遺伝子組み換え食品をめぐる世界大戦

1999年10月28日   田中 宇

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 南米のボリビアは、アンデス山脈の国として知られるが、国の東側、アンデスの山麓には、ジャングルを開拓して畑や牧草地にした平原が広がっている。その中心地であるサンタクルスの郊外に、日本人が作った二つの移住地がある。私は今年1月に移住地を訪れ、『南米に夢を求めた日本人:原生林を拓いて「日本」を作る』という記事を書いた。

 日本人移住地の一つで、沖縄県からの移民によって作られた「オキナワ村」の主力作物は、大豆である。日本人村の村役場のような存在である「オキナワ日ボ協会」(「日ボ」は日本・ボリビアの略)の事務局長をつとめる星川和男さん、それからサンタクルスの町から私を案内してくださった三浦孝さんとともに、村の人々を訪ね歩き、開拓の苦労話などをお聞きしたのだが、その道中、道の両側は、一面の大豆畑であった。

 戦後間もなく始まった、日本人移住地での農業経営は、最初から苦難続きだった。オキナワ村では最初、原生林を開拓し、コメを作っていたが、1960年代に降雨量が減ったことなどから収穫量が減り、行き詰まった。

 そこで、主力作物を綿花に切り替えたが、やがて綿花の国際相場が急落し、これも失敗。1970年代には養鶏にも取り組んだが、鶏の伝染病が発生し、うまくいかなかった。苦労の連続に耐えかねて、当初移民してきた人々の半分以上が、村を出て、隣国ブラジルなどに引っ越していった。

 1980年代に入り、大豆を主力作物とする方針を打ち出し、これが村を救うことになった。今では人々は、以前の失敗の借金を残しつつも、安定した生活を営んでいるように見えた。

▼平穏そうな村に激しい国際競争の波

 昨年暮れからは、NHKの国際衛星放送が受信できるようになった。オキナワ日ボ協会の会長をつとめる具志堅興貞さんは「大相撲が始まると、お年寄りたちは皆、寝不足ですよ。日本との時差の関係で、相撲の実況放送が、こちらの時間では午前3時半から始まるんです」と言っていた。

 それまで日本からの放送は、NHKラジオの国際放送だけだったので、相撲の結果は知っていても、力士の姿を見ることはできなかった。衛星テレビ放送の開始当初は、何十年ぶりかで、テレビで力士の姿を見て、感激するお年寄りが多かったという。

 だが、そんな風に平穏そうに見える村の農業経営も、農作物の国際競争の波が押し寄せていた。ボリビアの8倍以上の国土を持ち、南米最大の国である隣国ブラジルや、3倍近い国土を持つ南隣のアルゼンチンで栽培される大豆との、価格競争が激しくなっていた。加えて、国際価格を決定するシカゴの穀物相場の上下も、生死にかかわる問題だった。

 ボリビアは内陸国である上、サンタクルス周辺は大陸の真ん中で、港まで出荷するのに、大型トラックに載せて、最短距離で800キロも運ばねばならない。 しかも、アンデス山脈を越えるか、ライバルである隣国を通してもらわねばならない。

 オキナワ村の農産物を出荷している「コロニア沖縄農牧総合共同組合」の総支配人、久高将行さんによると、隣国からの脅威の一つが、遺伝子組み換えによって作られた大豆の種の存在だった。これは、種子や農薬を作っているアメリカのメーカー、モンサント社が開発したもので、除草剤がかかっても枯れない性質を持っている。

 従来の大豆だと、除草剤を散布する際、大豆そのものが枯れないよう、除草剤の濃さを調節しながら、何回にも分けてまく必要があったが、新品種の場合、そのような手間が要らないので、大ざっぱに散布しても、雑草だけを枯らすことができる。その分、栽培にかかる人件費などのコストが減り、安く作れるというわけだった。

 この時はまだ、遺伝子組み換え作物について、日本で騒がれ出したばかりのころで、あまり事情を知らなかった私は、そんな手品みたいなものがあるんですか、という感想を持った程度だった。

▼数ヶ月で変わった世界の状況

 だがその後数ヶ月で、遺伝子組み換え作物をめぐる世界の状況は、大きく変わった。今年8月には、日本でも農水省が、遺伝子組み換え技術を使った素材を含む食品に対して、その旨の表示を義務づける方針を発表した。

 ビールやインスタントラーメンを作る会社が、原料に使うトウモロコシに関して、遺伝子組み換え品種を使わないようにしていく方向性を表明するなど、食品メーカーも遺伝子組み換え品を敬遠し始めた。食品会社は「遺伝子組み換え品が危険だから、というのではなく、消費者の不安を重視した対応」などという釈明をつけており、遺伝子組み換え作物は、文字通り「敬遠」されている。

 日本に輸入される穀物のうち、大豆の8割近く、トウモロコシの9割近くが、アメリカからのものである。アメリカでは1996年から、遺伝子組み換え技術を使った種子が発売されたが、今ではアメリカで栽培されている大豆の55%、トウモロコシの40%が、遺伝子組み換え種子を使っている。そのため、日本が遺伝子組み換え品を拒否し始めたことは、アメリカの農業に打撃を与えずにはおかない状態だ。

 アメリカは、世界で栽培される遺伝子組み換え作物の、4分の3を生産している。大豆、トウモロコシのほか、綿花やジャガイモなどでも、遺伝子組み換え技術が使われている。その種を作っているのは、モンサント、デュポンといったアメリカの大企業、そしてノバルティスというスイスの企業などである。

 遺伝子組み換え品が危険視され出したのは、日本が最初ではない。昨年にはすでにイギリスで、遺伝子組み換え食品の普及に反対する人々が、デモ行進するなどの運動が起きており、今年6月にはチャールズ皇太子が、組み換え食品の安全性を疑問視する公開書簡を発表するなど、国民的な問題になっている。

 モンサントは昨年、遺伝子組み換え品は危険ではなく、収穫量の増加など、人類の役に立つ技術だということを人々に知ってもらうため、イギリスだけで年間160万ドル(1億7000万円)分の広告を打ったが、遺伝子組み換え品に関する問題の存在を、それまで知らなかった人にも知らせたという点で、むしろ逆効果だったようだ。

 今では、フランスやオーストリアなども、遺伝子組み換えトウモロコシの一部を輸入禁止にしたため、今秋にアメリカで収穫された遺伝子組み換えトウモロコシのうち5%が、ヨーロッパからの輸入許可がおりず、人間がそのまま食べる食品ではなく、価格がより安い、家畜用の餌などに回さねばならなくなっている。

▼意外に大きいアメリカ農業の打撃

 遺伝子組み換え作物が、海外で受け入れられなくなったことで、アメリカの農業が被る打撃は、意外に大きい。というのは、遺伝子組み換え品種と、そうでない従来型の品種を、分けて輸出することが難しいからだ。

 アメリカで作られた穀物は収穫後「エレベーター」と呼ばれる貯蔵業者の穀物倉庫に集められ、そこで複数の品種をブレンドし、売りやすいように価格と品質のバランスを整えてから、港に運ばれて輸出される。流通過程でブレンドが行われる段階は一カ所だけでなく、多いときは港に着くまでに10回もブレンドを重ねている。Aという品種はAだけで出荷し、BはBだけで、というかたちになっていないのである。

 この流通システムに乗せず、AはAだけで、という単独の流通経路をとろうとすると、必然的に価格が高くなる。たとえば、日本人が食べる豆腐の原料となる大豆は、油をとるためなどの一般の大豆とは違った品質が要求され、栽培から日本への輸出まで、一般品とは別に扱われているが、これによってアメリカでは豆腐用の大豆が、一般品の3倍の価格になっている。

 しかも、ヨーロッパが定めた基準では、たとえば一袋のトウモロコシの中に、0.5%の遺伝子組み換え品が混じっていても「組み換え品」として扱われてしまい、「天然素材」をうたう食品に使うことができない。

 つまりアメリカが、組み換え品ではないと世界から認定される穀物を輸出しようとすれば、現在の流通システムとは別に、完全に組み換え品を閉め出した新しい流通システムを、畑から港までの全課全過程にわたって、新設する必要がある。

 もしそれを実行したら、「非組み換え品」の流通コストは、これまでの2倍となり、最終的な穀物の価格は25―30%ほど値上がりすると予測されている。これでは、アメリカの穀物は国際競争力を失ってしまう。

 当初、遺伝子組み換え技術は、研究者や農業関係者の間で、世界の農業を革命的に改善させる技術だと思われていた。1996年に、初めてその種子が販売されたとき、アメリカの農家は先を争うように、種をほしがった。

 今年の春、アメリカの農家が春まきの種を植えたあたりまでは、希望ある状態だった。アメリカでは、このままいけば2―3年後には、大豆やとうもろこしのほとんどが、組み換え品になると予測されていた。ところが今年の夏から秋にかけて、ヨーロッパや日本、そして韓国などにも、組み換え食品に対する反発が広がり、今やアメリカの農家は追い詰められる状況になっている。

遺伝子組み換え食品をめぐる世界大戦(2)に続く】