米露相互制裁の行方2014年3月15日 田中 宇米欧がロシアを経済制裁することが不可避になりつつある。米欧はロシアに対し、ウクライナ問題を話し合う「コンタクト・グループ(外交連絡組織)」を作ろうと提案したが、ロシアは参加を拒んでいる。この組織が機能すれば緊張を緩和できるのに、ロシアが参加しないので事態が悪化しているとマスコミは報じている。 (For New Cold War Seems to Stall) しかしよく見ると、米欧は、ロシアが受け入れられない条件をつけて、ロシアが参加できないようにしている。米欧は、コンタクトグループの参加国はウクライナの新政権を承認せねばならないと条件をつけている。ロシアは、ウクライナの政権転覆が選挙という民主的な手続きを経ておらず違法なので、新政権を承認できないと言っている。米国が、非民主的なやり方で作られた政権を支援していることは、米国自身の法律に違反しているとも反撃している。コンタクトグループを作るなら、まず政権転覆を白紙に戻し、ヤヌコビッチの権力を復活すべきだとロシアは主張している。 (Russia dashes hopes for diplomatic solution for Crimea) (US to violate own laws by financially aiding Ukraine's coup-installed govt - Moscow) 米欧は、ロシアがウクライナ新政権を承認せず、コンタクトグループに入らないなら、第一弾の経済制裁として、クリミアの「占領」を指揮しているロシアの高官たちが米欧に持っている資産の凍結や、彼らに対する入国拒否を来週から行うと言っている。 (EU tells Russia: start Ukraine talks or face sanctions) (Russia to Offer Ukraine `Counterproposals') この制裁の内容は深刻でない。しかし制裁が始まるとロシアは態度を硬化し、対抗的な制裁を米欧に対して発動するだろう。ロシア政府の経済担当閣僚は、経済制裁を受けたら、対称的な、同等な制裁を米欧に対して行うと表明している。相互の制裁内容はしだいに厳しくなり、最終的に、ロシアの大企業や金融機関が米欧に持っている資産を凍結したり、米欧の大企業や金融機関がロシアに持っている資産を凍結するところまでいくかもしれない。ロシアの銀行と取り引きした米欧企業を制裁対象にする、イランに対してやったような金融制裁も検討されている。ロシア企業は資産凍結措置を懸念し、すでに米欧から資産を引き揚げ始めている。 (Russia Threatens Symmetrical Sanctions Against West) (Russian companies withdraw billions from west, say Moscow bankers) ロシアと米欧(NATO)が軍事的な戦争になると懸念する人もいるが、私は軍事戦争の可能性を低いと考えている。米国は世界への軍事関与を減らそうとしている。イラクやアフガニスタンから撤退したぐらいなので、今さらウクライナに軍事侵攻したくない。厭戦的な米国の世論も、ロシアとの戦争に反対している。 (How strong is Ukraine's army?) ロシア中心だった旧ソ連軍の一部を冷戦後に分離して作られたウクライナ軍は、ロシアを敵視したがらない。兵器の多くはロシア製で、ロシアが修繕部品を売ってくれないと戦争を継続できない。ウクライナ政府の軍事費はロシアの50分の1しかなく、ロシアと戦える状態にない。ウクライナの防衛大臣は、ロシアとの戦争になりかねないクリミアへの軍事駐留をしないと表明している(クリミアのウクライナ軍はキエフの政変後、逃亡するか親露側に投降した)。 (Kiev Plans No Troop Deployment in Crimea - Minister) クリミアは、3月16日の住民投票でウクライナからの分離とロシアへの併合を可決しそうだ。しかしロシアは、クリミアの併合に踏み切らないだろう。併合すると、国際的な非難が大きくなるし、クリミアの財政を全面的にロシアが面倒見ねばならなくなる。ロシアにとって、クリミアを併合せず、最低限の財政の面倒を見るだけにして、米欧との交渉のカードに使う「南オセチア型」の策の方が良い。ロシアがクリミアを併合しない限り、軍事戦争は起こりにくい。 (Does Putin really want Crimea within Russia? Maybe not) 軍事戦争にならない分、米露双方の経済制裁が激化する経済戦争の可能性は高い。反露派が席巻する米議会は、ロシアに対する厳しい経済制裁を可決しつつある。あとはオバマがどの程度の制裁を発動するかにかかっている。 (Senate Panel Seeks to Impose `Tough Sanctions' on Russia) 今回のウクライナ危機について米欧日のマスコミは「ロシアが悪い」と書いているが、実のところロシアは悪くない。民主的に選出されたヤヌコビッチの政権を、米国に支援されたウクライナ民族主義者が非民主的な反政府運動で倒し、今の極右政権を作った。7割のウクライナ系と2割のロシア系が共存してきたのに、新政権は、ロシア語を公用語から外すなどロシア系敵視策をやったのだから、悪いのは極右新政権と、その背後にいる米国の方だ。 (危うい米国のウクライナ地政学火遊び) ソ連崩壊とともに、ロシア軍の基地がウクライナ領内のクリミアにあるという矛盾した状況が生まれ、次善の策としてロシアとウクライナは協定を結び、クリミアへのロシア軍駐留を合法化してきた。それを、ウクライナ新政権は2017年までにロシア軍を追い出すと宣言してロシアを怒らせ、ロシア系が過半数のクリミア自治共和国の議会がウクライナからの独立を宣言すると、米国はそれを違法だと非難し、対露経済制裁を検討している。 (プーチンを強め、米国を弱めるウクライナ騒動) 米欧は「ロシアがウクライナの国家統合を破壊した」と非難するが、実際は、米国が政権転覆を支援してウクライナの国家統合を破壊し、それをロシアのせいにするロシア敵視策をやっている。ヤヌコビッチ政権が経済同盟の相手としてEUでなくロシアを選んだので、米国がヤヌコビッチ政権を転覆した。ロシアは、米国の敵視策の被害者といえる。ロシアをめぐる米欧日の報道は、冷戦時代から善悪が歪曲されている。 (Ukraine crisis 'created artificially' - Russia's Lavrov) とはいえ今回の米露の戦いでロシアは劣勢でない。むしろ、今後しだいに優勢になりそうだ。米露が相互に経済制裁を激化していくと、ロシアから石油ガスの輸出を止められたり、ロシアと貿易投資関係を絶たざるを得なくなって、まず欧州経済が大打撃を受ける。ドイツの財界はメルケル首相に対露関係を悪化させるなと嘆願しているし、イタリアではロシアとの関係が深い国営石油会社などが対露制裁に反対している。 (Reset the reset - visa bans will not deter Putin) 以前の記事で、英国の政府が「ロシアを経済制裁するなら、ロンドンの金融界を例外扱いしてくれ」と表明したことを書いたが、その後、この英国の姿勢を米議会が非難し、米国に嫌われたくない英政府は「金融界に損をさせてもロシアを経済制裁する」と(口だけ)表明せざるを得なくなった。 (I'm prepared to hit City to punish Putin, says David Cameron) (ウクライナ危機は日英イスラエルの転機) 冷戦後はじめての対露制裁の開始で「冷戦の再発」を指摘する声もあるが、冷戦後の14年間で、ロシアと米欧(特に欧州)は密接な経済関係を持つに至っている。米政界の右派は、冷戦の再発に喜んでいるが、相互制裁はロシアだけでなく欧州に打撃を与える。冷戦の再発は現実的に無理だ。ロシアとの経済関係が比較的薄く、欧州のように石油ガスをロシアに依存していない米国だけ対露制裁に突っ走り、欧州がついていけなくなる事態が予測される。右派が米議会を席巻していることから考えて、それでも米国はロシアを制裁し続けるだろう。 (US-Europe divide looms over Ukraine) 米露間で軍事的な戦争が起きない代わりに、経済的・金融的・通貨的な戦争が起きそうだ。すでに、3月14日の日本などでの株の暴落や、ここ数日の金相場の上昇は、ウクライナ情勢による世界経済の不安が背景にある。特に金地金については、米国がロシア企業のドル利用を規制する制裁を行った場合、ロシアが対抗して自国の石油ガスの決済を金地金で行うよう世界に求め、これが金相場の高騰につながるのでないかと推測されている。 (Russia May Retaliate Sanctions By Demanding Payment For Exports In Gold) ウクライナの金地金については、興味深い話がある。ロシアのメディア「イスクラ」によると、ウクライナ政府は政権交代後、外貨準備として持っていた40トンの金地金を、米連銀の金庫に預けることを決め、深夜に金塊が飛行機に積み込まれ、米国に持ち去られたという。 (Ukraine's Gold reserves sent to NY Federal Reserve) ウクライナ政変後、米欧とロシアのメディアは、相互に自国を正当化し、相手方を批判する内容の歪曲報道(プロパガンダ戦争)につとめているので、この記事も鵜呑みにできない。しかし、米連銀の金庫にあった世界各国政府から預かった金塊の多くは、金相場を引き下げるドル防衛策に使うため米金融界に貸し出され、ほとんど残っていない可能性が高い。その一方で米連銀は、ドイツやベネズエラから預けた金塊を返してほしいと言われ、手持ちがないので返却に四苦八苦している。米当局が、ウクライナに傀儡政権ができたのを機に、金塊を米連銀に「預ける」ことを強要しても不思議でない。この報道が事実であるなら、ウクライナに金塊が戻ってくることは二度とないだろう。 (Was The Price Of Ukraine's "Liberation" The Handover Of Its Gold To The Fed?) (金塊を取り返すドイツ) ロシアは石油ガスなどの地下資源以外に輸出するものが少ないし、経済規模も超大国でないので、ロシアだけで米欧と金融戦争的な相互制裁を行っても、世界的に大した影響はなく、最終的にロシアの負けに終わる。しかし中国、ブラジル、インドなどのBRICSや他の新興市場諸国の中で、ロシアの側につく国が増えてくると、話が違ってくる。BRICSはリーマン危機後、相互の貿易決済で、長期的に基軸通貨として弱体化していくドルを使わず、相互の通貨や金地金を使う新体制を構築してきた。これまで、この決済の非ドル化は、政治的な米国敵視策としてでなく、経済的・実利的なドルへの懸念から行われてきた。ドルが基軸通貨として何とか使える限り、ドル崩壊を誘発する気はBRICSになかった。 (ドル崩壊とBRIC) しかし今回、BRICSの中でロシアが、米国が誘発したウクライナ危機によって、米国との敵対に追い込まれた。米国がロシアを経済制裁するほど、プーチンは中国など他のBRICSを誘ってドルを崩壊させる政治戦略をやりたいと思うだろう。他のBRICSが米国から親切にされているなら、プーチンがドルを崩壊させたくても中印などが乗ってこない。しかし実際は、中国もインドもブラジルも最近、米国から敵視や嫌がらせを受けている。 (金融システムの地政学的転換) 米国は、2011年から中国包囲網策を開始し、南沙諸島紛争でフィリピンやベトナムをけしかけ、尖閣諸島紛争では日本を中国敵視に誘導(米国のヘリテージ財団が石原慎太郎に入れ知恵)し、中国を怒らせている。米国は、今回のロシアとの対決の延長として、いずれ中国との対決をせねばならなくなると、FTが示唆している。米中は協調でなく、対決に向かっている。中国の上層部で、いずれ米国に潰されるぐらいなら、先にプーチンと組んで米国(ドルや米国債)を金融面から潰した方が良いという考えが強まっていても不思議はない。 (Ukraine is a test case for American power) ブラジルの近傍では、ベネズエラのマドゥロ政権が、米国に潰されそうになっている。マドゥロ大統領は、国際的な反米運動の急先鋒だった先代のチャベス大統領が選んだ後継者だが、チャベスより穏健で米国との関係改善をめざし、選挙にも勝って民主的な正統性を持っている。しかし米国はマドゥロの関係改善の希望を無視し、チャベス時代から米国が支援してきた野党勢力を動かして、経済難に不満を持つ市民を巻き込み、マドゥロ政権を倒すための大衆的な反政府運動をやらせている。 (Washington Seeks Regime Change in Venezuela) (US support for regime change in Venezuela is a mistake) マドゥロ政権を非難する米国と対照的に、ブラジルなど南米諸国で構成するメルコスールは、民主的に選ばれたマドゥロ政権を非民主的な政治運動で倒そうとするベネズエラ野党を非難する決議を採択している。中南米諸国と米国カナダで作る米州機構(OAS)も、ベネズエラの内紛が対話によって解決することを望む決議を行ったが、このとき米国と、米傀儡であるカナダとパナマだけがマドゥロ非難の意味で反対した。 (Venezuela slams US's Biden remarks) 米国が敵視する国の反政府市民運動を支援し、政権転覆までもっていこうとするやり方は、ベネズエラとウクライナで共通している。政権転覆によってより良い国ができればまだ良いが、転覆後は米欧の大企業がその国の利権を吸い取る「民営化」が強要されるか、ひどい場合はイラクやリビアのように恒久的な内戦に陥らされる。隣国として、ベネズエラが政権転覆されると悪影響が大きいブラジルにとって、ウクライナ問題でロシアが直面している事態は、他人事でない。ブラジル政府のIMF代表は、ウクライナ新政権に、通常より甘い条件で支援融資が行われることに反対するなど、ブラジルは米国のやり方に懸念を表明している。 (Brazil's IMF Director Urges Lender Not to Bend Rules for Ukraine) 国務省など米政府が、各地の反米的、あるいは地政学的に米国にとって邪魔な政権を、地元の野党系の反政府運動を支援することによって次々と政権転覆していく策は、前ブッシュ政権の後期に始まったもので、当時のライス国務長官が、今後の国務省の任務としてそれを宣言した。ベネズエラやウクライナでの政権転覆の誘発は、米国にとって気まぐれでなく、長期的な戦略に基づいている。米国のこの姿勢は、ブラジルやロシアや中国にとって脅威である。 (Washington's geostrategic shift) (U.S. Expands Role of Diplomats in Spying) 今後、ベネズエラが政権転覆に近づいた場合、ブラジルの上層部も中国と同様に、米国が政権転覆によって中南米に混乱を拡大する前に、ドルや米国債を崩壊させ、世界に対する米国の影響力を縮小させた方が良いと考え始めるかもしれない。ブラジルのルセフ政権はすでに、米国の諜報機関NSAが自国を含む世界の官民の機密情報をスパイしていることに関して米国を非難し、米国を経由しない国際インターネット網の構築を推進するなど「米国抜き」の世界を構想している。 (しだいに多極化する世界) インドも、以前は親米の傾向が強かったが、最近は米国に対する怒りがあちこちで起きている。昨年末には、米国駐在の女性外交官が米当局から微罪で逮捕されて全裸捜査を受けた件で、国民的な反米感情が高まった。米政府は最終的にこの問題で譲歩したが、その前はことさら強硬な姿勢をとってみせ、ほとんど意図的(隠れ多極主義的)にインドの世論を反米に傾かせた。 (US 'gathering evidence' against Indian diplomat Devyani Khobragade) 5月までに行われる選挙で勝って首相になりそうな人民党(BJP)のナレンドラ・モディは、02年にグジャラート州で起きたイスラム教徒に対するヒンドゥ教徒の暴行を容認したとして、米欧から制裁されていた人物だ。モディが首相になりそうなのを見て、米欧が相次いで彼に対する制裁を解除した。インドは冷戦時代にソ連と仲が良く、モディが首相になったらロシアに接近し、プーチンと組んでBRICSを反米の方向に引っ張っていくかもしれない。 (US to end boycott of India's Narendra Modi ahead of election) 選挙で負けたくないシン首相の現政権は、自分たちも米国に従属しているわけでないことを示そうと、安保担当の高官がウクライナ危機に関してロシアを支持する発言を表明している。シン政権は、米国との貿易紛争でも強硬な姿勢をとり、米国がインドの貿易政策や著作権政策について調査しようとするのを妨害している。強硬さで誰にも負けない米国の議会や財界は、米政府に働きかけてインドに「著作権の最悪の侵害国」のレッテルを貼ろうとしている。米国は14もの案件でインドをWTOに提訴している。米印関係は悪化する一方で、プーチンに漁夫の利を与えそうだ。 (India sides with Russia over Ukraine crisis) 結論まで書けないうちに長くなってしまった。この続きは次回に書く。
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