民主化するタイ、しない日本2012年2月29日 田中 宇日本とタイは、政治権力の構造が似ている。両国とも、表向きは自由選挙が行われる「民主主義体制」だが、民意に基づいて選出された政治家の権力行使を阻止する官僚機構(タイは軍部と王室などの複合体)が強く、民主的に選ばれた政治家が権力を発揮できず、実質的な官僚独裁体制が続いてきた。日本もタイも、民主国家のように見えて、実は民意と関係ないところで国家意志が決まる非民主的な官僚独裁の体制である。 日本もタイも、欧米列強の植民地に長期間なったことがないので、古くからの権力機構が近代化しつつ生き残っている。日本の官僚機構は、明治維新で権力を握った薩長が江戸幕府の経済機構受け継ぎつつ改組近代化して作り、第二次大戦の敗戦後、官僚機構が政治家と軍部の権力を排除し、天皇の代わりに米国を象徴的な権力者として抱く体制に転換して生き延びた。皇室は終戦後、官僚機構の一部である宮内庁に管理監督されることに同意した。裁判所、マスコミ、学界(大学)なども、官僚機構の傘下にある。 (日本の権力構造と在日米軍) タイも、20世紀初頭からの近代化の過程で、表向き議会が権力を持つ立憲君主制となったが、議会が政治力を持ちすぎると、軍部がクーデターを起こし、国王が軍部と政治家を仲裁することによって政界の権力が制限され、議会(政界)の権力が一定以上に伸びないようになっていた。官僚機構、裁判所、学界などが、王室と軍部の複合体の中にいる。 (タイのタクシンが復権する?) アジアの他の国々の多くは、植民地になった歴史を持つ。植民地になった段階で土着の権力機構が破壊され、再び独立した後には、日タイのような土着の隠然権力機構ができず、社会主義独裁や一人独裁、露骨な軍事独裁など、日タイより単純な権力構造しか持っていない。 国際的に見て、日本は、選挙時の不正が非常に少ない(たぶんいくつかの欧州諸国と並んで)。民主主義の模範国を自認する米国も、実は選挙不正が多い。投票機の不正ができるソフトウェアの不具合が放置されていたり、すでに死んでいる人や選挙区から転出した人々が、有権者名簿に多く含まれていたりする。米国をはじめとする世界の多くの国々では、権力機構がこっそり独裁体制を維持するために、選挙不正が行われる。 (アメリカで大規模な選挙不正が行われている?) (Study: 1.8 Million Dead People Still Registered To Vote) 日本は、選挙不正が米国などより格段に少ない。それは、選挙で誰が当選して国会議員や首相になろうが、官僚機構があらゆる手を使って、政治家が官僚機構の意に反する意志決定を行ったり官僚潰しを画策したりすることを防ぐので、選挙の段階で不正をやって当選者を操作する必要がないからだろう。09年秋の与野党逆転以来、政界による官僚潰しが画策されたものの、失敗している。 官僚を敵視すると、官僚機構傘下のマスコミに悪いイメージを塗りつけられるので、苦労して当選した議員たちは官僚と敵対しない。官僚の傀儡になった方が、良いイメージで報道してもらえるので、口だけ官僚批判して、実際は官僚の傀儡になる者が多い。日本では10年ほど前から、一般の人々の中に政治家をめざす人が増えているが、上記のような事情があるので、日本の政治家は、国政・地方政治とも、当選までの苦労が多い割につまらない仕事であると、私には思える。 ▼タイはタクシンがいるので民主化するが、日本は・・・ ここまで日タイの類似性を書いたが、良く似ていたのは少し前までの話だ。ここ数年は、日本とタイの政治状況が大きく異なってきている。タイにはタクシンがいるので民主化(政治の政界主導化)が進んでいるが、日本には同様の存在がいないからだ。もしくは、09年秋の政権交代以後、日本でタクシン的な存在になるかもしれなかった小沢一郎らが、官僚機構との闘いに勝てない状態が続き、日本は「真の民主化」の面で、タイより遅れた国になっているとも言える。タイの近代政治史上、最も人気がある政治家であるタクシン・シナワットが、人気を背景に、どのようにして官僚機構(王室+軍部)と闘ってきたかについては、昨年4月の「タイのタクシンが復権する?」という記事に書いた。 (タイのタクシンが復権する?) 昨年7月3日の総選挙で、タクシンの政党である「プアタイ(タイ貢献党)」が勝利し、タクシンの妹であるインラック・シナワットが首相になり、今に至っている。プアタイとタイ軍部の間では、政権をとったプアタイが軍部からの権限の剥奪を試みず、タクシン自身の帰国も画策しない代わりに、軍部はプアタイを倒すクーデターを起こさないという秘密協定が結ばれているといわれている。そのせいなのか、7月にプアタイが政権をとってから半年間、タイ政界は比較的安定している。 (◆タイ総選挙でタクシン派が勝ってどうなる?) だが、この安定は近いうちに再び崩れ、プアタイと軍部との闘い、プアタイ支持の赤シャツ派と、反プアタイ(王室支持)の黄シャツ派との衝突が再開されそうだ。シナワット政権は、文民の防衛相が、制服組の将軍たちの人事を決定できるよう、法律を改定することを検討している。これは、政界(議会)が軍部を抑え込むことを意味し、タイの官僚機構(王室+軍部)と政界との百年の暗闘そのものである。シナワット政権が昨年の就任前後に軍部と結んだ協定を破ることにもなるので、タクシン派が軍の人事権掌握を本気でめざすと、軍部はクーデターを起こそうとするだろう。 (Thailand's Thaksin prepares for war) プアタイは、軍部がクーデターを起こす前に、先制的にプアタイ支持者の赤シャツ派の群衆を再起動させてバンコクの主要な地域を占拠させて民衆の意志表示を強め、クーデターを阻止しようとしている。以前から、軍部とタクシン派の対立が激化すると、タクシンの側近らが赤シャツ派の司令塔を作り、動員された東北地方(イサーン)からバスを連ねてタクシン支持者がバンコクに上京し、軍部や黄シャツ派との闘いが繰り返されてきた。黄シャツ派は、都会の中産階級が中心だ。今回もまた、赤シャツ派の蜂起司令部が6月までに作られそうだと、軍部が漏らしている。司令部作りは、亡命中のタクシンからの命を受けた側近が、シナワット首相に何も知らせずに行っており、暴露されても首相が引責せずにすむ仕掛けになっているという。 (Thaksin supporters turn the villages red) タクシン派は、軍の人事権を握ろうとするだけでなく、軍とその傘下の民主党(今は野党)が政権を握っていた間に作った憲法を改定したり、憲法裁判所を廃止したりしようとしている。タイ議会の上下院は2月24日、憲法改定に向けた検討を行う委員会を設置することを可決した。憲法改定は、軍部の権力を削ぎ、タクシンが亡命先から帰国できるようにするためのものだ。 (Thailand's Detente Threatened) 王室批判を許さない不敬罪の廃止も検討され出した。タクシン派の議員団は、軍の肝いりで作られた憲法裁判所と行政裁判所を廃止し、高裁に権限を統合すべきだと言い出している。日本でも、検察が、小沢一郎に針小棒大の陸山会事件の濡れ衣をかけるなど、検察や裁判所は公正からほど遠い官僚機構の一部であるが、タイも同じだ。日本とタイの違いは、タイではタクシン派が半年間の軍部との暫定和解を破り、軍部から権力を奪う動きを再開したことだ。 (Thaksin ally in push to axe courts) タイは、すでに司法界も暗闘状態になっている。反タクシン派の黄シャツ市民運動の指導者が、自分の企業の決算をごまかしたし罪で起訴され、最近20年の有罪判決を受けた。対照的に日本では、小沢一郎が無罪になりそうだと言われているものの、陸山会事件で無罪になっても、検察が別の濡れ衣をかけるかもしれない。日本の「民主化」は、タイよりだいぶ遅れている。 (Thai protest chief gets prison for financial crime) ▼隠然独裁を顕在化した民衆衝突の混乱 タイは赤シャツ群衆と黄シャツ群衆の反乱や衝突が長く続いている。この事態は政治的・社会的混乱がひどくて良くないことだと、悪いイメージで批判して語られることが多い。「あんな混乱は日本で考えられない。タイは遅れてるね」というのが、大方の日本人の感想だろう。しかし「真の民主化(政界による王室軍部独裁の打倒)」が、タイにとって長期的に良いことであるとするなら、赤シャツと黄シャツが延々と衝突して混乱したことは、タイに必要なことだった。 タイの王室軍部独裁は、日本の官僚独裁と同様、隠然と維持されている。事態が安定している限り、独裁の構図は露呈せず、人々は皆、タイも日本も民主主義国だと思っている。この状態でタクシンが政権をとり、王室軍部から権力を奪取しようとしても、マスコミや司法界から攻撃されて悪いイメージを塗られ、挙げ句の果てにクーデターで失脚させられてしまう。日本は、軍部こそ政治力がない(官僚機構の一部だ)が、小沢・鳩山は09年秋に政権をとったものの、マスコミや司法界から攻撃され「悪者」にされている。 ここまでタイと日本で同じだが、この先は異なる。タイではタクシンの地盤だったチェンマイや東北地方といった地方の人々が、地方行政を軽視してきた従来のタイの行政に反対し、地方重視を掲げたタクシンに大挙して同調し、赤シャツ派を形成し、軍部によるタクシン潰しを民衆蜂起で阻止しようとした。タクシン派は赤シャツ派を扇動したが、同様に軍部は都会のリベラル市民を扇動して黄シャツ派として動員し、赤と黄が激突した。タイの官僚機構(王室軍部)はマスコミや司法を使って、タクシンに「独裁者」のレッテルを貼り、黄シャツ派は世界的に流行っていた「カラー革命」の構図に乗って「タクシンは自分のビジネス利権拡大のために首相をやっている」「タクシンの独裁政権を転覆しよう」と呼びかけた。 だが、激突が長引くほど、王室軍部はこれまでのように隠然と権力を維持できず、権力を維持するために露骨なやり方をとらざるを得ず、人々の目に自国の権力構造が明らかになった。タイの人々は、自国が民主的でないと自覚するようになり、議会が権力を持つ民主主義の基本を実現することの重要性に気づき、プアタイが選挙に勝つ結果となった。混乱が隠然独裁を顕在化し、民主化に拍車をかけた。 タイと同様、日本でも、09年秋に与党となった民主党が、民衆を扇動して決起させようとした。その最大のものが、沖縄の人々を煽って普天間基地の辺野古移転に反対させ、日本の官僚機構が隠然と権力を維持するために保持している対米従属の構図を崩すことだった。 (沖縄から覚醒する日本) だが、沖縄と本土(ヤマト)の文化的な差異を乗り越えて沖縄の反基地運動が本土に感染することはなかった(だからこそ沖縄返還時に官僚機構は沖縄だけに米軍基地を集中させた)。そのうちに鳩山小沢潰しの官僚機構(マスコミや司法)の反撃が強まり、民主党内からも前原誠司ら官僚傀儡・対米従属の派閥が強くなり、民主党の沖縄扇動策は腰くだけとなった。沖縄の人々は「民主党に期待したのに裏切られた」と非難し、民主党は沖縄で解散状態となっている。 米国には、世界中の人々が政治覚醒(して反米運動が世界を席巻)するのが良いんだと言う、ズビグニュー・ブレジンスキーのような「隠れ多極主義者」がいる。だから米政府は最近、辺野古の基地建設をあきらめる決定をした際、普天間基地の海兵隊の移転先をグアムだけでなく、岩国基地(山口県)の増員も良いのでないか、と日本政府に打診した。本土の基地の米軍を増員すると反基地運動が本土に感染しかねないので、日本政府は、すぐに強くことわった。米国は、反基地運動が本土に感染することをひそかに狙っているかのようだ。対米従属を続けたい日本の官僚機構は、国内の反米感情の拡大をとても恐れている。 (世界的な政治覚醒を扇るアメリカ) 昨年3月11日の大震災は、さらに官僚を有利にした。日本人の全員が「きずな」を大事に(官僚機構のもとに)結集して復興に取り組みましょうという標語が、あらゆる場所に貼り出された。タイのように、官僚機構の支持・不支持で国論を二分して対立するなんてとんでもない、という雰囲気を永続化すべく「震災の教訓を忘れるな」という標語も飛び交っている。このような状況下で、たとえ小沢一郎が陸山会事件で無罪放免になっても、官僚独裁を崩す何らかの有効策を打てるのかどうか、かなり疑問だ。 とはいえ、日本の政界(小沢一郎ら)が官僚機構と闘うために扇動・動員できる群衆は、沖縄の人々だけでない。最近は橋下徹が率いる大阪の人々が、東京の官僚権力と闘うリジョナリズムの政治力として自覚を強めつつある。大阪(関西、上方)は、かつて東京をしのぐ経済面・文化面の力を持っていたが、明治維新後の官僚機構による中央集権で力を吸い取られて月並みな地方都市へと堕落し、財政難で意気消沈している。 (日本の政治再編:大阪夏の陣) 橋下率いる大阪リジョナリズムは、大阪の人々に新たな生命力と政治覚醒を吹き込む。ナショナリズムが対米従属に換骨奪胎されている日本で、リジョナリズムが新たな政治力になるかもしれない(百年間の中央集権の収奪の歴史を考えると、あまり期待できない気もするが)。民主党は09年秋に政権をとる前から、官僚機構を崩すために地方分権によって権力を東京の官僚から奪って地方に分散してしまう「マッカーサーの(初期戦略の)やり直し」を画策していた。橋下は、09年から地方分権運動の指導者だった。 (民主党の隠れ多極主義) 東京の「知識人」たちの中には、橋下を嫌い、彼の人柄を非難する者が目立つ。東京の人々は、官僚権力のお膝元だけあって、マスコミなどが発するプロパガンダに絡め取られやすいようだ。タイでバンコクの知識人たちが、リベラルを気取っているうちに王室軍部のプロパガンダに絡め取られ、タクシンを嫌って黄色いシャツを着てしまうのと同じ構図かもしれない。
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