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イラク混乱はイランの覇権策?

2014年6月14日   田中 宇

 スンニ派イスラム過激派の武装勢力「イラクとレバントのイスラム国(ISIS)」が、6月6日からイラク北部の大都市モスルを攻撃し、6月10日、モスルを守っていたイラク政府軍が壊滅的に逃走し、ISISがモスル全域を占領した。この陥落劇には、奇妙な点が多い。最大のものは、ISISの軍勢が5月ごろからモスルの郊外に駐留し、塹壕を掘るなど戦闘の準備をしていたのに、イラク軍がそれをまったく無視し続け、いざISISが攻めてくると、イラク軍は戦闘をまったくしないまま、司令官は配下の兵士たちに軍服を捨てて解散せよと命じ、司令官自らも行方をくらませ、ISISにモスルを明け渡したことだ。 (ISIS seen as liberators by some Sunnis in Mosul

 イラク軍は腐敗しているのでモスルの司令官はISISに買収されたのだろうとか、モスル駐留のイラク軍の兵士の多くはシーア派で、スンニ派が多いモスル市民から嫌われており、市民の多くがISISを支持する中で戦える状況になかったとか、ISISには旧フセイン政権の元将校らが多く入り戦術が巧みなのでイラク軍はかなわないと思った、などと英米紙が報じている。だが私は、そんな状況的な理由だけで片づけられる話でないと感じている。 (ISIS's Secret Allies

 モスルから100キロほど東に、クルド自治区の3都市の一つであるアルビルがある。モスルとアルビルの間に、クルド自治区と、モスルがあるニナワ州の境界線があり、クルド自治区の軍隊(ペシュメガ)の検問所がある。ISISは、検問所の500メートル南側に、モスル攻略の1カ月前から塹壕を掘り、モスル陥落とともに、それがクルド自治区とISISとの新たな「国境」となった。ISISもクルドも、そしてたぶんイラク軍も、今回の事態を事前に予測して動いていた。 (Residents tell of army's betrayal in face of Isis advance in Iraq

 クルド自治政府は、モスルが陥落する1年前からISISがモスルを攻略することを予測し、イラン国境からモスル周辺を迂回しつつトルコ国境まで、クルド自治区とISISの占領地を隔てる約千キロにおよぶ防衛線(事実上の新たな国境線)を確立し、万が一ISISが防衛線を乗り越えて攻めてきた場合に備え、要所にペシュメガを配備していた。クルドは、ISISがモスルを攻略したらイラク軍が敗走し、ISISがキルクークに迫ったらキルクークのイラク軍も敗走することを事前に予測していたらしく、キルクークからイラク軍が敗走したら、すぐにペシュメガがキルクークを占領した。クルド人は、大油田地帯であるキルクークを以前からほしがっていたが、その民族の悲願が簡単に達成された。イラク軍の弱さから考えて、キルクークは今後ずっとクルド人の配下になるだろう。クルド人はモスル陥落1カ月前の5月に、すでに中央政府の反対を押し切って原油の対外販売を本格化している。 (Iraqi crisis is unexpected prize for Kurds) (Kurdish Independence from Iraq: The Ball is Rolling

 イラクのマリキ政権は、ISISからモスルを奪還すると宣言している。イラク軍が北部で雲散霧消したので、モスルを奪還するにはクルドのペシュメガに支援を要請するしかない。しかし、イラク政府はクルドに何の支援要請もしてきていない。モスルをISISに渡したままでかまわないというのがマリキ政権の本音に見える。

 米国の諜報機関は、モスル陥落を事前にまったく察知していなかったと報じられている。これも奇妙だ。03年の米軍侵攻後、イラクにおける米国の諜報活動は米軍に集約されてCIAなどが外されたため、09年の米軍撤退後、米国はイラクの諜報網を全部失ったと解説されている。ISISは人づての情報伝達網を作り、電話やネットを使わないため、米国が得意とする通信傍受も役に立たないという。これだけ読むとなるほどと思うが、よく考えるとおかしい。 (Jihadist Gains in Iraq Blindside American Spies

 クルド人は、フセイン政権時代から米国の諜報機関に協力してきた親米勢力だ。クルド自治区は治安が安定し、米国の諜報員が徘徊しても問題ない。米国の諜報機関がクルド自治政府に問い合わせれば、ISISの動向をいくらでも教えてくれただろう。クルドが1年前から予測していたことを、米国がまったく知らなかったというのは、米国の「戦略的無能」つまり故意の無視の結果だろう。ISISは、シリアでも反政府武装勢力として活動しており、イラクで反政府勢力を支援していた米当局が知らない相手ではない。ISISは今年初めまでアルカイダの傘下にいたので、その点でも米国の監視下にあった。 (How The US Is Arming Both Sides Of The Iraqi Conflict

 03年の米国の侵攻以来、イラクは、有権者の6割を占めるシーア派のマリキ政権が、スンニ派とクルド人の権利拡大要求を抑圧しつつ懐柔することで、何とか統一国家としてのイラクを守ろうとしてきた。米国は、フセイン打倒に協力するクルド人に、昔のクルドの中心都市で大油田があるキルクークをあげると約束していたが、マリキ政権はキルクークを中央政府の管轄下に置き続けた。モスルにも、スンニ派市民を抑圧するイラク軍が駐留した。これらのイラク国家の統合を維持しようとする策は、今回のモスルとキルクークの陥落で、不可能になった。イラクの北部はクルド人、西部はスンニ派が勝手に統治する時代が始まった。

 そしてバグダッドを含むイラクの中部と南部は、これまでより明確に、イランの傘下に入ることになった。ISISは今年初めからスンニ派が多いイラク中部のファルージャを占領し、今回モスルを陥落させた後、バグダッドに向かっている。ISISは、シーア派の聖都であるナジャフとカルバラをも陥落させると言っている。スンニ過激派(イスラム原理主義)であるISISは、シーア派を「背教」と敵視し、シーア派が崇拝するすべての廟(聖者の遺骨や遺品がおさめてある)を「偶像崇拝」として破壊することを方針とし、聖廟がある「汚らしいナジャフやカルバラをぶち壊す」と宣言している。 (Baghdad launches air strikes on insurgents in Mosul

 ISISの宣言は、イラク人の6割、イラン人の95%を占めるシーア派に対し、激しく喧嘩を売っていることになる。イラン政府はすぐに反応し、イラク政府の要請を受け、イラン軍(革命防衛隊)の主力司令官と2大隊がイラクに派遣され、バグダッドとナジャフ、カルバラの防衛、それからスンニ派の拠点であるティクリート(フセイン元大統領の故郷)の攻略にあたることになった。これは画期的な展開だ。 (Obama ponders as Iran sends troops to Iraq

 米政府が巨額の予算を計上して訓練したイラク軍があっさり雲散霧消した代わりに、イラク政府や、イラクにおけるシーア派の最高権威であるシステニ師らが、ISISと戦う義勇軍を募集すると呼びかけ、多数のシーア派イラク人が応募した。イランからの報道によると、応募者は150万人にのぼっている(誇張かも)。 (1.5mn join Iraq fight against militants

 世界最大のシーア派人口を持つのはイランだが、シーア派はイラク(メソポタミア)が発祥地で2大聖地もイラクにあるので、イランから毎年多くの巡礼者がイラクを訪れる。03年に米軍がフセイン政権を倒してから今回の事件が起きるまで、イランは、この宗教上のつながりを使って、イラクに対する支援や影響力の拡大を目立たないように隠然と行ってきた。しかし今回の事件を機に、イランはイラクを顕在的に傘下に入れることになった。 (Iran Deploys Forces to Fight al Qaeda-Inspired Militants in Iraq) (イラク日記・シーア派の聖地

 米オバマ政権は、ISISを退治してイラクの国家統合を守るために何でもすると宣言したが、地上軍の再派兵はしないと決めている。欧州諸国などNATO軍も、イラクはNATOの範囲外だと言っている(ISISがモスルのトルコ領事館から外交官を誘拐した件が、NATO加盟国のトルコに関係しているのみ)。米欧ともイラク戦争の失敗に懲り、財政難もあるので、イラクの内戦に関与したくない。今回イラクに派兵するのはイランだけだ。 (NATO Secretary General says sees no role for alliance in Iraq

 今年初め、ISISがファルージャを支配下に入れた時点で、すでにイランはイラク政府のファルージャ包囲戦に対して武器や軍事専門家を派遣している。イラン政府は、モスル陥落を受けて緊急会議を開き、イラクに対する派兵や軍事支援を急いで決めたかのように演じているが、実のところ、かなり前からISISの動向を監視し、イラク政府を支援しつつ影響力を行使していた。 (Iran General Offers Equipment, But No Troops, for Iraq's War

 米国は、イラクに爆撃機を派遣して、イラク政府がファルージャやティクリートでISISと戦うことを支援する計画だ。しかしファルージャやティクリートへの攻略は、イランの司令官や精鋭部隊が、イラク人のシーア派志願兵を率いて行うのであり、地上軍をイランが担当し、それを空から米軍が支援し、米イラン共同でスンニ派テロ組織ISISと戦うという、少し前まで想像もできなかった呉越同舟の協調が予定されている。この展開を見て、地政学的動きが素早い英国も、イラン軍に協力するかたちで諜報担当者をイラクに派遣することにした。 (US airstrikes to support Iranian Revolutionary Guard's offensive in Iraq?) (Obama may have to agree deal with Iran as Islamists sweep south

 イラクのマリキ首相は、モスル陥落を受けて非常事態を宣言したが、議会で過半数の承認が得られず、非常事態宣言にともなう首相の権限拡大ができないままだ。マリキは米国に軍事支援を要請したが、オバマ政権は、マリキがスンニ派やクルド人との対立関係を緩和しない限り、追加の軍事支援をしないと表明した。マリキは、米国からも、国内の議会からも支援を得られず、イランしか頼る先がなくなっている。 (Iranian perspectives on the crisis in Iraq) (Obama considers military action in Iraq

 上記のいくつもの出来事の点と点を線で結び、イランの視点で考察してみると、今回の件がイランの覇権戦略として大きな意味を持っていることが浮かび上がる。イランは、シリア内戦でアサド政権を支援してきたが、アサドは反政府勢力を軍事的に駆逐しつつ、先日の大統領選挙でも勝ち、シリアがイラン傘下のアサド政権の統治下にあり続けることが確定しそうだ。 ('Peacemaker' Iran moves to end Syria war

 シリアのとなりのレバノンでは、イラン傘下のシーア派のヒズボラ(政党・武装勢力)と、サウジ傘下のスンニ派やマロン派とのせめぎ合いが続いてきたが、シリア内戦でアサドが勝ちそうなので、レバノンの内政もヒズボラが有利になっている。政府の要職を派閥ごとの指定席にしているレバノンでは、マロン派キリスト教徒の指定席となっている大統領の職が空席のまま決まらない状態が続いている。この事態はレバノンの派閥抗争で親イラン派が優勢になり、親サウジ派が不利になっているために起きている。 (Lebanon fails sixth attempt to elect new president

 シリアやレバノンでは、イランの影響力が拡大していることが混乱の原因であり、イランの影響力がさらに拡大すると、新たな状態で安定すると予測される。イランは、レバノン、シリア、イラク、イラン、ペルシャ湾岸南岸でシーア派が多いバーレーンやサウジ東部、親イランのカタールやオマーンまでをつなぐ逆三日月型の「シーア派の三日月」地域を、自国の影響圏(覇権下)として確立しようとしている。その際に、三日月の内部に不安定要素として残っているのが、イラク西部とシリア北部で反抗的なISISなどスンニ派武装勢力と、イラク北部で独立をめざすクルド人だ。 (Middle East: Three nations, one conflict

 今回、モスルがスンニ派武装勢力の手に渡り、キルクークがクルド人の手に渡ったことを、イランが影響下にあるマリキ政権を通じて行った意図的な策略であると考えた場合、それは、イランが影響圏にしたい三日月地域の中にいる反抗的な2つの勢力に対し、それぞれに一つずつ大都市の統治権(クルドは大収入源になる油田つき)を渡すことで懐柔し、イランの影響下であまり反抗せず安定的にやっていくように仕向けているのでないかと考えられる。

 ISISは、イラク西部だけでなく、シリア北部も統治している。イラクとシリアにまたがる「イスラム国家」を創建したい彼らは、シリア内戦の終結に反対している。イランは諜報系の軍人をシリアに派遣し、イラン傘下のアサド政権に有利なかたちで内戦を終わらせようと工作している。シリア北部に陣取るISISに対し、イランが「イラクのモスルを統治させてやるから、シリアから出ていってくれないか」と提案したとすれば、今回の事態が納得いく展開に見えてくる。時期的にも、なぜ今モスルの陥落なのかということが、シリアの内戦を終わらせたいイランの動きと合致し、うまく説明できる。 (Iran Deploys Quds Forces To Support Iraqi Troops, Helps Retake Most Of Tikrit

 モスルやキルクークがイラク中央政府の管轄下にあることは、イラク国家の統合性から考えると非常に重要な譲れない一線だが、イランにとってはイラク国家の統合性が重要でない。影響圏の安定の方が重要だ。イランが直接に影響力を行使したいのは、イラクの中のバグダッド以東のシーア派の地域だけだ。残りのスンニ派地域とクルド人地域は、イランに反抗しないことを条件に、スンニ派やクルド人の統治に任せてもかまわない。ISISはもともとイラクのスンニ派がシーア派の支配に反抗して作った組織だから、イラクのスンニ派地域を統治(自治)できるなら、シリアから出ていくことを検討しうる。もし私のこの仮説が正しいなら、こんご半年から1年ぐらいの間に、シリアでISISの活動が下火になり、シリアがアサド政権下で安定していくだろう。逆にそうならなければ、この仮説は間違いの可能性が高くなる。

 今回の事件で、イラク国家の統合性が崩れたが、こんごイラクが明示的に3分割されていく可能性は低い。明示的な3分割には、国際社会がイラクのクルド地域やスンニ派地域を独立国として承認することが必要だが、米欧も中露も中東諸国も、中東をこれ以上混乱させたくないので、国境線の引き直しに反対だ。クルド人はトルコにも多くいるが、トルコのクルド人は最近、8月の大統領選挙に出て勝ちたいエルドアン首相に取り込まれ、権利拡大と引き替えに独立運動をやめて、エルドアンに投票する流れにある。 (Senior PKK Leader Says Group No Longer Seeks a Kurdish State

 イランは表向き米国の仇敵だ。しかし米国をイラク戦争に引っぱり込んだネオコンの中には、イランのスパイであることが発覚した亡命イラク人のアハマド・チャラビがいるし、イラク戦争によるフセイン政権打倒とイラク民主化(シーア政権化)で最も得をしたのはイランだ。米国はイランを過剰に敵視して強化する隠れた作戦を、80年代のイラン・コントラ事件あたりからずっと続けてきた。今回の事件がイランの策略であるとして、米国が無能を装ってそれを無視しても不思議でない。 (Will Obama try to re-fight the Iraq war? by Justin Raimondo) (「イランの勝ち」で終わるイラク戦争) (イラク「中東民主化」の意外な結末

 今月から7月にかけて、米国(米露中英仏独)とイランとの核交渉も大詰めを迎える。今回の件で、イラクの国家統合を守るためにイランと協力せざるを得なくなった米オバマ政権が、昨秋の頓珍漢なシリア空爆撤回と対イラン和解の続きとして、イランに対する核の濡れ衣を不可逆的に解くのかどうかが次の注目点だ。 (米英覇権を自滅させるシリア空爆騒動



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