中国の台頭を誘発する包囲網2012年7月18日 田中 宇7月15日、カンボジアのプノンペンで行われていたASEANの外相会談と地域フォーラム(ASEAN+日中韓米豪NZ印露)が、南シナ海の南沙群島をめぐる領土紛争で声明を出せないまま閉幕した。共同声明を出せないまま閉幕するのは、45年間のASEANの歴史上、初めてのことだ。フィリピンとベトナムが、南沙群島の紛争について共同声明に盛り込むよう求めたのに対し、中国が強く反対した。議長国は、中国の傘下にあるカンボジアで、中国と同じ姿勢をとって南沙問題を声明に盛り込むことを議長権限で拒否したため、声明をまとめられなかった。 今回の事態の底流にあるものは、南沙問題の交渉方法について、フィリピンやベトナムがASEANの多国間での話し合いを求めているのに対し、中国は多国間でなくASEAN外の2国間での交渉を求めている。多国間なら「東南アジア諸国vs中国」の図式になって数が多い東南アジアに有利だが、2国間なら大国である中国に有利だ。とはいえASEANと中国は、2002年の段階で、2国間交渉で解決していくことをすでに合意していた。フィリピンなどは今回、話を蒸し返し、ASEANの共同声明に南沙問題の存在を盛り込み、今後の交渉を多国間方式に転換しようとしている。 (ASEAN's Failures on the South China Sea) フィリピンやベトナムが強気なのは、米国の後ろ盾があるからだ。米国は、昨年から「アジア重視策」を進め、アジア各地に立ち寄り型の米軍基地を復活させたり、米国とアジア太平洋諸国による中国抜きの自由貿易体制であるTPPを推進したりして、中国包囲網(のように見える)策を展開している。フィリピンでも、米軍艦の寄港や特殊部隊の飛来が増えている。 (Philippines seeks greater US presence) 米政府は、フィリピンやベトナムをそそのかし、中国との対決姿勢を採らせている。今起きている南沙紛争の本質は、米中対立である。中国共産党の機関紙である人民日報は、南沙問題で米国が不和の種をまいていると批判する記事を出した。 (ASEAN summit breaks up amid feuding over South China Sea) 南沙問題で中国とフィリピンは、双方が4月から軍艦や武装漁船を紛争海域に派遣し、にらみ合いが続いていたが、6月中旬に双方が船を紛争海域から撤退させ、やや緊張が緩和した。だがその後1カ月も経たないうちに、ASEAN会議で再び対立が激しくなった。 (China hails Philippines' pullout in South China Sea) ▼米国にそそのかされ中国を敵視する野田政権 最近、米国からそそのかされ、中国と対決する姿勢を再び強めている国が、もっと北方にもある。それは、わが日本だ。7月7日、野田首相が尖閣諸島を国有化する方針を発表した。対抗して、中国は武装した漁船3隻を尖閣諸島の海域に派遣した(中国は、戦争に発展させずに日本やフィリピンを威嚇するため、軍艦でなく非公式的な武装漁船や監視船を紛争海域に派遣する戦術を採っている)。これに対して日本政府は怒りを表明し、丹羽駐中国大使を東京に召還した。日中関係は一気に悪化した。 (Tokyo makes bid to buy disputed islands) 尖閣をめぐる今回の日中対立の激化は、4月に石原東京都知事が訪米中にぶちあげた東京都による尖閣諸島の買い上げ計画を、今になって野田首相が横取りした結果として起きている。野田政権が本気で尖閣を国有地化する気があるのか疑問もあり、支持率低迷の野田が日本人の反中国ナショナリズム感情を使った人気取りの目的で、かけ声だけの尖閣国有化を言って日中関係を意図的に悪化させた可能性もある。 (Japan criticises islands intrusion by China) しかし、日本の対米従属性の強さから考えて、日中関係を意図的に悪化させるには、事前に米国の了解が必要だろう。フィリピンも日本に似て対米従属が強い(植民地性が露骨なので、国民の反米感情は、隠然植民地である日本よりずっと強いが)。フィリピンが中国との敵対を激化したこととのタイミングの同期を考えると、米国が日本をそそのかし、人気取りの方法としてうってつけだと考えた野田がそれに乗って、尖閣国有化構想を表明して中国との関係を悪化させたと思われる。 (一般に、領有権に不明確さが残りがちな辺境の無人の小島をめぐる隣国との領有権紛争を意図的に燃え上がらせ、ナショナリズムを煽って国民の人気取りをやる政治家の策略は、近代国家の成立以降、世界のあちこちの国で起きている。どのケースでも、対立する両方の国で、多くの国民が、扇動されていると気づかず真面目に激怒し、そんな小島要らねえだろ、地下資源があるなんて誇張だろ、魚もろくに獲らないくせに、などと正鵠を射た発言をうっかり放った人々を袋叩きにして黙らせる) 日本は、冒頭に紹介したプノンペンのASEAN会議でも、南沙問題の早期解決のために多国間交渉を急ぐべきだと表明し、多国間交渉を求めるフィリピンやベトナムの肩を持つ発言を初めて行った。これまで、日本は南沙問題について公式の場でどちらかの肩を持って発言しないようにしてきたが、ここにきて中国との対決をいとわない姿勢に転換した。 (Japan Steps Up to the South China Sea Plate) ▼習近平は胡錦涛より反米になる 冷戦時代のように、米国が本気で中国を封じ込め続ける戦略的な意志と能力があるなら、日本やフィリピンが米国に扇動されて中国と敵対することが、国家戦略として意味がある。しかし、今の米政府には、中国を封じ込め続けられる能力がなく、たぶん意志もない。米国にとって中国は、最大の米国債の買い手であり、貿易相手であり、投資先である。ユーロ危機や中東問題、地球温暖化問題などでも、中国は、米国にとって協力を仰がねばならない大国の一つだ。先日のASEAN地域フォーラムでも、米中の外相会談が行われ、南沙紛争の早期解決に努力することで合意している。 (US and China vow closer co-operation) ロシアは、冷戦末期に米国より先に自国が破綻した経験を持つこともあり、米国の覇権が破綻すれば良いと考える傾向が強いが、中国は、もう少し米国の覇権に協力的だ。リーマンショック以前に、米国が中国にG8に入れと誘っていたら、中国は入っていただろう(実際、米国は中国を誘っていない)。リーマンショック以後、米国は、ドルの基軸通貨性、健全な国際金融システム、まっとうな外交姿勢と国際機関の運営など、世界を運営していく能力が崩れたままだ。米欧が衰退し、中露などBRICSが台頭する多極化が進んでいるのに、米国は中露と協調せず敵視し、好戦的な外交姿勢や、身勝手な世界運営を続けている。 (China Shuns US And Invests Direct In Iran Oil-Fields) しかたがないので中国はロシアに接近し、BRICSや上海協力機構など米国に頼らない国際組織を拡充し、ドルでなく各自の通貨を使った貿易を拡大し、国連機関の主導権を米欧からBRICSに移そうとしている。昨年から米国が「アジア重視」の名のもとに中国敵視を強めていることは、中国に、米国の世界運営に協力しようと考える気持ちを萎えさせ、米国に頼らないBRICSや途上諸国による世界運営を強化する気にさせる。米国が日本やフィリピンをけしかけて中国と敵対させるほど、中国は米国の世界運営に協力しなくなり、ロシアと同様、米国の覇権を潰そうとする姿勢に傾く。 (China Shuns US And Invests Direct In Iran Oil-Fields) 中国の外交戦略は従来、米国の覇権に協力する傾向が強い外交部(外務省)が決めてきたが、近年は反米的な軍部(人民解放軍)が政治台頭し、米国の覇権を潰してしまえという論調が中国の上層部で強まっている。外交部の系統の外交官や学者の多くは米英留学組であり、軍の幹部から見ると「あいつらは米英に洗脳されたエージェントだ」という話になる。中国では、市民の間でも反米的な世論が強まっている。 (China's Hawks in Command) そんな中、中国では今年から来年にかけて、胡錦涛から習近平に権力が移る。習近平は、できるだけ早く権力を掌握するため、軍や世論との齟齬を嫌い、胡錦涛よりも反米的な外交姿勢をとると予測される。米国が日本やフィリピンを操って中国を敵視するほど、中国の上層部や市民が反米嫌いを強め、引きずられて習近平の姿勢も反米的になる。中国が本気で米国を敵視するようになると、米国債を買わなくなって米政府財政とドルの破綻を誘発したり、世界運営の主導権を米国からBRICSに移行させたがるだろう。 (Is the PLA a Paper Dragon?) 米国にそそのかされ、日本やフィリピンが中国敵視策を強めるほど、中国は米国の覇権を壊す気になる。今秋から来年にかけて米国で金融や財政の危機が起こる確率が高まっている。この時期に米国が中国を反米の方に押しやると、危機と中国の両面から、米国の覇権が崩されかねない。 (How Bernanke will cause the next crash before 2014) 米国の覇権が崩れると、日本やフィリピンは国是である対米従属ができなくなり、代わりに対中従属の傾向を強めざるを得なくなる(日本は鎖国の傾向も強まる。フィリピンの上層部は華人が多いので、特に対中従属が強くなるだろう)。中国を敵視しているつもりが、実は中国を強化していることになる。米国は、中国と協調すれば覇権を延命させられるのに、逆に中国敵視を強めており、覇権の瓦解を自滅的に前倒ししている。 (`US self-destruction a matter of time') 米国の右派からは「フィリピンのために戦争するのは馬鹿げている」という論調も出ている。自国の自滅を避けるには、この視点がまっとうだが、こうした論調は米国で全くの少数派だ。この主張をしているダグ・バンドウは、米軍を日韓に駐留させる必要はない、日韓は十分に自衛できると言い続けてきた人でもある。 (No War for Manila By Doug Bandow) ▼多極型世界と日本の行方 先日、ロシアのメドベージェフ首相が国後島を訪問した。この外交的行動も、日本が米国にそそのかされて中国敵視を強めていることと関係ありそうだ。メドベージェフは大統領だった2010年11月にも国後島を訪問したが、この時は、対米従属政治家の筆頭だった前原元国交相が同年9月、尖閣諸島沖で操業していた中国漁船の船長を逮捕して日中間の敵対関係を意図的に強めた直後だった。日本が米国の差し金で中国敵視を強めるたびに、メドベージェフが「絶対返さないぞ」という感じで国後島を視察しにくる。 (メドベージェフ北方領土訪問の意味) 自国の極東シベリア開発を進めたいロシアは、一方で、日本との関係を改善して、外国勢として中国だけが極東シベリア開発に投資している現状を多様化したい。だが他方、日本が中国敵視を強めるたびに、ロシアはその喧嘩を勝手に買い、北方領土を訪問して中国を応援してみせる。プーチンが日本に「仲良くしよう」と言う一方で、メドベージェフが日本に「島は絶対返さないぞ」と言う役割分担になっているようにも見える。 (Russia-Japan territorial row flares up) 今後、米国(米英)の覇権が崩れて世界の覇権体制が多極型に転換すると、世界における日本の位置づけは、従来よりかなり低下するかもしれない。米国の覇権体制は、英国の覇権を継承したものだが、英国の覇権構造は19世紀から20世紀前半の海軍の時代に作られた「ユーラシア包囲網」だった。そこにおいては、ユーラシア大陸の英国の反対側の端にある、英国の鏡像的な位置にある島国の日本は、非常に重要な地理的な位置を占めていた。 だから英国(欧州列強)は、中国や東南アジアを植民地化したのに、日本だけは独立と近代化・工業化・軍事大国化を許し、支援した。米国の冷戦構造も、英国のユーラシア包囲網の焼き直しだから、戦後も日本は地理的に米英にとって重要だった。日本が近代化に成功した理由は、日本人の勤勉性よりも、地理的な位置だったのかもしれない。数年前から米英の覇権が崩れると同時に、日本は元気のない国になってしまった。 多極型の世界は、これまで包囲されていた中露などユーラシアの内側が、多極化された覇権の一端を担う。ユーラシア包囲網の概念は過去のものとなる。今後、日本が覇権体制の道具として重視されることはなくなる。逆に言うと、きたるべき多極型の世界構造の中で、もし日本が再び発展して隆々とした国になれるなら、それこそ日本人の勤勉性の結果であると言える。 ●過去の関連記事
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