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ゴールドマンサックス提訴の破壊力

2010年4月24日   田中 宇

 4月16日、米国の証券取引委員会(SEC)が、最大手の投資銀行であるゴールドマンサックス(GS)を、サブプライム住宅ローン債権の証券化をめぐって不正な金融取引を行っていたとして提訴した。これは「ボルカー裁定」(Volcker rule)の一つだ。今年1月にオバマ大統領の金融改革を主導することになったポール・ボルカー元連銀議長が、以前から制裁したいと思っていたGSに対し「果たし状」を突きつけた。

 SECがGSを提訴したのは、サブプライム住宅ローンの債権を証券化した金融デリバティブ「合成CDO」(synthetic collateralized debt obligation、シンセティックCDO)に関するものだ。GSは、サブプライム住宅ローン債権の市場が崩壊する数カ月前の07年1-3月、欧州系銀行(独IKB、英スコットランドロイヤル銀行、ABNアムロ)などに対し、住宅ローン債権を組み合わせた合成CDO「アバカス2007AC1」を売った。その際、合成CDOを設計したのが、住宅ローン市況の下落を予測するヘッジファンド「ポールソン社」だったにもかかわらず、それを隠し、別の会社「ACAマネジメント」が設計したように見せかけ、顧客を騙して損失を負わせたと、SECは主張している。 (Goldman accused of subprime fraud

 合成CDOは、CDO(債務担保証券)とCDS(債権破綻保険)を合成した金融派生商品(デリバティブ)である。CDOは、負債と資産からなる法人のような勘定で、投資家から金を集めて(このとき証券を発行する)負債とし、その金でローンなどの債権を買って資産として、利ざやを利益とする。CDSは、CDOがローン破綻の増加によって損失を出した場合に保険金を払う保険契約だ。CDSは、CDOのリスクヘッジのためある。

 合成CDOは、一般のCDOと形式上は同じで、投資家から金を集めて負債とする一方、一般CDOのようにローン債権を買うのではなく、CDSの保険引き受けを行ってそれを資産に立て、その保険料収入を投資家に儲けとして還元する。問題のGSの合成CDO(アバカス2007AC1)では、CDOが引き受けたCDSの買い手(保険料の支払い者)としてポールソン社がいた。ローン市況に問題がなかった最初の数カ月は、ポールソン社が払ったCDSの保険料が投資家(欧州銀行など)の儲けとなったが、07年7-8月にローン市況が崩壊すると、逆に保険金の支払いが必要になり、欧州銀行などが合成CDOに出した金は、そっくり保険金としてポールソン社に入り、合成CDOは大損失を出して破綻した。

 一般のCDOはローン市況が悪化しても、ローン債権が減価するだけで、ある程度の資産価値が残り、投資家が資金の全額を失うことはない。一方、合成CDOは、設計者がどのようなCDSの保険金支払い体系を組むかによって、CDSの保険対象となる債権の状況が悪化した場合の価値の減価の度合いが変わってくる。ローン市況が少し悪化しただけで巨額の保険金支払いが行われる保険設計にすることは可能だ。

 住宅ローン破綻を予測していたポールソン社は、少し破綻が起きただけで巨額の保険金支払いが行われる保険設計を作った。だが、米国の住宅ローン破綻を予期していなかった欧州系銀行などは、破綻時の保険金の巨額さを憂慮せず、破綻しなかった場合の保険料収入の多さのみに注目し、GSからアバカスのCDO証券を買った。

▼欧州銀行のリスク判断がまずかっただけだが・・・

 この話が、銀行が一般市民に証券を売った時に起きたのなら、銀行の責任は大きい。だが本件では買い手も金融のプロだ。買い手もCDSについてよく知っており、CDO購入時に中身のCDS保険設計について確認したはずだ。CDSの保険設計者と、CDS保険金の受け取り手が同じだったことは、リスク判定上、大した問題ではない。この話は基本的に、住宅ローン破綻を予測できなかった欧州系銀行が間抜けだった。だから「SECはGSを微罪で提訴した」「SECは勝訴しそうもない」という指摘が、米国の金融分析者の間から出ている。半面、政府系銀行であるIKBがアバカスで巨額損失を出して破綻したドイツの政府は、今こそGSに復讐するとばかり、GSを捜査し始めた。英国もGS捜査を開始する。 (Charges against Goldman Sachs & Co. likely to kick off a torrent of bank lawsuits

 金融分析者の中には、今回問題になったGSの合成CDOのやり方を、1929年の株価暴落前によくあった株式の「ノミ行為(bucket shop)」の詐欺にたとえる者がいる。下落しそうな株の銘柄を投資家に推奨して買わせ、実際には株を買わず、代わりにその株を先物売りして下落を早め、投資家に投げ売りさせ、差額を詐取するやり方だ。たしかに、下落しそうな銘柄に投資させる点はGSのアバカスと同じだ。だが、ノミ行為が実際に株を買っていない不正を犯すのに対し、アバカスではポールソン社が自分で作って自分で買うやり方ではあるが、実際にCDSの保険が売買された。CDOやCDS自体に、ネズミ講的ないかがわしさがあるが、機関投資家は、いかがわしいと知りつつ売買している(はずだ)。 (Now I See Why Soros Hates Derivatives

 金融の仕掛けを知る人々は、GSに対するSECの提訴は濡れ衣的と指摘するが、一般のマスコミの報道では、CDSやCDOの仕組みを書いても複雑で読者に理解してもらえないので「GSは自作自演の仕掛けを作り、下落するとわかっている証券を売った」というGSたたきの報道になっている。GSがたたかれて当然と思う点は、このCDOの件自体ではなく、もっと広義に、GSがローン債権が下落すると儲かるCDOの裏の仕組みを多数作ることによって、07年夏のサブプライムローン破綻を誘発し、その後の金融危機の進行でも「下落で儲ける」仕掛けを裏で作り続けた疑いがあることだ。

 リーマンブラザーズやベアースターンズの破綻の前には、これらの銀行の債券を対象にしたCDSが売られて保険料率(リスク評定)がつり上げられた。リーマンなどの実際のリスクは上がっていないのに、GSなど複数の大手銀行が裏で組んでCDSの売買を行い、CDS料率が上がると「リーマンは危ない」という話になり、破綻が早まった。今年に入っては、ギリシャ国債のCDSをめぐって同様のことが行われている。しかもGSは、3月に巨額のボーナスを出している。「GSは金融システムを破壊しつつ儲けている」と非難されて当然だ。 (米金融界が米国をつぶす

▼銀行を地味な産業に戻すボルカー

 オバマの金融改革を主導するポール・ボルカーは、GSなど米大手銀行が手がけているCDSや合成CDOといったデリバティブが、金融バブルの崩壊をひどくすると批判している。ボルカーは「銀行は、預金者から金を集め、それを必要な企業や個人に融資し、わずかな利ざやで経営するという、本来の銀行業務に立ち戻るべきだ」と主張している。デリバティブなどの「金融技術」は詐欺で厳しく規制すべきだと言い「銀行が発明した役に立つ唯一の新技術は(ぼろ儲けのデリバティブ技術ではなく、本業の効率化を実現した)ATM(現金自動支払機)だ」とボルカーは言う。 (Paul Volcker From Wikipedia

 米英の金融界では1985年の金融自由化後、従来の預金型の銀行業務とは別の、株式・債券・デリバティブといった証券業務が急速に拡大した。大恐慌時に作られた、銀行が証券業務に参入する際の規制(グラス・スティーガル法)が90年代末に撤廃され、多くの銀行がデリバティブに参入した。デリバティブの利益率は銀行業務の100倍ともいわれ、米金融界では銀行業務の資金残高が、証券業務の残高と同水準の10兆ドル超まで拡大した。 (リーマンの破綻、米金融の崩壊

 だがデリバティブは、一般のCDOから派生して合成CDOが作られて資金を集めた上で、一般CDO以上に激しく破綻したように、経済の実体から乖離した資金の急拡大(レバレッジ)を招く。金融バブルの膨張につながり、07年夏以来の金融危機がひどくなる原因となった。金融バブルが肥大化するときに最も儲けるのは大手金融機関だが、バブルの破綻時に最も苦痛を受けるのは、貧しい方から順に一般市民だ。

 投機筋と呼ばれつつ貧困救済も手がけるジョージ・ソロスも、バブルを肥大化させて人類に迷惑をかけるデリバティブを規制すべきだと、以前から何回も言っている。 (Soros On Derivatives

 銀行にデリバティブなど証券業務を禁じる政策をとるべきだというボルカーの主張は、グラス・スティーガル法の復活を意味する。英米金融バブルが崩壊し始めた08年夏に英国の銀行協会長が予測的に発した「レバレッジ金融はシステム的に破綻した。銀行は儲からない地味な業界に戻る」という宣言が実行されることをも意味している。 (米英金融革命の終わり

▼米金融界全体にデリバティブをやめさせる

 ボルカーは、大統領就任時からオバマの金融政策顧問だったが、その過激な主張ゆえ、サマーズやガイトナーといった政権の他の金融担当幹部と衝突し、今年初めまで外されていた。オバマは今年に入って、サマーズやガイトナーを軽視してボルカーを重用する方針に転換し、1月末にはオバマが、ボルカーに金融改革を任せると記者会見で発表した。 (Obama's 'Volcker Rule' shifts power away from Geithner

 この直後にボルカーは、GSを標的にし始め「GSが、預金業務より証券業務を重視し続けるなら、銀行であることをやめて、政府から救済される権利を放棄せよ」と要求した。GSはボルカーの警告を無視し、ヘッジファンドに資本参加するなどして、デリバティブ業務を続ける姿勢をとった。 (Goldman Trades Shouldn't Get U.S. Aid, Volcker Says

 金融危機より前、米国には預金業務を行う「商業銀行」とは別に、預金業務を行わない「投資銀行」が5つあった。07年からの金融危機によって投資銀行は相次いで経営難に陥り、リーマンは倒産し、3行は大手商業銀行と合併したが、GSだけは単独で生き残っている。GSは、リーマン倒産直後の08年9月、米財務省や連銀からの支援を受けられるよう、商業銀行への転換を宣言し、形式だけ商業銀行に転換した。だが、その後も預金業務をやっていない。

 JPモルガンチェースは、GS以上にデリバティブを積極展開してきたが、旧チェース・マンハッタン銀行の預金業務を持っており、商業銀行である。シティやバンカメといった商業銀行も、90年代後半以降、大々的にデリバティブをやっている。ボルカーは生き残った投資銀行であるGSを標的にしているが、実際のねらいは、JPモルガンなどの商業銀行にもデリバティブをやめさせることだ。

 SECがGSを提訴したのは、おそらくボルカーの差し金だろうが、提訴の対象となった合成CDOは、GSだけでなく、ほとんどの大手銀行が06-07年の住宅ローン崩壊前の時期に発行を急拡大した。商業銀行の多くは、地域の市民に住宅ローンを融資する一方で、そのローン債権を証券化するCDOを作り、さらにはローン債権のリスクヘッジを兼ねてCDSを発行する合成CDOを作り、それらの証券を機関投資家向けに売っていた。これらのデリバティブに対し、米当局の監督はほとんどなく、デリバティブ商品のリスクや価格の透明性を保証する公開市場も存在せず、すべての取引は相対(店頭)で行われてきた。 (Details on Abacus, Synthetic CDOs at the Heart of the Goldman Sachs Fraud Case

 今回の提訴で、たとえ原告であるSECが敗訴し、GSの潔白が証明されても、裁判をめぐる報道などを通じて、CDSやCDOの危険性や、ねずみ講的なイメージが、広く知られていくことになる。SECが勝訴すれば、その判例を活用し、他の銀行が発行した合成CDOで損失を被った機関投資家たちが、発行者の各銀行を提訴して金を取り戻そうとする訴訟を多発させるだろう。

 いずれにしてもこの裁判は、米金融界の全体に対し、CDSやCDOの利用に歯止めをかけるものになりうる。今回の提訴が「銀行にデリバティブをやめさせる」というボルカー戦略の一環だとすると、この流れは合点が行く。

 SECは、今回のように民事の裁判など起こさず、捜査を続けてGSを処分することもできたはずだが、その方法を採っていない。おそらく、捜査によって処分まで持っていくことが難しいほど、濡れ衣的な案件なのだろう。だが濡れ衣だとしても、SECがデリバティブに関してGSを提訴したという事実によって、ボルカーら米当局は、各銀行にデリバティブの事業をやめさせることが可能になる。

▼オバマの不人気挽回策としての金融規制

 米当局は権力を持っているのだから、それを使ってデリバティブ規制すれば良いではないかと思う人もいるだろうが、話はそんなに簡単ではない。米金融界は19世紀以来、儲けた資金の一部を政界に回し、金融を規制する多くの政策を潰してきた。

 オバマは健康保険改革が一段落した後、4月に入り、金融改革法の実現に向けて動いている。そこにはボルカーの考え方が多く盛り込まれているが、金融界は全力で規制を阻止しようとしている。デリバティブ規制は、米議会上院の農業委員会で審議されているが(デリバティブはもともと農民が穀物相場の乱高下の悪影響を防ぐするために開発された)、4月に入って本格化した農業委員会の審議には1500人のロビイストが集まり、規制を骨抜きにしようと各議員に圧力をかけている。 (A Finance Overhaul Fight Draws a Swarm of Lobbyists

 デリバティブ規制を実現しようとするボルカーは、あらゆる手段を使って、金融界の対抗策と戦う必要がある。その一環が、SECによるGS提訴だと考えられる。

 オバマは今秋、中間選挙を控えているが、この大事なときに人気が落ちている。米経済は金融界だけ回復し、株価は上がるが、それ以外の実体経済は悪化し、失業は増え続け、住宅市況も悪化が続き、地方財政の破綻が広がって行政サービスが全米で低下している。多くの米国民が困窮し、オバマ不支持に転じている。健康保険改革も米国民に不評で、アフガン占領も失敗色を強めている。

 だが、ここでオバマが、一人だけ儲けている金融界に鉄槌を下すという金融改革のイメージを国民に与えられれば、不人気を挽回できるかもしれない。そうした思惑から、オバマはボルカーに「どんな手を使ってもいいから、金融改革を進めよ」と指示したのだと思われる。

▼金融界が画策するバブル再拡大を阻止する

 SECのGS提訴や、米議会の金融規制の審議といった、デリバティブのシステムを縮小させる米当局の動きは、金融界にとって非常に悪いタイミングで発せられている。08年秋のリーマン倒産から今年3月まで、連銀など米当局は、低利融資や不良債権の買い取り、公金注入などの金融救済策を続けてきたが、財政赤字増やドルの過剰発行が限界となり、これらの多くが終了している。

 代わりに米金融界は、デリバティブを使った金融バブルの再拡大を画策している。米企業が資金調達しやすい「金あまり」の状態を再拡大し、その資金が株や債券の市場に回って株高などを実現し、米経済が回復しつつあるかのように見せる構想を進めている。これまでデリバティブをめぐっては、JPモルガンがバブルを拡大させて儲け、GSがバブルを潰して儲ける構図があったが、JPモルガンは4月に入り「米大手企業の資金繰りは、かつてない良い状況だ。金融市場は復活しつつある」という宣言を繰り返し発している。 (J.P. Morgan's Braunstein: `Optimism Is Back!' So, Ahh, Where Are the Deals?

 ところが、今後もしボルカーの戦略が功を奏して、デリバティブの拡大が阻止されると、JPモルガンなど米金融界が画策するデリバティブの再拡大による金融浮上策は失敗してしまう。米経済は、金融のみが活況で、他の実体経済部門はひどい状況だ。株価は実体経済をますます反映しなくなっている。デリバティブによる錬金術のみが活動している感じだ。ボルカー戦略は、この錬金術さえも潰してしまう。株価急落、米国債の金利高騰、ドル崩壊という、米覇権失墜の図式が水平線のかなたに見えてくる。 (Lynn Tilton: "Huge Disconnect Between Stock Market and the Real Economy"

 ここで湧く疑問は、連銀元議長であるボルカーは米金融界のエージェントであるはずだが、ということだ。連銀(FRB)は、第一次大戦前にニューヨークの米金融界の肝いりで作られた組織で、連銀議長は米金融界の番頭のようなものだ。金融界の番頭だったボルカーが、金融界の経営難を悪化させ、ドル崩壊につながるデリバティブ規制をするのは理解しにくい。

 だが、ボルカーが「隠れ多極主義者」だとしたら、どうだろう。オバマ政権の経済顧問団の中で、ボルカーはジョセフ・スティグリッツ(経済学者)と並び称される急進改革派で、オバマの信任を得て、サマーズやガイトナーといった延命派を押しのけ、デリバティブ潰しの金融改革を進めている。サマーズが辞めるのは時間の問題とされている。スティグリッツは、国連総会議長の経済顧問でもあり、先進諸国の利権を壊し、BRICや発展途上諸国が経済発展できる世界体制作りを目指している。この新世界秩序は、多極型のものである。 (Yes, Larry Summers is Leaving

 多極型の新世界秩序の中枢に位置することになるG20の事務局となるIMFは最近、金融機関に対する世界的な課税体制を作ろうとしている。この税収を管理するのは「世界政府財務省」になりそうなIMFで、税収は金融バブル崩壊の再燃を防ぐために使うことになっているが、銀行だけでなく、ヘッジファンドなど金融界のあらゆる企業体から徴収することを予定している(さもないと銀行が脱税のために「ヘッジファンド」を自称しかねない)。 (Banks hit out at IMF `punishment tax'

 この金融国際課税は「世界政府」の初めての財源になるという意味で画期的だが、それとともに、初めての国際的なヘッジファンド規制にもなる。デリバティブや先物取引は、各国当局が実態をつかめないヘッジファンドやCDO勘定(両者はよく似ている)を通じて行われてきたが、そこに初めて国際的な監督が入る。BRICの力が強いG20が、英米金融覇権体制の隠れた「金融兵器」であるヘッジファンドを初めて規制する。これは英米金融覇権の解体と、世界の多極化に不可欠な施策である。 (激化する金融世界大戦

 米国でボルカーが手がけているデリバティブ規制と、G20やIMFが国際的に進めている銀行課税制度は、英米金融覇権の解体という点で一致している。多極化策の一つであるとすれば、デリバティブを規制したことによって米の金融危機が再発し、米国債やドルの崩壊まで至ったとしても、全くかまわないどころか、むしろそれを誘発するためのデリバティブ規制だということになる。ボルカー自身は、正義感で動いているだけかもしれないが、その場合でも、ボルカーを今の政権中枢に据えたのは、多極化戦略の一環であろう。



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