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中国を内需型経済に転換する労働争議

2010年6月14日   田中 宇

 中国・広東省などの工場で、労働争議が起こったり、職場環境の悪さが国際問題となった末に、従業員が3割から2倍という大幅な賃上げを勝ち取るケースが相次いでいる。 (Chinese labour unrest spreads

 広東省の仏山市にある、変速機などを製造する本田技研工業の部品工場では、5月17日から賃上げを求める従業員のストライキが発生し、5月末にホンダは24%の賃上げを認めた。だが、ストの指導者が解雇されたことに労働側が怒り、その後もストが再発している。ホンダの仏山工場は、同社の中国の他の3つの工場に変速機などの重要部品を供給してきたが、仏山工場から変速機などが届かないため、ホンダは中国のすべての工場の稼働を停止する事態にまでなった。 (New strike erupts at Honda plant

 世界不況をしり目に中国では自動車や二輪車の売れ行きが伸び、ホンダの中国での販売は、4月に前年同月比3割増の6万台弱だった。それだけに操業停止は同社に打撃だ。中国に進出している外国の大手製造業の工場が労働争議で操業停止に追い込まれたのは初めてのため、欧米の財界もホンダの争議を注視している。米国の自動車労組UAWは、重要部品の製造工場でストを行うことで、その会社のすべての製造ラインを止めてしまう戦術を得意としてきたが、仏山ホンダの労働者は、それと同じ巧妙な手法を採っており、今後の中国の労使関係の全体を変質させてしまうかもしれないと、米国で論評されている。 (Honda Strike Becomes a Rallying Point in China

 ホンダの仏山工場では1600人の従業員の約半分が、月給500元(7千円弱)程度の低賃金の見習い工、残りの一般従業員も月給は1000元(1万3千円)ほどで、他の工場の中には、ホンダの賃金の2倍もらえるところもあると指摘されている。ホンダの仏山工場は、他業種の工場より低賃金で稼働することで利益を確保する戦略だったと報じられている。 (Honda Strike Workers Propose Own Terms to End Protest

 6月1日には、自動車工場の労働争議が、仏山のホンダから北京の現代自動車の工場に飛び火した。ブラザー工業の西安の工業用ミシン工場や、上海近郊の台湾系の工場などでストが起こり、米国のヤム・ブランズ社が経営する瀋陽のケンタッキーフライドチキンやピザハットの68店舗でも、昨年12月以来の労働争議の末に3割の賃上げ(月給700元から900元へ)が実現された。 (Labor woes spread to Beijing Hyundai) (Yum!'s KFC employees finally get long-awaited wage adjustment

 中国では08年から労働契約法が施行され、有給休暇を与えることを雇用者に義務づけたり、解雇の条件を厳しくするなど、労働者に対する保護が強められた。その後、中国の労働者は権利意識を強め、広東省や揚子江流域の工場で賃上げを要求する労働争議が起きるようになった。だが、そのほとんどは中国国内企業の工場で起こり、中国企業は地元の役所や共産党支部と良い関係にあることが多いため、争議はほとんど報道されず、外部に知られなかった。しかしここに来て、外国企業の工場で争議が頻発し、中国政府内にも賃上げ要求を容認する動きがあり、大騒ぎに発展した。 (Is the Cheap Chinese Labor Party Quickly Coming to an End?

▼アップルなどがイメージ維持のため賃金倍増

 最近、仏山のホンダと並び、中国の内外で大きく報じられている中国の労働問題は、台湾の電子機器メーカー、フォックスコン(富士康)の、広東省深セン市にある龍華工場における、従業員の相次ぐ自殺についてだ。この工場は30万人が働く巨大なもので、そこで今年に入って未遂も含めて10件の従業員の自殺があった。中国の平均自殺率は10万人あたり14人前後(1999年の統計)なので、30万人の工場では年に40人程度の自殺者が出たとしても特に自殺が多いということにならないが、中国や欧米のマスコミでは、フォックスコンの労働環境が悪いので自殺者がたくさん出ているといった報道が5月から続出した。 (Apple, and Foxconn's "Suicide Cluster"

「フォックスコンの自殺」が世界的に注目されたのは、この巨大な工場が、世界最大の電子機器の受注生産工場で、アップルのiパッドやiフォン、iポッド、ソニーのプレイステーション、任天堂のWii、デルやHPのノートパソコン、アマゾンのキンドル、モトローラの携帯電話、インテルのマザーボード、マイクロソフトのXbox360など、世界的に有名なメーカーの人気商品の躯体や電子基盤を作っていたからだ。フォックスコンは台湾の鴻海グループの一部で、鴻海(ホンハイ)は1970年代にコネクターなど電子部品のメーカーとして発祥した。 (Foxconn From Wikipedia

 フォックスコンの自殺報道で特にビビったのはアップルだった。アップルの製品は、機能面だけでなく「かっこいい生活様式(ライフスタイル)」の一部として世界の人々の人気を博している。メーカーが環境保護、人権重視を守っていることと並んで、製造現場の労働環境が良いことが「かっこいい生活様式」の製品に必要だ(人権や環境を口実とした経済制裁などが、米英中心の世界体制を維持する米英の戦略を構成していることを考えると、こうした生活様式の希求は軽信の結果であり、偽善と気づかずに偽善をやっていることになるが)。 (Apple "Saddened and Upset" By Foxconn Suicides

 アップルは、フォックスコンの労働環境の問題で、以前から濡れ衣的なイメージダウン攻撃をかけられてきた。深セン工場でiポッドを作っていた06年、労働虐待があるという通報があり、それが「iポッド搾取工場」と国際報道されて問題となり、アップル社が特別調査団を深センの工場に派遣した。結局、労働虐待の通報は無根拠だという結論になった(むしろ従業員が賃金を稼ぐために上限を超えて残業したがることが問題になった)。 (Was Your IPod Made in a Sweatshop?

 08年には、iフォンの試作品が外部に流出した問題で、調査を受けた従業員の一人が飛び降り自殺したため、また「下請けの中国工員を自殺に追い込むアップル」的なイメージ報道が世界的に広まりかけた。そして今回、iパッドの世界的ブームの最中に、再びフォックスコンの自殺問題が過大に持ち上がっている。 (Foxconn employee committed suicide over iPhone leak interrogations?

 フォックスコンは、アップルなど欧米日の元請け各社が求める労働環境の維持と、受注価格の安さとの間で板挟みになってきた。フォックスコンが受注製造で急拡大した理由は、受注価格が安いのに製品の不良率が低かったからだ。フォックスコンの経営者である郭台銘は、iフォンの製造を当初利益ゼロで受注したとされる。受注価格の安さは低賃金につながるが、不良率の低下は工場内での従業員に対する厳しい監督を必要とする。低賃金で労働効率を上げ、しかも労働環境も良くするのは難しく、軍隊式の訓練も行われているといわれる。フォックスコンは毎年アップルやマイクロソフトより多額の利益を計上している。 (Why Apple is nervous about Foxconn

 すでにiパッドは世界的な入荷待ち状態になっており、アップル社はフォックスコンでの製造体制を崩せない。フォックスコンは、今回の自殺騒動を受け、従業員の待遇改善として賃金を2倍にする(約千元から2千元へ)ことを決めた。賃上げによるコスト増は、アップルなど米欧日の元請けメーカーが負担するという。 (Foxconn raising factory salaries again

 今回のフォックスコンの案件が特異なのは、仏山ホンダなどと異なり、フォックスコンの従業員は争議を起こしていないことだ。欧米のマスコミが「アップルの搾取工場」などと騒ぎ、窮したアップルなど元請け各社とフォックスコンが対策として従業員の給料を倍増した。

▼争議拡大をむしろ煽る中国政府

 ホンダもフォックスコンも、中国の工場は労賃の安さを使った薄利多売の事業型だった。これまで中国に工場を作る欧米日の企業の多くは、この事業型だった。ところが、ホンダもフォックスコンも3割から2倍という大幅な賃上げを余儀なくされ、この余波で他の中国進出企業の工場でも早晩賃上げが必要になるだろうから、低賃金労働を当てにして中国に工場を作る事業型は今後、続けられなくなっていく可能性が高い。中国では一人っ子政策の影響で、若年労働者の数がしだいに少なくなり、広東省の工業地帯(珠江沿岸)の工場の9割が人手不足を訴えている。その面からも、低賃金労働型の工業生産は中国で望めなくなっている。 (As China's Wages Rise, Export Prices Could Follow

 賃上げが全中国の工場に広がったら、中国は「世界の工場」であり続けられなくなり、経済破綻しかねないので、どこかで中国政府が抑圧に入り、天安門事件的な労働争議の弾圧が起き、中国は政治混乱していくと、考えられないこともない。しかし実際には、中国政府は労働争議を止めるどころか、むしろ逆に争議や賃上げを煽っている。

 中国各地で増えている労働争議の主導者たちは携帯電話や、ネット経由のチャット(QQ <URL> )を使って情報交換し、戦術を教え合い、賃上げ要求額を横並びに設定して要求を通りやすくしていると、人民日報傘下の環球時報などが報じている。だが中国政府は、国民の携帯電話やインターネット利用を傍受できる態勢にあり、労働争議の主導者たちを検挙して拡大を阻止することは簡単だ。中国政府がそれをしないどころか、共産党系の環球時報が「労働者は覚醒し、新たな情報交換の技術を活用し、発言力を強くしている」などと、スト参加者の方を持ち上げている。 (Strikes call for collective bargaining - is there change ahead for China's workers?

 6月2日の環球時報の社説は「この30年間の改革開放の中で、経済拡大の恩恵に最もあずかっていないのは、一般の工員だ。これまで中国では労働者の権利が十分に保護されていなかった」「先進国の労働者は頻繁にストライキをやる(だから中国人がやるのは不思議ではない)。今の中国に必要なのは、労働側と企業側をうまくつなぐ仲裁機関である」とも書いている。 (Strikes call for collective bargaining

 この社説を見てFT紙は「中国政府が、報道機関を通じて賃上げを容認した。中国が低賃金労働に頼る労働集約型産業によって発展した30年間の一時代が終わった」という趣旨のことを書いている。 (Change is clearly afoot in China

▼賃上げと内需拡大、人民元ドルペッグの関係

 中国は、欧米や他の新興諸国から「輸出主導型の成長体制から内需で経済成長する体制に、早く転換してほしい」と圧力をかけられている。従来、圧力をかけるのは欧米だけだったが、今年4月のBRICサミットでは、ブラジルやインドが、中国に内需拡大と人民元切り上げを求めた。これまで、世界最大の輸入消費国だった米国の消費力が、不況と失業増で弱まり、中国が輸出大国でありつづることは不健全だと、世界の多くの勢力が考えるようになっている。 (Filling the US-China gap

 中国が内需を拡大する手法として、低所得層である出稼ぎ労働者の賃金を引き上げることは効果がある。国家主席の胡錦涛は4月の演説で、内需を拡大するには国民所得を上げるしかないと示唆している。生活におおむね満足している中産階級と異なり、低所得者層は買いたいものがたくさんあるから、賃金を2倍(100%の賃上げ)にすると、彼らの消費は70−90%増えるとされる。中国の内需を拡大するなら、大都市のホワイトカラーではなく工場の出稼ぎ労働者の大幅賃上げが良いわけだ。 (Pay-rise time for China's workers

 急激で広範な賃上げは、インフレを激化させる。中国のインフレは3%台という危険水域に入ろうとしている。しかしインフレの原因には、人民元がドルペッグしているため、ドルが他の主要通貨(国債危機のユーロ以外)に対して安くなる傾向の中で、中国が輸入する物資の価格が上がっていることもある。広範な賃上げを容認した中国政府は、近い将来に人民元の対ドル為替の切り上げをするつもりなのかもしれない。 (China consumer price rise picks up pace

 中国から世界への輸出は4月に前年同期比で50%も増えた。対米輸出は44%増だ。人民元切り上げを要求する急先鋒でもある米議会は、今秋に中間選挙を控え「中国の対米輸出が米国の雇用を奪っている」というお得意の論法を強めそうだ。これまで中国政府は「外国から圧力をかけられるほど、人民元の切り上げをしたくなくなる」と豪語してきたが、世界の貿易不均衡をひどくしているとなれば、新興諸国の雄として、この態度をどこかで転換せねばならない。今回の賃上げ容認は、こうした転換の布石かもしれない。 (China export surge stirs US anger) (The Rise of Chinese Labor

 中国政府は、労働争議などの結果としての賃上げを容認するという受動的なやり方ではなく、低賃金労働に頼った経済構造を転換すると宣言し、最低賃金の引き上げなどを堂々とやることもできた。そのようにしなかったのは、各地の企業と地方政府との癒着が強すぎて、北京の政府が賃金引き上げの音頭をとることができないからと考えられる。

 企業の多くは、低賃金を武器に低価格で製品を作って利益をあげており、賃金の引き上げをしたくないので地方政府に贈賄や納税をして賃金上昇を止めている。だから北京の政府が音頭をとっても賃金は上がりにくい。中国にも労働組合は存在するが、共産党の地方支部の傘下にあり、地方政府が企業からの賄賂の結果として賃上げしたくなければ、組合も動かず、むしろ組合外のストライキを取り締まる。

 フォックスコンやホンダの賃上げの話は、中国のマスコミでたくさん報じられている。北京の政府は、争議を黙認し、マスコミ報道も容認し(しかし数日間の連日の報道の後、ぱったり報道が止まったりする)、時には労働者の権利を擁護する社説まで書かせ、下(草の根)から労働争議を拡大した観がある。労働者が組合や党支部に頼らず賃上げを実現したら、共産党が「労働者のための党」である以上、その後は組合も党支部も、賃上げを「良いこと」と認めざるを得ない。フォックスコンの賃上げに合わせるかのように、同工場がある深セン市は7月から最低賃金を10%引き上げて1100元にすることにした。 (フォックスコン(富士康)関連の簡体字中国語の記事一覧) (China on the brink of huge social changes

 草の根からの運動を扇動して国家の政策を転覆するやり方は、毛沢東が1960年代に学生を「紅衛兵」として決起させて文化大革命を起こしたのと同じ手法だ。(草の根を扇動して国政を動かすやり方は、意外にあちこちで隠然と行われている。日本の小沢一郎も、沖縄県民を決起させて、米軍基地を沖縄から追い出して、日本を対米従属をやめる方向に持っていこうとした。とりあえずは頓挫しているが)

 アップルはグーグルと並ぶ、米国の世界的な著名企業だ。今年初めのグーグルの検索制限問題は、米国の反中国派(もしくは隠れ多極主義者)がグーグルを巻き込んで起こした米国発の事件という感じだか、逆に今回アップルが巻き込まれたフォックスコンの自殺賃上げ騒動は、中国発の事件という感じがする。 (グーグルと中国

▼汪洋広東省党書記の発案か?

 中国政府が賃上げを容認し、低賃金労働型の産業体制を終わらせようとしているという話で、私が思い出したのは、08年11月に広東省党書記の汪洋(ワン・ヤン)が「低賃金労働に頼った労働集約型産業は、広東省で成り立たなくなりつつある。広東省は薄利多売の労働集約型ではなく高付加価値のハイテク産業を育てねばならない」と2度にわたって表明したことだ。当時リーマンショック直後の世界不況が起こり、中国政府は労働集約型の中小の加工組立輸出メーカーを保護する政策を打ち出したが、汪洋は「労働集約型の中小加工組立業を潰れるに任せ、ハイテク産業育成の好機とすべきだ」と主張し、温家宝首相ら北京政府と真っ向から対立した。 (Regions won't dance to Beijing's tune

 それから1年半が過ぎ、汪洋が党書記を続けている広東では、ホンダやフォックスコンの賃上げを通じて、労働集約型産業が主導の時代が終わり始めている。そして汪洋が主張した「ハイテク産業育成」の戦略に沿うかのように、中国政府は昨年から、国内企業の研究開発や発明を奨励している。中国政府が風力発電を奨励した結果、風力発電機の工場が中国各地に乱立し、生産過剰になるなど、中国らしい「土法高炉」「人海戦術」型の失敗も招いているが、労働集約型から脱皮する試行錯誤の一つとして見ると興味深い。(米国の前政権が奨励したエタノール精製所の供給過剰など、他国も中国を笑えないし) (China's wind power has faulty connection) (Geithner softens his stance on China) (Ethanol dream evaporates

 このほか、以前の記事に書いたように、中国のアパレルメーカーは、国内ブランドの創設に力を入れている。まだ販路は地方の中小都市だけで、大都市の人は「国内ブランドなんてダサい」と思っているようだが、これもいずれ変わるかもしれない。 (中国のバブルが崩壊する?



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