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ネオコンの表と裏(下)

2003年12月19日   田中 宇

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この記事は「ネオコンの表と裏(上)」の続きです。

 冷戦の脅威を煽る「Bチーム報告書」はフォード大統領が再選を狙って政権内のタカ派に譲歩する中で生まれたが、結局1976年の大統領選挙でフォードは敗れ、民主党のカーター政権ができた。リベラルなカーターはBチームの報告書を無視したが、次の1980年の大統領選挙では、共和党のレーガンが勝ち、Bチームが提唱した対ソ強硬戦略が全面的に受け入れられることになった。ネオコンの人々は、国防総省やNSC(大統領の外交政策顧問団)などの幹部、特に中東政策の担当者として登用された。

 1980年の大統領選挙でレーガンが勝てたのは、選挙の前年に起きたイランのイスラム革命とその後のアメリカ大使館人質事件に関して有効な解決策が打てなかったのに対し、レーガンは選挙期間にイラン側と秘密裏に交渉し、それが成功したことが主因だった。人質はレーガンの大統領就任式の当日に解放された。レーガン陣営がイラン側とうまく交渉できたのは、仲介役としてイスラエルの諜報機関が協力していた可能性がある。イスラム革命前のイランには多くのユダヤ人が住んでおり、イスラエルはイランの諜報に強かった。(関連記事

 レーガンは、イスラエルが自分の選挙に協力してくれた見返りに、イスラエル系の勢力であるネオコンを自分の政権内に登用した。1970年前後に「軍産複合体」に弟子入りしたネオコンは、10年後に政権中枢に入り込んだ。ここで、ネオコンは現在のブッシュ政権に対してやったのと似たようなことを引き起こしかけている。それは「レバノン戦争」だった。

 1982年にイスラエルは北隣のレバノンに侵攻し、それまで事実上シリアの支配下にあったレバノンをイスラエルの支配下に置こうとした。米軍は調停監視のためにレバノンに駐屯したが、首都ベイルートの米軍宿舎を自爆攻撃され、シリア側などと泥沼の戦闘に落ち込みそうになったところで、レーガン大統領は米軍を撤退させた。

 ネオコンら政権内外のタカ派からは、レーガンの弱腰に対する失望感が出たが、もしあのまま米軍がレバノンに駐留を続けて泥沼の戦闘に陥っていたら、イスラエルにとっては好都合だったが、アメリカにとってはベトナム戦争の二の舞になる可能性が大きかった。当時はまだ、ベトナム戦争の失敗がアメリカ人の頭に焼きついていた。その20年後に再びネオコンを政権中枢に引き入れ「新レーガン主義」を掲げた今のブッシュ政権が、ネオコンの強い勧めでイラクに侵攻したとき、もはやベトナムの教訓が薄れていたのとは対照的だった。

▼EUを支援した父親とEUを嫌う息子

 その後、米政界ではネオコンやタカ派に対するしっぺ返しと考えられる「イラン・コントラ事件」が起きた。この事件によって、レーガン大統領が当選した直後から、アメリカはイランに対して武器を秘密裏に売り、その仲裁をイスラエルが行い、武器の代金がニカラグアの社会主義政権を転覆するために使われていたことが暴露された。起訴された政府関係者の中には、ネオコンのエリオット・アブラムスや、タカ派のジョン・ポインデクスターが含まれていた。(この2人は、いずれも現ブッシュ政権で返り咲いた)(関連記事

 イラン・コントラ事件の後、ネオコンはレーガン政権の中での役割を縮小され、次のパパブッシュ政権でも主流派になることはなかった。パパブッシュはタカ派ではなく、軍事より外交による解決を好むキッシンジャー以来の均衡戦略を重視するようになっていた。彼が大統領になって間もなくベルリンの壁が崩壊したが、東ドイツを急いで吸収合併することに消極的だった西ドイツをけしかけて、ドイツ統一を推進したのはパパブッシュだった。彼は、アメリカが世界の単独覇権となることに対して危険を感じ、独仏中心のヨーロッパや中国が強くなってアメリカとの間で勢力の均衡状態になることを望んでいた。

 とはいうものの、パパブッシュ政権内部でも、ネオコンはタカ派として機能し続けていた。湾岸戦争の際、チェイニー国防長官のもとで次官補をつとめていたウォルフォウィッツは、上司のチェイニーを巻き込んで、クウェートから敗走するイラク軍を追ってバグダッドまで米軍を進撃させるべきだと主張した。

 湾岸戦争後の1992年、ウォルフォウィッツは国防次官補として、冷戦後のアメリカが単独覇権主義(一強主義)を目指すべきだとする提案書「国防計画指針」(Defense Planning Guidance)を作った。この計画書には「大量破壊兵器を持ちそうな悪性の国に対して米軍が先制攻撃を行う」「世界の地政学的な要衝であるユーラシア大陸の中央部を米軍が抑える」といった戦略が盛り込まれていた。(関連記事

 これはタカ派のチェイニー国防長官には支持されたが、単独覇権主義を嫌うパパブッシュ大統領によって却下され「国防省内の私的な案にすぎない」とされた。だが、その後子ブッシュの代になって「先制攻撃」「悪の枢軸」として見事によみがえり、アフガン戦争によってユーラシア中央部の中央アジア諸国に数カ所の米軍基地が作られた。

▼冷戦後のBチーム「ラムズフェルド委員会」

 パパブッシュは1992年の選挙でクリントンに破れ、ウォルフォウィッツの国防計画書は葬られたが、その後2000年の選挙で息子のブッシュがゴアを破るまでの8年間は、共和党系のネオコンとタカ派の人々にとって、単独覇権主義をアメリカの世界戦略の主流に据えるための準備期間だった。ウォルフォウィッツらネオコンは、冷戦に代わる脅威を醸成することが必要になった軍産複合体のために、シンクタンクやマスコミを拠点に、タカ派の論調を広めていった。アメリカで国際政治を研究する学者の多くが、危機を過大に見積もるネオコン・タカ派系の分析に引きずられた。

 パキスタンや北朝鮮など、新たに大量破壊兵器やミサイルを開発する国が増えてきたことを受け、ネオコンとタカ派は1998年には「CIAは悪性の国々が結束して大量破壊兵器を作り、共同でアメリカを攻撃する危険性について軽視している」と言い出し、その後国防長官になったラムズフェルドを筆頭に超党派の「ラムズフェルド委員会」という「Bチーム」を作り「悪性の国が作るミサイルなどの脅威に備えるため、巨額の軍事費を計上してミサイル防衛構想を実現すべきだ」とする報告書をまとめたりした。(関連記事

 2000年の大統領選挙が近づくにつれ、ネオコンとタカ派はもう一つの目標を実現させるために動き出した。それは「アメリカがイラクに侵攻してフセイン政権を潰す」ということだった。「単独覇権」と「先制攻撃」は軍事費の増大につながり、軍産複合体にとってプラスである一方「イラク侵攻」は、イスラエルの国益のために働くネオコンが希求していた。ウォルフォウィッツらは、冷戦後の軍産複合体の利権のための理論を打ち立てた見返りに、イラク侵攻という果実を得た。

 1997年、ネオコンとタカ派は新組織「アメリカ新世紀プロジェクト」(Project for the New American Century、PNAC)を結成し、翌年この組織が「イラクに対して先制攻撃を行うべきだ」と主張する提案書を発表した。PNACの提案書には、ウォルフォウィッツやパールといったネオコンと、チェイニーやラムズフェルドといったタカ派がそろって署名していた。(関連記事

「先制攻撃」「単独覇権」「イラク侵攻」といった目標を掲げた彼らは、選挙活動を開始していたブッシュ陣営に食い込んだ。軍事産業とイスラエルロビーという2つの強力な選挙マシンの代理人として機能している彼らは、ブッシュ陣営内でパパブッシュが送り込んだ中道派とぶつかり、結局ブッシュ政権は、チェイニー副大統領、ラムズフェルド国防長官、ウォルフォウィッツ国防副長官といったネオコン・タカ派と、パウエル国務長官、ライス大統領補佐官といった中道派とが入りまじる構成になった。

▼サウジで軍事産業を儲けさせていた石油利権

 それまでの段階で、軍産複合体と中道派は必ずしも敵対関係ではなかった。中道派は、アメリカの資本家層を代表する勢力で、彼らは軍事産業にも投資していたから、ある程度の軍事費増大は歓迎だったが、軍産複合体が「敵」の脅威を過大評価する作戦が成功しすぎて、ドルショックを引き起こしたベトナム戦争や「双子の赤字」を生んでしまったレーガン時代の軍事費急拡大など、アメリカの国力そのものに大きな悪影響を与えてしまうことは大迷惑だと考えていた。

 そのため、中道派は軍事産業に対して代わりの金づるを用意してやった。その一つは「サウジアラビア」で、サウジ王家はあふれる石油財源でアメリカから巨額の武器調達を行い、軍事産業を潤わしてやった。「石油利権」は中道派の一部であり、石油危機以来、サウジと石油利権はぼろ儲けしていたから、このくらいの利益還元は可能だった。

 もう一つはヨーロッパとアメリカの軍事同盟である「NATO」で、冷戦後に西欧とアメリカが協力して世界の治安維持を行うという構想を旧ユーゴスラビアなどで実現し、西欧がアメリカの軍事産業から武器を買っていた冷戦時代の構造を維持しようとした。(関連記事

 ところが、こうした中道派による軍事産業の取り込み策は、イスラエルにとってマイナスだった。サウジアラビアはアメリカ中枢に食い込むことで、パレスチナ問題をアラブ側に有利なように解決しようとした。この流れの中で1993年の「オスロ合意」が出てきた。またフランスやドイツなどEU諸国は、イスラエルのパレスチナに対する人権侵害を非難し続けており、アメリカとEUの同盟関係が維持拡大されることはイスラエルにとって好ましくなかった。(関連記事

 2001年1月にブッシュ政権がスタートして、当初はどちらかというと中道派が強い状況にあり、イラクに対する経済制裁も徐々に解除していく戦略が模索されていた。こうした状況を一気に転換したのが同年9月の911事件だった。「テロ戦争」の戦略として「先制攻撃」「悪の枢軸」「イラク戦争」が出てきて、アメリカは単独覇権主義になった。

 911の実行犯の大半がサウジアラビア人だったとされたことから、サウジとアメリカの関係も冷却した。とはいえ、米当局は実行犯の中のサウジ人たちの素性を一切明らかにしていない。今年夏に911の真相究明報告書がまとめられたが、サウジ人がどのように事件に荷担していたかを書いた28ページ分は機密指定され、議会に対しても明らかにされていない。こうしたおかしな動きの背後には、サウジとアメリカの関係を悪化させたいネオコン勢力がいると思われる。(関連記事

 またイラク戦争に突入する過程で、アメリカが戦争の理由をEUにきちんと説明しなかったため、EUとアメリカとの関係も悪化した。あと数カ月かけて独仏を説得すれば、NATOとして連合軍を組んでイラク侵攻することができたかもしれないが、それよりも、むしろEUとの関係を「切る」ことに力点が置かれた感がある。これもまた、イスラエルの国益を重視するネオコンの作戦ではないかと思われる。

▼ブッシュが再選されればアメリカは徴兵制に?

 ここまで、ネオコンと中道派が対立しているという視点で書いてきたが、そうではなくてネオコンと中道派は本当は裏でつながっていて、漫才の「ぼけとつっこみ」、借金取りや刑事尋問における脅し役と説得役のように、2組で役割分担をしてイラクを潰す戦略を進めた、という仮説も成り立つ。

 だがこの見方だと、ネオコン・イスラエルの思うとおりにイラクが弱体化された後、イスラエルを封じ込めるパレスチナ和平を進めようとする動きが出てくることが説明できない。湾岸戦争が終わるとすぐにオスロ合意が出てきて、今回のイラク戦争が始まるとすぐにロードマップやジュネーブ協約が出てきている。

 アメリカの中に、ネオコンの拡大を阻止したい中道派がいると考えなければ、アメリカの政権がふらつきながらもパレスチナ和平を求め続けるということの説明がつかない。「米政府はパレスチナ和平を進めるふりをしているだけだ」という見方をする人も多いが、パレスチナ問題に対する米政府の対応を詳細に見ていると、和平を進めようとする勢力が政権中枢にあるのだが、それを阻もうとする勢力もあり、なかなか和平が進展しないのだということが見えてくる。

 また前回の記事「アメリカの戦略としてのフセイン拘束」に書いたように、EUとアメリカの親密さを取り戻そうと訪欧するベーカー元国務長官のような勢力がある一方、訪欧を潰そうとするウォルフォウィッツ国防副長官の勢力があることからも、両者の対立が感じられる。

 今後、米軍はこれ以上戦火を広げると戦死者が増え、ブッシュの再選を阻む要因となるので、ネオコンが望んでいたシリアやイランへの戦線拡大は、しばらくは回避される可能性が大きい。だが来年11月の大統領選挙でブッシュが再選されれば、その後シリアやイランに米軍が侵攻し「中東強制民主化」の戦争が拡大されるかもしれない。

 今はアメリカ軍は志願制で、兵力の不足が問題になっているが、ブッシュが再選されれば、志願制から徴兵制に移行する可能性もある。すでに国防総省は全米で「徴兵委員会」(draft board)を編成強化する作業に着手している。(関連記事

▼イスラエル・ユダヤ人の戦略性

 アメリカにしてみれば、ネオコンによって政府をイスラエルに乗っ取られてしまった感があるが、イスラエルの側から見れば、1970年ごろから30年もかけてネオコンをアメリカの政権中枢に送り込み、軍産複合体のために貢献する見返りに自国の脅威となるイラクやシリアを無力化するという、長期的な防衛戦略を続けていることになる。

 こうした過程を見ると、イスラエルという国、ユダヤ人という人々の戦略性と技能の大きさを感じさせられる。イスラエルはわずか500万人のユダヤ人で、40倍の2億人のアラブ人の敵意と向かい合っている。アメリカ中枢を乗っ取るほどの分析眼と政治技能を持っているからこそ、40倍の勢力差があっても負けないでいられるのかもしれない。

 こんな風に書くと「イスラエルを擁護するとは、あなたには正義感がないのか」という読者からのメールが届きそうだが、謀略と謀略がぶつかりあう複雑な国際政治の世界では、誰が正しいか軽々に判定できない。「中道派が正しい」「ネオコンは悪い」と簡単に言えるものではない。イスラエルは狡猾で暴虐だが、アラブ諸国や中道派もまた狡猾で暴虐である。そうでなければ、国際政治の戦いに生き抜いていけない。パレスチナ問題をめぐって取りざたされる「人権問題」もまた、国際政治の言論戦争の武器として使われている。

 日本も「国際貢献」をしようと思ったら、ある程度は狡猾で暴虐にならねばならない。暴虐になるのが嫌なら、その分他国の謀略に引っかからずにすむ狡猾さを持たねばならない。そのためには、国際政治の現実をよく分析し、仮説を立てて裏読みをしていく必要がある。



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