世界金融は回復か悪化か2010年5月26日 田中 宇世界の金融情勢が、米国のレバレッジ再拡大という「回復」の方向性と、ユーロ圏の国債危機という「悪化」の方向性の間で揺れている。米国経済は、失業率や不動産市場といった実体経済の面で回復していないが、錬金術的な金融システムの再生によって、経済が回復している感じが醸し出されている。今年の初めから、ジャンク債など社債やデリバティブの市場が復活して企業の資金調達が以前より容易になり、金融界限定の「ミニ金余り現象」が戻ってきて、その金が米国の株価を押し上げ、金利を引き下げ、インフレを抑える原動力となっている。 (US Home Prices Could Hit New Low: Shiller) 社債やデリバティブ市場などレバレッジの拡大は、90年代から08年のリーマンショックまで、米経済の発展の最大の要因だった。特に00年にITバブルが崩壊して以来、米経済の成長はレバレッジの拡大のみに頼っていた。リーマンショックから今春まで、社債市場は凍結され、レバレッジは縮小し、米政府や連銀による資金注入(不良債権買い取り)で穴埋めされていた。昨年後半あたりから、米金融界ではレバレッジの再拡大が試みられ、今年3月末で連銀は不良債権の買い取りをやめて「補助輪」が外された。米経済は4月から、レバレッジ再拡大に頼るリーマンショック前の状態に戻った。 (Senate's Goldman Probe Shows Toxic Magnification) 米国の銀行は、不良債権の増加を警戒する当局からの指導で、引き続き貸し渋りがひどく、米の中小企業が銀行から金を借りるのは困難だ。だが社債を発行できる企業は、資金調達が簡単になっている。 (Still No Credit Where It's Due) 市場は物忘れが早い。08年秋のリーマンショックでジャンク債に対するリスク意識が急騰したが、それから1年以上が過ぎ、再びリスク意識が下がる傾向となった。08年末、米国債の55%の価値まで下がったジャンク債の評価は、4月末の時点で、99・7%にまで上がり、優良債とジャンク債との差(リスクプレミアム)が、金融危機前のように縮まっている。この現象が「米経済は復活している」と言われる現状の、ほとんど唯一最大の原因である。(5月後半、不安定化が再燃しているが) (Junk Bonds Poised for Par as Upgrades Increase: Credit Markets) 分析者の間からは「レバレッジの拡大に頼る米経済は、再びバブル崩壊の危険が増す」との警告が出ている。デリバティブの総残高(名目値)は650兆ドルにもなり、リーマン破綻後も大して減っていない。今後レバレッジが再拡大した後、また金融破綻が起きたら、次回の破綻はもっと大きくなる。 (Crisis expert says derivatives market still 'grave threat') しかしその一方で、今春のレバレッジ復活で、これから1-2年ぐらいは米経済が延命する可能性もある。レバレッジ拡大は、これまで20年近く米経済を支えており、その間、何度かバブル崩壊を経験しつつも、しばらくするとレバレッジ拡大(バブル再燃)の構造が復活し、米経済の成長を支えることが繰り返されてきた。レバレッジ構造が破壊される時はリーマンショックに象徴されるように大騒ぎになるが、再生する時はほとんど報じられず静かに復活し、いつのまにか金融界に景気が戻る。 ▼株を上げる勢力と下げる勢力 4月には米国の株価が上昇し、レバレッジ構造が蘇生する観があったが、5月に入ってダウ平均株価が下落傾向を続けており、レバレッジを再生しようとする勢力と、それを阻止しようとする勢力が暗闘している観が増している。今、米国の株を買っている最大の勢力は投資銀行である。年金、ヘッジファンド、小口の投資家など、通常は株価の上昇時に買い手となる人々は、今回の局面で買っておらず、売り越しになっている。 (Equity rally not driven by the usual investors) 投資銀行は、債券やデリバティブで作った資金を株式市場に流し込んで株価を押し上げ、今はまだ株式市場に戻っていない他の投資家を誘い込み、株価の上昇が自走していく状況を演出しようとしている。しかし、それが成功するかどうか、まだわからない。5月後半の展開を見ると、株価下落の勢いの方が強い。悲観的な分析で知られる経済学者のヌリエル・ルービニは最近、米国の株価は20%下がりそうだと言っている。 (Stocks to Tumble Another 20%, Cash the Safest Place: Roubini) 今回の下落の発端として、5月6日、米国のダウ平均株価が1000ポイント近く急落し、すぐに再上昇する事件があった。この理由について、ディーラーが株取引の際に取引の桁数を間違えたからだとか、諸説が流布している。だがこの日、市場関係者の間には、下落しそうだという懸念があったと、関係者がFT紙に話している。入力ミスや誤作動ではなく、何者かが株価を暴落させるために売りを浴びせた可能性の方が大きい。 (Plunge in US equities remains a mystery) 米国の株式市場では当局と金融界が組み、急落が起きたら買い支える裏の機能(Plunge Protection Team)があると以前から指摘されている。5月6日は、それが発動された結果、急落が一瞬で終わり、すぐに反騰したと見ることもできる。米当局による補助輪なしで自走を再開したばかりの不安定な米国の市場を、株の投げ売りによって破壊して儲けようとした者がいたのではないか。(金融界の関係者で占められる「金融専門家」は、こうした話を頭から否定する。当局が市場を歪曲しているとなれば、個人投資家が市場に入ってこなくなり、株価が上がらず、金融界にとってマイナスだ) (Was The Market Mayhem A Mistake? Maybe Not) (Paulson re-activates secretive support team to prevent markets meltdown) ▼米政界に金融潰しの動き レバレッジシステム蘇生の画策を主導しているのは、JPモルガン・チェースやゴールドマンサックス(GS)といった米投資銀行のようだが、投資銀行による再生戦略を潰そうとする勢力は、米国の金融界だけでなく、政界にもいる。米議会では、金融改革の一環として、デリバティブに対する規制強化が検討されている。議会と連動して、米政権では大統領の経済顧問であるボルカー元連銀議長が、銀行が自己資金でデリバティブ取引を行うことを禁止しようとしている。これらの動きに対し、JPモルガンの経営者は「銀行にデリバティブ取引を禁じると、市場が急落して大混乱になる」と言って牽制している。 (JPMorgan chief warns on derivatives reform) 議会が強いデリバティブ規制を可決すると、JPモルガンやGSは利益の4割を失うとも予測されている。金融界は、米議会に対してロビー攻勢をかけ、デリバティブ規制を緩和しようとしている。法律になるのは7月の見込みで、攻防は6月いっぱい続くかもしれない。 (Study: Derivatives Rules Would Cost Banks Billions) (Derivatives Spinoff Proposal 'Goes Too Far,' Frank Says) (ゴールドマンサックス提訴の破壊力) 米ニューヨークの検察当局は、GSやシティ、ドイツ銀行、UBSなど米欧の8つの大手銀行が、自社が発行する不動産担保債券の格付けを実態よりもよくするため、債券格付け機関と結託してごまかしを行った容疑で捜査を開始した。また証券取引委員会(SEC)は、格付け機関のムーディーズが発表した格付けのやり方に関する情報公開の中に実態と異なる誇張があるとの疑いで捜査を開始している。いずれも、最終的に金融界の側が無罪になるとしても「金融界はごまかしをやっている」というイメージの醸成につながり、市場に悪影響となる。 (Eight banks face US investigation) (Ratings rethink - Debt crisis prompts fund portfolio review) ▼住宅ローン破綻を背負う米政府 米議会には金融潰しを画策する勢力がいるものの、議会は金融界からの圧力に弱い組織でもある。圧力を受けると、税金の節約より金融界の利益が優先されてしまう。米議会は連銀を査察する法案も審議していたが、修正条項が出されていく中で、抜け穴の多いものに変質してしまった。 (Senate Passes Amendment for One-Time Audit of Fed) だが逆に、金融界にとって短期的な利益となるはずの議会の決定が、長期的には米国の財政そのものに巨大な負担をかけ、金の卵を産むにわとりを殺してしまう結果になりそうな展開も起きている。それは、フレディマック(連邦住宅金融抵当公庫)とファニーメイ(連邦住宅抵当公庫)という、米政府系の住宅ローンの債務保証機関に対する公金救済の金額の枠に対して上限を設けようとする法案を、米上院が否決した件だ。 (What's big, risky, and losing billions? Fannie Mae and Freddie Mac) 米国の住宅市況は悪化を続け、ローン破綻が増えている。一般の銀行は住宅ローンを融資したがらず、政府系の抵当公庫の債務保証をつけた融資が、住宅ローン全体の96・5%を占めている。これらの公庫の債務には、米政府の保証がついている。今後、住宅市況の悪化が続き、ローン破綻が増加していくと、住宅公庫は不良債権が増えていく。それは最終的に、米政府の負担、つまり米国民の税負担となる。すでにファニーメイは11四半期連続の赤字で、米政府は毎年、公庫の赤字を補填する予算を組んでいる。 (US Government Now 96.5% of the Mortgage Market Q1, 2010) (US home financing 'sick,' needs private capital-FHA) 米政府系の住宅公庫は、住宅市況が上昇にある時期には、利益を出して民間企業のように振舞っていたが、今のように住宅市況が悪化している時は「役所」に変身する。民間企業ならとっくに潰れている事態になっても、米政府から公金注入を得て存続している。米国民は、住宅公庫の債務保証なしにはローンが組めなくなっているので、公庫の存在は社会的に不可欠だ。だが、公庫の赤字に対する公金負担は増え続ける。 (What Should We Do With Fannie and Freddie?) 米議会では、財政赤字拡大に反対する共和党から「公庫の赤字を制限するか、公庫の倒産を容認すべきだ」という法案が出され、上院では2つの住宅公庫に対する政府救済の上限額を4000億ドルに設定しようとした。だが、この法案は否決され、米政府は2つの公庫に対して無制限の救済をせねばならない状況を変えることができなかった。 ($145 Billion and Counting - Fannie and Freddie lose it all for you) 公庫2社は、合計で5兆ドル以上のローン債務保証をしている。米国の住宅市況が崩れていき、2社が破綻を余儀なくされた場合、米政府が負担せねばならない額は、AIGやベアースターンズ破綻時よりはるかに大きい。米政府は、国民が住宅ローンを組みやすくするため、今後の金融改革で新設予定の消費者保護機関を通じて、2社のローン債務保証をさらに増やそうとしている。これは、米国民に対する人気取りの政策としては良いが、米政府財政への負担を大きくし、米政府自身の財政破綻の引き金となりかねない。 (A Fannie Mae Political Reckoning) (Financial Reform Bill Is A `Disaster': Sen. Gregg) ▼ドイツはナショナリズムの拘泥から脱せるか このように米国の金融は、レバレッジの回復と、住宅市況の悪化、米政界の金融規制とがバランスした状況になっている。世界規模に視野を広げると、そこにユーロ圏の状況が加わる。ギリシャの国債危機が他の南欧諸国に拡大しそうな中、EUは5月9日、市場の予測の10倍にあたる7500億ユーロの救済融資枠を準備することを決定した。予測をはるかに上回る救済枠を設定したことで、市場は反撃の意志をとりあえず失い、その後ユーロ圏の国債市場は小康状態となっている。 (Europe prepares nuclear response to save monetary union) ユーロ圏の中核をなすドイツの政府と議会は、救済融資枠を決めた後、その財源として、G20で以前から検討されてきた世界的な国際金融取引課税の収入を使う方針を決め、国際金融課税制度の実現に向けてG20などで働きかけていくことを決めた。同時にドイツ政府は、株式の空売り(株を手当せずに先物売りする「裸売り」)を禁じ、ユーロ危機が投機筋の空売りを誘うことを抑止した。 (German governing parties call for market tax) EUの巨額の金融救済金は、調達方法の詳細が決まっていない。国際金融取引への課税を財源にするというが、課税制度はG20が以前から提唱してきたのに成立せず、今後なかなか実現しそうもない。この課税は、米国を含む世界の主要地域が同時に開始しないと資金逃避を誘発して失敗するが、米国で市場原理主義が強いので合意は困難だ。そのため米英には、依然として「ユーロ圏の救済は長続きしない」「ユーロ危機はいずれ再燃する」といった見方が強い。ドイツでも、早々とユーロに見切りをつけ、ユーロの預金をおろして金地金を買う人が増えた。 (When Risk Becomes Uncertainty by: Felix Salmon) ドイツ政府は債券格付け機関やヘッジファンドなど、ユーロ危機を誘発するすべての勢力に対する規制を強化する方針を出している。メルケル首相は「ドイツにとって最重要のことは、ユーロを守ることだ」と表明し、ドイツ国内に根強い「ユーロよりドイツの国益を優先せよ」というナショナリズムに固執する態度を超越する姿勢を強めた。ドイツがナショナリズムに拘泥していると、英米系の投機筋によるユーロ潰しが進行し、ドイツの国益自体が破壊されてしまう。 (Merkel toughens stance on financial regulation) 欧州では19世紀以来、各国のナショナリズムどうしをぶつけ合うことで相互に疲弊させ、覇権国である英国が漁夫の利を得る「均衡戦略」が英国によって続けられてきた。ドイツなど欧州諸国でナショナリズムが扇動されるほど、英米の覇権が守られる。半面、国別のナショナリズムが抑制され、EUの政治経済統合が進んでいくことは、欧州が英米覇権の拘束から脱却し、英米とは別の地域覇権主体になることを意味している。 (What Next for NATO? by William Pfaff) ドイツは冷戦後、米国の隠れ多極主義者(レーガンら)が東西ドイツ統合と抱き合わせにしてドイツに押しつけたEU統合に取り組みつつも、ナショナリズムを脱却したり、地域覇権の主体になること(多極化推進)に消極的だった。だが今回、ドイツが10年かけてマルクを進化させ大事に育ててきたユーロが、ギリシャ危機によって潰されかけている。この危機の中で、ドイツの上層部はようやく、G20など多極型の世界機構と連携するかたちで、ナショナリズムを乗り越えてユーロを防衛しようとし始めたように見える(独国内では、EU嫌いのナショナリズムの傾向も強いが)。 (◆ユーロ危機はギリシャでなくドイツの問題) (Germans turn against the EU2 as eurozone meltdown heaps misery on Angela Merkel) ▼経済統合だけ先に進めすぎたのは意図的? ユーロにとって最も重要なのは、EUが政治統合を進めることである。ギリシャ危機の原因は財政赤字の多さであり、EUが政治統合を進め、各国の財政政策を赤字削減の方向で統一できないと、いずれ同様の危機が再発する。メルケル自身「ユーロの将来は、EUの政治的な結束にかかっている」と述べている。米国のボルカー大統領経済顧問や、英国のキング中央銀行総裁も「財政政策を統合しないとユーロは解体するかもしれない」と言っている。 (Merkel-Germany can't turn back when euro threatened) (Volcker Sees Euro `Disintegration' Risk From Greece) EUの政治統合は、非常に難しい作業だ。民主国家にとって、ナショナリズムを超越することほど難しい政治事業はない(だからこそ、各国のナショナリズムをうまく操ってきた英国は、本国の経済力が衰えた後もずっと黒幕的な覇権の座にいる)。 しかしもしかすると、そもそも冷戦を終わらせて欧州を統合の方にいざなった米国の隠れ多極主義者は、政治統合を無視して先に経済統合をどんどん進め、経済統合を不可逆的な状態にするのが、国別ナショナリズムの拘束から欧州を解放するための、当初からの作戦だったのかもしれない。経済統合が後戻りできなくなった今、ユーロ圏で決定的な財政危機が起きたことで、欧州諸国は、いまさらユーロ解体を容認するわけにいかず、各国の上層部が無理矢理にでもナショナリズムを超越し、財政政策などの政治統合を進めざるを得なくなっている。 ドイツの政府と与党は、今回のユーロ救済策にともなう金融規制強化を決める際、野党にもEUにも相談せずに決定、発表した。独国内では、メルケルが民主主義を無視したと批判されているが、ナショナリズムに飲まれない方策の一つが「独裁」であることをふまえると、独与党のやり方は理解できる(EUに相談しなかったのは英米への漏洩防止策かも)。 (Germany Acts Alone to Protect the Euro and Big Banks Against Speculators) EUの政治統合は短期間に達成できるものではなく、各国のナショナリズムに凌駕されて失敗するかもしれない。その場合、ユーロは解体に向かう。しかし逆に成功した場合、EUは強化され、米英の財政赤字の方が大きな問題となる。英中銀のキング総裁は、政権交代後の最初の記者会見で、従来の慎重な言い方から脱却した大胆な発言を放ち、記者団を驚かせたが、その発言は「EUは財政政策を統合せねばならない。英米は巨額の財政赤字があり、ギリシャと同質の問題を抱えている」というものだった。 (US faces same problems as Greece, says Bank of England) 米国とユーロ圏のどちらが再生あるいは崩壊していくかが注目される。その一方で、インドや中国などの新興市場諸国は、欧米の経済難をしり目に高成長を続けているが、世界からの投資金流入に加え、国民の所得が全般的に上がり、貧農から中産階級になっていく人が増えた結果、食料品などの物価が上昇している。インドでは卸売物価が年率10%も上がっており、特に食料品が15%前後の高騰だ。各地域とも、経済は混乱の状況を増している。 (The India Inflation Fight)
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