トルコの奇策がウクライナ危機を解決する?2021年4月12日 田中 宇米国の覇権戦略の泰斗であるキッシンジャー元国務長官が、今の覇権戦略を立案した元祖的な組織である英国のチャタムハウス(王立国際問題研究所)での英元外相との対談で「米国は、世界が新たな国際政治システム(多極型の覇権体制)に移行したことを認めるべきだ。さもないと(覇権争奪の)世界大戦になる」「米国は、中国とこのまま対立し続けるべきでない。中国の目標は、世界の単独支配でなく、自国の能力を最大限にして国民を豊かにすることだ」と警告した。 (Kissinger Warns Washington: Accept New Global System Or Face A Pre-WWI Geopolitical Situation) (Endless U.S.-China Contest Risks 'Catastrophic' Conflict, Henry Kissinger Warns) これは、先日の記事で紹介したロシアと親しい国際政治の教授(Glenn Diesen)が指摘した「世界の覇権構造がすでに米単独から多極型に転換したのに、米国はそれを認めたがらず、中露を敵視し続けている」という警告と同じ趣旨だ。国際政治の専門家のしだいに多くが、バイデンの米国を危険視するこの手の見方をし始めている(いまだに米国が中露を懲らしめる勧善懲悪を描く人は軽信者)。しかし懸念をよそに、米国は中露敵視を強める一方だ。中国に対しては台湾、ロシアに対してはウクライナの危機が米国との戦争につながりうる。これらの危機は今後解決できるのか。どのような道筋があるのか。 (余裕が増すロシア) (中露敵視を強要し同盟国を困らせる米国) 台湾についてはまだ展開が見えてこないが、ウクライナに関しては興味深い展開が始まっている。それが今回の「トルコの奇策がウクライナ危機を解決する?」である。トルコは最近、ウクライナに急接近して武器を売ったり、北シリアで行き場を失っているトルコ傘下のイスラム主義の民兵団(ISISアルカイダ、ムスリム同胞団の勢力。元テロリスト)をウクライナ内戦に投入する準備を進めたりして、ウクライナ内戦に介入している。トルコはNATOの一員だ。一見するとこれは、トルコが米国の代理としてウクライナ内戦に参戦してロシア敵視策を強めることであり、キッシンジャーらが警告している米露世界大戦に事態を近づけている。トルコは、ウクライナ危機を解決するどころか危機を扇動しており、私は頓珍漢を言っているかに見える。実はそうでない。 (Turkey's Erdogan voices support for Ukraine amid crisis) (Why Turkey returned to the Caucasus after a hundred years) まず分析が必要なことは、トルコとロシア、エルドアンとプーチンの関係がどうなっているかだ。結論から言うと、エルドアンとプーチンの関係はとても良い。両国の関係はこの10年、シリア内戦などをめぐって紆余曲折があった。2015年にロシアがオバマに頼まれてシリア内戦に参戦した当初、シリアのアサド政権を擁護するロシアと、アサドを倒そうとするトルコは対立していた。当時のトルコは米英軍産の一部だった。だがその後シリア内戦がロシアやアサドの優勢になり、露アサドの軍隊と戦うトルコ傘下のISカイダの民兵団(テロ組織)が負けていくと、トルコは軍産から離れてロシアにすり寄る姿勢を見せた。NATOトルコ軍によるロシア戦闘機の撃墜、トルコのクーデター騒動でのエルドアンによる国内軍産系の将軍らの一掃など、寝返り的な動きがいろいろあり、エルドアンはプーチンの傘下に入った。 (シリアをロシアに任せる米国) (ロシアに野望をくじかれたトルコ) だが、トルコはNATO加盟国で、NATOはロシア敵視を強め、新たに中国まで敵の中に入れた。エルドアンは、トルコがロシアの敵であり続けているかのように振る舞うNATO加盟国としての演技も続けつつ、ロシアから新鋭の迎撃ミサイルS400を買ったり、イランや中国との経済関係を強める二枚舌的・両属的な外交戦略を展開している。日本は、米国からにらまれたくないのでこっそり米中両属をやっているが、エルドアンは逆に、自国の国際権益や影響圏を最大化するために大っぴらに米露両属をやっている。 (シリア内戦終結でISアルカイダの捨て場に困る) (トランプ・プーチン・エルドアン枢軸) ロシアとトルコは、シリアのほか、リビアやナゴルノカラバフなどの紛争地域で、対立する2つの勢力をそれぞれが支持し、紛争を一定の範囲に収めつつ事態を安定させていくことをやっている。軍産がオバマを陥れるためにカダフィを殺して内戦にしたリビアでは、ロシアが東部の元CIAのハフタル将軍をエジプトなどと一緒に支援する一方、トルコは欧州に見放されて弱体化した首都トリポリのGNAへの支援を昨年突然支援強化した。トルコは、北シリアのISカイダ軍勢をトリポリに送り込んだ。これにより、リビア内戦に対する外国勢の舵取りは、それまでの米欧から、ロシアとトルの手中に移った。ロシアは、ハフタルがトリポリを陥落占領しそうなときにトルコが入ってきたので怒っていると報じられたが、トリポリを占領したらハフタルはロシアの言うことを聞かなくなっていただろうから、ロシアの怒りは演技だ。ロシアとトルコは談合してリビアの舵取りをやっている。 (Putin, Erdogan demand cease-fire in Libya) (眠れるトルコ帝国を起こす) アゼルバイジャンがアルメニアから領地を奪われて窮していたナゴルノカラバフ紛争では、トルコが昨年夏、北シリアのISカイダ軍勢をアゼルバイジャンに送り込み、失地回復の内戦再燃をやらせた。アゼルバイジャン人はトルコ系の民族だ。アルメニアは小国だが、従来イスラエルを真似て米政界に食い込んで国際政治力を維持してきた。だがトランプ以降、米政界が内乱状態になり、イスラエルもアルメニアも対米ロビイングの効果が落ちている。アルメニアはロシアへの依存を強め、ここでもトルコとロシアが別々の紛争当事者を支援し、裏で談合して事態をおさめる展開になった。アルメニアは、占領してきたナゴルノカラバフのいくつかの区域をアゼルバイジャンに返還した。ナゴルノカラバフ紛争は冷戦終結直後、ロシア影響下の旧ソ連を恒久的に混乱させておくために、米諜報界・軍産がアルメニアをテコ入れしてやらせたものだ。しかし今や、ここでも外国の舵取り役が米国からロシアとトルコに替わった。 (文明の衝突を再利用するトルコのエルドアン) (近現代の終わりとトルコの転換) ロシアとトルコは、中国やイランなどとも協力して、米軍撤退後を見据えたアフガニスタンの安定化もやっている。今月から、NATO軍のアフガン駐留司令官はトルコ軍の将軍が就任している。トルコ軍はムスリム同士なのでNATO内で例外的にタリバンと親しい。トルコは事実上、NATO内で「中東ユーラシア担当」になって勝手に影響圏を拡大している。トルコがNATOで力を持つほど、NATOのロシア敵視の戦略が有名無実化する。中国で抑圧されているウイグル人はトルコ民族で、以前のトルコはウイグル人の分離独立運動を支援していたが、近年のエルドアンは中国との関係強化を優先してウイグル人を見捨てている。(トルコの野党党首がエルドアン批判の意味を込めて最近ウイグル支持を表明した) (NATO Appoints Turkey To Lead Drive Into the Middle East and Asia) (Turkey, China assert rapprochement despite Uyghur protests, vaccine delay) サウジアラビアが米国によって内戦介入漬けにさせられたイエメン内戦では、バイデンになった米国がカショギ殺害事件を口実にサウジ敵視を強めたため、サウジはロシアや中国に頼ってイエメン内戦を終わらせようとする傾向だ。サウジと戦うシーア派のフーシ派はイランの隠然傘下だが、イランは露中と仲が良い。トルコはカショギ事件でサウジと敵対していたが、イエメン停戦交渉に入れてもらうことで、サウジと仲直りしようとしている。トルコは立場を変幻自在に変えて、ユーラシアでの覇権拡大を目指して立ち回っている。まだ金融覇権を牛耳っている米国は、トルコのリラを大幅下落させているが、エルドアンは負けていない。 (Could Turkish involvement in Yemen free Saudi Arabia?) (The Turkey-Pakistan entente: Muslim middle powers align in Eurasia) そして今回、ウクライナ内戦の再燃とともに、トルコは、以前あまり関わっていなかったウクライナに対し、武器支援などのテコ入れを急に強めた。エルドアンはウクライナのゼレンスキー大統領と会談して軍事支援を約束した。ウクライナ政府軍をテコ入れするため、シリア北部にいたトルコの諜報界傘下のISカイダを募集して7000人の民兵団を作ってウクライナに派兵する。リビアやアゼルバイジャンに派兵した時より高い時給を出すという。トルコは、ロシアがウクライナからクリミア半島を分離独立させて自国に併合したことに以前から反対してきた。これらを見ると、トルコはロシア敵視・NATO軍産加勢の方向でウクライナに軍事介入し始めたように見える。だが、よく見ると違う。 (Erdogan, Zelensky Confirm 'Strategic Partnership' Between Turkey and Ukraine After Istanbul Meeting) (Turkish Intelligence Asked Syrian Mercenaries To Prepare To Fight in Ukraine) トルコ側は、ウクライナ軍はトルコに支援されたのでNATOの水準まで強化されたと自慢している。トルコに引っ張られたウクライナがNATOに加盟して米欧を巻き込んでロシアと第三次世界大戦になる悪夢がちらつく。しかし逆に、シリアやリビア、ナゴルノカラバフなどで、ロシアとトルコが対立している感じで敵対する別々の紛争当事者を支援し、米欧を追い出して紛争を管理していくやり方を見ると、ウクライナ内戦でも、トルコがウクライナ系、ロシアがロシア系を支援する新体制を作り、それまで米欧がウクライナ系を支援してきたのをトルコが押しのけ、露トルコでウクライナを管理していこうとする新戦略でないかと疑われる。トルコはウクライナに軍事支援することで、ウクライナに言うことを聞かせられるようになった。トルコは必要な時にウクライナのはしごを外し、ウクライナがロシアと和解せざるを得ないように仕向けていける。 (Defense cooperation with Turkey helps Ukraine meet NATO standards, officials say) (The China-Pakistan-Turkey Axis) 独仏など欧州のEUはウクライナ内戦に対して腰が引けている。EUはロシアと仲良くしたいが、同時にEUは対米従属だ。米国は、ウクライナ系を扇動して国内のロシア系との内戦を炎上させ、ロシア軍のウクライナ侵攻を招き、米欧NATOがウクライナでロシアと戦争する構図を作る試みを、オバマの時と今のバイデン政権下でやり続けている。EUはロシアと戦争したくないのでウクライナに関与したくないが、米国はNATOの義務だとしてEU諸国にウクライナ介入を強要してくる。EUは参っている。そんな時、トルコが横から入ってきて、NATOの義務をやるよと言ってシリアからテロリストたちを連れてきてウクライナ系を軍事支援し始めた。しかもトルコは裏でロシアと密通し、おそらくウクライナの内戦が一定以上にひどくならないよう采配していく。これを見てEU諸国は、トルコの荒っぽいやり方に表向き眉をひそめつつ、内心は安堵しているはずだ。 (ロシアを濡れ衣で敵視して強くする) (Turkey's ties with actors in Afghanistan point to mediator role) 西欧諸国の上層部は最近、トルコのエルドアンと喧嘩し続けている。エルドアンが西欧側に喧嘩を売り続けている。先日はエルドアンがEUの女男2人の首脳のトルコ訪問を受けて会談した際、男性のミシェル欧州理事会議長の近くに座って男同士で親しく話し、女性のフォンデアライエン欧州委員長を遠くの椅子に座らせて談話に入れない女性差別的な意地悪をした。欧州側は女性差別だとエルドアンを非難し、(元ECBでユーロを潰した)イタリア首相がエルドアンを「独裁者」と呼ぶ喧嘩に発展した。表向きの外交の舞台では、こじゃれたPC政治屋の西欧人が、差別主義で独裁の荒くれ者エルドアンを非難している。だが、ウクライナ問題の裏側の現状になると、対米従属から出られない西欧人はビビるばかりで動きがとれず、米露とやり合うエルドアンの荒っぽくて悪だくみ的な謀略に助けてもらっている。(PC=ポリティカルコレクトネスは偽善です) (Turkey Furious After Mario Draghi Calls Erdogan "Dictator") (EU-Turkey Relations: Erdogan Left Europe Commission President Speechless After Humiliating Snub) (Biden administration to officially acknowledge Armenian genocide) エルドアンのトルコ与党では最近、黒海と地中海をつなぐボスポラス海峡の国際航路について定めたモントルー条約の破棄を検討すべきだという話が出ている。1936年に結ばれたこの条約は、ボスポラス海峡をトルコの領海と定めた(オスマン帝国敗戦後奪われていた主権を戻した)上で、軍艦のボスポラス海峡の通過に制限をかけている。トルコに有利な条約であるとされてきたモントルー条約を破棄するのは馬鹿げていると、トルコのリベラル派の元将軍や外交官たちが連名で猛反対している。 (Turkey’s talk of pulling out of the Montreux Convention part diversion, part 'Ataturk envy') (Iran, Russia and Turkey signal growing alliance) エルドアンの周辺がモントルー条約の破棄に言及するのは米欧とロシアの両方への牽制だ。ウクライナが内戦になるほど、米国の軍艦などがどんどん黒海に入ってきてロシアを威嚇しウクライナを支援する。トルコがボスポラス海峡を自国の領海だと言いつつモントルー条約を破棄し、トルコの了承なしに外国の軍艦を黒海に入れないぞと宣言すると、米欧はエルドアンに頭を下げねばならなくなる。モントルー条約の破棄話は、ボスポラス海峡を通らないとクリミアの黒海艦隊を地中海に出せないロシアに対する警告にもなっている。モントルー条約はロシアなど黒海沿岸諸国の軍艦のボスポラス通過に比較的寛容で、条約が破棄されるとロシアもトルコとの交渉が必要になる。 (Time to reset Turkey's relations with the West) (Turkey signals sweeping regional ambitions) そういう意味で、エルドアンはモントルー条約の破棄に言及し、エルドアン登場以前にトルコの政権をとっていた対米従属リベラル派の元将軍や外交官たちは破棄に猛反対している。欧米マスコミはリベラル派が正しいと書いているが、実は間違いだ。長期的に見てモントルー条約はたぶん破棄される。これまでの米英単独覇権の時代には、米英の軍艦が世界中の海に入っていける権限を持つことが必要で、そのため英米軍艦が黒海に入れるモントルー条約が作られた。しかし今後の世界は多極型だ。各地域の大国や諸国が、自分の地域を安定させる。英米は介入しなくなり、モントルー条約の軍事部分は過去の遺物になる。ロシアはトルコと交渉する労をとっても、米英軍艦が黒海に入れなくなる方が良い。モントルー条約破棄の話は多極型で親露的である。 (Escobar: Turkey Pivots To The Center Of The New Great Game) (Who benefits if Erdogan scraps key maritime treaty?) などなど、地政学や覇権の話は奥が深い。エルドアンの奇策が実際に本当にウクライナの危機を解決していくのかどうか、今後も注目していく。
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