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見えてきた911事件の深層

2003年3月27日   田中 宇

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 アメリカで911事件が起きてから1カ月後の2001年10月上旬、この大規模テロ事件の犯人を特定することにつながるニュースが、インドとパキスタンの各新聞に、非常に短い記事として掲載された。

 2001年10月7日、パキスタンのムシャラフ大統領が、軍の諜報機関であるISI(統合情報局)のマフムード・アーメド局長ら3人の軍首脳を解任した。マフムードが解任された理由は、彼がオマル・シェイク(Umar Sheikh)という男を通じて、911実行犯の主犯格だったとされるモハマド・アッタにテロ資金を送金していたことが、FBIの調べで明らかになったからだった。FBIはインド当局からの情報をもとに、ISIのマフムード長官がアッタへの送金を指示していたことをつかみ、パキスタン側に圧力をかけたという。(関連記事

 マフムードらの解任自体は、世界中で報じられたが、その理由は多くの記事では「マフムードらがアフガニスタンのタリバンと親密な関係だったから」となっている。私自身も、そういう趣旨で記事を書いた。(関連記事

 ところが、インドとパキスタンのいくつかの新聞は、解任理由について、はっきりと「マフムード将軍の指示で、911実行犯のアッタに10万ドルが送金されたことが分かった」と書いている。マフムード将軍らを頂点とするISIは、もともと組織的にタリバンを支援しており、タリバンとアルカイダは一心同体であった。つまり、パキスタン当局であるISIは、タリバンを支援していただけでなく、911事件の黒幕でもあったことになる。

 もしインドの新聞だけがそれを指摘しているのであれば、パキスタンを悪者に仕立てたいインド側がウソ情報を発した可能性もあるが、パキスタンの大手新聞「ドーン」も、ニューデリー発でこの記事を載せているので、ISIが911事件の裏にいたことは、パキスタン側も暗に認めた事実であると考えてよい。(関連記事

 こんな衝撃的な事実が報じられたにもかかわらず、どうしたわけか世界のマスコミは、フランスのAFPなど一部を除き、ほとんどこれを報じなかった。当時すでにアメリカのマスコミは、911後のショックの中で極度に大政翼賛的な傾向を強めており、米当局が望まない報道は一切行わないようになっていた。(関連記事

 ふつうに考えれば、このニュースはアメリカにとって最も衝撃的であるはずだが、それをアメリカのマスコミが一切報じなかったのは、アメリカ政府自身が、パキスタン政府と911の関係を世界に知らせたくなかったからだと思われる。なぜアメリカ政府は、パキスタン当局が911事件に関与していたことを不問に付したのか。アメリカ政府自身が、パキスタン当局と911の関係を世界に知らせたくなかったからだと思われるが、なぜそうなのか、大きな疑問が残る。この部分が911事件の最も大きな暗部である可能性がある。

▼送金者サイード・シェイク

 前出のパキスタンのドーン紙の記事によると、ISIのマフムード長官は、オマル・シェイクという人物を通じて、911事件主犯格とされるモハマド・アッタに10万ドルを送ったとされる。

 1999年12月、インド航空機がハイジャックされ、アフガニスタンのタリバンの本拠地カンダハルまで飛んだ後、インド当局が獄中にいるイスラム過激派(アルカイダ)の幹部3人を釈放する代わりに、ハイジャックされた飛行機の乗客乗員155人が解放されるという事件があった。この事件で釈放された3人の中に、オマル・シェイクが含まれていた。

 このハイジャック事件を報じたBBCの記事などを見ると「オマル・シェイク」ではなく「アーマド・オマル・サイード・シェイク」(Ahmed Omar Sayed Sheikh)となっている。この人物はたくさんの別名を持っており、本名はサイード・シェイクだが、別名としてオマル・シェイクのほか、ムスタファ・モハメド・アーマド(Mustafa Mohammed Ahmed)、ムスタファ・アーマド・アルハウサウィ(Mustafa Ahmed al-Hawsawi)などを使っていた。

 アメリカCNNテレビは2001年10月6日の報道で、サイード・シェイクが、ムスタファ・モハメド・アーメドの名前を使い、10万ドル以上の資金をパキスタンから911主犯格のモハメド・アッタに送っていたと報じている。そして、このサイード・シェイクは1999年のインド航空機ハイジャック事件で人質と交換に釈放された人物である、としている。つまり、サイード・シェイクが911犯人グループに10万ドルを送ったことは、アメリカの大手マスコミも報じた「事実」である。

 送金を受けたモハマド・アッタは、911事件が起きる数日前、あまった資金を再びサイード・シェイクの「ムスタファ・モハメド・アーメド」名義の口座に戻す送金手続きをとったことも報じられている。だが、アメリカにおける報道はここまでである。サイード・シェイクが何者であるか、ということは、まったく謎のままになっていた。  その「謎」に解答を与える形になったのが、サイード・シェイクはISIの指示で送金を行っており、その送金を指示したISIのマフムード長官が、FBIからこの件を追求され、ムシャラフ大統領によってアフガン戦争の開戦直前に解任された、というニュースだった。

▼インド人誘拐の身代金が911事件のテロ資金に

 ロサンゼルスタイムスが報じたところによると、サイード・シェイクからモハマド・アッタへの10万ドルの送金は、911事件の約1カ月前に行われ、その資金の出所は、そのさらに1カ月前の2001年7月、イスラム過激派がインドのカルカッタでお金持ちの靴工場経営者を誘拐し、そのときの身代金83万ドルの一部であるという。

 インド当局者がロサンゼルスタイムスに語ったところによると、靴工場の経営者を誘拐したのは、アフタブ・アンサリ(Aftab Ansari、別名Aftab Malik)というドバイ在住のインド人が率いるイスラム過激派系の犯罪組織で、この組織は以前から金持ちのインド人を誘拐して身代金を集めることを繰り返しており、インド当局は、パキスタンのISIがインド国内でのテロ活動の資金源を確保するため、この組織を支援していると非難している。

 アルハサウィからアッタへの送金は、911実行犯がアルカイダの一味だったことを示すほぼ唯一の根拠だが、これまで私は「アルハサウィなる人物が何者なのか分からない以上、アルカイダと911事件とのつながりも証明できていない」と考えていた。ところが、パキスタンのISIがアルハサウィ(サイード・シェイク)を通じてアッタに送金していたことが分かり、話の全体像が見えてきた。

 その一方で大きな謎として登場してきたのが「パキスタン当局は、なぜ911事件に関与したのか」「アメリカはなぜその疑惑を不問に付しているのか」といった疑問である。

▼「影の政府」ISIとアメリカ

 アメリカとパキスタンとは、以前からの同盟国である。パキスタンの諜報機関ISIは、アメリカの諜報機関CIAと昔から親密な関係にあった。ISIはパキスタンの国家の諸組織の中でも特に強力な組織である。タイム誌の記事によると、ISIはパキスタンの「影の政府」「政府内政府」であるという。パキスタンでは、首相や大統領でさえISIが何をしているか、把握し切れていない部分がある。

 こうしたISIの強さの源泉は、1980年代にソ連軍がアフガニスタンを占領し、アフガン人のムジャヘディン・ゲリラ(イスラム聖戦士)たちがゲリラ戦でこれに対抗し、そのゲリラを支援していたのがISIで、その背後にCIAなどアメリカ当局がいた、ということに起因する。つまり、アメリカがアフガニスタンでの冷戦を通じてISIを強くし、パキスタンの「影の政府」にまで成長させたということだ。

 こう分析していくと、次に生じる疑問は「ISIは単独で911事件に関与していたのか、それともアメリカ当局の黙認ないし積極的な認知・関与のもとで、ISIの動きがあったのか」ということである。

 ISIのマフムード長官が解任されたのは、911事件から約1カ月後である。アメリカ当局は、このときまでISIの動きを知らなかったのだろうか。多分そうではない、と思われる事実がある。911事件が起きる前後、マフムード長官はワシントンにおり、アメリカの政権や議会の上層部の人々と会談していたからである。

 パキスタンの「カラチ・ニュース」によると、マフムード長官は911事件が起きる一週間前の9月4日からワシントンを訪問し、CIAのテネット長官のほか、国防総省やホワイトハウスの国家安全保障会議(NSC)の要人たちと相次いで会合を持った。マフムードはこのころ、3カ月間に2回、ワシントンを訪問しており、それまでISI長官の訪米はめったになかっただけに、大きな緊急の課題があるのではないか、という憶測がパキスタンの新聞にも載った。

 911の当日には、マフムード長官は、上院のボブ・グラハム議員ら米議会で諜報問題委員会のメンバーと、テロ対策について会合を持っていた。まさにそのとき、ハイジャックされた飛行機が次々と世界貿易センタービルに突っ込んだのだった。ニューヨークタイムスなどによると、マフムードとグラハムらは、2機目の旅客機が突っ込むまで、会合を続けていたという。(関連記事

 マフムード長官は911事件の後もワシントンに滞在し、9月12日から13日にかけて、パウエル国務長官やアーミテージ国防副長官らとも会ってからパキスタンに帰国した。アーミテージはCIA出身で、1980年代にISIがアフガニスタンのソ連軍と戦っていたムジャヘディン・ゲリラを支援していたころから、マフムードを含む多くのISI幹部らと親しい関係を持っていたことで知られている。

▼テロリストを野放しにする米当局

 911事件をめぐっては、アメリカの捜査当局がホワイトハウスからの圧力を受け、十分な事件の真相究明ができないままになっていることや、9月11日当日の防空体制が異様に貧弱で、ふつうなら防げた旅客機のビル突入が、不可思議な出動の遅れなどによって防げずに終わったことが分かっている。 (以前の記事「テロをわざと防がなかった大統領」「テロの進行を防がなかった米軍」

 また米当局は、911事件だけでなく、それ以前にアメリカ国内で起きた2つの大規模なビル爆破事件である、1995年の「オクラホマ連邦ビル爆破事件」と1993年の「(1回目の)世界貿易センタービル爆破事件」についても、予防策や捜査を十分に行わず、真犯人と思えるパキスタン人や中東系の容疑者を野放しにして、その存在自体をマスコミの目から隠したという「前歴」がある。 (以前の記事「オクラホマ爆破事件と911」「サウジアラビアとアメリカ」

 これらの疑惑から見えてくるのは、アメリカ政府は以前から「イスラム原理主義」系のテロリストたちをわざと野放しにして、アメリカ国内を含む世界各地でどんどんテロをやってもらうよう、いざなっていたのではないか、という仮説である。この仮説に立つと、アメリカ政府と親密な関係にあったパキスタン政府の一部門であるISIの長官が、911事件の犯人組織にテロ資金として使える大金を送っていたことも、不自然なことではなくなる。

 アメリカ当局がわざとイスラム過激派のテロ活動を放置したのだとしたら、その目的は何だったのか。確かなことは分からないが、一つ考えられるのは、ソ連の消滅というアメリカにとっては先方の一方的な都合で冷戦が終わってしまった後、冷戦と似たような「正義のアメリカ」対「世界的な悪」という巨大な対立構造が生まれることを望む勢力がアメリカ中枢に存在し、その「世界的な悪」として「アルカイダ」などイスラム過激派組織の存在がうってつけだった、というシナリオである。

 イスラム過激派という巨大な敵が存在することにより、アメリカ政府は戦略的に重要だと思われる世界のあちこちの国に対し「テロ防止のために貴国に米軍を駐留させる」と宣言することができる。米国内的には、景気が悪化しても連邦政府の予算を拡大することができ、ワシントンの政治家にとってのメリットがあり、政界と結びつきが深い軍需産業も潤う。

▼外交政策の持続性とテロ戦争

 ただ、テロが増えると経済活動が減退し、世界経済に大きな打撃を与える点ではマイナスだ。これに対しては、日本や中国などの台頭により、アメリカは経済面で超大国ではなくなり、このまま経済不振が長引くと「ドル」の国際通貨としての威信が傷つき、ドル暴落の可能性もある。だから、その前に経済ではなく軍事で世界を支配し続ける「テロ戦争」の世界体制を作る必要がある、といった説明が成り立つ。(関連記事

 アメリカの大統領制は4年ごとに選挙があり、大統領が交代すれば政策も変わる。ソ連がアフガニスタンから撤退した1988年には大統領はパパブッシュだったが、その後クリントン(2期8年)、そして現在の息子のブッシュへと、3回政権が交代している。3回も交代したのに、その間ずっと「テロリストとの冷戦」が画策され続けていたと考えるのは、仮説として不十分ではないか、という見方もあるだろう。

 しかしアメリカの場合、外交政策は政権や政党を超越して長期間同じようなものが続けられることが多い。冷戦体制が40年以上も続いたのがその一例である。冷戦は、ソ連とアメリカとの「談合」のような面があり、両者が相手を敵視する政策を維持してはじめて成り立つ世界体制だった。1989−90年にソ連のゴルバチョフが自国の体制を解体し、一方的に冷戦のリングから降りてしまうと、一夜にして冷戦は終わってしまった。

 だから、アメリカの方で冷戦時代の40年間の大統領のいずれかが「ソ連敵視を止める」と言い、米ソ和解を強力に進めていたら、冷戦はもっと早く終わらせることができたはずだと私は考える。第二次大戦後のアメリカには、自国を中心とする世界の枠組みを決定する権限があるが、その枠組みは、政権を超えて存在するのである。冷戦後、現在まで続く「イスラム過激派とのテロ戦争」も、そうした枠組みの一つであると思われる。

 1993年の貿易センタービル爆破から2001年の911事件、そしてその後の「テロ戦争」や「悪の枢軸」そしてイラクとの「第2湾岸戦争」への流れを見ていくと、アメリカの敵として「イスラム原理主義」が、しだいに大きな存在として立ち現れてくる過程だったことが分かる。イスラム原理主義やビンラディンといった存在は今やアメリカにとって、かつてのソ連に勝るとも劣らない強敵として存在している。

 以前、この仮説の問題点は「アメリカ政府がそんなことをするはずがない」というアメリカに対する信頼感との間のギャップがあまりに大きいということだったが、アメリカ政府に対する信頼感は、イラク戦争をめぐって急落したので、今ではこの仮説も、人々に受け入れられるようになってきているのではないかと思われる。

▼不可思議な事件の上塗り

 ISIのマフムード長官から依頼され、911事件の主犯格とされるモハマド・アッタに送金をしていたサイード・シェイクは、昨年2月に逮捕されている。逮捕容疑は、アメリカの新聞ウォールストリート・ジャーナルのダニエル・パールという記者を誘拐殺人したことである。パール記者は、911事件とISIの関係を深追いしようとして、逆にISIのエージェントと目されるサイード・シェイクらに誘拐されたという展開だった可能性がある。(関連記事

 パール記者誘拐事件もまた、非常に不可解な事件である。そもそも、誘拐の主犯はサイード・シェイクではなかったと思われる。パキスタン政府は、サイード・シェイクに対する一審判決が出た直後に「主犯は別におり、尋問中。サイード・シェイクは主犯ではなく、パール記者をおびき出す役目を果たしただけだ」と言い出した。(関連記事

 こうした不可思議な状況を総合すると、911事件の真相を握っているサイード・シェイクは、911に関する暴露発言を行う可能性があるので、ISIとムシャラフ政権によってパール記者誘拐の容疑を着せられ、生涯獄中に閉じ込められることになった可能性がある。

 もう一点は、誘拐されたのがウォールストリート・ジャーナルの記者だったという点である。この新聞はタカ派系で、アメリカの中枢部でブッシュ政権の外交政策を牛耳り、イラク侵攻を引き起こした黒幕とされる「ネオコン」(新保守主義派)に近い立場の新聞である。ネオコンはイスラエルと近い半面、イスラム主義のサウジアラビア、イラク、パキスタンなどを非難している。イスラエルは、パキスタンと対立するインドと親しい関係を築いている。

 ブッシュ政権中枢でネオコンと対立してきた中道派は、911以前のアメリカの外交政策を古くから握ってきた主流派で、サウジアラビア、パキスタンの政府と親しい関係を築いている。現在の米政府内では、国務省とCIAで中道派の色彩が強いのに対し、国防総省はネオコンの色彩が強い。国務省とCIAは、2000年10月にイエメンで起きた米軍の駆逐艦爆破テロ事件に対するFBIの捜査を妨害するなど、911以前から、テロリストに行動の自由を与えるためではないかと思われる政策を続けてきた。

(イエメンの駆逐艦爆破テロ事件を捜査するため、FBIのテロ捜査の最高責任者だったジョン・オニールらFBI捜査官がイエメンに行って調べようとしたところ、国務省から「イエメンとの友好関係にひびが入るのでもうイエメンに来るな」と命じられ、妨害されて十分な捜査ができなかった。イエメンにはアルカイダの拠点があり、この拠点の動きをウォッチしていれば、911事件の発生も防げた可能性がある)

▼911事件を誘発したのは中道派?

 サウジアラビアの中枢(王室の一部や財界)はビンラディンらを通じてアルカイダに資金援助してきた経緯がある。サウジアラビア(ビンラディン)−パキスタン(ISI)−アフガニスタン(タリバン、ムジャヘディン)−アメリカ(CIA)という「4者連合」は1980年代にアフガニスタンで対ソ連ゲリラ戦をともに戦った仲であり、その後はタリバン政権を支援した仲間たちである。この4者連合のうち、ビンラディンとタリバンは911事件への関与が取りざたされ、今回さらにパキスタンのISIの911に対する関与も明らかなった。

 アメリカ国内で、この4者連合に参加しているのは、ネオコンではなく中道派である。つまり、米当局が911事件を「事前に知っていたが見逃した」「予防策や捜査を怠って誘発した」とすれば、それはネオコンよりも中道派の仕業だった可能性が大きい。

 アメリカなどでは「911はイスラエルのスパイの犯行に違いない」といった言説がけっこう出ている。911事件の直後、実際にニューヨークの近郊で引越し業者のふりをしたスパイと思われるイスラエル人が5人か逮捕され、その後2カ月の尋問を経て国外退去処分になっている。(関連記事

 また、主犯格のモハマド・アッタのフロリダの家の近くにイスラエルのエージェントが住んでいた、ということも報じられている。こうした事実から「911はイスラエルがやった」という見方になるのだろうが、私はイスラエルの諜報機関は911のテロ計画が実施される一部始終を「ウォッチしていた」ものの「荷担した」可能性は低いのではないかと今の時点では考えている。

 イスラエルの諜報機関モサドは911直前の2001年8月23日、CIAに対し「アメリカ在住の19人のテロリストが間もなくテロをやりそうだ」と通告し、テロ容疑者のリストまで渡した。そのリストには、モハマド・アッタなど、911事件の容疑者とされたメンバーが少なくとも4人載っていた。もしイスラエルが911事件の実行犯サイドに関与していたのなら、こんなリストを出すとは思えない。(関連記事

 また、911事件でハイジャックされ貿易センタービルに突っ込んだアメリカン航空11便には、イスラエル軍の特殊部隊「サエレト・マトカル」(Sayeret Matkal)の元メンバーだったダニエル・ルイン(Daniel Lewin)という男が乗っており、機体がビルに突っ込む前にハイジャック犯のひとりに刺殺されたことが分かっている。この情報は、この旅客機に乗っていた乗務員が航空機電話を使って地上の職員に伝えたものだが、このことも「イスラエルはテロ実行犯をウォッチしていたが、一味ではなかった」と私が考える根拠となっている。(関連記事

 911以降、イスラエルと親しい関係にあるネオコンは、ブッシュ政権内での権力を急拡大させ、かねてからやりたかったイラク侵攻を実現させるに至っているが、これは中道派による911事件の誘発を把握した上で、ネオコンが911事件の真相について黙っている代わりに、中道派が阻止したかったイラク侵攻を実現させたという「交換条件」だったのかもしれない。こうした大胆な仮説は推測に過ぎないのだが、ネオコンと中道派の間で何らかの裏取引があり、その結果イラク侵攻が実施された可能性はある。

 もう一点分からないのは、イラク侵攻の直前にパキスタンでビンラディンに対する逮捕劇が始まったこととの関係である。以前の記事「ビンラディン逮捕劇の怪しさ」に、この逮捕劇の意味をあれこれ推察して書いたが、イラク侵攻とビンラディン逮捕劇を連携させて考えた私の推察が外れる一方で、イラク開戦後もビンラディンに対する逮捕劇は続けられている。これが今後どうなるか、イラク戦争の長期化でネオコンが責任を取らされる事態になるかもしれないということとあわせて、推移をもう少し見る必要がある。



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