アメリカの覇権は延命する?2008年5月10日 田中 宇昨夏以来のアメリカの金融危機が最悪の状態を脱したという報道が、米英のマスコミで散見されるようになった。「金融危機は最悪の事態を脱したようだ」「いや、まだまだだ」といった議論が4月から載るようになり、5月1日にはイギリス中央銀行(イングランド銀行)が「危機はまだ残っているが、今後数カ月のうちに、しだいに投資の活況が戻ってくるのではないか」とする予測を発表した。(関連記事) 5月2日には、発表されたアメリカの雇用統計が事前の予測より良かった(失業の増加が予測より少なかった)ということで、金融危機は去りつつあるんだという見方が金融界で加速され、アメリカを中心に株価が上昇した。(関連記事) 5月3日には、アメリカと欧州の中央銀行が協調して金融界に巨額の短期資金を流し込み、銀行の資金調達難を緩和した。金融危機は山場をすぎたという気運作りに貢献した。(関連記事) 英米の金融危機が終わりつつあるという雰囲気作りが市場でさかんになると同時に、ヨーロッパ大陸では景気が悪化しそうだという見方が増えているという景況感悪化の話が出てきた。アメリカは不況だが欧州は良いという従来の見方をくつがえす展開になり、ドル安ユーロ高に歯止めがかかり、ドル相場は持ち直した。欧州中央銀行も米連銀も「強いドルが望ましい」と考えているとも報じられた。(関連記事その1、その2) ▼米経済は悪化している とはいえ、米経済の全体像を見ると、経済環境は良くなっていないどころか、悪化を続けている。「事前予測より良かった」として良い材料として扱われている5月2日の雇用統計は、数値としては4カ月連続の雇用減であり、アメリカの景気が悪化していることを表している。(関連記事) しかもこの4月分の雇用統計では、アメリカにおける最大の雇用先は政府機関(2239万人)であり、商業(2130万人)やサービス業(1803万人)などの民間を抜いていることが明らかになっている。アメリカは民間経済が弱っているため、政府に雇用を頼る不健全さになっている。(関連記事) 政府の雇用の給料の源泉は民間から集めた税金であり、民間経済の悪化が続くと、いずれ政府は公務員を抱えきれなくなり、政府雇用も減ってしまう。全米各州では、不動産市況の悪化によって、財政収入の柱である固定資産税が減り、公務員を減らさざるを得ないところが増えている。民間では、レイオフ(一時解雇)が前月比68%も増え、景気の悪化が表れている。(関連記事その1、その2) アメリカで失業者として数えられている人は、完全失業のひとだけで、一週間に1日でも働けば失業者にカウントされない。業績が悪化した企業はフルタイムの正社員を減らし、パートタイムの従業員に替える。表面的な失業率は下がらないまま、人々の総雇用時間や給与総額だけが下がる。雇用の統計数字は大して悪化しないが、米国民の家計の状況は悪化している。 株価は、統計数字をもとに動く。家計や民間経済、地方財政は悪化しているのに、ウォール街の雰囲気だけは「危機は去った」と浮かれている、と批判する記事も出た。(関連記事) アメリカの住宅ローンの破綻率は増加し続けている。昨年1−3月、すでにアメリカでは住宅ローン破綻が増えていたが、今年1−3月は、昨年同期の2倍の破綻が起きた。金融危機の元凶となったサブプライムの住宅ローン破綻は、今後も増加するだろう。ローン破綻が一段落しない限り、金融危機も最悪の事態が過ぎることはない。(関連記事) アメリカでは、クレジットカードのローンの破綻も2006年以来急増している。アメリカでは民間雇用が収縮し、インフレもひどいため、人々の実質収入が減っている。窮した人々は、食糧やガソリンなどの生活必需品を買うためにカードローンを限度が一杯になるまで使う。限度枠に達してカード破産し、自宅の住宅ローンも払えなくなった人から順番に、中産階級から貧困層に転落し、貧民救済所の食糧配給などに頼って生活していくようになる。(関連記事) 全米の総世帯数(約1億1千万)の7%に当たる800万世帯が、すでに債務超過(所得よりローン返済額の方が多い状態)になっている。これらの人々は、貧困層に転落する方向にある。(関連記事) ▼3月中旬を境に反転 サブプライム住宅ローン債券市場の破綻をきっかけとした昨夏以来のアメリカの金融危機が最悪の状態になったのは、今年3月前半のことである。昨年末から今年にかけて、サブプライム市場の破綻が、他の種類の高リスク債券市場の破綻へとつながり、2月から3月にかけて、全米の地方公共団体が発行する債券や、サブプライム以外の不動産担保債券、企業買収の資金調達用の債券、債券の破綻を保証する保険などが相次いで売れなくなった。高リスク債券で投資を回しているヘッジファンドの多くが潰れるという見方も出た。(関連記事その1、その2) しかしその後、3月中旬に、高リスク債を最も多く扱ってきた米大手投資銀行の一つであるベアースターンズが、破綻直前の状況下で、同業者のJPモルガンチェースに安値で買収されて救済され、それを機に、米金融市場は崩壊寸前の状態から立ち直った。3月中旬まで、米英のマスコミでさかんに書かれていた各種の危機説は、3月後半には少なくなった。(関連記事) その後、4月末までは、米英の主要銀行間で資金の貸し借りをする際の金利(ロンドンのLIBOR)が、連銀の決めた短期金利(FF金利)を大幅に上回る事態が続き、銀行が相互に不信感を持っている状態が続いていた。現在の金融危機の根本は、これまで投資家から安全と思われていた投資対象が急に危険な高リスク商品に見えてしまう信用崩壊に起因している。LIBORの利回りが連銀の金利を上回る事態は、銀行間の信用が依然として崩壊している状況を表していた。(関連記事) LIBORの金利は、変動型住宅ローンの金利でもある。連銀がいくら利下げしても、LIBORが高止まりしている限り、ローン債務者の利払いは減らず、利下げがローン破綻の抑止策にならない。LIBORの高止まり傾向は昨年末からのことだ。(関連記事その1、その2) 4月末には、LIBORの金利すら低めに偽装されているとの疑惑も飛び出した。LIBORは、米英主要銀行が毎日報告してくる調達金利をイギリス銀行協会(BBA)が集計して発表する金利だが、銀行は他行から信頼されていないことを世間に知られたくないため、BBAに対し、自行の調達金利を実際より低めに報告しているようだとの疑惑が出た。BBAが4月16日に「不正には厳正に対処する」と発表すると、翌日のLIBORが急に上昇したりした。(関連記事その1、その2) しかし5月に入ると、LIBORとFF金利の乖離幅は縮小し、銀行間の相互不信は解消されつつあるのではないかとの見方が強くなった。連銀や英中銀、欧州中銀などの中央銀行は、金融界の資金難を解消するため、巨額の融資(売れないジャンク債券を担保に融資する救済策)を行っており、これが効いているとの説もある。(関連記事) ▼ドルの大増刷 銀行間の不信感は解消されているのかもしれないが、その他の面では、米経済はいまだに崩壊寸前の状態だ。すでに書いたように、米国民の経済状態は悪化するばかりだ。米経済の65%は、米国民の消費で成り立っている(アジアと異なり、製造業の比率が低い)。米国民の家計が大赤字では、米経済は不況から立ち直れない。米住宅市況は悪化の一途で、市況が底を打つまでは、サブプライムの破綻も終わらない。(関連記事) しかも米当局は、金融危機への対策として、ドルの大規模発行を続けている。米当局はドルの刷りすぎ状態を隠すため、2006年から通貨供給量(M3)を発表しておらず、代替指標としてセントルイス連銀が発表しているMZM(money of zero maturity)がある。MZMによると、昨年はドルの増刷は年率9%だったが、今年1−3月には年率30%の驚くべき大増刷となっている。(関連記事) 連銀は今年、金融危機対策として大幅な利下げを行い、銀行への巨額の救済融資を行っている。しかし、それに伴ってドルの大増刷が実施されており、増刷はインフレを悪化させ、石油や穀物などの世界的な高騰を招いている。ドルの価値の下落を嫌気して、世界からアメリカに流入していた投資資金が止まっている。世界の投資家は今年1−3月、米欧に投資されていた1000億ドルの株式投信の資金を引き揚げている(昨年同期は190億ドルの流入)。(関連記事) 3月前半に金融危機がひどくなった時には、金融危機がドル危機に発展する懸念が急拡大した。金融商品に対する不信感が、ドルの不信感に拡大する恐れがあった。あの時、何の方策も採られなかったら、世界の金融・通貨システムは大崩壊していたかもしれない。3月中旬のベアースターンズ救済劇の後、これらの危機は下火になった。しかし、危機はもう去ったわけではなく、一時しのぎで目立たない状態になっているだけだ。(関連記事) ▼「下落防止チーム」の活躍 このように、危機が去ったわけではないのに、3月後半以来、アメリカの株価は底を打ち、上昇傾向に転じている。株価の上昇を理由に「もはや危機は去った」とマスコミは喧伝している。 実体とかけ離れた相場の上昇傾向の背後に、何らかの政治的な仕掛けがあるかもしれない。良く指摘されるのは、ホワイトハウスに作られた「下落防止チーム」(Plunge Protection Team)が、統計指標を粉飾し、主要銀行を動かして潰れそうな銀行を救済させたり、株価が急落した日にS&P500やダウ平均の銘柄の株を買わせたりしているという話だ。(関連記事) 下落防止チームは、正式名称を「金融市場のための大統領ワーキンググループ」(President's Working Group on Financial Markets)といい、財務長官、連銀議長、証券取引委員長、商品先物取引委員長によって構成される。1987年10月の「ブラックマンデー」の株価暴落への対策として作られ、翌88年3月に正式発足した。(関連記事) その後、このチームは金融危機になるたびに召集され、1997−98年のアジア通貨危機からLTCM破綻に至る過程で活躍し、LTCMの救済をゴールドマンサックスに主導させたと言われている。この時期に、このチームについてワシントンポストが記事を書き、チームの存在が初めて米マスコミで報じられ「下落防止チーム」のあだ名もこの記事に由来する。だがその後、他のマスコミはこの件を後追いせず、「金融おたく」的な個人投資家のウェブログなどで限定的に継承される知識となっている。(関連記事) 今回の、昨夏以来の金融危機でも、昨年8月中旬の米株急落の際、金融機関に株を買わせたのではないかとか、今年3月のベアースターンズ救済劇を演出したのではないかとか指摘されている。今年3月以降、このチームが活躍し、米経済の実態と乖離した株価の再上昇など金融情勢の好転が演出されているのかもしれない。 ▼下落防止の黒幕はイギリス? とはいうものの、下落防止チーム以上に、米金融の好転を演出する黒幕なのではいなかと私が疑っているのは「イギリス」である。ホワイトハウスや連銀は、アメリカの覇権を自滅させようとする傾向があり、以前は自滅的な金融政策を展開してきた彼らが、3月中旬から急に態度を180度転換し、自国の経済覇権を延命する政策に転換するとは考えにくい。 チェイニー副大統領ら隠れ多極主義者が、何も知らないブッシュ大統領を騙して色々な失策を展開し、自国の覇権を壊して世界を多極化しようとしたが、イギリス政府や、米国内の米英中心主義者たちが、アメリカの自滅を止めるためブッシュに取り入って入れ知恵し、下落防止チームを発動させて、延命策が開始されたのではないかと考えられる。 米当局は、昨年夏に金融危機が起きる前に、危機の発生を防止する戦略を採れたはずなのに、何も行っておらず、この点が自滅的である。金融危機の遠因となったサブプライム住宅ローンの急拡大は2002−06年に起こり、当時から、ローン急拡大は破綻急増につながるので危険だとあちこちから警告されていた。だが米当局は何も手を打たなかったし、当時のグリーンスパン連銀議長は、審査のゆるい住宅ローンの急拡大は米国民が持ち家を持てるので良いことだと言って、むしろバブル拡大を煽っていた。(関連記事その1、その2、その3) アメリカの金利は05年から上昇に転じ、変動金利型の住宅ローンの破綻増が予測されるようになったが、それでも米当局は何も手を打たず、変動金利型のサブプライム住宅ローンは急増し続けた。昨年夏に金融危機が起きた後、連銀は利下げを開始したが、その後今年に入って大幅利下げを連続して行い、しかも日曜日に利下げするといったパニックぶりで、投資家の危機感を煽った。金利は、予防的に少しずつ変動させてこそ効果があるもので、急にやるのは害悪の方が大きい。(関連記事) バーナンキ連銀議長は、昨年末からの何回かの議会証言で、金融危機の悪化を率直に認めすぎ、そのたびに相場を引き下げている。率直なのは良いが、相場を引き下げるほどのことを言う必要はないはずだ。グリーンスパン前連銀議長は今年2月末、サウジアラビアでの講演で、アラブ産油諸国にドルペッグを止めることを勧めたが、これもドルの自滅を誘発する危険な発言だった。(関連記事) 連銀は、もともと第一次大戦前にニューヨークの大資本家たちによって作られた組織だ。ニューヨークの大資本家たちは当時から今まで、折に触れて、ホワイトハウスに子飼いの勢力を送り込み、世界の覇権の多極化や、中国やロシアやアラブ産油国などを経済大国化して世界の経済成長地域を拡大することを画策してきた。連銀の歴代議長の言動に多極主義者くささが感じられるのは当然とも言える。グリーンスパンの前の連銀議長だったボルカーも多極主義的な人だ。(関連記事) ▼ニクソンショックの再来 連銀やホワイトハウスの隠れ多極主義者たちによって、金融危機がドルの危機とアメリカの覇権の崩壊に発展するかという3月中ごろに、イギリスを筆頭とする米英中心主義の勢力が出てきて崩壊を止め、アメリカは延命策に転じた。そう思える一つの理由は、3月後半からの延命策の多くが、米英や米欧、もしくはG7による協調体制によって行われているからだ。G7は、アメリカが動かしているように見えて、実はイギリスがシナリオを描いている機関である(アメリカは時々G7を攪乱する行動をとるが)。 ベアースターンズが救済された数日後には、イギリスとEUの中央銀行が米連銀と協調し、各々が保有する金についてスワップ取引を行い、金相場を引き下げた。当時、市場には「ドルはもうダメだ」という見方が広がって、ドル売り金買いの動きが広がっていた。英米欧の連銀は、いっせいに金を売る動きをして金相場を引き下げ、金からドルに資金を戻し、危機に瀕していたドルをテコ入れした。(関連記事) 4月前半には、ワシントンでG7の金融会議が開かれた。異例なこととして、ウォール街の大手の銀行家たちが招待され、各国の財務相・中銀総裁たちと、金融危機の回避策について話し合った。G7が民間企業経営者を招待するのは前代未聞だった。このG7会議は、米金融界を動かすホワイトハウスの下落防止チームにイギリスや日独仏などが参加したような形だった。(関連記事) このG7では「ドルやポンドが突然急落する恐れがある」という発表もなされている。こちらはドル急落を誘発しかねない発表なので、多極主義者的な感じだ。アメリカの経済覇権を守りたい英政府と、自滅させたい米政府との相克が感じられる。(関連記事) 「自滅したい米と、それを抑止して米の覇権を維持したい英」という逆転の構図は、1971年のニクソン・ショック(金ドル交換停止)後の状況と同じである。多極主義者のニクソンは、前政権から引き継いだ財政赤字を急拡大させ、ドルの大増刷もやって(今年の大増刷は71年以来の大規模なもの)、世界にドルを見放させてドル下落・金急騰を誘発し、やむを得ない策という口実で71年8月、議会にも相談しないまま、ドルの国際通貨としての覇権の根本をなしていた金ドル交換制度を停止し、ドルが持っていた金本位制を破壊した。 だがその後、イギリスがドル立て直しのシナリオを描き、米英中心主義の米議会や、ドル中心の国際通貨体制が崩壊しては困る日本やドイツにも協力させて、金本位制に依拠しない新たなドルの基軸通貨体制を、数カ月後に「スミソニアン体制」などとして作った。当時のニクソン政権の財務長官は「ドルは私たちの通貨だが、(ドル下落は)君たち(英日独など)の問題だ」と述べ、米政府は英日独にドル立て直しなど求めていないと示唆した。(関連記事) 米政府、特に共和党政権は、米国民の意思ではなく、ニューヨークの資本家を意を受けて、こっそり多極化を進めてきた。ニクソンがドルを破壊した後、米国民や議会はドルの立て直しを望んでいた。米政府は、立て直しの押し売りをするイギリスを拒絶するわけにはいかなかった。 ニクソンショックでは、先に多極主義者がドルを破壊し、その後イギリスが立て直したが、今回の金融危機では、3月にドルが破壊される直前の段階で、イギリスによる立て直し策が発動されている。 ▼折衷的な状態が続く? アメリカがドルの覇権を自滅させ、イギリスが日独も動員してドルを立て直す展開は、レーガン政権下の1985年のプラザ合意でも繰り返された。ニクソンやレーガンのアメリカは、ドルが単独で持っていた通貨覇権の一部を日独にも分譲し、経済覇権の多極化を図ろうとしたのだろうが、日独は固辞し、むしろイギリスがG7の前身のG5(米英日独仏)を作ってアメリカの単独覇権を押し売り的に立て直すのに協力した。 覇権は「争奪されるもの」というのが「通説」だが、現実には覇権は、ババ抜きのババのように、便利なカードだが誰も欲しがらない。覇権国になるより、イギリスやイスラエルのように覇権国を裏から操作するか、もしくは日本のように受動的にぶら下がり続けた方が便利である。覇権を欲しがるのは、欧米から敵視され続けるロシアやイランぐらいしかない。 アメリカの多極主義者は、金融危機をドル崩壊に発展させ、同時に中東で大戦争を誘発して、イランとサウジアラビアなどペルシャ湾岸産油国(GCC)を反米で団結させ、産油国に通貨のドルペッグをやめさせ、世界の通貨体制を、ドル単独から、ドル・ユーロ・産油国通貨・中国人民元(プラス日本円?)という多極体制に転換させようとしたのかもしれない。しかし、金融危機はイギリスによって抑止され、中東大戦争はイスラエルが拒否したため、アメリカの覇権が維持されている。(関連記事) 昨年から今年にかけてアメリカの金融システムは急速に崩壊し、最近まで、世界の通貨や政治覇権の体制は多極化していくのだろうと感じられた。しかし最近、イギリスやイスラエル、米国内などの、米英中心主義の勢力の粘りの力は意外と強いと感じられるようになった。1970年代や80−90年代と同様、多極主義者の圧勝にはならず、一部は多極化が実現するが、一部は米英中心の世界体制が延命し、折衷的な状態が続く可能性が出てきた。 1970年代には、ドルの覇権は維持され、米日独の「三極委員会」は作られたが機能しなかった。だがその一方で、中国を敵から味方に転換し、中国の経済発展を実現するという多極主義者の戦略は実現し、1979年の米中国交正常化と、その直後からの改革開放経済、そして近年の中国の経済大国化へとつながった。 1980−90年代には、イギリス好みの冷戦を終わらせてロシアを市場経済化したものの、その後のロシアはイギリスが支援したオリガルヒ(新興財閥)に牛耳られ、2000年にプーチンが出てきてオリガルヒを退治するまで、混乱の「失われた10年」となった。中国も、1989年の天安門事件後、イギリス好みの人権外交の餌食になって何年も制裁され、中国を大国化する多極主義者の野望は遅延した。冷戦後の世界は、米英中心の金融覇権体制となった。 ▼金融界だけならバブル再発で救済できるが とはいうものの、現在の米金融界の延命策が長く続けられるかどうかは疑問だ。まず、金融だけで見ると、延命策は意外と効きそうだ。というのは、もともと昨夏以降の金融危機は、米英の銀行が帳簿外に持っていた金融組織を使って投資していた仕掛けが壊れたものであり、この仕掛け(SIVなど。「影の金融システム」などと呼ばれている)に関しては、帳簿外なので当局による規制もなく、金融界全体の投資総額も不明確で、別の仕掛けを作ってそちらで儲けられるような新体制を作れれば、損失を穴埋めして再び活況にできるからだ。 昨夏の金融危機で潰れたSIVなど影の金融システムは、2002年ぐらいから活況になった。それ以前には、1998年のLTCM破綻で潰れたヘッジファンドによる債券先物で儲ける仕掛けが存在し、米英金融界はそれで大儲けしていた。LTCMが破綻した時には「米英金融界はもう終わりだ」と言われていた。(関連記事) しかし、その後何年かすると、別の金融システムが立ち上がり、それが儲かるようになった。それも昨夏以来潰れてしまい、今また「米英金融界はもう終わりだ」と言われている。しかし、米英金融界は創造力に満ちており、また新たな金融システムを立ち上げ、そこが儲かるようになれば世界から投資が流入し、何年かすれば再び活況を呈するかもしれない。 米経済学者のポール・クルーグマンは「簿外の金融システムを米当局が規制しないままだと、また金融バブルが発生し、次のバブル崩壊はもっとひどくなる」と言い、今こそ影の金融システムを規制しておくべきだと主張している。(関連記事) 確かに、今回のバブル崩壊は、LTCM破綻時のバブル崩壊より規模が大きい。次のバブルが作られれば、その崩壊時の損失額は今より大きくなるだろう。しかしその一方で、80年代に自由化されて以降の25年間の米金融界は、一つのバブルが崩壊した後、次のバブルが作られて引き継がれる流れで発展してきた。金融界だけを見ると、延命策は効果があるかもしれない。 ▼実体経済の崩壊を見ると延命は困難 しかし、もっと視野を広げ、実体経済までを勘案すると、延命策はあまり長続きしそうもない。米国民の家計は大赤字で、雇用も縮小している。家計の赤字は20年かけて増えてきたもので、国民の消費を基盤とする米経済は、国民の家計の赤字増大に支えられてきた。今、米国民はローン破綻が増え、これ以上赤字を増やせない状態だ。米経済の不況は短期間では終わらないだろう。 不況が長引くと、アジア諸国は対米輸出に頼れなくなる。外貨準備としてドルを持つ必要性も減る。ドルは刷りすぎでインフレがひどくなるばかりで、中長期的には、中国やアラブ産油国(GCC)はドル依存を断ち切り、通貨の独自性を高めていくしかない。GCCは2010年に通貨統合し、ドルペッグを止める予定になっている。中長期的には、世界の通貨体制は多極化の方向にある。 米経済の不況化、住宅市況の悪化が続く実体経済の現状を見ると、3月後半から始まった延命策は、それほど長く続かない感じがする。長くて3カ月というところか。家計の赤字や住宅市況の悪化は、アメリカだけでなくイギリスでもほぼ同様だ。 実体経済がひどい状態なのに、イングランド銀行が5月1日に「危機は終わりつつある」と過度に楽観的な宣言したのは、これによって金融経済を延命させ、時間稼ぎをして、その間に銀行に体力をつけさせ、その後にやってくるであろうもっとひどい金融危機に向けた準備をさせるためだろう、と英テレグラフ紙は分析している。(関連記事) 田中宇の国際ニュース解説・メインページへ |