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オバマの広島訪問をめぐる考察

2016年5月31日   田中 宇

 5月27日、G7サミット出席で訪日していたオバマ大統領が広島の平和記念公園を訪れ、被爆者と面会し、演説を行った。 (Japan's Leader Has Little Use for Hiroshima's Lessons of Pacifism

 オバマは演説で「戦争は、人類が持つ(他の動物が持たない)最大の矛盾だ。核兵器は、戦争の矛盾性を劇的に象徴している」「人々は豊かになっても、崇高っぽい大義を言われると、いとも簡単に戦争や暴力を正当化し、戦争が人類最大の矛盾行為だということを忘れてしまう」「すべての大宗教は、愛や平和や正義を語るくせに、信者が宗教を理由に人殺しをすることを止めもしない」「国家は人々の共存や譲り合いを説くが、同じ論理を使って自分たちと違う人々を抑圧する」「戦争や核兵器の邪悪さを私たち(大統領一行?、テレビを見ている米国民?、全人類?)に思い知らせるために、核兵器による破壊の現場であるここに来た」「私たちは、戦争が、紛争解決の良い手段であるという考え方を改めねばならない。外交による紛争解決や停戦を成功させ、戦争を正当化する論理を廃れさせねばならない」といった内容を語った。 (Full text of Obama’s speech in Hiroshima

 演説から感じるのは「戦争という馬鹿げた行為をやり続ける人類に対する怒り」だ。演説には「学習によって同じ過ちを繰り返さないことも、人類だけが持つ特技の一つだ。これまでは戦争してしまったが、今後は戦争しなくなることが人類には可能だ」といったくだりもある。これを、核廃絶への希望を人類に持たせたと好感する人もいる。だが、この演説は何だか変だ。 (Obama’s Hiroshima Speech Was Lovely, Frustrating, and Infuriating

 オバマは、世界で最も多くの核兵器を持つ、単独覇権国である米国の最高権力者であり、世界で最も過激に戦争を行っている米軍の最高司令官だ。戦争が人類最大の愚行だというなら、大統領令を発し、今すぐ米軍がやっている戦争をやめればよい。核ボタンを持って「米空軍1番機(大統領専用機)」に乗り、岩国米軍基地からオスプレイの護衛をつけて、わざわざ広島まで来て、左翼の爺さんが居酒屋で叫ぶような反戦反核の怒りを発する前に、オバマがすべきことが無数にある。崇高っぽい詭弁の大義を巧妙に語り、戦争という過ちを繰り返しているのは米大統領のあんた自身だろ、とオバマに対して思った人が世界中にいたはずだ。 (Senator Scolds Obama for “Preaching Nuclear Temperance From a Bar Stool”) (Nuclear football - Wikipedia

 オバマ演説のすごいところは「戦争が、紛争解決の良い手段であるという(米政府の昔からの)考え方を改めねばならない」と言っている点だ。米国は、軍国主義日本という「悪」による世界支配の野望を食い止める「正義」の行為として日本と戦争し、広島に原爆を落とした。冷戦時代の核兵器急増も、ソ連という「悪の帝国」を封じ込める正義の行為として行われた。イラク戦争も同様だ。「戦争をやりたがる悪を倒すために正義の戦争をやる」という詭弁が米国の伝統芸だ。オバマは、この詭弁を間違いだと断言している。 (Obama’s Hiroshima visit was hugely momentous - and bitterly ironic) (Who wrote Obama's Hiroshima speech?

 この断言は格好良い。だが同時に「偉そうに語る前に、大統領として、米国が世界中で続けている戦争や軍備増強、米軍駐留、包囲網形成といった軍事的行為を全部やめる命令を出せよ」と、反戦市民や、米軍に攻撃威圧される側の人々から言われてしまう。もちろん、オバマは、そんな命令など出さない。オバマの格好良い演説は、彼自身を苦境に追い詰めている。オバマは自虐的だ。 (My Dreams Seek Revenge: Hiroshima

 オバマは、広島に行く直前の岩国米軍基地での演説で、核兵器はもう要らないと短く言う一方で、在日米軍兵士たちが自由と平和と安定を守るために(戦って)いると何度も称賛している。「軍事行動(戦争)が紛争解決の良い手段だ」という考え方について、オバマは広島でそれを否定する一方で、岩国ではそれを認めている。岩国の演説は、歴代の米大統領が各地の米軍基地で行う標準的な演説の範囲内だ。広島の演説は異様だ。 (Remarks by President Obama to U.S. and Japanese Forces

 今回のオバマの広島演説は、大統領就任3カ月後の09年4月に世界核廃絶を提唱した「プラハ演説」と似ている。欧州人はプラハ演説に感動し、オバマにノーベル平和賞を与えた。就任直後のプラハ演説と、任期末の今回の広島演説が対をなしている。しかし、2つの演説の間の時期にオバマが実際にやったことは、世界の反戦勢力を落胆させている。オバマはロシアと交渉して米露の核兵器を削減したが、米国が削減したのは約500発に過ぎなかった。先代のブッシュ政権は、6千発だった核兵器を2千発に減らしたが、オバマはそれを1500発にしただけた。あと500発減らしても抑止力に影響がないと米政府自身が認め、米民主党の左派が追加の核廃棄を求めたのに、オバマはそれをやっていない。 (Obama Has Slowed Reduction in US Nuclear Arsenal

 しかもオバマは、今後30年間で1兆ドルかけて、核兵器関連の米軍の装備を近代化していく長期計画を決定している。核廃絶するなら、核兵器の近代化などやっている場合でない。オバマの反戦反核は口だけで、実際はゴリゴリの軍産複合体なんだと多くの人が思っても不思議はない。 (Russian Roulette at the White House as Obama visits Hiroshima

 実のところ、戦後の国際政治において、核兵器保有は「悪」でない。北朝鮮や印パやイスラエルの核保有は国際法違反の「悪」だが、米英仏露中という5つの国連安保理の常任理事国(P5)は、NPT(核拡散防止条約)の枠組みで、核兵器を持って良い国(nuclear-weapon states)に指定されている。国連安保理は、違法行為をする国に経済制裁を科したり、国連軍を編成して合法的に侵攻したりできる唯一の国際機関だ。P5は安保理の中で特に強い権限を持ち、世界の警察役の国だ。警察官や兵士は拳銃を持てる(持たねばならない)が、一般市民は拳銃を持ってはならない(米国では違うが)。同様に、警察役のP5諸国は核兵器を持てる(持たねばならない)が、他の諸国は核兵器を持ってはならないのが、NPTを作った戦後の国際社会の考え方だ。

 終戦直前のヤルタ会議などで米英露がP5の枠組みを決めた時、中国は内戦状態で、フランスはドイツに占領されていた。中仏は、戦後10年以上たってから核武装している。先にP5の枠組みが作られ、米露が英仏中に核兵器製造技術をわたして作らせた感じだ。その後、英国(軍産)が植民地だった印パを恒久分断するために核技術をこっそり譲渡し、安保的に綱渡り状態のイスラエルや北朝鮮が防衛力強化のため核技術を国際的にくすねて(米諜報界からもらって)武装した。

 核廃絶を実現するには、まずNPT体制を根本から改定し、P5の核保有を禁止せねばならない。だが、警察官や兵士に武器の保持をやめさせたら、社会の安全が守れなくなってしまう(警察官が丸腰の国はあるが、兵士が丸腰の国はない)。戦後の国際社会は、P5が持つ核兵器が抑止力となり、他の諸国に戦争を思いとどまらせる効果があるという考え方が基底にある。オバマは広島で、核兵器を人類の愚行(戦争)の最たるものと表明したが、NPTに象徴される戦後の世界は、P5の核兵器を警察官の拳銃と同様の、前向きな、国際安全保障の力(抑止力)とみなしている。

 核廃絶を重視するなら、核兵器なしに、通常兵器だけで世界の安全を守るよう、NPTやP5の枠組みを見直すことはできるが、その前に国際的な議論と合意が必要だ。米大統領の一存で決められない。オバマはプラハ演説の後、NPTの見直しを試み、唯一の被爆国である日本にも主導役を求めたが、日本政府は(米国の核廃絶を実は望んでいないので)ほとんど動かず、他の諸国の協力も得られないまま雲散霧消した。 (オバマの核廃絶策の一翼を担う日本

 オバマの広島訪問の問題点や皮肉性は他にもある。それは、安倍政権との関係だ。日本では、国民が世界の核廃絶を願っているが、政府は(対米自立につながる)自国の核武装を望まないだけで、米国には核廃棄してほしくない。世界最強の核保有国である米国の核の傘の下に、永久に入っているのが日本政府の戦略だ。NPTやP5の制度が改定されて米国の絶対的な優位が崩れ、米国と中露が横並びになったら困る(日本も米国に連動して弱くなる)ので、日本はオバマのNPT改革に協力したくない。 (Obama's talk on nukes at Hiroshima to clash with reality

 オバマは09年4月のプラハ演説の後、同年11月の訪日の時に広島を訪れたいと考えていたふしがある。ウィキリークスが暴露した米国務省の外交電文の中に、09年8月末、日本外務省の事務次官が駐日米国大使に対し、オバマの広島訪問は日本人の反戦機運(沖縄の米軍基地返還を求める運動)をあおりかねないので広島に行かない方が良いと進言したものがある。特広島でオバマが原爆投下を謝罪すると反戦運動が扇動されるので、広島に行くとしたら目立たない形にした方が良い、とも藪中外務次官がルース駐米大使に述べている。この話の前提となる、オバマ自身の広島訪問希望について電文は何も書いていないが、当時のオバマが訪問を希望しない限り、日本側が行かない方が良いと進言することはない。 (Japanese Government Nixed Idea of Obama Visiting, Apologizing for, Hiroshima) (Classified By: Ambassador John V. Roos; reasons 1.4

 当時、日本は鳩山政権ができて対米従属(と官僚独裁)を見直すと表明し、沖縄で普天間などの米軍基地の撤収を求める運動が盛り上がっていた。そんな時期に、核廃絶を掲げたオバマが広島を訪問して反戦の演説をしたら、沖縄の反基地運動は猛然と鼓舞されてしまう。対米従属(日米同盟)を何より重視する日本の官僚機構は、オバマの訪日を強く望む一方で、広島訪問は全力で食い止めようとした。オバマの広島訪問は、それから7年たって今回ようやく実現した。 (Obama's Hiroshima visit strengthens his call for nuclear disarmament

 今回オバマが広島訪問で被爆者らに対して原爆投下を謝罪するかどうかが、事前に大きな話題となった。オバマは謝罪するのを見送り、その理由は、米国の共和党や元軍人、軍産複合体が「原爆投下は日本軍国主義を退治するための正義の行いだった」という立場にたって謝罪に猛反対したからだとされている。だが7年前の電文からうかがえるのは、謝罪に反対したのが米国の軍産だけでなく、日本の外務省ら官僚機構も謝罪に反対だったことだ。オバマが謝罪すると、日本の反戦運動が扇動され、在日米軍が撤退に追い込まれ、日本の対米従属が希薄化し、官僚独裁が崩れかねない。

 7年前にオバマの広島訪問に反対した日本政府が、今回は賛成した理由として考えられることは「トランプ」だ。次期米大統領になりそうなドナルド・トランプは今年3月、日本や韓国が米軍駐留費を全額払わないなら、米軍を撤退し、日韓に核武装を許すと発言した。トランプが大統領になってこの政策を本当に挙行するかまだわからないが、米国の覇権低下が指摘される中、米国が日本に核武装を許す代わりに米軍が撤退するシナリオは、長期的に見て十分ありうる。だから日本政府は原発や核燃料サイクルに固執している。 (世界と日本を変えるトランプ

 だが短中期的には、米国が強くて日本が対米従属できる限り、日本政府は「核武装する気など全くありません。永遠に、米国の傘の下にいたいです」と強く宣言し続ける必要がある。だから、オバマが今回のサミットの訪日で広島訪問を希望した時、以前は広島訪問に反対していた日本政府が一転して賛成した。安倍首相が、日本人に大人気のオバマと一緒に広島を訪問し、日米同盟と日本の核不保持(米国の核の傘の下にいる状態)の永遠性を高らかに誓う。今夏の選挙を前にした安倍にとって、こんな好機はまたとない。

 2013年秋、安倍が靖国参拝を検討していた時期に、オバマは2+2会議で訪日した国務長官と国防長官にそろって千鳥ヶ淵の戦没者墓苑に行かせ、安倍に対し「中韓が反対する靖国に行かず、中韓が容認する千鳥ヶ淵に行け」と求めるメッセージを発した。だが安倍はオバマを無視し、13年12月に靖国を参拝した。オバマは、対米従属のために尖閣国有化や首相の靖国参拝などで中国や韓国との対立を激化させる安倍のことが嫌いだった。(もともとアジア重視策と銘打って中国包囲網を強化したのはオバマ政権だったが) (安倍靖国参拝の背景

 あれから3年。オバマは、安倍の人気取り策(対米従属のための提灯持ち戦略)に乗せられることになると知りつつ、広島を訪問した。オバマは安倍のことが好きになったのか。そんなことはないだろう。オバマは、今回が現職大統領として広島を訪れる最後の機会だったので、安倍を利してもやむを得ないと考えたのか。

 これらの矛盾を解くカギになるかもしれないのが、オバマが行なってきた裏表のある戦略だ。オバマは、大統領就任当初、ケネディ的な真っ直ぐさを持ち、それがプラハ演説につながった。だが、大統領の権限で核廃絶を進めようとしても、軍産複合体の妨害でうまく行かず、むしろ逆に政権内の軍産系の勢力によって、ロシアや中国との敵対が強められてしまう。オバマは、軍産と対立するやり方を放棄し、軍産が好む策(シリア内戦介入、中国包囲網など)を稚拙にやりすぎて失敗させることで、ロシアや中国、イランなどの非米・反米諸国の台頭を誘導し、米国が失敗して出て行った穴を非米・反米諸国が埋め、世界の体制が米国覇権から多極型へと代わり、最終的に軍産の縮小につなげる策に転換した。 (国家と戦争、軍産イスラエル) (米欧がロシア敵視をやめない理由

 私が「隠れ多極主義」と呼ぶこの戦略はオバマの発案でなく、先代のブッシュ政権から受け継いだもので、オバマの任期が終わった後、おそらくトランプ次期大統領に引き継がれる。この戦略はまだ途上であり、軍産に支配された段階の分野・地域(ウクライナ、南シナ海)と、軍産の支配が崩壊して非米反米側が台頭している分野・地域(シリア、イラク、アフガン、中央アジア)、転換が進まず停滞・混乱している分野・地域(北朝鮮、リビア、ブラジル)など、段階的にバラバラだし、何十年もかけて起きる話なので、私の分析は「ありえない」「幻想」と一蹴されがちだ。だがその一方で、国際情勢の理解困難ないろいろな問題を「隠れ多極主義」のシナリオを当てはめて分析すると納得できるのも事実だ。 (ニクソン、レーガン、そしてトランプ

 オバマは、4月にアトランティック誌に発表させた記事「オバマ・ドクトリン」の中で、軍産を嫌っていることを繰り返し表明している。シリアなどの事態を見ると、オバマがいったん軍産の言いなりになるように見せて、最終的に軍産を縮小させていることがわかる。軍産の一部だったイスラエルは、すでに米国から離れて行っている。オバマは広島の演説で「戦争や核兵器の邪悪さを、私たちに思い知らせるために、核兵器による破壊の現場であるここに来た」と言っているが、この「私たち」は、大統領側近や日本政府(米同盟諸国)も含めた「軍産と、そこにぶら下がる人々」を指していると考えられる。 (軍産複合体と闘うオバマ) (シリアをロシアに任せる米国

 オバマが当初核廃絶を目標に掲げたのに、その後核兵器の廃棄数を減らし、むしろ核兵器の近代化に巨額の予算をつけたのは、私が見るところ、オバマが途中でストレートな戦略から隠れ多極主義に転換したからだ。オバマの時代には核廃絶が実現しないが、いずれリーマン級の金融危機再来などで米国覇権が衰退し、世界が多極型に転換し、軍産の力が弱まると、核廃絶が起こり得る状態になる。

 世界が多極型に転換すると、国連安保理のP5体制も見直しが必要になる。リーマン危機後、G20サミットが世界体制の運営機構として登場したが、リーマン級の危機が再来すると、G20がP5に取って代わることもありうる。国連の常任理事国が20カ国に増えるのなら、それは世界核廃絶を実行する好機だ。20カ国すべてに核武装を許すのか、それとも一部の警察役の国家だけが核保有を許される体制を廃止し、すべての国に核兵器を廃棄させるか。諸大国が議論して決定する必要がある。その時、オバマの世界核廃絶の主張が意味を持つものになる。

 日本に関しては、オバマの次にトランプが大統領になると、米国が在日米軍撤退の可能性に言及するようになる。09年の鳩山政権の時のように、沖縄で米軍基地の返還を求める運動が再び盛り上がり、東京の官僚機構は対米従属の維持が難しくなる。オバマの広島演説は、そこに向けた鼓舞活動なのかもしれない。

 日本の権力を握る官僚機構は、軍産の一部だ。軍産の言いなりになるように見せて、最終的に軍産を弱めるのがオバマの策だから、今回の広島訪問についても、安倍の人気取りの道具に使われるように見えて、最終的に軍産の一部である日本政府に打撃を与える何らかの意味があると考えられる。それが何であるか、いずれ見えてくるだろう。



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