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見かけ倒しの米中貿易協定

2020年1月25日   田中 宇

1月15日、米国と中国が第1弾の貿易協定を締結した。中国が米国から大量の穀物を輸入することなどが盛り込まれている。トランプ大統領はこれを大成功と自慢した。米国などの株価が最高値を更新したのも米中貿易協定の締結を好感したものとマスコミが喧伝している。しかし実のところ、今回の貿易協定の主要な部分である中国の米国からの穀物の輸入増加の約束は、おそらく達成されない。中国が約束通りの輸入増をする確率はほぼゼロだ。 (Phase One Trade Deal "Doomed From The Start" As Skepticism Mounts About Purchases) (Be skeptical of Trump’s new trade deal with China

中国は今回の協定で、大豆、小麦、豚肉、綿花などの米国からの輸入を急増させると約束した。だが、たとえば大豆の輸入は、主な用途の一つである養豚の飼料の需要が急減している。アフリカ豚コレラの発生による中国の養豚の頭数が減ったためだ。しかも中国はブラジルと大豆の輸入で合意しており、これを契約違反して大幅に削減しない限り、米国からの大豆輸入を増やせない。中国にとってブラジルは、中国の世界戦略の一つであるBRICSの結束に必要な重要国だ。 (US–China trade deal disappoints) (Lighthizer Confirms China Pledged $40BN In Ag Buys Next Year, There Is Just One Problem...

中国は今回の協定で、米国からの天然ガス輸入の増加も約束した。だが天然ガスの輸入体制を作るには長い年月がかかる。天然ガスなどエネルギー輸入は、重要な国家安全保障政策の一つであり、中国が、自国を敵視する傾向を強めている米国から天然ガスの輸入を増やすことは得策でない。中国は、イランなど非米諸国で天然ガス田の開発を手がけている。中国は今後長期的に、米国でなくイランなど非米諸国からのエネルギー輸入を増やしたいはずだ。中国が米国から天然ガスの輸入を増やすと言っているのは口だけだ。このように、この協定には履行不能な部分が多い。協定の条文自体が非公開になっており、不透明さが大きい。 (China just agreed to buy $200 billion worth of US products) (The Farce Of The Deal: Terms Of 'Phase One' Trade Deal Will "Never Be Made Public"; There Will Be No Signing Ceremony

今回の協定では、米国が中国にかけている懲罰関税の一部しか解除されていない。米国が中国企業のファーウェイ(華為)を敵視してきた問題や、米国が中国の「中国製造2025」を不当な政府補助金政策だと非難している問題も解決されておらず、今後の課題として残っている。全体的に今回の協定は、米国の株の高値を保持し、トランプは良くやっているという評判を維持して秋の大統領選挙での再選につなげるための、短期的な目くらましの策だ。米財界の多くは、今回の協定に満足していない。株の高値の真の原因は、米中協定でなく、米連銀がレポ市場への介入という実質的なQE4の資金注入を拡大していることだ。 (US-China trade deal: Five things that aren't in it) (US business leaders don’t see the ‘phase one’ China trade deal as a huge breakthrough) (Goldman Is Displeased: "The Tariff Reduction Is Only Half What We Expected"

今回の米中協定は、今年11月の米大統領選挙後まで「うまくいきそう」な感じを醸成してトランプの再選に貢献しそうだが、その後は「中国が約束を守ってない」という話になり、来年初めにトランプの2期目が始まった後ぐらいに再び米中の経済対立が激しくなるのでないか。トランプの本心は、中国と貿易協定を結んで米中対立を恒久的に解消することでなく、逆方向の、米中貿易戦争を未解決のまま放置することであるように見える。 (トランプは隠れ親中国) (Consciously decoupling the US economy

トランプが18年春に中国の対米貿易黒字を問題にして中国から米国への輸出品に懲罰関税をかけるまで、米中間は何も貿易協定がない状態でうまく回っていた。中国は、対米貿易黒字の資金で米国債を買って米国に貢献していた。米中間の貿易決済はドル建てで、そのことがドルの基軸通貨の地位を支えていた。中国は、ドル建て決済や貿易黒字資金での米国債購入などによって、米国の覇権体制を中国が支えることを了承していた。中国共産党は、自国が米国の覇権体制の下に居続けることでかまわないと考えていた。米中間には暗黙の合意があった。中国が米国覇権の傘下にいる従来の状態・暗黙の合意を壊したのはトランプだ。 (Experts say U.S.-China economic decoupling to leave U.S. decoupled from world) (習近平を強める米中新冷戦) (トランプの貿易戦争は覇権放棄

大統領になったトランプは、中国の対米貿易黒字を理由に、中国から米国への輸出品に懲罰関税をかけた。同時にトランプは、中国と親しくしているロシアやイランへの敵視を強め、露イランなどが貿易をドルで決済することを制限した。これらのトランプの動きを見て中国は、米国覇権の傘下に居続けることに対する懸念を強めるようになっている。習近平は2013年の権力への就任時から、対米自立した中国中心の非米的・多極型の経済システムである「一帯一路」の構想を掲げ、米国の経済システム(巨大市場である米国への輸出や、ドル決済など)に依存しない姿勢をとっていた。 (中国が好む多極・多重型覇権) (Former US envoy says Chinese officials anticipate ‘partial decoupling’ of the nations’ economies

トランプは、中国に懲罰関税をかけて対米輸出を妨害することで、習近平が一帯一路など非米的な国家戦略への傾注を強めることに拍車をかけている。トランプが中国に貿易戦争を吹っ掛けるほど、中国はロシアなどの協力を得つつ、非米型の国際経済システムを作るようになり、世界経済は従来の米国傘下のシステムと、中国が作る非米型・多極型の新システムとに分離する「デカップリング」の傾向を強めている。トランプは、米中のデカップリングをこっそり推進している。 (キッシンジャーが米中均衡を宣言) (The U.S.-China Relationship Is At a Crossroads

1970年代以降、世界の製造業の中心は、米国から離れ、日本、韓国そして中国へと移転してきた。米国は、日韓中国などの製造業諸国からの製品を旺盛に輸入する巨大市場として機能する代わりに、日韓中などが対米貿易黒字の資金で米国債などドル建ての金融商品を買い支え、ドルが低利の覇権通貨(備蓄・決済通貨)として機能し続けることを助けてきた。今の世界の製造業の中心である中国が米国からデカップルしていくと、この機能が喪失し、ドルの覇権が失われ、最終的には米国の債券金利も上がってしまい、米国の覇権が破綻する。それはすでにいつ起きても不思議でないが、08年のリーマン危機後、米連銀など中央銀行が自分の信用を切り売りしてドルを造幣して債券を買い支えるQEをやって延命させている。QEが行き詰まって中銀群の信用が落ちるまで、米覇権の破綻は表面化しない。だが、すでにドル建ての債券金融システムは、中銀群からの支援金がないと破綻する末期状態だ。 (Deconstructing US–China decoupling) (Worlds apart: how decoupling became the new buzzword

米国の覇権運営を担当している軍産(諜報界)や財界、マスコミ、エリート層(総称して「軍産側」)は、トランプが容認・隠然推進している米中のデカップルをいやがっている。軍産側からの圧力をかわすため、トランプはいったん起こした米中貿易戦争を一時停戦する米中貿易協定を結んだ。しかし、協定はいかにも怪しい感じのもので、トランプはいつでも中国との貿易戦争を再開できる状態で、貿易面の米中対立は解消されていない。米国に対する中国の不信は払拭されていないので、米中デカップルは水面下でどんどん進んでいる。 (ユーラシアの非米化) (US Must "Pursue Targeted Decoupling" From China's Economy, Says Former US Ambassador

中国は最近、5年前から開発してきた、米国主導のGPSに対抗する衛星測位システムである「北斗」(Beidou)が完成し、今年6月から本格稼働させると発表した。中国など非米反米諸国が米国主導のGPSを使うと米軍に監視されてしまうので、それを防ぐための非米的なシステムとして北斗が作られた。これは米中デカップリングの象徴だ。GPSは人工衛星が30機だが、北斗は35機。北斗は、カバーする領域もGPSより17%広い。中国を中心に、東南アジア、南アジア、アフリカ、東欧までをカバーする。北斗は一帯一路の測位システムだ。東京の上空もGPSより北斗の方が衛星が多い。独自のスマホOSを開発しているファーウェイをトランプが敵視したため、コンピューターや電話のOSやSNSも、米国製と中国製が世界を二分するデカップル状態が進んでいる。 (China On Verge Of Decoupling From US GPS Network) (The Great U.S.-China Tech Divide) (China No Longer Needs US Parts In Its Phones

中国共産党はトウ小平から江沢民を経て胡錦涛の時代まで(1978-2013年)、米国の覇権下で経済発展する対米依存的な国家戦略だった。だが、胡錦涛の後に出てきた習近平は、先輩たちの戦略を捨て、対米自立的な一帯一路を推進している。米国の軍産側は、習近平政権になってから、中国を敵視する傾向を強めた。軍産系のマスコミは、胡錦涛までの集団指導体制を破壊して個人独裁を強化した習近平を非難し続けている。だが、本質はそこでない。本当のところ軍産は、習近平が対米自立を進め、世界を米国側と非米側に二分化・多極化しようとしているので敵視している。二分化・多極化を扇動するトランプも軍産マスコミに敵視されているが、トランプは軍産との戦いに勝っている。 (How I became a China sceptic 軍産系中国非難の典型。FTに金払うの無駄) (世界経済を米中に2分し中国側を勝たせる

トランプが二分化・多極化を推進する理由は、私が見るところ、軍産が米国覇権の維持に固執するあまり、天安門事件を引き起こしたり中国包囲網を形成したりして、中国の経済発展を阻害することをやり続けているからだ。これは産業革命以来の、英米の覇権運営の担当者たちの内部の、世界経済の発展を優先せする「資本」側と、英米が覇権を持ち続けることを優先する「帝国」側との暗闘である。トランプや習近平、プーチンらは「資本」側の代理人たちだ。米民主党や、欧州の対米自立をやりたがらないドイツのメルケルなどは「帝国」側の代理人だ。米国などの資本家(財界人)の多くは、資本側でなく帝国側である。 (資本の論理と帝国の論理) (米国の多極側に引っ張り上げられた中共の70年

資本の側は、世界経済を米中に分割することで、米国側の軍産が中国側(非米側)に対して諜報的に介入できないようにした上で、軍産から隔離された中国・非米側が製造業主導で経済発展し続けられるようにしたいのでないか。軍産から隔離された中国主導の非米的な経済システム(一帯一路など)は、軍産系のマスコミに報じられず、目立たないように結束と発展を続けている。米欧日の軍産マスコミは「一帯一路は成功するはずがない。中国はバブル崩壊して潰れる」と喧伝し続けているが、これらはフェイクニュースだ。 (America Needs Eurasia Capital Market Access 今さらジロー) (China Pulls Out of Giant Iranian Gas Project 多分フェイク) (China Quietly Ramps Up Oil Production In Iran 多分こっちが事実

中国は、国内の金融バブルを意図的・予防的に潰しており、最終的に金融が全崩壊するのは中国でなく、残念ながら、中銀群がQEをやっている米国や日本の方だ。米中を分割・デカップルしてしばらく置いておくと、そのうち米側が金融バブルの大崩壊を起こして多極化が進む。悲しいけど日本は負け組だ。QE中毒がひどく、もう離脱や軟着陸は不可能だ。中国の優勢と日本の劣勢、米覇権の崩壊がひどくなる。5-10年かけて顕在化していく。みんな日本の自滅話を読みたくないだろうが、これが事実だ。せめて私を中傷して憂さ晴らししてください(M)。 (最期までQEを続ける日本



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