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嵐の前の静けさ続く金融システム

2014年6月11日   田中 宇

 国際金融市場が、静かな時期に入っている。今年の初めには「これから米連銀がQE(ドルの大量発行で米国債などを買い支える量的緩和策)を縮小するので、米国債などの金利が上がり、インフレになる」と米欧の金融マスコミや権威ある分析者たちが予測していた。私もそのように書いた。 (Janet Yellen's low rates gift is Mario Draghi's burden) (◆強まる金融再崩壊の懸念) (◆米連銀QE縮小で増すリスク

 しかし実際は、連銀がQEを縮小していっても米国債金利は上がらず、むしろ1年ぶりの低い水準(10年ものが2・6%台)まで下がっている。債券は金利が低いほど高価値なので、米国債は値上がりしている。 (The Fed Will Have to Reverse Course

 米連銀は表向きQE縮小の方針をとりつつ、裏ではベルギーで米国債の買い支えをやったりして、ドルの大量発行を続けている。日銀は、米連銀やG20から、量的緩和策をやめろと言われたが、その後も大量発行の姿勢にさほど変化がない。金利が上がらずデフレ懸念が増したため、EUの中央銀行は金利を初めてマイナスまで下げた。年初の「専門家」らの予測と裏腹に、世界的な通貨の大量発行の状態が続き、金利が上がらずにいる。 (金融世界大戦の実態) (◆量的緩和をやめさせられる日銀

 大量増刷の金あまりと低金利が続くので、倒産しそうな企業でも資金調達でき、倒産が増えず、ジャンク債の破綻も少ない。投資家の間に、ジャンク債でも危険はないとの見方が定着し、リーマンショック前によく売れていた高リスク債券がどんどん売れている。米株式市場にも資金が入り、薄商いの中、毎週のように最高値を更新している。 (Yield-hungry investors go into riskiest corner of US bond market

 リスクの高い債券をたくさん束ね、破綻時に優先返済するものを高い格付け、破綻したら返済しないものを低い格付けにして、格付けごとに輪切りにした債券(CLO)の年間販売総額は、リーマン危機直前の06年に970億ドルの頂点に達したが、今年は5月時点ですでに420億ドル分売れており、史上最多の1000億ドルに達しそうだと言われている。リーマン前のバブル状態が完全に戻っている。金融機関は「CLOはリーマン危機前より担保審査が厳格化されたので以前と違う。バブルじゃない」と釈明している。 (Bundled debt demand reaching levels of height of crisis

 米連銀がQEを縮小しているのに金利が上がらず、金融システムが平静を保っている理由は、連銀がベルギーなどで裏QEをやっているからだけでない。金融界と協力し、金融システムが不安定になりそうになるたびに、問題になりそうな箇所に資金を補強するなど、システムの揺らぎを全力で抑えているからだ。「各国の中央銀行が異常なまでの管理をすることで、金融の全ての分野で平静が保たれている。市場を揺るがす経済ニュースも出てこない(よう統制されている)」とFTが書いている。 (Sound of silence sweeps across asset classes

 たしかに今春以降、米欧では目を引く経済ニュースが激減している。私は毎朝、米国の金融情報サイト「Seeking Alpha」に列挙される前日分の百本前後のニュースに目を通し、注目した記事をテキスト形式でPCに保存して読んでいる。以前は同サイトからだけで大体数本の記事を毎日保存していたが、ここ2カ月ほど、まったく保存したい記事がない日がよくある。 (Seeking Alpha Breaking News

 金融当局の努力の甲斐あって、金融システムの不安定さを示すVIX指数は、7年ぶりのリーマン危機以前の水準まで下がっている。VIXは先行きに対する市場の不安感の強さを示す指標といわれているが、実のところ同指数は、優良銘柄の先物のデリバティブの指数を集めて加重平均したものなので、先行きを示すものでなく、現在のバブル拡大と市場の感覚麻痺の状態を表しているにすぎないと指摘されている。 (VIX: Index of fear, complacency or ignorance?) (VIX at 2007 low is like sensory deprivation for stocks

 FTの別の記事は、今の静けさがリーマン危機発生前の"Great Moderation"と呼ばれるようになった時期の平静さと同様で、いずれリーマン危機のようなバブル崩壊につながる危険な、嵐の前の静けさだと書いている。当局と金融界が金利高騰の悪夢を先送りしようと平静を演出するほど、金あまりと低金利の中で投資家が高リスクな金融商品を高く(低金利で)買い、バブルを膨張させる。このバブルは最終的に破裂し、金融危機を引き起こす。延命の期間が長いほど、バブルが大きく膨張し、金融危機の規模がリーマン倒産時よりひどいものになる。 (Market volatility plummets to multiyear lows

 平静に見える金融市場だが、バブルの膨張以外にも、拡大している危険な要素がある。その一つは、米英で金利や為替、金銀地金などの相場を大手銀行が談合して以前から不正操作してきたことが暴露され、米欧当局が捜査を進めていることだ。最近はドイツの当局が、大手銀行による為替の不正操作に関する証拠をつかんだと発表した。 (Germany's financial watchdog finds evidence of forex price manipulation) (Germany finds evidence of forex rate-fixing

 東京で大手銀行が日々情報を持ち寄って相場を決定している円建てのTIBOR金利に関しても、銀行が不正な操作を行ってきた疑いが強まり、日本の当局が調査に入っている。 (Japan's Tibor rate comes under scrutiny

 不正操作はドルやポンドを守る目的で、金利安(金利高は国債や通貨が危険な状態にあることを示す)、地金安(地金相場高はドルへの不信を示す)にする方向で行われており、操作が完全に行われなくなると、金利も地金も上昇傾向になり、ドルや米国債の信用失墜につながる。金融界は、捜査を受けていることは認めているが、市場の材料としては不正操作の存在や捜査が無視されている。しかし、捜査が進んで不正操作が完全になくなると、金融システムが不安定になる。 (The crisis shows moral capital is in secular decline

 最近では、株式や債券などの市場で、投資家が端末から注文を入れ、実際の売買注文が入るまでの1秒の何千分の1かの間に、取引を仲介する証券会社のプログラムが自動的に動いて自己勘定の反対売買を行って証券会社自身が儲けてしまう「高頻度取引」が問題になっている。投資家は、注文を入れた瞬間に高頻度取引によって相場が動いてしまうので、思った価格で売買できないことが常態化している。高頻度取引の手口は、株式や債券だけでなく為替市場にも急速に広がっている。高頻度取引の問題が露呈するほど、金融機関に対する信用が落ち、金融システムの不安定化要因になる。 (It's Not Just the Stock Market That's Rigged: the Entire Status Quo Is Rigged) (High-Frequency Fight Starts in Foreign Exchange

 危険な要素の2番目は、米国の実体経済の悪化だ。米国では今、大学新卒者の83%が仕事に就けない。統計上は「雇用増」が続いているが、実態は、出生・死亡の人口変動モデルや季節調整値の仕組みを歪曲し、あたかも雇用が増えたかのように粉飾している。実質的に米国の雇用はほとんど増えていない。 (More Phantom Jobs Created - All In The Wrong Places

 リーマン危機後、米連銀や米財務省が金融再崩壊を防ぐため大量資金を金融界に入れているが、その資金による儲けは、すでに大金持ちである資本家層をますます儲けさせる一方、99%の一般市民は豊かにならず、逆に失業や賃金引き下げ(米平均所得は7年間で7%減)で貧困になり、貧富格差が拡大している。米国の住宅市況が改善していると報じられるが、最も高価な1%の住宅は前年比21%の販売増である半面、残りの安めな99%の住宅の売れ行きは7・6%減だ。ティファニーやルイビトンなど金持ち向けの小売店は10%前後の販売増だが、大衆向けのウォルマートやシアーズは5-7%の売上減だ。 (Tepid US recovery - it's the middle class, stupid) ("Wealth Does Not Trickle Down... It Trickles Up."

 貧富格差と中産階級の没落で、米国の消費は縮小している。米国経済の7割は生産でなく消費で成り立っており、当局に救済されている金融以外の米国経済は実質的に悪化している。市場では、株価など相場が上がることを「景気回復」とはやし、株価が実体経済の悪さと関係なく上昇していることを無視している。 (Fed's easy money has disconnected markets from the real economy

 危険な要素の3番目は地政学的な動きだ。ウクライナ危機で米欧に制裁されそうなロシアのプーチン大統領が中国に急接近し、事実上の同盟関係を強化し、中露を含むBRICSで、国際決済の非ドル化などにより、米国の覇権を引き倒そうとしている。ガスプロムなどロシアの輸出産業が買い手諸国に対し、決済代金をドル建てでなく人民元やシンガポールドルなどにしてくれと頼んでいる。貿易決済の非ドル化は中国も進めている。 (De-Dollarization - Happening Now) (Russian companies prepare to pay for trade in renminbi

 多くの国が国際決済にドルを使わなくなると、それだけでドルが崩壊するものなのか、不確定だ。ドルの基軸性は原油の国際取引がドル建てであることに依拠しており、産油国の多くが原油決済の非ドル化を進めるとドルの基軸性が崩壊するという説と、いやいやそれは陰謀論で、為替市場があるのだからどの通貨で取り引きするかは大した問題でないという(エリート知識人の)反論の両方が存在する。 (The U.S. Dollar Will Collapse When This Upcoming Event Happens

 しかしロシア政府は、米国による経済制裁の悪影響を回避するためだけでなく、世界に脅威を与える存在に成り下がった米国の覇権を崩すために貿易決済を非ドル化するのだと言っており、非ドル化は単なる為替の問題でなく、覇権や国際政治の問題になっている。 (China pivot fuels Eurasian century) (バブルな米国覇権を潰しにかかるBRICS

 もう一カ国、エネルギー貿易決済の非ドル化によって米国の覇権を崩したいと考えて中露に接近しているのが中東のイランだ。イランは世界有数の石油と天然ガスの産出国だが、何年間も(イスラエル右派に牛耳られる)米国から核武装の濡れ衣をかけられて制裁され、今にも空爆されそうな脅しを受けてきた。イランは米国から制裁されて貿易決済にドルを使えず、数年前から、石油ガスを輸出する際に金地金や相手国通貨で決済するやり方で何とかしのいできた。石油ガス輸出の非ドル化では、イランがロシアより先輩だ。ロシアや中国は以前から、イランに対する核をめぐる米国の非難が濡れ衣であることを知っており、イランを支援してきた。 (How Gold Helped Iran Withstand U.S. Financial Fury) (イラン危機が多極化を加速する

 米国やサウジアラビアはここ数年、シリアの反政府武装勢力を支援し、イランの同盟国であるシリアのアサド政権を倒そうとしたが、結果はアサドの勝利が確定しつつある。アサドは先日の大統領選挙で再選され、国連はシリアの内戦を終わらせるべきだと言っている。アサドが倒れると予測して反アサドに転じ、反政府勢力を支援したトルコは最近、しだいに方針を転換し、アサド敵視をやめるとともに、一時は仲が不穏だったイランに再接近している。2月にトルコ首相がイランを訪問し、先日はイラン大統領がトルコを訪問した。イランの天然ガスの輸出の9割はトルコ向けだ。イランが国際的に許されれば、欧州はトルコ経由でイランからガスを買える。ウクライナ危機が続くほど、EUはイランを許したがる。 (中東諸国の方向転換) (`Europe must act independently in ME'

 シリア内戦の終結は、イランからイラク、シリア、レバノンにかけての中東の広範な地域が、イランの影響圏として維持されることを意味する。トルコだけでなく、クウェートやサウジアラビアもイランに接近している。米国は、米自身の戦略的な自滅になるイランとサウジの接近に反対しないどころか、イランとサウジの和解にオバマが賛成していると報じられている。 (いずれ和解するサウジとイラン) (U.S. Fostering Closer Iran-Saudi Ties) ('Peacemaker' Iran moves to end Syria war

 米国(米露中英仏独)は昨年末、イランと核問題で半年間の和解を結び、7月にそれを恒久和解に格上げするかどうか決める。米国は最近、イランとの2国間交渉を頻繁に行っている。イスラエルの諜報幹部は先日「イランは本気で核開発を凍結しようとしている(つまり、米国はイランに対する核の濡れ衣を解きそうだ)」と指摘している。イランの最高指導者は最近「オバマはイランを軍事攻撃する選択肢を棄てた」と述べた(これが事実なら、先日オバマが軍学校の演説で「米国の軍事力行使が世界の安定に必須だと信じている」と表明したのは口だけのウソだったことになる)。これらのことから、まもなく米国がイランに対する核の濡れ衣を完全に解く可能性がある(高い?)と感じられる。 (Israeli spy general says Iran serious in negotiations on nuclear deal) (Iran's Leader Says Obama Has Removed Military Option

 米国がイランを許すと、国際社会におけるイランの地位が急上昇する。イランは、プーチンに協力して石油ガス決済の非ドル化を推進し、ドルの基軸性を低下させて米国の覇権を潰して多極化を進めようとするだろう。以前なら、世界最大の産油余力を持つサウジアラビアが邪魔して石油のドル決済体制を守るだろうが、サウジはすでに昨年、米国に見切りをつけて中国やロシアに接近し、多極化に備え始めている。イラン核問題の解決は、意外に早いドルの崩壊につながるかもしれない。 (Panic pushes Saudis towards detente with Iran

 このような地政学的なドルの危機に際し、米国の金融界は、米連銀と心を一つにしてドル防衛にはげむはず・・・と素直な人は思うかもしれない。しかし、資本家も米国人としての愛国心があり、ドルや米覇権を守りたいはずだと考えるのは、島国の人の視野の狭さだ。米国(と世界)の金融システムが崩壊しそうだったリーマン危機の時、リーマンを倒産に追い込んだのは、米国の他の投資銀行たちだった。米金融界の中には、債券のリスクのシステムの根幹にあったCDS(債券破綻保険)を一手に引き受けていたAIGまで潰そうとした勢力があった。あのときAIGが米政府に救済されず潰れていたら、米国と世界の債券金融システムは08年に破綻していただろう。 (米金融界が米国をつぶす

 米国の分析者(金本位制論者のJim Willie)によると、米国のJPモルガンは、中露などBRICSがドルの覇権を崩壊させようとしているのに協力し、金地金の相場を下落させて中国が安く金地金を買い集められるようにしている。2012年以来、中国など新興諸国は、米欧の中央銀行が持っていた金地金を買いあさっており、今後この買いが一段落して米欧の金庫に金地金がなくなったころ、BRICSがドルを崩壊させる動きが本格化するだろうと彼は予測している。 (BRICS 80 Preparing To Take Down The Dollar

 別の分析者(Brandon Smith)は、米連銀がQEを縮小し続けるとドル崩壊が起きるが、連銀は意図的にドルとブレトンウッズ体制の崩壊と、世界的な通貨システムの作り直しを目的としていると書いている。大資本家は、特定の国家や文化に拘泥しないので、覇権が米国を離れて多極化してもかまわないのだとも言っている。これは、私が言うところの「隠れ多極主義」の仮説と大体同じものだ。 (Who Is The New Secret Buyer Of U.S. Debt?

 08年にリーマンショックが起きるとすぐ、米政府の周辺から「ブレトンウッズ体制の作り直し」の話が出てきて、新たな国際通貨体制を作るためのG20(多極型覇権体制)が、G7(米英覇権体制)に取って代わったことが、米政府によって発表された。 (「ブレトンウッズ2」の新世界秩序) (G8からG20への交代) (G20は世界政府になる

 こんご再び米国で金融危機が起こると、08年秋の一連の動きが蒸し返され、BRICSと米欧が対等な立場で協議するG20が、従来のドルに代わる基軸通貨体制を話し合うことになるだろう。その時がいつ来るのか、数週間後なのか数年後なのかは、まだ見えない。



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