中央銀行の弾切れ2020年1月14日 田中 宇今年に入り、米欧の中央銀行家たちの間から「中央銀行群は、次に金融危機(バブル崩壊)が起きたとき、危機を十分に緩和できるだけの金融資源を持っていない」という「弾切れ」宣言が出されている。英国中央銀行のカーニー総裁は1月8日に報じられたFTのインタビューの中で「次の大きな不況(金融危機)が起きたら、QEや利下げなど中銀群の政策では対処し切れない。マイナス金利は悪影響が大きいのでやるべきでない。(中銀群がやりきれない分を埋めるため)先進諸国の政府による大規模な財政出動が必要になる」と指摘した。政府の大規模な財政出動とは、カーニーの以前の発言によると、地球温暖化対策にかこつけたMMTっぽい策などのことだ。カーニーは、きたるべきバブル大崩壊との戦いに中銀群が自力で勝てないことを認めて白旗を掲げ、政府群に救援を要請した。 (Central banks running low on ammunition, warns Mark Carney) (Central banks need to refresh their armouries) カーニーは以前から、ドルの基軸性の崩壊つまり米国の覇権喪失を予測しつつ、人類が従来のドルの単独覇権体制の代わりにどんな体制を採るのが良いかを予測・提案してきた。する発言を繰り返してきた。19年1月には、新興諸国を代表する人民元がドルに対抗する基軸通貨になっていくという基軸通貨の2極化・多極化の予測を表明した。19年8月には、IMFのSDR(主要諸通貨を加重平均したバスケット)を暗号通貨化したフェイスブックのリブラなどをドルに代わる新たな基軸通貨にするのが良いと中央銀行家たちの年次総会(ジャクソンホール)で公式に提案したりしてきた。カーニーの提案はエスタブ金融界やマスコミにほとんど無視された。崩壊が不可避なドルの代わりにSDRを基軸通貨にする提案はリーマン危機直後から出され続けてきたが、この10年以上、何もなされず、無視されてきた。エスタブ金融界はドルに固執している。 (Bank Of England Boss: China's Renminbi Will Rival The Dollar As Global Reserve Currency) (Mark Carney calls for global monetary system to replace the dollar) (万策尽き始めた中央銀行) 藁をもつかむカーニーは、グレタ・トウンベリらの活動に便乗して、昨年10月に「地球温暖化によって突然の金融崩壊が起きる」というトンデモな予測すら発表した。これは、米国のシェール石油ガス産業などが巨額の社債を発行しており、最近の世界不況の進行による石油ガス価格の安値を受けて、シェールの社債が連鎖破綻して債券バブル崩壊・金融危機に発展する可能性があることを、地球温暖化に無理矢理に結びつけて語ったものだ。地球温暖化に結びつけることで、各国政府が温暖化対策として「緑の国債」(MMT理論で正当化した赤字国債)を大量発行して財政出動し、その資金をきたるべき金融崩壊への穴埋めの一部にしようという、今回のカーニー発言につながる策略になっている。 (Climate change could render assets ‘worthless’, Bank of England governor warns) (Carney Suggests Billions In Worthless Assets Plague The Oil & Gas Industry) (Low Gas Prices Crush Appalachia Shale Boom) エスタブ金融界には、緑の債券(国債、社債)を、金融バブルの延命策として使おうとしている。カーニーの英中銀は、それをバブルの延命策でなく、きたるべきバブル崩壊後の次の体制(多極型?)への軟着陸のための資金にしたいようだ。カーニーは、バブルをそろそろ軟着陸的な崩壊に持っていきたいが、米国のエスタブ金融界は、最後までバブル膨張させて無策のうちに崩壊する結果になることでかまわないと思っている(もしくは何も考えないようにしている)。カーニーの策は静かに拒否・無視されている。 (Central Bankers Are Quietly Freaking Out About How To Fight The Next Recession) (人類の暗い未来への諸対策) 私が見るところ、いずれドルの債券金融システムが崩壊するのは不可避だ。米国側の高官エスタブらの中にも、ドルのバブル崩壊を懸念しつつ、カーニーみたいに表明しても無視されるだけだと思って黙っている人が多いと考えられる。カーニーのほか、米連銀のイエレン前議長や、欧州中銀のドラギ前総裁らも、1月3-5日に行われた「米国経済学会(AEA)」の年次総会で、中銀群の弾切れを認める演説・発言をしている。イエレンは、バブル膨張に対する懸念を表明し、バブル膨張の元凶の一つである不動産担保債券の発行を規制すべきだと提案した。すでに巨額の債券が発行されているので、金利が上がると利払いが急増して世界経済の破綻につながる。だから今後もずっと金利を上げられない。しかし低金利が続くほど投資家は高利回りを求め、リスクを軽視して危険な不動産担保債券を買いあさり、最終的な債券バブルの崩壊がよりひどいものになる。イエレンはそのジレンマを指摘した。 (Yellen says regulators need new powers to combat potential asset bubbles) (QEやめたらバブル大崩壊) しかし金融界は、カーニーだけでなくイエレンの指摘もほとんど無視している。社債の総発行額はリーマン前を超えて史上最高になっている。昨秋、米連銀が静かに再開したQE4(レポ介入)によって巨額の資金が金融システムに注入され、その資金が新たに発行される債券を買いあさっている。当局自らQEをやって金融バブルを煽っている分、事態はリーマン前よりさらに不健全だ。債券バブルを意味する「影の銀行システム」という用語がリーマン以来久々に復活してきている。 (Central-bank easing triggers record corporate bond issuance) (Shadow banking is growing, remains opaque and carries uncertain risks for the economy) (世界の運命を握る「影の銀行システム」) みんなが何となく「中銀群はもう弾切れだよね。大丈夫かな?」と考え始めているところに、対抗するかのように「大丈夫、大丈夫。弾切れなんかじゃないよ。もっとやれるよ」と言って、バブルのさらなる膨張を扇動する演説を放ったヒゲおやじがいる。イエレンよりさらに一つ前の米連銀の元議長だったバーナンキだ。彼はイエレンの前日に米国経済学会の年次総会で演説し「QEと金利操作(フォワードガイダンス)の再開によって、合計で3%の利下げと同じ効果をもたらせる。米連銀はマイナス金利をやるのも良い」と主張した。 (Ben Bernanke says the Fed shouldn’t rule out using negative interest rates) (Fed Has Many Tools to Deter Recession, Former Chairman Bernanke Says) (Can the Fed fight the next big recession? Ben Bernanke thinks so.) 金融危機が起きた場合、その十分な救済策として5%以上の利下げの幅が必要だと言われている。米国の今の短期金利が1・5%だから、金利をゼロまで下げても1・5%の利下げ幅しかなく、常識論で考えると、必要な危機対策の3分の1の「弾」しか米連銀は保有していない。欧州や日本の金利はゼロ前後で、利下げができない。だからカーニーらは「中銀群は弾切れだ」と宣言した。これに対してバーナンキは「QEと金利操作を再開すれば3%の利下げに相当するし、金利の最終目標もゼロでなくマイナスまでいける。だから中銀群だけで次の金融危機を乗り越えられる」と宣言した。バーナンキは米連銀でQEを始めた人であり、QEを正当化せざるを得ない立場だ。 (Bernanke AEA Speech Last Hurrah for Central Bankers, Says Summers) (Monetary policy will not be enough to fight the next recession) (Will the US deploy negative interest-rates? – Investment Watch) QEやマイナス金利が「悪い政策」であることは、すでに明らかだ。世界最古の中央銀行であるスウェーデン中銀リクスバンクは昨年末、5年間にわたって実験的に続けてきたマイナス金利政策を、悪影響の方が多いと結論づけて中止し、金利をプラスに戻すことにした。マイナス金利は、利点として景気をテコ入れする効果が期待されたが、同時に欠点として金融バブルを膨張させてしまうことや、利ざやで生きてきた民間銀行を経営権に陥らせてしまうことがあり、利点より欠点の方が大きいとリクスバンクは判断した。これは、バーナンキが米連銀議長だった時代から懸念されていたことだが、それが今や正式な結論になっている。バーナンキは時代遅れだ。QEも、米欧日の中銀群が何年も続けてみて、バブル膨張以外の効果がないことが判明している。QEもマイナス金利も、支持者が世界的に減っている。カーニーが正しく、バーナンキは間違っている。 (Sweden Says Enough Is Enough on Negative Rates) (Ben Bernanke Sounds Tone-Deaf on Negative Interest Rates) しかし「世の中」の結論はそうなっていない。政治やプロパガンダの力によって歪曲されている。カーニーがいくら危機的な状況を主張しても、バーナンキの反論と中和され「中央銀行家たちが神学論争を続けています。結果はどっちになるのでしょうね。われわれ庶民にはわかりましぇーん」みたいなふやけたマスコミ報道になり、カーニーの主張が抑止・軽視され続ける。「金融システムは危機なんだ」という警告は「金融システムは危機だと言っている人もいるが少数派で、今日も相場は上がって最高値を更新しています。みなさん株を買いましょう」という報道にすりかわる。 (Apparently Economists Still Take Ben Bernanke Seriously) (Old Man Bernanke Has No Idea What He’s Talking About, Slightly Less Old Mark Carney Says) カーニーとバーナンキが間接的に論争した1月初旬は、ちょうどトランプがイランのスレイマニ防衛長官をイラクで殺害し、その報復としてイランが米軍基地を象徴的にミサイルで攻撃して米イラン戦争の一触即発が演じられた時期でもある。イランやイラクは米国に敵視されるほど、巨大な石油ガスの埋蔵量を持ったまま中国ロシア側に転じていき、多極化や米国覇権の喪失につながっていく。実体経済の世界的悪化、事実上の世界不況の指摘も強まっている。経済の現実としては、カーニーが指摘するドルや米覇権の終わりが近づいている。 (イランを強化するトランプのスレイマニ殺害) (Bernanke Hints At Negative Rates, "Purchases Of Private Securities" To Fight Next Recession) イランが米軍基地を攻撃して米イラン戦争・第三次世界大戦の危機が喧伝された1月7日から8日にかけて、一時的に株価が下がり、金相場が高騰した。しかし、まだ米軍がイランに再報復して世界大戦になるかもしれない危機が続いている間に、結果的にタイミングが数時間早すぎる感じで株価が反騰し始め、金相場が反落して暴落し始めた。米国時間の1月8日の朝に、トランプがイランを攻撃しないと宣言してから株の高騰と地金の反落が始まるなら「自然」だったのだが、その数時間前にトランプが「何も問題ない」と簡単なツイートを発しただけで株の反騰と地金の反落が始まってしまった。この数時間のズレは、地政学的な材料によって投資家たちが取引した自然な反応の結果でなく、中銀群がQEの資金を株式と金相場に注入した当局によるヤラセ的な介入の結果として株の反騰と金の反落が起きたことを示唆している。当局の自作自演がバレてしまった数時間のズレは、01年の911の日に、数時間ずれてWTC7のビルが「制御崩壊」したことを思い出させる。 (Financial Markets Don't Have The Faintest Inkling Of Potential Geopolitical Risk) (WTC 7 Controlled Demolition Collapse 9/11/2001) (崩れない911公式論) その後、1月13日からドル高(円安、人民元安)の傾向になり、日銀がQEで作った資金がドルに転換されて米金融システムに注入され、さらなる株高が演出されそうな感じになっている。今週は米中貿易戦争の和解の第一次の調印が行われる予定もあり、株高の材料に使われそうだ。ドル高になった翌朝の1月14日には、さらなる金相場の反落が進んでいる。SDRの基軸通貨化など代替システムが作られないままドルが崩壊すると、ドル代替が金地金しかなくなるので金相場の大幅な高騰が必至になるが、短期的に今起きていることはそれと正反対の、QE資金で金先物が売られて反落し続ける展開だ。カーニーの予測はなかなか現実にならず、バーナンキ的なQEやマイナス金利の現実化が先になる。 (El-Erian: Central Banks Face A Year Of Mounting Challenges) (And Again: The Fed Monetizes $4.1 Billion In Debt Sold Just Days Earlier) 英国の上層部では、ボリス・ジョンソン首相らEU離脱を進める「隠れ反英・多極主義者」が強いが、カーニーは主張的に彼らの一派でなく、ボリスら隠れ多極主義者によって無力化されている英国のもともとのエリート層の一派だろう。英国の旧エリート層は、従来の英国の覇権黒幕的な国際機能を守ろうとしているはずだ。彼らは、何の準備もなく米国覇権の破綻を看過するのでなく、破綻への対策や、その後の多極型覇権への移行に関する主導権をできるだけ英国が握り、今後の長期的な英国の国際影響力を維持し、世界が多極型になっても英国が黒幕であり続けられるようにしたいだろう。 (米国が英国を無力化する必要性) (多極派に転換する英国) だからカーニーは、米国や欧州の中央銀行家の中で、バブル膨張による短期延命に固執する今の米連銀のやり方に不満を持っている人々を結集し、多極型への軟着陸を英国が誘導する形にしたい。しかしカーニーらの策略は、米国の、意図的に近視眼的な金融界や隠れ多極主義者によって阻止されている。英国内ですらカーニーはもう主流派でなく、おそらく3月にカーニーの英中銀総裁の任期が終わるとともに、カーニー的な試みも終わる。カーニーが支持したフェイスブックのリブラは、各方面から妨害や非難を受け、実現不能な状態にされている。 (中央銀行とトランプのバブル延命、その後出てくる仮想通貨) (Libra Is Dead: eBay, Stripe, Visa And MasterCard All Abandon Facebook's Cryptocurrency) (フェイスブックの通貨リブラ:ドル崩壊への道筋の解禁) バーナンキ自身はおそらく自分の主張をマジに信じていて、QEやマイナス金利をやり続けても米国の金融システムや覇権が崩壊すると思っていない。バーナンキは、隠れ多極主義のうっかり傀儡である。彼は、そのおめでたさゆえに連銀議長になり、QEを大胆に進めた。最後まで自分がうっかり傀儡であると気づかないだろう。米国中心の国際金融システムのバブル膨張はまだしばらく続き、おそらくトランプの再選後まで維持される。年初にレポ金利が再び高騰しそうな局面があったが、QE資金によって沈静化された。小さな危機は今後も起きそうだが、QE資金で静められて大きな危機にならない。 (Schiff: Gold Climbs Wall Of Worry) (異常なバブル膨張、でもまだ崩壊しない) (世界中がゼロ金利に) しかし同時に言えるのは、もうバブルの軟着陸的な解決もない、ということだ。SDRの基軸通貨化もリブラも、まだしばらく封印され続ける。中銀群のマイナス金利化、徹底的な弾切れと、その後の無秩序な金融バブルの大崩壊、ドルの基軸性の喪失、金地金の暴騰、覇権の多極化、中国ロシアなどの自国通貨による貿易体制のほそぼそとした維持などが進行し、その中でようやく次の基軸通貨制度の実現が許されていく。最終的にはSDRやリブラの体制になる。それは2025年ごろだろうか?。まだわからない。 (Digital currencies will not displace the dominant dollar) (No Escape from Massive Global Debt Monetization)
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