世界経済多極化のゆくえ2010年6月20日 田中 宇6月18日、ロシアのサンクトペテルブルグで開かれた「ロシア経済フォーラム」でメドベージェフ大統領が演説し、その中で「金融危機や国家財政破綻によって欧米中心の旧来の経済システムが崩れた後、それに代わる世界経済の新秩序を作るための主導的な役割を、他の諸国と共同して、ロシアが果たす」と述べた。 (Medvedev sees opportunity for new world order) (メドベージェフ演説の動画) メドベージェフはこの演説で、ドルだけが国際基軸通貨(備蓄通貨)である状況から世界を離脱させるため、中国やインドの首脳と、BRICサミットや上海協力機構などの場で話し合い、中国の人民元やロシアのルーブル、インドのルピーを基軸通貨にしていく話し合いをしていることも明らかにした。 (Medvedev Talks Up Ruble as World Reserve Currency of the Future) メドベージェフがこの手の提唱するのは今回が初めてではない。2008年秋のリーマンショックの直後から、彼は同じような主張を言い続けてきた。メドベージェフの主張は「米欧は巨大な金融財政危機の結果、単独で世界を支配していくことができなくなった。だから覇権を多極化し、中国やロシア(インド、ブラジル、EU、米国?)といった諸大国が共同で世界を運営し、複数の基軸通貨を持つ新世界秩序へと世界を転換しよう」という提案である。米国はこの提案を受けて、世界経済の意志決定を行う中心機関をG7からG20へと変えた。 (Medvedev, Russia Call for New World Order November2008) (世界システムのリセット) とはいえメドベージェフは、08年から09年にかけて繰り返していたこの主張を、その後しばらく発せず、今回は久々の「多極化節」の披露だった。メドベージェフは09年夏、ドルに代わる「世界通貨」の金貨(多極型の新世界秩序の通貨にふさわしく「多様性の中の統合」と刻印してあった)を試作してサミットに持参し、各国首脳に見せるというはしゃぎぶりだった。だがその後、米国の金融はレバレッジ再拡大の試みによって意外に延命し、今年は年初来のギリシャなどへの投機筋の攻撃によってユーロが崩れ、相対的にドルが延命する事態となっている。 (Medvedev Shows Off Sample Coin of New `World Currency' at G-8) メドベージェフは今回「人民元を国際基軸通貨のひとつにするための話し合いを、中国の首脳と行った」と明らかにしたが、それは昨年夏の上海協力機構のサミットで、もう1年も前のことだ。メドベージェフはさかんに基軸通貨の多極化や脱ドル化を提唱するが、中国は消極的だ。昨年のサミットでも、おそらく胡錦涛がメドベージェフの提唱を聞いて「貴国の提案は理解しました」と返答しただけだ。 (Russia Backs Stronger Rivals to dollar) (中国人民銀行は6月19日、人民元のドルペッグをやめる方向を示したが、これはG20サミットで中国にドルペッグをやめろという圧力が欧米とBRICの両方からかかったため、批判をかわすために発した決定だ。転換の時期は明らかにされず、具体性に欠けている。人民元は3年ぶりに、ドルペッグから、ドルやユーロなどの通貨バスケットに対するペッグに戻るが、今はユーロ安であるため、むしろこの転換によって人民元の対ドル為替は下がるとの見方もある) (China forex move could thwart U.S. hopes - Roubini) 中国の人民元はドルにペッグしたままで、インドも政治的に対米従属の姿勢を崩したがらない。ロシアが旗を振っても多極化は進まず、メドベージェフももう多極化への提案をしないのではないかと、多極化ウォッチャーの私は思っていた。しかし、今回のメドベージェフの演説によって、ロシアがまだ多極化の構想を持っていることが示された。 ▼多極化の行方を決めるのは米国 今後、米国の金融システムが再生していくなら、メドベージェフの提案は、たわごととして消えていくだろう。だが逆に、米金融がこの先再び不安定さを増すとしたら、メドベージェフの提案が劇的に実現する可能性が出てくる。事態の行方を決定する要素は、ロシアや中国の側ではなく、米国の側にある。 ここ数カ月、金融危機という言葉は米国ではなくユーロ圏の状況を示すものだったが、その影で、米金融の構造的な危険性の増加を示唆する動きが続いている。6月16日には、米政府系の住宅ローン金融機関の2社であるファニーメイとフレディマックが、ニューヨーク証券取引所で上場廃止になることが決まった。NY証券取引所では、株価が1ドル以下の相場が1カ月以上続いた銘柄を、資産価値がないと見なして上場廃止にするが、住宅金融2社はこれに該当した。 (Update: Fannie, Freddie Delisting Signals Firms Have No Value) 米国では住宅価格の下落に歯止めがかからず、住宅金融2社の資産(ローン債権)は大幅に減価し、米政府の救済策(債務保証や資金供給)で何とか存続している。2社の不良債権は1兆ドルを超える。2社がなくなると米国民の多くが住宅ローンを組めなくなるので、政府や議会は2社を潰せない。上場廃止によって民間資金をあてにできなくなり、2社を国有化するしか手がなくなったが、それは米政府の財政負担を急増させる。 (It's Time to Nationalize Fannie and Freddie) 6月18日には、グリーンスパン連銀前議長が「米政府が財政赤字を増やし続けると(どこかの時点で投資家が米国債に対するリスク感を急に感じるようになり)短期間で米国の長期金利が高騰し、そこから先、米政府は赤字を増やせなくなる。今はまだ金利は低いが、現状がずっと続くと慢心してはならない。米政府は、もう赤字を増やせないところに来ている」と警告する論文をWSJ紙に発表した。 (U.S. Debt and the Greece Analogy By ALAN GREENSPAN) グリーンスパンは赤字を増やすなと言うが、米政府はファニーメイなどを救済せざるを得ない。米国は失業率も上昇し、米政府が景気対策を再開しなければならなくなる可能性も高い。カリフォルニアなど財政破綻した各州への支援も増額せねばならない。財政赤字の削減はほぼ無理で、金利高騰の危険が高まる。ジョージ・ソロスも最近「世界金融危機の2幕目が始まりつつある」と指摘している。 (Pension Plans Go Broke as Public Payrolls Expand) (Soros Says `We Have Just Entered Act II' of Crisis) 昨年からJPモルガンなどが画策してきた債券金融(ジャンク債市場)の再拡大も、うまくいかない可能性が増している。ジャンク債市場が復活すると、倒産しそうな企業でも資金調達が容易になり、倒産が減って景気が悪化しにくくなる。だが、ユーロ危機と米経済の不況二番底の懸念が増したため、ジャンク債に対する需要が伸び悩んでいる。今後の4年間で1・7兆ドルのジャンク債の借り換えが必要だが、それができない場合、米国で企業倒産と失業が急増し、景気が悪化する。 (S.&P. Warns of Rising Corporate Defaults) (◆世界金融は回復か悪化か) オバマ政権内では、債券金融の再拡大を嫌うポール・ボルカーの影響力が強く、金融界からの必死のロビー活動も今一つ効果がない。オバマは以前、JPモルガンの経営トップ(Jamie Dimon)と親密な関係だったが、ボルカーの力が強くなった今では、彼はオバマの晩餐会にも呼ばれなくなっている。 (How Obama and Dimon Drifted Apart) このように米経済は、バブル再燃の方向(金融再生)とバブル潰しの方向(金融不況)とのせめぎ合いが続いている。ロシアのメドベージェフは、こうした状況を横目で見ながら、米金融とドルが崩壊した時のために多極型の新世界秩序や複数基軸通貨制度を提唱し続け、ルーブルも基軸通貨の中に入ると宣言し続けている。 ▼多極化に消極的だが準備している中国 経済が強くない半面、欧米との地政学的な政治対決の中に置かれてきたロシアは、何とか中国を引っ張り込んで、欧米中心の従来の世界秩序を解体し、多極型に転換したいと考えている。だが、改革開放によって経済主導の国となった中国は、地政学的な事態より実体経済を重視する。実利的な中国は、米国と良好な関係を築きたいが、隠れ多極主義の米国は、中国が嫌がる問題を両国間に置き続けて関係改善を抑止し、中国をロシアの側に押しやっている。 中国政府の外国為替管理局(SAFE)は先日、金地金市場に関して「市場の規模が小さすぎて流動性に欠け、相場が不安定なので(中国の国家)資産を運用する先として適当でない」と表明した。これは、金地金市場が毎日高値を更新する中で、世界的に資産がドル(株や債券)から金に移ることを中国政府が歓迎していないことを示している。中国政府は、ドルに崩壊してほしくないのだ。 (China SAFE says Gold market too small for asset allocation) 中国がドルを支える背景には、中国が巨額のドル建て債権を持つこともあるが、それ以上に、ドル崩壊によって米国の覇権が失われると、世界が政治経済の両面で混乱し、中国が従来のように安上がりに経済発展できなくなるからだろう。貿易立国である中国は、米覇権の崩壊によってシーレーン防衛のコストが急増することを恐れている。太平洋に面した中国は、陸の大国であるロシアより、はるかに海路に依存している。 中国は、多極化を推進していないが、多極化に対する準備は進めている。シーレーン防衛のための海軍力の急速な増強はその一つだ。日本や東南アジア諸国は、中国の海軍力拡大を恐れているが、ドル崩壊が起きて米国の海軍力が後退したら、その後のアジア諸国は、中国海軍と共同でシーレーンを守ることが必要になる。経済面では、前回の記事に書いた「労働争議による賃上げを黙認して内需拡大する」という件も、米欧が輸出市場として縮小する中での、多極化対応策の一つと考えられる。 (◆中国を内需型経済に転換する労働争議) 中国は人民元の切り上げに消極的だが、その一方で、中国政府は6月17日、人民元建ての貿易決済を急拡大する方針を打ち出した。人民元建ての決済は従来、中国国内と香港とマカオの企業にしか許されていなかったが、今後はあらゆる国の企業が申請できるようになる。おそらく中国は今後、欧米や日本との取引にドル円ユーロなどを使う半面、BRICや途上諸国との取引には人民元を使う傾向を強めるだろう。 (China expands yuan trade settlement programme) メドベージェフ式に言うなら、ドル円ユーロの取引は「旧世界秩序」の経済圏で、人民元(やルーブル、ルピーなど)の取引は「新世界秩序」の経済圏になる。これは「欧米経済とは別の存在として新興市場経済が形成される」という「デカップリング」の一つの現象である。ドルの覇権は、旧世界秩序の範囲にのみ及ぶ。米日のマスコミや当局は、新世界秩序の存在をほとんど無視している。この先、ドルがずっと延命したり、中国経済が崩壊したりすると、新世界秩序の経済圏は拡大せず、縮小・消失するかもしれない。旧秩序の中にどっぷり浸っている日本からも、新世界秩序の存在が見えないままで終わる。しかし逆に米国の危機が再燃してドルが崩壊すると、日本と世界は大転換の中に投げ込まれ、新世界秩序が顕在化する。 新世界秩序が拡大しなければ、ロシアはいつまでも石油ガスのみに頼る国であり続けるが、中国は事実上のドルペッグをしたまま経済成長を続ける(バブル崩壊があるかもしれない)。メドベージェフが提唱するとおり、旧世界秩序が崩れて新世界秩序が台頭すると、人民元は複数ある基軸通貨の一つとなる。日本は、鳩山・小沢が提唱していた東アジア共同体を再び模索するようになるだろう。多極化が進むかどうかは、中露の側ではなく、米国が経済面で危機を乗り切るか、それとも危機が再燃するかということにかかっている。
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