金融システムの地政学的転換2014年2月24日 田中 宇2月21日、米国のオバマ大統領が大統領官邸(ホワイトハウス)で、チベットの指導者ダライラマと会った。オバマがダライラマと会ったのは2011年以来のことだ。この会合を事前に知った中国は猛反対したが、オバマは無視して会った。ただし中国に配慮してか、マスコミは写真撮影や質問を許されず、会合場所も、外国要人と会うときによく使われる官邸内の大統領執務室(オーバルオフィス)でなく「地図の間」(マップルーム)だった。米政府は「チベットの独立は支持しないが、中国の人権問題が解決されることを求め、オバマがダライラマに会った」と発表した。 (White House Bars Media From Dalai Lama Meeting) (Obama's meeting with Dalai Lama irks China) 中国との敵対を強めている日本人から見ると、日本にとって唯一の頼みの綱(虎の威)である米国の大統領がダライラマに会って中国を怒らせたのは頼もしく、「中国ざまあみろ」かもしれない。しかし、私が思ったのは「オバマはなんて馬鹿なタイミングでダライラマと会うのか」ということだった。米国は今、連銀が米国債など債券を買い支えてきた量的緩和策(QE)を縮小し始めたところで、米国債など債券の金利がいつ高騰してもおかしくない不安定な時期に入っている。今のところ、指標となる10年もの米国債金利は2・7%前後で、危険領域である3%を下回っている。しかし、米国債の売り上げが悪化したりすると、短期間で金利が危険領域まで上がってしまう。NYタイムスは「金利高騰と金融危機の危険が増しているのに。世界はリーマン危機の時と同様、何の準備もしていない」と書いている。 (A World Unprepared, Again, for Rising Interest Rates) 世界最大の米国債の買い手は中国だ。米国との敵対関係がひどくなっているいるため、中国の上層部では、米国の世界支配を助けることになる米国債の購入をやめよという声が出ている。しかも中国は、経済成長の主導役を輸出から内需に大転換し始めており、貿易の決済をドルから人民元や相手国通貨に切り替えようともしている。従来の輸出主導なら、増える外貨(ほとんどがドル)の運用先として米国債の購入が不可欠だが、経済が内需主導になり、貿易が人民元建てになると、ドルや米国債を持つ必要が低下する。中国人民銀行は昨年11月「中国はもはや、外貨準備を積み上げる必要がなくなった」と宣言している。 (China Starts To Make A Power Move Against The U.S. Dollar) そうした傾向の具現化として昨年12月、中国は、米国債の購入量を2年ぶりの少なさまで減らした。米国債は今、販売総額の49%を外国勢が買っている。中国以外では日本とサウジアラビアがたくさん買っているが、日本もアベノミクスの「効果」として円安と日本企業の衰退が進んで貿易赤字が拡大し、外貨準備が減って米国債の購入も減っている。サウジも、米国との外交関係が悪化(同時に中国との関係を強化)しており、政治面から米国債を買わない方向にある。日中サウジとも12月の米国債購入が減った。EUが米国債の購入を増やしたので何とか持っているが、今後は危うい。 (China Sold Second-Largest Amount Ever Of US Treasurys In December: And Guess Who Comes To The Rescue) (Sony says will cut 5,000 jobs) FT紙は「日中サウジが米国債を買わなくなる傾向で、他の投資家も全般に米国の債券を買いたがらなくなっている。米国債の先行き不透明感が激化している。今のところ債券市場は好調だが、いつまで持つかわからない」と書いている。影響力が大きいFTやNYタイムス(前述)が、こんなに露骨に書くのはめずらしい。警戒が必要なことは間違いない。 (Investor support for US bonds on the wane) 米国債が危険な状態で、中国が米国敵視を強めて米国債を買わなくなったら終わりなのに、まさにその状況が明確化してきたのを見計らうかのようなタイミングで、オバマは、中国を怒らせるダライラマとの会合を持った。チベットの人権問題は大事かもしれないが、ダライラマとの会合は数カ月後でも良いはずだ。ダライラマに会うなら、連銀があと数カ月間、うまくQEを縮小させ、債券市場が安定感を取り戻してからにすれば良い。そのようにしないオバマは大馬鹿か、米国にとって悪いタイミングで中国を怒らせようとしている。 (China Cuts Treasury Holdings Most Since 2011 Amid Taper) (不合理が増す米国の対中国戦略) (中国を隠然と支援する米国) 米国は、日本やフィリピンをけしかけて中国との領土紛争を激化させることを通じても、中国を怒らせている。米国が中国と本気で戦争すると見る向きもあるが、私は懐疑的だ。中国軍は、フィリピンが実効支配する南シナ海(南沙諸島)のパグアサ島に侵攻して奪い取る計画を立てたと報じられているが、米海軍の幹部(Jonathan Greenert)は「米比の安全保障条約に基づいて有事にフィリピンを助ける」と述べたものの「どんな支援をするかはわからない」という状態で、いやいやながらの感じが強い。米国の中国包囲網は茶番性が強い。 (US to `relunctantly' help Manilla in event of China invasion over disputed islands) (中国の台頭を誘発する包囲網) 米政府は、尖閣諸島の問題についても、日本の実効支配下なので日米安保条約の範囲内であり、中国が侵攻してきたら日本を助けると言っているが、どんな支援をするか言ってない。その一方で、日米で「島を奪還する」軍事演習をやるなど、米国は日本を誘って中国との敵対を煽っている。昨年末の中国の防空識別圏設定についても、米政府は「識別圏など認めない」と、日本に味方するようなことを言いつつ、中国路線を拡大したい米国の航空会社の圧力を受け、米航空会社が中国に飛行計画を提出するのを許した。日本ははしごを外された。日本にとって米国は頼りがいのない国になっている。 (In Japan's Drill With the U.S., a Message for Beijing) (China preps military for `short, sharp war' with Japan, US Navy analyst says) 米国は日本やフィリピンをけしかけて中国との対立を扇動する一方で、前回の記事に書いたように、朝鮮半島の問題が中国主導で解決されることを希望し、中国が主導権をとる気になったことを歓迎している。 (韓国台湾を取り込む中国) 金融市場の主な話題は昨年、米連銀がQEを縮小するかどうか、縮小しても金融システムが持つかどうかだった。今年は、その件も引き続きあるものの、加えて中国や他の新興市場との米国との関係がどうなるか、中国が米国債やドルを見放さないかどうか、投機筋などが新興市場からの資金流出を煽って金融危機を誘発しないかといった、地政学的な転換が注目されそうだ。中国は米国の覇権を潰す前に、自国経済を内需主導に転換したいだろうから、米国が中国との敵対を煽っても、中国がそれに乗って今年中にドルや米国債の崩壊を試みるとは限らない。しかし数年内には、中国が米国の経済覇権を引き倒す地政学的な転換の可能性が高まる。 (世界的な取り付け騒ぎの予兆) (強まる金融再崩壊の懸念) 金融システムの地政学的転換は、すでにあちこちで起きている。ロンドンでは、ドイツ銀行が売りに出している、金地金相場の値決め作業に参加する権利を、中国国営の工商銀行の子会社となった南アフリカのスタンダード銀行が買う見通しが強くなっている。国際大手銀行4行が、世界の金価格を代表するロンドンの金相場を毎日相談して決めていることや、そこで不正な談合が行われている疑いがあり、英米当局が捜査していること、ドイツ銀行が談合を放棄して離脱を決めたこと、ドイツ銀行の席を中国勢が買い取るかもしれないと言われていたことは、以前の記事に書いた。 (金地金不正操作めぐるドイツの復讐) 中国は今や、世界最大の金の買い手だ。昨年、中国の金購入は前年比41%の急増で、インドを抜いて中国が世界一の金購入国となった。中国政府が、ひそかに金地金を買い集め、いずれ人民元が国際通貨になったときに、金本位制を導入するのでないかとの見方もある。 (China's gold consumption surges - Xinhua) 統計上は、米国政府が8千トン、ユーロ圏17カ国の政府合計で1万トンの金地金を保有している一方、中国政府は1千トンしか持っていない。しかしこれは、ほとんど机上の空論だ。欧州各国の金地金の多くは、米英当局の金庫に預けられており、米英当局は、ドル防衛の目的で金相場を引き下げておくため、政府や中央銀行の金庫にある金地金を勝手に民間金融機関に貸し出し、空売りに使ってきた。米英当局の金庫には、ほとんど金地金がないと考えられる。対照的にリーマン危機以降、米国の経済覇権の先行きを懸念する中国などが、金地金を大量に輸入している。中国政府が、すでに5千トン以上の金塊を持っているとの見方もある。 (China Starts To Make A Power Move Against The U.S. Dollar) (China reportedly planning to back the yuan with Gold) 米英の金庫にあるはずの金塊がないとの懸念から、ドイツ政府は2012年から、敗戦国として米英仏に預けてあった金塊の一部を返却するよう求めている。米独仏は12年に「15年までに300トンの金塊を米国からドイツに返還する」と決めたのに、米国側が引き下げを求め「15年までに150トン」に改定され、米国はそれすらも守れず、結局まだ米国から5トン(仏から32トン)しか返却されていないことが、先日FT紙などによって報じられた(権威あるFTがこれを報じたのは驚きだ)。 (Learn from Buba and demand delivery for true price of Gold) (Bundesbank Changes Gold Repatriation Schedule) 独連銀は、米国から金塊を取り戻す日程を放棄したとも伝えられている。要するに、米当局の金庫には、ドイツから預かった金塊がもうないということだ。金地金の金庫内は、世界的に政府も民間も、預かった金塊をいったん溶かしてしまい、個別の金塊を所有者とひもつけしていない。1944年に決まったブレトンウッズ体制(金ドル本位制)の裏付けのため、米政府は世界中の国々から金塊を預かって金庫に入れてあるはずだが、ドイツの分がないということは、他国の分もないということだ。世界的な「金塊の取り付け騒ぎ」がいずれ起きることが確実だ。 (Bundesbank Moves Away From Specific Gold Repatriation Schedule) (金塊を取り返すドイツ) (操作される金相場 2) そのような中で、中国が豊富な資金を使って金地金を貯め込みつつ、世界的な金相場の決定機構に参加しようとしている。中国工商銀行は、中国最大であるだけでなく、急成長して世界最大の銀行になったが、工商銀行が直接にロンドン金相場決定システム(London Gold fix)に入ってくることは、米国が中国を敵視しているので、監督する英国が賛成しなかったのかもしれない。工商銀行は中国での金取引を多く扱うもののロンドンでの取引量が少ないため、ロンドンでの取引量が多いスタンダード銀行にやらせることにしたとも指摘されている。工商銀行は先月、株の2割を持っていた南アのスタンダード銀行の持ち株比率を6割に増やして経営権をとった上で、同銀行に金相場決定権を買収させようとしている。 (Standard Bank a `front runner' for a seat at gold fixing table) (Standard Bank in prime position for Deutsche's gold fix seat) ドルと金地金は相反する存在だ。金相場の上昇はドルの信用低下を示す。これまでロンドンの金市場では、ドルを守るため、値決め役の各銀行が、相場を引き下げる方向で不正に操作してきた疑いが持たれている。しかし今後、相場決定に中国勢が入ると、中国勢は、相場の引き下げ操作に抵抗し、金相場の上昇を容認したがるだろう。金相場の不正引き下げが行われなくなると、金の相場は今の1オンス1300ドル台から、1オンス5000ドル以上に上がっても不思議でないと言われている。米英当局の捜査によって金相場の不正操作が難しくなるなか、中国勢の値決め参加は、いずれ金の高騰につながるだろう。 (操作される金相場) (通貨戦争としての金の暴落) 基軸通貨としてのドルの崩壊感が強まる中で、ドルの反対側にある金地金の世界的な値決めに中国勢が参加することは、人類の経済システム(経済面の覇権)における中国の台頭を意味している。かつて冷戦を誘発するなど米国覇権の黒幕だった英国は最近、自国経済の大黒柱である金融業を守るため、中国に積極的に接近し、中国の経済覇権の片棒担ぎをする「多極化の傀儡」へと変身している。ロンドンの金相場の値決めに中国勢を招待したのも、英国の多極化追随策の一つだろう。英国は国家延命のため、これまで60余年にわたって米国に持たせていた覇権を、中国に売り渡しているともいえる。 (中国主導になる世界の原子力産業) 近年の覇権多極化にともない、米国の最有力同盟国である日本とイスラエルと英国(3カ国の頭文字をとってJIBS)が米国の後ろ盾を失って弱体化するという「JIBSの凋落」がよく語られている。しかし、JIBSのうち英国は、すでに見たように、中国にすりよる策に転じて国力を保持しようとしている。 (Top Risks 2014) イスラエルも、沖合のガス田開発や、国内の新幹線建設を中国に発注し、米国の兵器の技術を中国に売り渡すことまでやって、中国に接近している。兵器転売を米国が批判してくると「イスラエルの(手段を選ばない)繁栄を望まないのは、ユダヤ人差別だ」と糾弾するお得意の手口だ。イスラエルは中東和平に失敗すると、いずれヒズボラあたりと再戦争になって安保面から国家破綻するが、それを回避できれば、中露に接近し、多極型に転換する世界の中で、何とかやっていけるだろう。 (Israel Seeks to Challenge US Limits on Defense Exports to China) (多極化に呼応するイスラエルのガス外交) 中国はイスラエルだけでなく、西アジアのあちこちで鉄道建設を受注しており、いずれそれらと中国国内の新幹線網をつなぎ、中国から西欧まで、中国製の新幹線で2昼夜で行けるようにする構想を持っている。 (China's New Silk Rail Road Must Pass Through Middle East) 英国もイスラエルも、多極化の流れにうまく乗っていけるどうかわからない。英国は今後、スコットランド独立と、EUからの離脱の国民投票が控えており、スコットランドに分離された挙げ句にEUからも離脱し、孤立した小さな貧乏な国に転落していくかもしれない。しかし英国もイスラエルも、米国の覇権衰退と多極化という世界の大きな流れを見据えた国家運営をしている。JIBSの中で、世界の流れを全く見ようとせず、ひたすら対米従属だけに固執し、対米従属のために中国や韓国と敵対する頓珍漢に走っているのは、日本だけだ。最近、首相靖国参拝や、東京裁判史観否定に対する米国の批判に逆切れする反米主義が日本に出始めており、この流れは日本を対米従属から引き離していくかもしれないが、それについてはあらためて書く。
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