多極化が進むアフガン和平2021年3月26日 田中 宇2001年の911事件以来のテロ戦争でアフガニスタンでの泥沼の占領にはまっている米軍を、何とかうまく撤退させようとする米政府の政策は、2014年にオバマ政権が開始してから7年たつが、まだうまくいっていない。2017-21年に米大統領だったトランプは、オバマを批判しつつもオバマのアフガン撤退をうまく継承し、任期終了直前の今年1月にはアフガン駐留米軍を2500人(就任時は約1万人)まで減らし、今年5月には完全撤退することを、アフガン側の最強勢力であるタリバン(パシュトン人の民兵団)と合意していた。トランプの米国とタリバンの合意は20年2月にドーハで結ばれ、停戦と米軍撤退、タリバンとアフガン政府(米傀儡政権)との和解などによってアフガニスタンを安定させることが盛り込まれていた (Afghan peace process -Wikipedia) しかし、トランプを批判しつつ就任したバイデン政権は、オバマのアフガン撤退策を表向き継承しつつも、実際は違った。バイデン政権は、このまま撤兵するとアフガニスタンの混乱がひどくなるとして、撤退を半年延期して今年11月に変更した。米軍が撤退したらアフガンが混乱する状況は11月になっても変わらないだろうから、これは事実上の撤兵の無期延期になりかねない。 (How Biden is making America’s Afghanistan problems worse) (Why staying in Afghanistan is the least bad choice for Biden) 米軍が今年5月に撤兵を完了することはドーハ合意の一部であり、米国がタリバンに約束したことだ。撤退の遅延は米国によるドーハ合意違反だ。撤退が遅延するならドーハ合意が崩壊するので、タリバンも停戦を破棄して米軍を攻撃すると言っている。米軍は2500人しかいない撤退間際の状態で、このままではタリバンとうまく戦えない。停戦が崩れたら米軍の増派が必要になり、撤兵と正反対の結果になる。バイデン政権は、オバマと親しいくせに、オバマが始めてトランプが進めたアフガン撤兵の政策を壊そうとしている。下手をするとサイゴン陥落的な惨事の中での米軍撤退になり、米国の覇権衰退を象徴してしまう。これはバイデンの愚策の一つだ。 (Afghan peace talks resume, but path is anything but certain) (Taliban Warns of ‘Reaction’ If US Stays in Afghanistan Beyond May 1st) 米軍が撤退したらアフガニスタンが混乱するのは事実だ。米軍がいなくなると、アフガン(傀儡)政府と政府軍は後ろ盾である米国の軍事力を失い、タリバンに負けてしまう。20年間続いた傀儡政府が崩壊し、タリバンの政権になる。タリバンを敵視する米国としては、この状態は「混乱」である。米国のほか、露中パキスタンイラントルコといった非米諸国もアフガニスタンに影響力を持っているが、非米諸国が加圧しても米軍撤退後の政権転覆と再タリバン化は止められないだろう。オバマやトランプは、政権転覆の混乱を承知でアフガン撤兵を進めようとしてきた。オバマやトランプは、アフガン傀儡政権の崩壊より、米軍撤退がサイゴン陥落的な惨事になることの方を恐れていた。タリバンとの停戦を維持して米軍が兵力をゼロにして撤退し、あとは野となれ山となれ的な政策だった。バイデン政権は、それはまずいと言い出して撤兵を延期したが、それは停戦合意の崩壊からサイゴン陥落的な話になる。それもいやなら撤兵構想を放棄して再増派して恒久駐留に戻すことになるが、延々と続いてきた恒久駐留・永久戦争は、支持党派問わず米国民に不人気だ。 (Kabul eyes US troops’ presence until Taliban fully observe truce) (Afghan troops, police abandon nearly 200 checkpoints to Taliban) バイデン政権がアフガン撤退の期限を守らないことにしたのは、オバマやトランプのような指導力のある大統領に率いられておらず(バイデンは認知症っぽいので)、米上層部の軍産複合体に好きなようにやられてしまっているからだ。オバマ以来の米上層部は、大統領自身がアフガン周辺の米コク覇権を放棄してもいいから撤兵を進めたい一方、誰が大統領になろうが上層部を牛耳る力を保持する軍産・諜報界の恒久戦争派が撤兵計画を妨害するという対立構造になっていた。バイデンになって軍産が強くなり、トランプの派兵策を壊している。 (バイデンの認知症) (Buchanan: Is Biden Prepared To Lose Afghanistan?) 今の米軍のアフガン占領は2001年の911事件からだが、911はアフガン問題の一つのきっかけにすぎない(911は米諜報界の自作自演であり、アフガニスタンはその演出の場として諜報界に使われただけだ)。もっと底流にあったものは、米国の覇権運営をめぐる相克だ。しかも、いつもの「軍産vs隠れ多極主義」の相克ではない。いつものは、911以降の対立軸だ。911前、1990年代の対立軸は、冷戦を終わらせた米国の「経済覇権戦略vs軍事覇権戦略」の構図だった。 (2021 withdrawal of U.S. troops from Afghanistan -Wikipedia) 今でこそタリバンは米国の敵にされているが、1994年にタリバンが作られたころは米国から可愛がられる存在だった。タリバンを作ったのは米国だ、と言ってもよい。タリバンは、パキスタンからアフガニスタンを通って中央アジアに至る経済ルートを拓くために、米国の肝いりで、当時米CIAの傘下にいたパキスタン軍の諜報機関ISIによって、パキスタンのアフガン難民キャンプの若者(タリバンは「学生たち」という意味。神学生)を集めて作られた。タリバンは、ユーラシアにおける米国の経済覇権戦略のために作られた。 (アフガニスタン紀行(1)カブールの朝) 当時の米国は、レーガンがソ連のゴルバチョフと謀って1989年に冷戦を終わらせ、米国が世界中を市場主義化していく経済覇権戦略が始まっていた。米国は同時に1985年の金融自由化以来、債券を使った世界的な資金調達のシステムを構築しており、その資金を投資して冷戦終結後の新興市場諸国を市場主義化していくのが経済覇権のシナリオだった。冷戦期に世界を2分して恒久対立・戦争させていた軍産複合体(軍事覇権戦略)は冷戦終結とともに衰退し、軍産=戦争屋の消滅によって人類の長い戦争の歴史も終わり、資本主義・市場主義・債券金融システム的な米国中心の世界システム=米経済覇権体制が、安定的・恒久的に世界を席巻し続けるといった感じの、フランシスフクヤマの「歴史の終わり」(市場主義の席巻による戦争=軍産の終焉)の概念がもてはやされた。 (仕組まれた9・11 【4】アフガニスタンとアメリカ) アフガニスタンは米国から見ると、インド洋から中央アジアに向かう経路だ。東は険しいヒマラヤ山脈、西は米国の仇敵イランで、いずれも米国勢にとっては通行が難しい。アフガニスタンは冷戦末期にソ連が侵攻・占領して泥沼にはまり、それがソ連崩壊の一因になったが、ソ連が崩壊してソ連軍が撤兵した後、ソ連軍を占領の泥沼にはめた親米のアフガン人のイスラム主義のゲリラたち(民兵団。聖戦士、ムジャヘディン)が相互に対立して延々と内戦していた。ソ連軍撤退まで冷戦の一環として聖戦士たちを支援していた米諜報界(軍産)がその後、聖戦士たちを内戦に陥らせ、アフガニスタンを通行不能な状態にしていた。軍産は冷戦の恒久化が目標であり、冷戦終結はソ連を痛めつけすぎた結果の「失敗」だった(米諜報界内の軍産のふりをした隠れ多極主義の勢力がソ連を過剰に痛めつけ、ソ連が冷戦を終わりにしたいと考えるように仕向け、親米的なゴルバチョフが出てきた)。だから冷戦後もアフガンの通行不能が維持された。 冷戦後、米国の新たな世界戦略として経済覇権戦略が出てきて、米国の債券金融システムで作られた資金でユーラシア内陸部を開発する構想が生まれ、インド洋から中央アジアへの唯一通路であるアフガニスタンの通行不能を解除する必要が出てきた。米国の上層部や諜報界では2度の大戦を経て米国が覇権国になった後、世界中を自由市場にしていく経済覇権策と、世界中を敵味方に分断して軍事安保的に支配していく軍事覇権策との暗闘が続き、戦後ずっと軍事側が優勢で冷戦体制が続いたが、ソ連が疲弊した結果、レーガンが冷戦終結に成功して攻守が交代し、90年代に経済覇権策が台頭した。アフガニスタンの北側にある中央アジアを含めた世界中を市場経済化しようとする米国主導の動きが始まった。 この背景のもと、1994年にパキスタンで設立されたタリバンがアフガニスタンに侵攻(軍事的に帰郷)してアフガン国内を軍事的に統一して1996年にタリバン政権を首都カブールに樹立した。タリバンは、多民族のアフガン人の最大勢力であるパシュトン人の組織であり、民主主義的な意味でも一応筋が通っていた。タリバン政権の登場とともに、中央アジアの石油やガスをインド洋に運び出すパイプライン構想も出ていた。 冷戦後の米国の「冷戦時代からの軍産(軍事覇権戦略)vs新たな経済覇権戦略」の対立の中で、タリバンは経済の側、他の聖戦士たちは軍産の側の代理勢力だった。この対立は、経済の側が勝つかに見えた。クリントン政権時代、米国では軍事産業が縮小させられ合併や合理化を強いられた。冷戦終結によって軍産は終わったかに見えたが、実はそうでなかった。 軍産は、人権外交や世界民主化、世界各地の独裁政権の転覆といった新たな戦略を創設・強化して反撃してきた。米国の人権外交の始まりは、ソ連からイスラエルなどへのユダヤ人の出国制限を理由にソ連を経済制裁した1974年の米通商法のジャクソン・バニク修正法項あたりで、この修正法はソ連を過剰に本気で敵視して冷戦を終わらせてしまう隠れ多極主義の流れの一つだった(この修正法の推進がネオコンの始まり。冷戦終結が、イスラエルを利する中東の戦争に転換していくために具現化を許されたことを感じさせる。冷戦終結と湾岸戦争が同時期に起きたのはこのため)。 (ユーラシアの逆転) 1993-2001年のクリントン政権は当初、経済覇権戦略を採っていたが、1997年に人権外交戦士のオルブライトが国連大使から国務長官に昇格したあたりから、軍産の人権外交路線に転換する傾向を強めた。タリバンに対する米国の評価は、それまでの「アフガニスタンを安定させて米国経済覇権の通路にする良い勢力」から「女性差別などアフガン人の人権を侵害する悪い勢力」へと転換し、オルブライトはタリバン政権のアフガニスタンを政権転覆すべき「ならず者国家」の中に加えた。 (Moscow Conference on Afghan Peace: Two Steps Back for K..., One Step Forward for Peace) この時期を境に、米国の世界戦略は全体的に、経済覇権策から、非米反米諸国の軍事的な政権転覆を目的とした人権外交策に転換した。米上層部では、経済覇権を推進していた人々が弱まり、軍事覇権を推進する人々が台頭した。金融経済的には、米諜報界が起こしたと思われる1997年のアジア通貨危機により、非米反米の新興市場諸国が債券や株で欧米など世界から資金を集めて地元に投資する金融システム(米経済覇権体制)が破壊された。冷戦後の世界体制をめぐる暗闘は、新しく出てきた経済側が潰され、軍事側が生き残った。この流れの先に、2001年の911テロ事件があった。軍事側の米諜報界(軍産)が育ててきたアラブ人などのテロリストたちを動かし、自作自演のテロ事件を起こした911事件により、世界中を米国傘下の市場経済にする経済覇権策は息の根を止められ、現在まで続く軍事覇権策が席巻するようになった。 タリバンが「世界中を自由市場にする米経済覇権策の申し子=米国の味方」から「911を起こしたテロリスト=米国の敵」に転換させられるのと前後して、「中東最大の発展の潜在力を持った大産油国」と言われていたサダムフセイン政権のイラクが「人権弾圧と大量破壊兵器開発を繰り返す悪の枢軸」に転換させられ、2003年の米軍侵攻でサダムが潰され、イラクは今に至るまで失敗国家として破綻させられ続けている。アフガニスタンもイラクも、経済覇権策の申し子だっただけに、経済覇権策が潰されて軍事覇権が席巻するとともに、国ごと潰された状態にされている。 (Taliban Controls 52% of Afghanistan’s Territory) サダムのイラクは、イスラエルとサウジアラビアの両方にとって脅威だったため、冷戦が終わって米経済覇権策が出てきたばかりの90年に、イスラエルやサウジと相互乗り入れ状態だった米諜報界がサダムを引っ掛けてクウェート侵攻させて湾岸戦争を引き起こし、イラクを経済制裁していた。クリントンはイランとも和解しようとしたが、イスラエル側から反対されて引っ込めた。イスラエル側は米国に「経済覇権策をやっても良いが、イスラエルに脅威となるイラクやイランは潰しておかねばならない」と強要したのだった。 冷戦後の米上層部での覇権策どうしの暗闘で経済側が負けたことで、金融界の中心は、世界の実体経済への投資で儲けるのでなく、金融バブル膨張で儲ける方向に転換したが、長くは続かなかった。IT株が高騰するバブルは、2000年のIT株バブルの崩壊で終わった。その後はローンの債券化のバブルが膨張し、これは2008年のリーマンショックのバブルの大崩壊を引き起こした。リーマン危機のバブル崩壊で死んだ債券金融システムがまだ生きているかのように見せかけるために、今に続く米日欧の中央銀行群によるQEが行われ、ドルなど主要通貨がすべて巨大なバブル状態になっている。コロナによる欧米経済の損失もすべてQEで穴埋めさせられている。これはいずれリーマン危機をはるかにしのぐ巨大な金融崩壊になる。 (資本主義の歴史を再考する) 1990年代の覇権策をめぐる暗闘で経済側が勝っていたら、金融システムは世界の実体経済への投資に基づく成長を続け、今のようなシステムごと自滅させる巨大バブルの惨事にはなっていなかっただろう。経済側は、冷戦後の世界体制を決める90年代の覇権策どうしの暗闘に負けたため、その後バブル膨張を繰り返して自滅していく道をたどらされている。世界中を市場経済にするはずの米国の経済戦略は、バブル膨張で儲けるだけの「強欲資本主義」に転換させられた。 (人権外交の終わり) 911後、テロ戦争は40年続くとCIA元長官が豪語し、軍事覇権策が永遠に席巻するかに見えた。だが、そうではなかった。ここでようやく、私が何度も述べてきた「隠れ多極主義者が軍産=軍事覇権策立案者のふりをして過剰に過激にやって失敗させ、米覇権を自滅させ、覇権構造を多極型に転換し、中国やロシアなどが世界の実体経済を発展させるかたちで、バブル膨張でない真の世界経済の成長が実現する」という筋書きにつながる。隠れ多極主義者になった勢力(世界資本家とその傘下の人々)は、冷戦直後に経済覇権策を推進していたのと同じ勢力だ。レーガンに冷戦を終結させたのも彼らだろう。彼らは冷戦を終わらせて世界市場を作っていこうとしたが、軍産やイスラエルなどにいろいろ邪魔され、タリバンを敵にされ、911まで起こされて米国主導の世界市場化・経済覇権策を潰された。 (田中宇史観:世界帝国から多極化へ) (In Kabul, Pentagon chief speaks of ‘responsible end’ to war) だが、その過程で軍産・軍事覇権策の立案集団の中に自分たちの子飼いを送り込み、911後の軍座覇権策が自滅的に失敗し、米国が覇権ごと崩壊を加速し、その穴埋めで中国やロシアなど非米側が台頭して覇権が多極化し、米国主導でなく多極型の体制下で世界の市場化が行われるように仕向けた。彼らは同時に、米国の金融システムをバブル依存の状態にしていき、リーマン危機やその後のQE膨張を引き起こし、米国の覇権が金融や通貨の面からも瓦解していくように誘導している。(今後もまだどんでん返しがありうるが) (ユーラシアの非米化) ロシアでは911の前年に、エリツィンが辞任してプーチンが出てきている。その年に中国とロシアが大接近し、上海協力機構を創設し、米国でなく中露がユーラシアを安定化して経済発展させていく流れが始まっている。当時の中国自身の指導者は、独自覇権を目指すなというトウ小平の遺言をかたくなに守る小役人的な胡錦涛で、米国側(オバマとか)は台頭を目指さない胡錦涛に失望していたが、中国も2012年にようやく「大物」の習近平が権力者になり、一帯一路などロシアやイランと組んだユーラシア覇権の拡大策を採り始めた。 (Biden-Blinken peace plan stumps Kabul) 昨年からのコロナ危機は米欧の経済を潰してQE依存をひどくした半面、中国は経済を早めに立て直し、世界最速の経済成長になっている。コロナも、多極化を進める要素として長期化させられている。トランプは隠れ多極主義の一員として独自のやり方で米国の覇権放棄をやった。軍産と民主党は昨秋の(不正)選挙でトランプを追い出したが、バイデン政権は今後のアフガン和平をロシアや中国など上海協力機構の諸国にも担当してもらうと、アフガン傀儡政権にあてた最近の書簡の中で表明している。米軍が撤退した後のアフガニスタンは、中露イランやトルコの影響下で運営されていく。タリバンは、米国の経済覇権策の使徒として作られたが、それから4半世紀が過ぎた今、中国の経済覇権策(一帯一路)の使徒へと役回りを変えて、アフガンの中心勢力として存続する流れになっている。 (China's plans for Afghanistan) ここまでの歴史の大きな流れの分析は、実のところ、今回のアフガニスタンの記事の導入部の「これまでの筋書き」的な数行で説明しようと思ったものだ。数行でなく百数十行の長大な論文になってしまった。かんじんの最近の細かい話の分析はこれからだ。改めて書くことにする。こういうオチがいつものことで申し訳ないが、大きな流れの分析も大事だと思うので許してください。
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