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イラン核協定で多極化

2022年8月20日  田中 宇 

イラン核協定(JCPOA)は2015年、米国がイランに核兵器開発の濡れ衣をかけて経済制裁や軍事攻撃をして潰そうとしていた問題を外交的に解決するため、当時のオバマ米大統領が発案し、国連P5+1(米英仏露中+独)とイランとの間で締結した協定だ。イランは核兵器開発につながる行動を控え、IAEAの査察を受け続ける見返りに、P5+1が主導する国際社会はイランを仲間として受け入れ、経済制裁を解除するという協定だった。米国(やイスラエル)の中枢には、イランに濡れ衣をかけてイラクみたいに潰そうとする勢力(軍産複合体や隠れ多極派)がいたが、イラクに加えてイランも軍事攻撃して潰してしまうと、中東の混乱がひどくなり、事後の米国の負担が肥大化し、米国覇権の自滅になりそうだった。そのためオバマは、軍産の謀略を阻止してイランを米国側に引き戻しつつ米国覇権を維持するためにJCPOAを締結した。 (イランとオバマとプーチンの勝利) (トランプがイラン核協定を離脱する意味

だが、隠れ多極派であるその次のトランプ大統領は、イランを米国覇権下に引き戻すのでなく逆に、イランを中露非米側に押しやるために、2018年にJCPOAを離脱した(他の諸国は残った)。離脱の表向きの理由は「イランを許すとイスラエルにとって脅威になるので離脱する」だった。トランプは、イランの「革命防衛隊(国軍より強い聖職者直属の軍隊)」をテロ組織に指定してイラン敵視を強化した。報復として、イランはウラン濃縮を再開した。その後、オバマの副大統領だったバイデンが2021年に大統領に就任すると、米政府はJCPOAに戻ることを方針に掲げた。だが、すでに米諜報界は隠れ多極派が牛耳っており、彼らがイランの脅威を誇張し、イランが求めた革命防衛隊に対するテロ指定の解除をバイデンが拒否せざるを得ないように仕向け、イランを怒らせて交渉を頓挫させてきた。 (Details of New Iran Nuclear Deal Approved by Iran) (米国を孤立させるトランプのイラン敵視策

今年2月にウクライナ戦争が始まると、状況が変わった。対露制裁でロシアから石油ガスを輸入できなくなって経済難に陥った欧州が、ロシアの代わりにイランから石油ガスを輸入したいと考えるようになり、EUが米国とイランを和解させてJCPOAを再開する動きを開始し、欧州がイラン制裁敵視をやめてイランから石油ガスを輸入できるよう動き出した。ロシアがガス輸出を減らしているので、欧州の天然ガス相場は史上最高値を更新してどんどん上がっている。EUは、できるだけ早くイランから石油ガスを輸入できるようにしたい。EUは、米国が譲歩したがらない分を肩代わりし、米国と横並びだった革命防衛隊などへの制裁をEUが解除するなどイランへの譲歩を進め、イランも満足してウラン濃縮を縮小しても良いと言い出し、米国がJCPOAに復帰できる状態にした。米政府も、インフレ対策としてイラン協定に復帰したい。早ければ来週にも、米バイデン大統領が協定離脱を決めたトランプの大統領令を無効にする新たな大統領令を出し、米国がJCPOAに復帰するのでないかと言われている。 (EU proposes lifting pressure on Iran’s Revolutionary Guards to revive nuclear deal) (Iran nuclear deal's fate uncertain as EU makes final push

米国がJCPOAに復帰したら、何をやってもうまくいかないバイデン政権として画期的だが、土壇場で実現しない可能性もある。バイデン政権はJCPOAに復帰したがっている。米国が復帰して核協定が完全なものに戻ると、イランは経済制裁を解かれて石油ガスの輸出が自由になり、石油ガスの国際相場が下がる。これは世界的なインフレ傾向を止める動きになり、インフレ悪化の責任を問われて支持率がどんどん下がっているバイデンとしては、JCPOAへの復帰が、インフレを抑止して再び人気を上げるための方策になる。民主党が惨敗しそうな11月の中間選挙まで3か月になった今の時期に、バイデンがJCPOAに戻って石油ガス相場を引き下げてインフレを緩和することは重要だ。 (US, Iran Return to Nuclear Talks at EU Behest

米政界の共和党は、バイデンの得点を上げることになるJCPOAへの復帰に「危険なイランを甘やかす愚挙だ」と反対している。中東の軍事大国であるイランを、国家安全上の最大の脅威とみなすイスラエルも、JCPOA復活に正式に反対している。バイデン政権は、イスラエルと米国の立場が違うことを認めている。バイデンは、イスラエルと良い関係を維持することよりも、物価高騰に苦しんでバイデンを恨む米国民をなだめるインフレ対策を重視している。 (US, Israel Have Tactical Difference Over Iran Nuclear Deal) (Israel sees nuclear deal with Iran as inevitable @BenCaspit

ゴールドマン・サックス(GS)は(米政界やイスラエルからの)反対論が強いため、米国がイラン協定に復帰する可能性はとても低いと予測している。GSは、JCPOAが再開しないので石油ガス相場の下落もないと予測している。対照的に、イスラエルのエルサレム・ポストには、間もなくJCPOAが再開されると予測する記事が出ている。イスラエルの諜報機関モサドは7月末から、JCPOA復活は不可避だと言っていた。ロシアの国連大使も、早ければ来週、米国がイラン協定に復帰すると言っている。 (Oil Surges On China "Reopening" Hopes As Goldman Says There Will Be No Iran Nuclear Deal) (The JCPOA Nuclear Deal 2.0 is coming any day now - opinion) (Iranian nuclear deal agreements to be reached as early as next week, says Russian diplomat

インフレとイランのどちらを抑止すべきかをめぐり、米国、EU、イスラエルは紛糾している。それを尻目に、イラン自身と、最近イランと親密になったロシアは、どちらになっても自分たちの優勢が加速するので、ニヤニヤしながら傍観している。2月のウクライナ開戦後、ロシアは米欧から徹底的に経済制裁され、米欧から完全に断絶した非米側の国際経済体制をロシア主導で作ってその中で生きることを迫られるようになった。ロシアにとって最も頼れるのは中国だったが、同時に、ロシアよりずっと前から米欧に徹底的に経済制裁・断絶されて困窮しつつ最低限の経済運営をしてきたイランが、ロシアと同じ境遇の仲間として存在していた。 (Are US sanctions against Iran & Russia backfiring in dangerous ways?) (中国イラン同盟は多極化の道筋

ロシアもイランも、石油とガスの大産出国だ。ウクライナ戦争が一段落した後の7月、プーチン大統領令がイランを訪問し、露イランは非米的な経済システムを一緒に作っていくことを決めた。ロシアは以前からイランと一緒にシリアでアサド政権を守る戦いをしており親しかったが、ウクライナ開戦後、露イランは一気に親密さを増した。また、ペロシ下院議長の台湾訪問などで米国から敵視を強められている中国も、露イランと一緒に非米的な国際経済体制を作っていくことになり、イランは今年、中露が作るユーラシア同盟体である「上海協力機構」に正式加盟させてもらった。 (Strengthening Ties With Iran, Putin Meets With Supreme Leader In Tehran) (Iran to Become Member of Shanghai Cooperation Organization This Year

米国が露イラン中国を同時に敵視している限り、露イラン中国は結束し、ドルに頼らない貿易決済体制を効率化していき、石油ガスなど資源類を欧米でなく中国インドなど非米諸国に輸出する貿易路を確立していく。サウジアラビアやトルコやアフリカ中南米など、他の非米諸国もそこに入り、欧米抜きで発展が持続する非米側の世界経済が確立する。欧米は非米側から石油ガス資源類を買えなくなり、経済破綻していく。非米側が先進国になり、欧米は後進国になって立場が逆転する。米国がJCPOAに戻らないと、この傾向が今後も続く。ロシアもイランも中国も、これまで自分たちを抑圧してきた欧米諸国が自滅するのを良いことと考えている。JCPOAが再開されない方が、非米側と米国側の断絶が続き、非米側の経済システムが強化されて多極化が進む。 (Iran Gains Access To Russian Mir Payment Cards) (資源の非米側が金融の米国側に勝つ

JCPOAの再開は以前なら、イランが米国側の経済システムに戻っていくことを意味した。以前は、非米側の経済システムがほとんど存在していなかった。だが今や、イランは非米側のシステムも使える。石油ガスの輸出先は、以前なら米国側(欧米日)だけだったが、今後は中印など非米側がむしろ主役だ。どちらにも輸出できるので、イランは強気になる。米政界を牛耳るイスラエルはイランを敵視し続けており、米国がいつまたイラン敵視を再開するかわからない。トランプが大統領に返り咲いたら、米国はまたJCPOAを離脱する。イランにとって米欧は信頼できない相手だ。露中印など非米側の方が信頼できる。強気のイランは、欧州に石油ガスを高く売りつける。イラン人はユダヤ人に負けない商売上手だ。 (Iran, Russia to Create Alternative Financial System to SWIFT

米国がJCPOAに復帰することは、国際政治的に米国の弱さを示すものだ。米国はかつてイランに対して「いつでも潰してやるぜ」と息巻いていたのに、今ではイランに譲歩している。それを見て、サウジなどのアラブ諸国や、トルコ、アフリカ中南米諸国は、米国や欧州に対して、以前より強気に出るようになる。米国のJCPOA復帰は、政治的に、米国の覇権衰退に拍車をかける。米国の覇権が衰退するほど、プーチンのロシアも好き勝手にやれるようになるし、習近平は岸田に「もう対米従属ではやっていけなくなりますね。仲良くしましょう」と諭し誘うようになる。米国がJCPOAに戻らないと、米国側との断絶が続く非米側の経済システムが強くなる。米国がJCPOAに戻ると、政治的に米国の覇権低下に拍車がかかる。ロシアやイランにとっては、どちらでもかまわない。 (JCPOA players agree on 90% of issues reached on Iran’s nuclear dossier, says Tehran) (非米化で再調整が続く中東

イスラエルは、イランを敵視し続ける一方で、米国側から非米側に転向したトルコとの国交を最近正常化した。イスラエルがトルコと和解したのは多極化対応策であり、イスラエルが米国覇権の衰退を理解していることを示している。イスラエルは以前から親ロシアでもある。イスラエルは、米国の中東覇権が衰退していく今後、ロシアやトルコの仲裁を受けてイランとも和解せざるを得なくなる。 (Oil Extends Gains After Indirect US-Iran Nuclear Talks Fail In Qatar) (Israel & Turkey Announce Full Normalization Of Ties

イランは中東での覇権を拡大している。イラン(とロシア)のおかげでシリアは安定を取り戻しているし、イエメンでサウジが停戦できているのもイランのおかげだ。JCPOAの行方にかかわらず、非米側で発展していけるようになったイランは、欧米に対しても劣勢から優勢に転じつつある。このイランの強気の表出の一つが、最近米国で起きた、イスラム冒涜小説家サルマン・ラシュディの刺傷事件だ。またロンドンでは8月4日、イランと外交的な対立があるアゼルバイジャンの大使館が、イラン人暴徒たちによって襲撃・占領されている。世界の激動と多極化、米国覇権衰退の動きはまだまだ続く。 (Radical Shia Group Storms, Briefly Takes Over, Azerbaijan Embassy In London) (Escobar: The Power Troika Trumps Biden In West Asia



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