ユーロ危機の解決が近い2015年7月27日 田中 宇米国の雑誌「ニューヨーカー」が、7月9日づけで、ギリシャ危機について興味深い記事を掲載した。「ギリシャ危機の、ありうべき打開策の輪郭は、すでに現れている」と示唆するこの記事は、ギリシャが債権者団(トロイカ。EU、IMF、ECB)から要求された財政緊縮策を実施する代わりに、トロイカはギリシャに追加的な救済支援をするとともに、ギリシャの債務の一部を帳消しにしてやり、ギリシャ危機を先延ばしでなく根本解決する構想が、EUの中枢で検討されていると書いている。債務帳消しはドイツが強硬に反対しているが、最近、米政府やIMF、フランスなどが、債務帳消しを認めるしかないとドイツに圧力をかけている。 (A Debt Deal to Keep Greece in the Eurozone?) 構想の中心にいるのは、EU各国の国家元首らでつくる欧州の最高決定機関「欧州理事会」の議長(事実上のEUの大統領)であるドナルド・トゥスク(ポーランド前首相)である。彼は、7月13日に、ギリシャのチプラス首相と、ドイツのメルケル首相らトロイカ側との交渉を仲裁し、トロイカがギリシャに860億ユーロを追加救済融資する見返りに、ギリシャがトロイカの要求に沿って消費増税など財政緊縮策を実施する合意につなげた人だ。トゥスクの背後には、ユーロ圏で2番目と3番目に大きな経済を持つフランスとイタリアがいて、仏伊がドイツにギリシャの債務を帳消ししてやれと圧力をかける構図になっている。 (Greece: Donald Tusk warns of extremist political contagion) トゥスクは、7月13日の合意をまとめるに際し「ギリシャが現実的な財政改革案を出してきた以上、債権者の側も同様に、現実的なギリシャの債務を持続可能な状態にする(debt sustainability)ための案を出さねばならない」「ドイツが勝ってギリシャが負けるといった勝ち負けがある状態を終わりにせねばならない。欧州の強国であるドイツは、当然ながら、より多くの救済金を出さねばならない」と言っている。 (Tusk warns of return to '1968') ニューヨーカーの記事は、トゥスクの発言に出てきた「債務の持続可能性(debt sustainability)」という言葉が、ギリシャの債務を大幅に帳消しすることを意味する暗号だと書いている。今のままだと、たとえギリシャが全力で財政緊縮策をやっても債務を減らして完済するまでたどりつけない。国民の25%が失業中のギリシャでは、消費増税すると消費そのものが減少し、税収が増えない。ギリシャが努力すれば完済できるような債務の持続可能性を確保するには、ドイツが嫌がっている債務の一部帳消しが不可欠だ。最近、IMFやECB、そしてドイツで反ギリシャ派の頭目を演じるショイブレ独財務相までが、それを認め始めている。 (Third Greek rescue deal met with widespread scepticism) 報道を裏読みせず鵜呑みにするだけだと、トゥスクらEU上層部が債務帳消しによってギリシャ危機を根本解決する計画が見えてこない。ギリシャのチプラス首相が豹変し、強く拒否していた財政緊縮策を突然に受け入れ、野党と結託して緊縮策を議会で可決する暴挙に出たというギリシャ側の動きしか見えない。「メルケルの勝利」「チプラスの裏切り」などと報じられている。反対側の、ドイツや北欧など債権国がギリシャへの債権の一部を帳消しにする構想を見せないようにしている。その理由は、債務帳消しの話があらかじめ債権国の人々にわかってしまうと、ドイツや北欧で強硬な反対運動が巻き起こり、構想が頓挫させられるからだろう。 (23% Sales Tax Hits Greece) (Greece's Parliament Cannot Override the NO Vote. The Agreement with the Creditors is Illegal) チプラスやメルケルは、おそらく構想の全容を知らされている。チプラスは自国で「裏切り者」呼ばわりされないよう、構想の全容を与党内や議会で話したかっただろうが、そうすると、それが報じられてドイツ人らが債務帳消しに猛反対する事態になる。構想の全容は、ドイツが道理的に包囲されて債務帳消しに応じざるを得なくなるまで報道されないでおく必要がある。チプラスは、祖国を借金漬けから救えるなら、自分が悪者になるぐらいかまわないと思っているのだろう。 この2週間ほどの間に、仏伊やIMF、米国など、広範な勢力がドイツなど債権国に対し、ギリシャが身を削る財政緊縮をやったのだからドイツなども身を削る債務帳消しをやれ、と圧力をかけている。ドイツのメルケル首相は、まだ「債務の返済期間の延長なら応じられるが、帳消しはダメだ」と言っているが、そのうちだんだんと「帳消しに応じるしかないかも」と言い出し、帳消しに最後まで反対するであろうショイブレ財務相らを説得にかかる、という政治劇が展開されそうだ。チプラスは、債権者側との交渉が8月20日までに終わる予定だと話している。8月20日までに、EU側が債務帳消しをドイツなどに納得させるシナリオかもしれない。 (Greek PM Tsipras rallies Syriza backing before bailout vote) (Angela Merkel signals conditions for Greek debt talks) 債務帳消しをしない場合「ギリシャがユーロから離脱し、ユーロが崩壊して債権国の経済も大打撃を受ける」「ギリシャや南欧で暴動や左翼革命が起こり、欧州全体が1960年代末のような大混乱になる」といった脅しも、ドイツや北欧の人々に債務帳消しを了承させる目的で、トゥスクらEU上層部によって声高に発せられている。 (Europe came close to catastrophe over Greece: EU's Tusk) (Europe's leaders are openly worrying about 'violence' and 'revolution' if Greece goes wrong) トゥスクは「(革命や暴動を防ぐため)今夏中に、ギリシャの問題を完全に解決するEUサミットを開く必要がある」と言いつつ「サミットがいつになるか、まだ見えてこない」と発言している。ドイツが債務帳消しに応じざるを得ないと考えるようになったら、ギリシャ危機を解決するためのEUサミットを開くつもりではないか。その開催メドが、ツィプラスの言う8月20日の前なのかもしれない。きたるべき会議が、ギリシャ危機の当座の解決(根本解決の延期)でなく「完全な解決」つまりトロイカ(金融界)がギリシャを借金漬けにして儲ける従来の構図からの完全脱却を目的としている点が重要だ。 (Too early to talk about debt meeting on Greece: EU's Tusk) (Tusk warns of return to '1968') トゥスクらEU上層部は、ギリシャ危機の完全解決だけでなく、もっと大それたことを画策しているようだ。ドイツに債務帳消しを求めるイタリアのパドアン財務相は「ギリシャ危機の解決と同時に、危機の再発防止策が必要だ。小手先の調整でなく、ユーロ圏諸国の財政政策の統合が必要だ。ユーロ圏全体の財政政策を議論立案するユーロ圏の議会(欧州議会のユーロ圏版)や、EU財務相の新設、EUの金融政策の統合(銀行同盟)などを推進すべきだ」と提唱している。 (Italy's Pier Carlo Padoan calls for `political union' to save euro) パドアンによると、ユーロ圏の統合推進策の議論は、すでに先日の財務相会議で始まっており、9月に議論が本格化する予定だという。8月中にギリシャ危機の解決策を定め、9月からユーロ圏やEUの統合の再加速を議論するつもりのようだ。ギリシャ危機の解決が、欧州にとっての分水嶺(統合加速への転機)となるはずだとパドアンは言っている。 こうした動きは、ギリシャ危機などのユーロ危機の対策を口実にEU内の統合推進派が、かねてからやりたかったが諸国民の反対や、米金融筋からの妨害(ドル延命策としてのユーロ潰し)で進めることができなかった、EUの政治統合の推進を、一気に加速しようとする策略だ。今回、ギリシャ緊縮策と引き替えの債務帳消し策を進めているEU大統領のトゥスクは、ポーランドの国会議員だった時代から、欧州統合を強く推進していた。 (Donald Tusk - From Wikipedia) (ユーロ危機と欧州統合の表裏関係) (ユーロ危機からEU統合強化へ) EUには「大統領」に相当する地位が2つある。トゥスクがつとめる「欧州理事会(各国首脳の会議)」の委員長と、ジャンクロード・ユンケル(ルクセンブルグ前首相)がつとめる「欧州委員会(EUの行政機関)」の委員長だ。ユンケルも、トゥスクに劣らない強いEU統合推進者だ。 (◆EU統合加速の発火点になるギリシャ) (◆革命に向かうEU) 7月5日のギリシャ国民投票の直後、トゥスクとユンケルは「財政緊縮を拒否するギリシャをユーロから離脱させる詳細な立法措置を立案した」と発表し、これについて議論すると言ってEUサミットを召集した。だが、これはギリシャに圧力をかけるための演技だったようで、その後ギリシャが交渉に応じると、サミットの開催を土壇場でキャンセルした。ギリシャの離脱は南欧に連鎖し、欧州統合の逆行や崩壊になる。トゥスクもユンケルも、本気でギリシャを離脱させたいはずがない。2人とも、演技がうまいタヌキおやじだ。 (Tusk: Greece crisis most critical moment in EU history) (Greece debt crisis: EC president Donald Tusk cancels 28 member EU Summit as European finance ministers resume "difficult" talks) 8月中にギリシャ危機を解決し、9月から欧州統合を加速するという、EU上層部による構想が、すべて成功するとは限らない。債務帳消しに対するドイツ内部の反対が意外と強ければ、ギリシャの債務は「持続可能な状態」にならない。チプラスは今のところギリシャで60%以上の支持率を維持しているが、ギリシャが帳消しに応じなければギリシャは再び危機がひどくなり、チプラスは秋の出直し選挙で敗北しかねない。以前からの構図だが「ユーロ危機はドイツの問題」である。 (Greek reshuffle hints at autumn election) (ユーロ危機はギリシャでなくドイツの問題) しかし私は、ギリシャ危機解決やEU統合がこの先、意外とうまく進んでいくと予測している。その理由は、前回も書いたが、米国とその傘下のIMFが、欧州統合への態度を「妨害」から「支援」に転換したからだ。米国は、冷戦終結とともに独仏に欧州統合をやれと強く勧めたが、リーマン危機後のドル延命策の一環として2010年からユーロ危機を扇動してEU統合を妨害する側に転じていた。だが最近再び転向し、いまや米国とIMFは、ドイツに対してギリシャの債務帳消しを最も強く求める勢力である。 (◆独仏を振り回すギリシャ) (U.S., IMF Step Up Calls for Europe to Restructure Greece's Debt) 米国はなぜ今の時期に、欧州統合に対する態度を、妨害から支援に変えたのか。欧州は、統合を進めると、米国覇権から独立した多極型世界の極の一つとして自立する。米国の上層部には、単独覇権維持勢力(軍産イスラエル、冷戦派)と、多極化隠然推進勢力(ロックフェラーなど)があるが、最近、オバマ政権がイランへの核の濡れ衣を解いたり、上海協力機構(中露)がインドとパキスタンを入れたり、ドル崩壊の前兆である金地金の暴落が起きたりして、多極化に向かう流れが強まっている。 (◆中露がインドを取り込みユーラシアを席巻) (◆金暴落はドル崩壊の前兆) ニクソン訪中から冷戦終結・欧州統合開始への流れを見ると、米覇権主義の策が破綻する時期に、多極化推進の大きな動きが、ろくな解説もなされないままどっと出てくるパターンだった。昨今の動きは、この流れに似ている。中露イラン敵視、ユーロ潰しなどの米覇権主義の策が過激化した挙げ句に破綻していく中で、中露のインド、イラン取り込みや、今回のEUがギリシャ危機を乗り越えて国家統合を一気に進めようとする動きが起きている。世界の構造が多極型の方向に大きく変わり始めた感じがする。
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