。

▼独立運動も国連も間接支配の手法

 ある国が他国を植民地にして支配する帝国主義は、かなり前から時代遅れだった。すでに1910年代までに、イギリスは直接的な植民地支配より、植民地を独立させて地元民に親英政権を作らせて間接支配した方が安上がりだという方針を採っていた。イギリスは、エジプトやインドなど、各地の植民地の民族主義運動や独立運動、反英暴動をひそかに扇動し、自国を悪者に仕立てることまでやって、直接支配を間接支配へと転換させた。

 直接支配から間接支配に切り替わるとともに、被支配国の政界中枢の動向をさぐる諜報(スパイ)や、その国の政府が反英的になった転覆する謀略などが重要となり、イギリス軍に「軍事諜報部」(MI)が作られた。英のMI6、米のCIAは、いずれもこの流れの組織である。

 アメリカは、英仏などの西欧諸国よりも遅く、支配が間接方式に移行しつつあった1900年前後に、後発で帝国主義競争に参加した。アメリカでは、最初から間接支配方式を採っていたため、自国を「帝国」と呼びたがらず、代わりに「覇権国」という言い方をする。イギリスは欧州の二度の大戦で疲弊し、覇権をアメリカに譲渡した。第二次大戦後、アメリカが世界最大の覇権国となった。

 植民地を独立させることの他に、国際機関の設立も、英米による間接支配への転換作戦だった。イギリスは、フランスやドイツ、イタリアなど他の欧州諸国が、自国に対抗して帝国主義を拡大することを容認する代わりに、帝国運営の負担になる部分を他の列強にも分担してもらうことで、自国の帝国運営を安上がりなものにした。

 イギリスが他の列強と談合して作ったこの関係は「国際社会」と呼ばれるようになり、やがて国際連盟、国際連合といった国際機関として強化された。イギリスと、その覇権の後継者であるアメリカは、常に国際機関の中心にいて、米英の損にならないような仕掛けになっている。国際機関が世界を管理し、米英が国際機関を隠然と支配する、という間接支配機構である。

「支配」というと悪い印象の言葉だが、世界の人々のかなりの部分は、米英による世界支配に満足してきた。少なくとも、911やイラク侵攻後、アメリカがおかしくなるまで、世界の人々はアメリカの支配を「仕方のないこと」「必要悪」ぐらいには思っていた。

▼西欧や中国を大国にして覇権を負担させる

 第二次大戦の終結後、最初は、国連が中心となって世界を安定させるシステムが画策されたが、米ソ対立が激しくなって国連は意志決定ができなくなり、1950年の朝鮮戦争以後、世界は冷戦体制に移行した。冷戦は、アメリカが「共産主義の拡大を阻止する」という考え方を、西欧や日本などの西側諸国と共有させることで、西側内部でアメリカ中心の支配体制を維持する戦略で、新手のバージョンの帝国(覇権)主義だった。

 アメリカは1960年代までは経済が隆々としていたが、ベトナム戦争の失敗もあって1970年代に衰退が始まった。アメリカが西側全体の面倒を見ることは重荷になったため、負担を分散させようとする「多極化」の動きが始まった。

 その一つは70年代の米欧日の「三極委員会」に象徴される、西欧と日本にも覇権の一部を分担させようとする動きで、日本は覇権を受け取ることを断ったが、西欧(独仏)は乗り気だったので、1980年代に米レーガン政権がソ連のゴルバチョフと話し合って冷戦を終わらせ、代わりにEU統合をスタートさせた(ソ連は経済破綻しており、その先さらに冷戦を続けるのが難しかったという事情もあった)。このEU統合の動きは、約15年後の先日、仏・蘭のEU憲法否決によって、挫折しかねない状態になっている。

 アメリカがやった多極化のもう一つは、中国の発展に対する阻止(封じ込め)を解き、中国が大国になることを容認し、代わりに世界の負担の一部を担わせようという「中国引っぱり出し作戦」である。1979年に米中が外交関係を再樹立し、その直後からトウ小平の改革開放が始まり、今の中国の経済発展と覇権拡大につながっている。(1970年代に日本が、対米従属の成功ゆえに覇権再拡大の誘いを断ったので、誘いが中国に行った)(関連記事

▼中国に覇権を取らせるための包囲網

 冷戦を終わらせたレーガン政権は、同時に、昔の帝国主義国家が最重要のものとして守っていた交通網や通信網を、国家管理から切り離して「民営化」し、欧州や日本など、他の先進国にも同様の民営化を求めた。

 世界的に交通や通信が民営化された結果、競争原理が働き、新手の航空会社、運送会社、通信網などが次々と作られ、無料のインターネットまで出現した。交通や通信を独占することで儲けるという昔の帝国主義は完全に意味がなくなり、世界が単一市場になった。情報力や技術力があれば、覇権に基づく必要なく、世界市場で儲けられる時代となった。

 だが同時に、単一市場となった世界の安定を誰かが守らねばならない状態は残った。かつて皆が求めた覇権は、今や大国の義務として、重荷になった。アメリカは、覇権の分散のために、EUや中国の影響力拡大を誘発する必要に迫られた。

 世界の多くのは人はいまだに「覇権は儲かる」「大国は皆、覇権を求めるものだ」と思っているので、アメリカが「覇権がお荷物になったので、誰か引き取ってくれませんか」と本音を言うのは得策ではなかった。むしろアメリカは、逆に「覇権は絶対誰にも渡さない」と言いつつ、EUや中国などが覇権の一部を奪いに来ることを誘発しようとした。

 アメリカの「中国包囲網」はおそらく、こうした戦略に基づいている。アメリカは経済的に中国市場で儲けており、中国の発展を願っているはずなのに、政治的には「包囲せん滅」すると言わんばかりの姿勢をとっており、矛盾している。

 中国という国の本質を歴史的に見ると、国土が広く非常に多様なので、歴代の多くの中央政府は国内情勢の安定を実現するだけで精一杯で、かなり余裕のあるときしか海外のことにまで手を出さない。共産党政権は、まだ国内政治が安定しているとは言いがたいから、今の中国は、放置すると海外のことに関心を持たず、国内のことにのみ専念しようとする可能性が大きい。

 アメリカが中国に投資を流し込んで大国にしてやっても、共産党政権が「国内さえ豊かになれば満足」という姿勢のままでは、アメリカの覇権を肩代わりしてもらえない。だからアメリカは、東南アジアや中央アジアなどに中国包囲網を作り、中国政府に「アメリカの覇権に対抗しなければならない」と考えさせ続ける必要がある。アメリカが北朝鮮との直接交渉を拒否し続け、問題解決を中国に押しつけているのも、同様の意図である。

 アメリカはEUに対しても同じ作戦を採ったことがある。イラク侵攻直前の2003年2月、当時のパウエル国務長官は、国連でこじつけの侵攻理由を発表し、欧州の人々を故意に怒らせた。その後、独仏首脳はEUをアメリカに対抗できる覇権勢力にする努力を加速している。この加速は、先日の仏蘭のEU憲法否決で、減速へと転じた。(関連記事

▼軍事のハイテク化で覇権の重荷を軽減する?

 アメリカが覇権の重荷を軽減しようとする戦略は「多極化」だけではなかったが、他の戦略の多くはすでに失敗したか、成功する可能性が低い。

 戦略の一つは、アメリカの軍事力を効率化し、安上がりに覇権維持ができるようにすることである。たとえばレーガン政権以来、アメリカはハイテクを使った「ミサイル防衛計画」を推進している。これは、ミサイル防衛という究極の抑止力によって、誰もアメリカを攻撃できない状態を実現し、誰もアメリカに逆らえないようにして、世界の警察官としての地位を長く確立しようとするものだ。ブッシュ政権が最近やっている米軍の再編も、同様の主旨である。

 以前の記事「ブッシュの米軍再編の理想と幻想」に書いたように、アメリカの圧倒的なハイテク軍事力を活用し、イラクや北朝鮮のような「圧政国家」を電撃的に政権転覆し、民主主義の理想を世界的に広める、というのがブッシュ大統領の目標だった。ところが、ブッシュが「ハイテク軍による最初の圧勝例」にするつもりで起こしたイラク侵攻は、短期間での圧勝を実現できず、それどころか米軍は、ハイテクとは逆方向の泥沼のゲリラ戦に巻き込まれ、大失敗した。

 しかも、レーガンやブッシュの軍事ハイテク化路線は、いずれも膨大な初期投資がかかる割には、いつまでも開発が進まず、結局アメリカ政府自体、インチキ技術に騙されているのではないかという疑念が日に日に大きくなっている。

▼世界を期待させないための「タカ派戦略」

 冷戦後、クリントン政権の1993−2000年には、単一市場になった世界の中で、それまで「市場」がなかった旧社会主義国などの「新興市場」を開拓し、そこで金融業などアメリカ企業が儲け続ける仕掛けが作られた。

 そして「新興市場で儲かるのだから、米軍を世界の平和維持軍として働かせ、アメリカはコストをかけて世界の安定を維持する必要がある」という理屈で、各地の地域紛争に米軍を派遣した。だが1996年のアジア通貨危機以後「新興市場」は儲からなくなって、この作戦は破綻した。

 その後も、欧州や日本などの国際社会は、アメリカを世界安定の立役者として頼り続けようとした。そのためアメリカは、世界から頼られないようにするための「タカ派路線」を取り始めた。「人権侵害している国とは交渉しない」「国連は腐敗しているから無視する」といった態度である。地球温暖化防止など、欧州が提唱する路線に対し、いろいろ難癖をつけて拒否し続け、欧州を怒らせ「アメリカには頼れない」という気にさせて、多極化を実現しようとした。

 だが、EUの覇権拡大は今後減速しそうだ。アメリカは、EUに頼れなくなった分、ロシア、中国、インドなど、他のユーラシアの大国に対し、覇権拡大を容認する態度を強めている。それは6月初め、ロシアのウラジオストクに中国・ロシア・インドの外務大臣が集まり、3カ国でユーラシアを安定させる協調体制を組むと宣言した会議などに表れている。アメリカのライス国務長官は、この会議に出席する直前の中国の李肇星外相と電話会談し、アメリカは中国が国際社会の中で果たす役割を支援する、と表明している。(関連記事その1その2

▼覇権の負担を減らす4種類の戦略

 以上のことなどをまとめると、アメリカは自国の覇権の負担を減らすため、4種類の方向の戦略を相次いでやってきたことが分かる。1つ目は、EUや中国を台頭させて覇権を分散させる多極化で、これはすでに述べた。

 2つ目は、アメリカ単独の覇権を維持できるだけの新しい枠組みを作ること。クリントン時代の新興市場を作って儲ける「経済」の枠組み、冷戦時代の「反共産主義」の枠組み、アメリカが世界のテロ対策を先導する911以後の「テロ戦争」の枠組みなど。テロ戦争の枠組みは、その後のイラク侵攻で薄れてしまった。

 3つ目は、ミサイル防衛計画や現在の米軍再編など、軍事力を効率化することで覇権のコストを下げ、覇権を維持しようとするもの。これらは技術的にインチキの可能性があるし、米軍再編はイラク戦争で、すでに失敗している。

 4つ目は、多極化の一環でもあるが、国連などの国際機関を強化して「世界政府」的な役割を持たせることである。これは、アメリカ東海岸の伝統的リベラル主義者(協調主義者)たちが60年前から求めていた戦略だが、今のブッシュ政権では、この考え方は完全に拒否されている。強化された国連が反米に転じる恐れがあるし、結局国際機関に対する負担の多くはアメリカが行うことになりかねない。

 ワシントンで弱体化したアメリカの協調主義者は、最近ではイギリスのブレア政権に頼っている。ブレアは先日ワシントンに行き、ブッシュに対し「次回のG8サミット(7月上旬)は、地球温暖化問題と、アフリカなど最貧国の債務帳消し問題をやりましょう」と持ち掛けたが、ブッシュに断られた。ブレアがブッシュに提起した問題は、いずれも国連の強化に関係している。(関連記事

 地球温暖化は、科学の問題ではなく国際政治の問題だ。石油の取引を規制して国際機関の管轄下に置いたり、石油取引に課税して国際機関の財源にするといった動きが根本にあり、国連に独自の財源を作って「世界政府」に格上げしようとする、協調主義者による運動である。

 同様に、最貧国の債務帳消し問題も、貧困の撲滅を国際機関の役割にして、それを実現する過程で、国連などに覇権力を持たせようとする動きとして考えられる。飛行機の国際線のチケットや、国際的な金融取引に課税し、それらをアフリカ支援や温暖化対策の財源(そしていずれは国連の財源)にする構想もある。(関連記事

 国際機関を「世界政府」に格上げしようとするこれらの動きを潰すため、ブッシュ政権がやっていることは、アメリカと国連など国際機関との橋渡し役にネオコンを配置する人事である。ウォルフォウィッツの世界銀行総裁、ボルトンの国連代表などの人事がそれに当たる。ネオコンは協調主義者の仇敵で、欧州や第三世界からも嫌われている。嫌われ者を配置して、国連とアメリカとの間に「糞詰まり」を起こす戦略である。

 ブッシュは、ブレアが提案した最貧国支援に賛同したと報じられているが、これは事実を歪曲したプロパガンダである。ブッシュが賛同した支援は、ブレアの要求額のうちの、ごくわずかの部分だけである。(関連記事

 ブレアが、国連を世界政府に格上げするプロジェクトに注力する理由は、EUが覇権拡大を拒否し、世界の多極化が行き詰まったため、代わりの戦略を推進する必要に迫られているからだと思われる。だが、アメリカが協力を拒んでいる以上、国連の強化はアメリカ抜きでやらねばならない。それは、まず無理である。

 世界がこの手詰まり状態からどう脱するのか。最強のカードから、皆がほしがらないババになってしまった覇権を、誰がつかむのか。覇権を、ババから価値あるカードに再び変身させる次の手はあるのか。「覇権のババ抜き」の今後の展開を注視する必要がある。

▼覇権回避のための小泉靖国参拝

「覇権など持たなくても国は栄える」という事実を、如実に示した一例は、戦後の日本である。その意味では、小泉首相の靖国参拝は、EU市民の憲法否決と似た方向性を持っている。

 小泉が、靖国神社に参拝する意志をしつこく見せているのは、中国から「アジアの覇権を日中共同で握りましょう」という誘いを断るためである。中国の誘いに乗ると、日本はアジアの安定に寄与することになるが、その代わり、覇権を持つことの負担も背負うことになる。

 戦後の日本は、覇権を持たないことで大成功したのだから、今さら覇権なんか要らない。中国の背後にはアメリカがいて、日中が共同してアジアを安定させれば、その分アメリカの負担が減ると考えている。だが日本政府は、その手に乗りたくない。小泉が靖国神社に行っている限り、アジアの人々は「日本を覇権国にするな」と主張するので、覇権付与をありがた迷惑だと思っている日本政府にとっては、実は好都合というわけである。



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