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シリアの危機

2005年10月15日   田中 宇

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 10月12日、シリアの内務大臣であるガジ・カナーンが、大臣室で死亡した。シリアの国営通信社は自殺であると報道し、シリア政府関係者は、拳銃で自殺したと述べている。

 カナーンは1982年から2002年までの20年間、シリア軍の諜報機関のレバノン駐在代表をしていた。レバノンは1982年に南隣のイスラエル軍がアメリカ軍を巻き込んで進駐し、傀儡政権を樹立しようとしたが、テロ攻撃を受けて米軍が撤退し、その後イスラエルも撤退した。イスラエルの力が弱くなるのと入れ替わりに、東隣のシリアの支配力が強くなったが、約20年間におよんだレバノン支配をずっと現地で指揮していたのがカナーンだった。(関連記事

【アメリカの政権中枢では1980年代以来、イスラエルのためにアメリカの外交を変容させようとするリクード右派のユダヤ系勢力が伸張し、彼らの権力拡大を防ごうとする主流派(中道派)と隠然と対立してきた。1982年の米軍のレバノン侵攻は、レーガン政権の成立に寄与したイスラエル系勢力が政権中枢に入り込み、米軍をイスラエル軍のために働かせ、レバノンをイスラエルの傀儡国家にするための戦略だった。この侵攻が失敗した後、レーガン政権内では「イラン・コントラ事件」などのスキャンダルを通じて主流派が巻き返したが、彼らはシリアのレバノン支配を容認することで、イスラエルの再拡大を防いだ】(関連記事

 カナーンはシリアのレバノン支配の頂点に長くいたため、今年2月にレバノンのラフィク・ハリリ前首相が暗殺された事件への関与が疑われていた。

 2003年3月のイラク侵攻直後から、アメリカは「次はシリアだ」と言わんばかりに、フランスなども誘い、シリアに対して「レバノンから撤退せよ」と圧力をかけ続けている。この過程で、それまでシリアに支配されていたレバノン内政が混乱し、その中でハリリは暗殺された。暗殺事件の発生を受けて、アメリカはさらに強くシリアにレバノン撤退を求めるようになり、シリアは「国際社会」の圧力に屈するかたちで、今年5月にレバノンから軍隊を撤退した。(関連記事

 シリアのレバノン撤退後もアメリカは「ハリリ殺害はシリアの犯行だ」と主張し続けている。ハリリ暗殺は、シリアが絡んでいるかもしれない高度に政治的な事件なので、当事国のレバノンの捜査機関では手に負えず、代わりに国連が捜査にあたっている。ドイツの検察幹部であるデトレブ・メフリスを団長とする国連の調査団は9月にシリアを訪問し、カナーンを含む数人を事情聴取した。(関連記事

 メフリス調査団の捜査はほぼ終了し、10月21日に国連安保理で調査報告が行われることになっている。米政府の中からは、ハリリ暗殺事件の直後から、シリア政府の犯行であると断定する発言が相次いでおり、米マスコミでも、事件直後から「ハリリ暗殺で得をしたのはシリアだから、犯人はシリア政府に違いない」といった論調があふれ、ワシントンポストやニューヨークタイムスを筆頭に、全米の多くのマスコミが、シリアの犯行だと断定している。(関連記事

▼カナーンはハリリ殺害に関与していない

 カナーンは死ぬ3時間前、レバノンのラジオ局に電話して自分のことを取材させ「これが私の最後の発言になるだろう」と意味深長なことを述べている。この時点で、自殺するつもりか、尋問されて殺されるかもしれないと感じていたのかもしれない。自殺、他殺どちらにしても、カナーンはかなり追い詰められていた感がある。彼の死には、シリア政権中枢の内部事情が絡んでいることは間違いない。

 アメリカのマスコミでは、メフリス調査団の報告書には、暗殺はシリアの政府ぐるみの犯行であると明記されることは確実だとみられている。シリアの犯行とされた場合、アメリカは国連に国際法定の設置を求め、そこでシリア政府内で暗殺に関与した人々を裁くよう主張するだろうが、そうなるとシリアのアサド大統領は、カナーンを犯人として差し出すことになるかもしれない。カナーンは、そうした動きを悲観し、報告書発表の約1週間前に自殺したのではないかという分析記事があちこちで出ている。(関連記事

 しかしカナーンは、暗殺されたハリリと親しかった。カナーンがハリリを殺したいと考えていた可能性は低い。

 スンニ派イスラム教徒であるハリリは、若いころレバノンからサウジアラビアに渡って建設会社を興し、1970年代の石油価格高騰時のサウジの建設ラッシュの中で大儲けした後、内戦後のレバノンに戻り、破壊されたレバノンの復興で儲けながら政界にも進出し、3回首相になった人物である。ハリリがレバノンに戻ってから首相になっていく過程で、カナーンはハリリの手腕を評価し、支援していた。

 1980年代に内戦がひどくなるまで、レバノンの首都ベイルートは、中東の金融取引の中心地として繁栄していた。内戦後、レバノンを支配したカナーンらシリア政府は、ベイルートを再び繁栄の都に戻し、その儲けをシリアも享受したいと考え、ハリリのような政治力のあるやり手のビジネスマンを重用した。

 カナーンは個人的にも、ハリリとのつながりでレバノンでビジネスを展開していた。メフリス調査団の尋問に対し、カナーンはハリリから過去に受け取った高額の小切手の束を見せ、自分はハリリからこんなに金をもらっており、ハリリと親しかったのだから、殺すはずがないと証言した。これに対して調査団の尋問者はカナンに対し「あなたは容疑者ではないから安心してよい」と述べたと報じられている。こうした点をふまえると、カナーンがハリリ暗殺計画を立案ないし関与したとは考えにくい。

▼レバノンの微妙な政治バランスを崩したシリアの二世

 ハリリは殺される4カ月前の昨年10月に、首相を辞めるとともに、それまでの親シリア的な立場をやめて反シリアの立場に転換したが、これはシリアがレバノン内政に大々的に干渉し、議会に圧力をかけて憲法を改定させ、親シリア的なエミール・ラフード大統領の任期を延長したことに抗議したものだった。それまでシリアの支配下で比較的安定していたレバノンの政界は、それ以来、混乱の度合いを深めた。

 レバノンは、マロン派、ギリシャ正教といったキリスト教系の勢力と、スンニ派、シーア派、ドルーズ派といったイスラム教系の勢力がモザイク状に分布する複雑な政治環境にある。国会の議席は各勢力ごとに議席数の枠が決まっているほか、大統領はマロン派、首相はスンニ派、国会議長はシーア派から選び、議会が大統領を選出し、大統領が首相を任命することが憲法で決められている。

 各派閥は、憲法で決められた微妙なバランスに沿って政治を展開してきた。シリアがレバノンの憲法を改定させ、大統領の任期を延長したことは、レバノンの政治システムの微妙なバランスを崩してしまう行為で、ハリリが抗議して首相を辞めたのは当然たった。

 シリア政府内で、ラフード大統領の任期延長を決めたのは、バッシャール・アサド大統領自身だったとされている。アサドがラフード再任を決めた後、ハリリはアサドに呼ばれてダマスカスに出向いた。そこでアサドはハリリに、ラフードの再選に協力してほしいと要請した。ハリリはアサドに「何で首相の私にも相談せずにラフード再任を決めたのですか」と苦情を言ったが、アサドは「言うとおりにしてくれ」とだけ言って、10分で会談を切り上げてしまったという。(関連記事

 今回自殺したカナーン内相ら、アサド政権内の古参側近たちは、ラフードの再任に反対したが、バッシャールは聞き入れなかった。カナーンは、2000年に死去したバッシャールの父親、ハフェズ・アサド前大統領が育てた側近の一人である。シリアは、父親のハフェズの時代には、レバノン人の顔を立てつつも、反抗する者に対しては裏で隠然と脅しをかけるなど、もっと上手にレバノン支配をしていた。しかし、二世のバッシャールの時代になって、シリアは上手にレバノン運営ができなくなった。

▼悪いのはアサドの弟と従兄弟?

 バッシャールは思慮深い人であるとされている。古参側近のアドバイスを拒否したのは、特別な理由があったと指摘されている。それは、政権中枢にいるバッシャールの弟マーヘル・アサド(Maher Assad、バース党中央委員、大統領護衛隊長)や、従兄弟のラミ・マフローフ(Rami Makhlouf、携帯電話会社シリアテルなどを経営するビジネスマン、34歳)らが、ラフードの再任を強く主張したからで、その背景には、弟や従兄弟が、レバノンでラフードの権力を使ってビジネスを行い、儲けていたという経緯があったのだという。(関連記事その1その2

 レバノンの政治家が、シリアから目をかけてもらうため、許認可などをいじってシリアの高官を儲けさす構造は、以前からあった。カナーンがハリリから儲けさせてもらっていたのも、その一例である。

 問題は、パパアサドの時代には、シリアの高官がぼろ儲けしても、レバノン支配そのものを破壊するまでのことはやっていなかったのに、息子たちの代になってから、その加減が分からなくなり、アサド家はレバノンという金の卵を生むニワトリを殺してしまったのではないか、ということである。

 最近は、シリア人がレバノンでぼろ儲けする傾向が全般的にひどくなり、シリアの軍人らがベイルートでレバノン人の自動車を盗んでシリア国境まで持っていき、シリア側のディーラーに売って儲けていると指摘されている。

 アサドの息子たちが無茶をして、古参の側近のアドバイスも聞かなくなっている、という話を拡大解釈していくと、バッシャールの弟や従兄弟らは、ラフードを大統領に再選させ、その結果反シリアに回ったハリリを暗殺し、これらの動きの全体に対して苦言を呈し続けたカナーン内務相をも自殺に追い込んだ(もしくは殺した)という推論になる。

 ハリリ暗殺を捜査する国連のメフリス調査団は、先月ダマスカスを訪れた際、バッシャールの弟マーヘルも尋問している。国連調査団がマーヘルを暗殺に関与したと断定した場合、バッシャールはマーヘルを国際法廷に差し出す譲歩を行う用意があるのではないか、と報じられている。(関連記事

▼アサドの反論には説得性がないが・・・

 これに対してアサド大統領は、レバノンの新聞のインタビューに対して「ラフードを再任したのは、アメリカやフランスからレバノンを撤退せよと圧力をかけられたからだ。レバノンで最もシリアに味方してくれるラフードを再任せざるを得なかった」と述べている。アサドは、この件はハリリにも納得してもらっていたと主張している。(関連記事

「アサドの弟や従兄弟がラフードと一緒に金儲けしていたので、無理矢理ラフードを再任させた」という分析を私が見たのは、ヨシュア・ランディスというアメリカ人のシリア・ヨルダン専門の学者が、自分のウェブログで、シリア在住の外交官から聞いた話として書いている文章の中に、その指摘がある。この話のネタ元である「外交官」は、アメリカ人である可能性が高いが、米政府は何とかしてシリアを悪者にしようとしているので、話をねつ造している可能性がある。

 そう考えると「外交官」の指摘より、アサド大統領の主張の方が正しいかもしれないとも思える。だが、アサドがレバノン憲法を改定させてラフードを再任したら、レバノン人を怒らせ、米仏がこれに乗じてシリア撤退要求を強め、シリアは不利になることは、事前に分かっていたはずだ。カナーンら古参側近が、ラフード再選はやめた方が良いとアサドに忠告したのは自然な行為である。アサドはなぜ忠告を無視したのか。それを考えると「弟や従兄弟が腐敗していたから」という説は説得力がある。

(イラク侵攻前に米政権がばらまいた「イラクは大量破壊兵器を持っている」という話も、説得力があって多くの人を信じさせたが、実は仕組まれたウソだった。それを考えると、説得力があるというだけで事実と考えるのは危険なのだが)

▼カナーンは「アサド後」を期待されていた?

 カナーンの死をめぐっては、もう一つ推論がある。それは、彼がシリアの治安問題に最も精通している諜報・公安関係の第一人者で、しかもシリアを支配するイスラム教アラウィ派勢力の重鎮でもあるということに関係している。(関連記事

 アラウィ派はシーア派系の山岳イスラム教徒で、シリアでは東部の山岳地帯にかたまって住んでいる。彼らが特別なのは、シリアを植民地(国際連盟の委任統治)支配したフランスが、シリア社会内部の勢力対立を活用し、少数派のアラウィ派(人口の11%)を使って、多数派のスンニ派(人口の70%)を抑える政策をとり、アラウィ派を優先的に軍人や警察官に就けたことに始まる。

 その結果、シリアが1946年にフランスから独立した後も、軍人の半数以上がアラウィ派という状態が続き、これを利用して1970年に政権をとったのが、アラウィ派将校グループの中心にいたハフェズ・アサドだった。アサドは、政府の治安担当責任者を信頼できるアラウィ派で固め、多数派のスンニ派をほとんど中枢に寄せつけないようにして、内部からの反逆を防いだ。このため、治安維持などシリアの行政の中心部分は、アラウィ派のアサド家側近者でないと分からない状態になっている。

 欧米の中には以前から、シリアでクーデターを誘発してアサド政権を転覆し、親米政権を作ろうと考える傾向があった。シリアでクーデターによるスムーズな政権転覆を実現しようと思えば、アラウィ派の重鎮の誰かを動かしてクーデターを実行させ、その人物がアサド家の後の政権を率いるかたちにする必要がある。そうしないと、政変後のシリアの治安が守れず、混乱してしまう。(関連記事

 アラウィ派の重鎮で、シリアの治安問題に最も精通している人物といえば、長く諜報機関の幹部をやってきたカナーンである。イラク侵攻後、さかんに「次はシリアだ。必要なら政権転覆を実行する」と言っているブッシュ政権が本気なら、カナーンに目をつけるのが自然な動きだ。しかもカナーンは、ラフード再任やハリリ辞任をめぐり、今のアサド二世らのやり方に危機感を抱いている。カナーンはレバノン時代にアメリカとの関係がよく、4人の息子のうち2人がワシントンDCの大学に留学経験がある。(関連記事

 こうした状況を考えると、欧米がカナーンに近づいて政権転覆を画策したが、それがアサド家にばれてカナーンは自殺に見せかけて殺されたのではないか、という憶測が成り立つ。もしくは、欧米は実際にはカナーンに接近していなかったが、アサド一族の中に、カナーンが欧米と組むことを恐れる者がいて、先制的に殺してしまったとも推測できる。

 シリアではこれまでも、自殺と発表されながらも、反逆しそうな高官を政権が殺害したのではないかと疑われている高官の死が何回か起きている。5年前には、汚職の疑いで自宅軟禁されていた元首相が、拳銃自殺しているが、これは政権によって殺されたのだろうと考えられている。(関連記事

▼ブッシュはアサドが譲歩しても潰したい?

 とはいえ、アサドがカナーンに代わっても、シリアはブッシュ政権が望む「民主主義」になるわけではない。軍や警察や諜報機関が幅を利かせ、少数派のアラウィが多数派のスンニを支配している状態は変わらない。そもそも、アサド二世は反米主義者ではなく、何とかしてアメリカに許してもらいたいと考え、イラク国境の警備を強化したり、レバノンから撤退したり、国連調査団がカナーンら側近たちを尋問することを許可するなど、譲歩を重ねている。(関連記事

 対立を望んでいるのは、アサドの側ではなく、ブッシュの側である。ブッシュ政権が「シリアはイラクにゲリラを派遣している」と非難しているのは濡れ衣である。シリア側は、シリアからイラクにゲリラが入らないよう国境警備を強化しているが、イラク側にいる米軍の方が何もしていないのが実態である。(関連記事

 そもそもアメリカのシリア非難の中心テーマである「シリアからイラクのゲリラが入り込んでいる」というアメリカの指摘は、シリアを陥れるためのウソで、実際にはシリアからイラクには、ほとんどゲリラは入り込んでいない。CIAは、シリアからイラクにゲリラが送り込まれていると考えられる兆候がないと分析している。(関連記事

 ブッシュ大統領やライス国務長官のシリア非難の発言は、何か言いがかりをつけてアサド政権を転覆すること自体が目的ではないかと感じさせる。こうした状態に手を焼いた欧米の穏健派(外交重視派)は、クーデターでアサドをカナーンと交代させれば、ブッシュが満足するのではないかと考えて、クーデターを誘発したがっていたようにすら思える。しかし、今やカナーンは死に、アラウィ派でアサドの代わりをできるような重鎮はいなくなった。(関連記事

 今回の記事では、アサド一族が私欲のためにラフードを大統領に再選し、その結果反シリアに回ったハリリを殺し、ハリリの味方をしていたカナーンも殺してしまった、という筋書きを紹介した。だが、ブッシュ政権がイラク侵攻以来、次はシリアを潰したいというメッセージを発し続けていることを考えると、アサド一族がハリリやカナーンを殺すというのは、飛んで火に入る夏の虫であり、アサド家にとってあまりに自滅的で馬鹿げた選択である。誰が暗殺したのかを断定する前に、アメリカ側の事情を分析した方が良いだろう。

 イスラエルの新聞ハアレツによると、アサド大統領は、エジプトのムバラク大統領に会った際、メホリス調査団がシリアで調べた調書の写しを渡したが、そこには、シリア政府はハリリ殺害に関与していないことが示されていたという。(関連記事

▼シリアは許されるかも

 この記事を書き上げる直前、アメリカがシリアに対し、ハリリ暗殺捜査への全面協力や、ヒズボラなど武装組織への協力停止、イラクへの越境ゲリラを抑止することなどを条件に、シリアを許すという「カダフィ型」(リビアのカダフィ政権を許したのと同じ仕掛け)の提案を行ったという報道があった。(関連記事

 アメリカの上層部では、シリアを許してイラク占領に協力してもらった方が良いと考える共和党穏健派(国際協調派)が、支持率の落ちているブッシュに対し「シリアを許してやれ」と圧力をかける一方で、非公式にダマスカスに乗り込んでアサドと交渉していたという指摘もある。(関連記事

 カナーンの死の直後、レバノンのメディアには「カナーンの死は、アメリカとシリアの和解条件の一つなのかもしれない」とする記事が出ている。(関連記事

 イランに対しても、アメリカは主張を軟化させる兆しがある。北朝鮮に対しては、すでに譲歩した。アメリカの外交政策そのものが、タカ派から穏健派へと転換するかもしれない。このあたりのことは、事態の推移を見た上で、改めて分析する。



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