遺伝子組み換え食品をめぐる世界大戦(2)

1999年11月1日   田中 宇

 記事の無料メール配信

 この記事は「遺伝子組み換え食品をめぐる世界大戦(1)」の続編です。

 前回に続き、ボリビアのオキナワ村のことから書き始めさせていただく。前回の記事で、一つ書き忘れていたことがあった。オキナワ村で大豆栽培を営む人々に取材した際、遺伝子組み換え種子について聞いた話があった。

 除草剤をかけても枯れにくい種子は「ラウンドアップ・レディ」(Roundup Ready)という商品名だ。これは、伝子組み換え種子では世界的に有名な、アメリカのモンサントという会社の製品なのだが、同じ会社の「ラウンドアップ」という除草剤に対してだけ、最大の効果を発揮できる種子として作られているという。

 つまり、ラウンドアップ・レディを使いたければ、必然的に、除草剤としてラウンドアップを使わねばならない仕掛けになっている。この話をしてくれたオキナワ村の人は「アメリカの多国籍企業による世界支配の典型みたいな話ですよね」と言っていた。

 このラウンドアップ・レディは、今年1月に私がオキナワ村を取材した当時、すでに隣国ブラジルでの使用が始まっていて、オキナワ村の大豆農家は、ブラジル大豆が遺伝子組み換え種子を使うことで、値下げ攻勢をかけてくるのではないかと、心配していた。(当時はちょうどブラジル通貨危機で、ブラジルの通貨レアルが急落下した直後で、そのことも心配の種だった)

▼遺伝子組み換え品に反対する政治戦略

 ところが今や、事情は大きく変わった。今年6月、ブラジルの連邦裁判所で、一つの判決が出たからである。それは、ブラジル政府が遺伝子組み換えに対する安全基準を定めるまで、ラウンドアップ・レディの販売を禁止する、という決定だった。担当判事は、判決文の中で「(政府が)遺伝子組み換え種子を、急いで導入しようとしていることは、無責任なやり方であり、多国籍企業の強欲に影響された決定である」と非難した。

 ブラジルの連邦裁判所は、昨年も2回にわたり、モンサントが遺伝子組み換え大豆種子に対してブラジル政府が下した販売許可を、裁判所の権限で取り消させている。裁判所だけでなく、大豆の産地であるマトグロソや、リオグランデドスルの州知事も、州内での遺伝子組み換え種子の利用を禁止する方針を打ち出している。

 ブラジル政界ではここ数十年、アメリカと仲良くして国家運営をやろうとする勢力と、アメリカの支配を嫌う人々の声を代弁することを旗頭にした勢力との対立が、政治的な動きの中心となっており、遺伝子組み換えをめぐる問題も、その流れの一つだという見方もできる。

 ブラジルは、世界第2位の大豆生産国である。モンサントにとっても、アメリカ本国以外の最大の市場であった。そのブラジルが、遺伝子組み換え大豆の栽培を止めたことは、隣国ボリビアのオキナワ村にとってだけでなく、世界的な影響がある。大豆は国際相場作物であり、アメリカ、ブラジル、アルゼンチン、中国、カナダなど栽培国の間で、国際競争が展開されている。

 その面からみると、ブラジルの決定は、大市場である日本やヨーロッパで、遺伝子組み換え大豆が売れなくなっていることをふまえ、逆に遺伝子操作なしの「天然モノ」の方が売れることを見越した転換であるともいえる。日本国内でも、今では「遺伝子組み換え品は使ってません」と銘打つことが、小売店や食品メーカーにとって、売り上げを伸ばす効果的な戦略となっているが、それと同じ発想である。

 現在、世界で遺伝子組み換え農業を積極的に推進し続けているのは、元祖アメリカのほか、カナダとアルゼンチンぐらいのものだ。今年2月、コロンビアのカルタヘナという町で、世界170カ国が集まって、遺伝子組み換え技術に関する国際基準を作るかどうかを議論したが、アメリカを主力とする推進派諸国は「世界的な規制は、自由貿易の原則に反する」との主張を展開し、会議として合意をまとめることができなかった。

 アメリカにとって、コソボ問題への「内政干渉」の際に「人権」が、呪文のような攻撃力を持ったキーワードとなったように、為替や金融、遺伝子組み換えなど、アメリカの得意分野に関して、国際規制を敷くべきだと主張する人々へのアメリカの反撃は、「自由貿易」が呪文となっている。

▼医薬品の遺伝子組み換えは問題にならないのに・・・

 こんな風な記事展開にすると、アメリカの世界支配を非難するだけで終わってしまいそうだが、そもそも遺伝子組み換え食品が危険かという問いには、まだ専門家の間で結論が出ていない。

 遺伝子組み換え種子が危険かもしれないという点は、大きく分けて2つある。一つは、その作物を人間が食べた場合、その人の健康に悪影響があるのではないか、という不安。もう一つは、その作物を植えた畑の周辺の自然環境に、良くない影響を与えるのではないか、という懸念である。

 2種類の懸念のうち、食べた人への悪影響の方が、環境への影響より、可能性が小さいように、私には思われる。遺伝子組み換えは、ある生き物が持っている、ある機能をつかさどる遺伝子を、別の生き物の遺伝子の中に組み入れてやることで、機能を移転させようとするものだ。

 たとえば、害虫が嫌う物質を分泌するという機能のもとになっている遺伝子を、バクテリアからトウモロコシに移すことで、トウモロコシに同じ機能を持たせている。元々のバクテリアが分泌する物質が、人体に悪くなければ、移転先のトウモロコシから分泌される物質も、同じように人体に悪くない、と考えられている。

 遺伝子組み換え技術は、すでに医薬品の製造過程では、何年も前から、大々的に使われている。医薬品も食品と同様、体内に取り込むものだが、遺伝子組み換え医薬品に反対する運動というのは、あまり起きていない。

 その理由はおそらく、医薬品の場合、遺伝子組み換えによって、薬品の価格がかなり安くなったり、開発に何年もかかる薬品の開発期間が大幅に短縮できて、薬の完成を待ち望んでいた患者を助けられるといった、最終消費者(患者)にとって、明らかにプラスとなる働きがあったからだろう。

 これに対して農産物の場合は、消費者にとっては、今のところあまりプラス面が感じられない。むしろ今の遺伝子組み換え作物の利点は、農薬散布の手間が省けるとか、収穫量が増えるという、農業生産者に対するものが主体だ。遺伝子組み換えによって、アトピーにならない作物とか、明らかにおいしい作物が、どんどん出てくれば、議論の方向も変わるかもしれない。

 収穫量の増加という、遺伝子組み換えによって得られる機能は、世界的な食糧不足の解消策として有効かもしれない。だが、遺伝子組み換え種子は、従来型の種子より、何倍も値段が高いので、お金のない貧しい国の農民が使える状況にない。これらの課題を乗り越えれば、遺伝子組み換え技術への評価は大きく変わるかもしれない。だが、すでに遺伝子組み換えに対する、世界の人々の印象は、悪くなりすぎてしまったようにも思う。

 遺伝子組み換え食品への反対運動を広げる努力だけでなく、人類のために役立つ遺伝子組み換え技術のあり方が、もっと考察されるべきであると思う。イギリスの医学雑誌「ランセット」に最近掲載され、波紋を呼んだ記事では、科学者が消費者である市民ともっと交流すれば、前向きな解決策が見つかるだろう、と提案している。

 同じ号のランセットには、遺伝子組み換え品種のジャガイモを食べたネズミが、健康被害を起こしたという実験結果のレポートが掲載されているが、そのレポートが妥当かどうかをめぐって、大論争がおきている。そのことは回を改めて書く。

(続く)




田中宇の国際ニュース解説・メインページへ