ミャンマーの開放2012年4月25日 田中 宇東南アジアのミャンマー(ビルマ)では、4月1日の議会選挙(補選)で、アウンサン・スーチーら野党NLDが20年ぶりに政界に戻り、米欧がミャンマー政府に求めていた民主化が軌道に乗り出した。それを機に、欧州や日本、ASEAN諸国など国際社会の全般が、ミャンマーに対する態度を好転している。米欧中心の国際社会から制裁されていたミャンマーが許され、制裁で閉ざされていた状態が終わり、開放され始めている。日本や欧米、韓国、インドなどの企業が、ミャンマー市場へとなだれ込んでいる。 (Lawson kick-starts push into Myanmar) ミャンマーでは1990年の選挙で、英国から帰国したスーチーに率いられたNLDが勝ったが、軍事政権が選挙結果を認めず、スーチーを幽閉した。そのため米欧やASEANは92年からミャンマーを経済制裁している。その一方で、中国はミャンマーを非難せずに親密な関係を続けたので、軍事政権は中国への依存を強めた。しかしその後、ミャンマーで中国人が優遇されている状況を利用して、雲南省から隣接するミャンマー北部に中国商人が移民として流入し、北部都市マンダレーでの土地買い占めなど利己的な経済活動をしたため、ミャンマー政府は中国を警戒するようになった。 (Bring Burma's Economy In From the Cold) ところがその状況も、米国のブッシュ政権が、イラク侵攻後の05年に、イラクの次に政権転覆すべき6カ国の「圧制国家」の中にミャンマーを入れて発表したため、また変わった。米国に政権転覆されたくないミャンマー政府と、隣接するミャンマーを政権転覆されると自国も不安定になる中国が、米国の野心に対抗する必要性で再結束した。 (中国の傘下に入るミャンマー) 中国は07年1月、国連安保理で米英が提案した新たなミャンマー制裁案を、ロシアと一緒に拒否権を発動して潰した。中露が結束して米英主導の人権外交を阻止したのは、これが初めてだった(その後、中露は、最近のシリア非難決議に共同で拒否権を発動するなど、米英が人権外交の口実で政権を転覆して世界を不安定にすることを許さない姿勢を強めている)。 (人権外交の終わり) 中国は政治だけでなく経済的にもミャンマーを傘下に入れ、中国の国営企業がミャンマーの石油ガスや鉱山を開発し、港湾などインフラ整備を手がけ、家電製品を売るようになった。中国からミャンマーへの投資は、08年からの3年間で4倍になった。欧米やASEANがミャンマーを経済制裁しても、中国から物資や資金が入るので制裁の効果が減じるようになった。ASEANや欧州諸国は、制裁を続けても、石油ガスなどミャンマーの経済利権を中国に奪われるだけだと脅威を持ち、米国に対し、ミャンマー政府がある程度の政治改革をしたら、それで納得して制裁解除した方が良いと要請した。 (Myanmar: The real reason for removal of Western sanctions) 同盟諸国からの要請を受け、09年に就任した米オバマ政権は、ミャンマーに特使を派遣し、政治犯の釈放や、スーチーら野党を政界に参加させる政治改革をやれば、経済制裁を解除すると通告した。米国は中国にもミャンマー政府に圧力をかけることを求めた。それを受けてミャンマーでは、10年春に軍事政権を握る将軍たちが軍籍を離れて文民になってティンセイン政権を発足させ、彼ら新与党(USDP)が10年秋の総選挙で勝ち、その後スーチーが釈放され、今年4月1日の選挙でスーチーらNLDが国会議員に当選して政界に戻った。政治犯の釈放も順次行われた。 (アウンサン・スーチー釈放の意味) 米共和党系の勢力などは、ミャンマーの変化をうわべだけだと批判した。その批判は正しかったのだが、米政府は政治改革の見返りに大使の駐在を20年ぶりに再開し、昨年末にクリントン国務長官がミャンマーを訪問した。4月1日の選挙後、日本がミャンマーに対する債権の多くを帳消しにして経済関係を再強化する方向に転じ、EUも1年間の期限付きで経済制裁を解除した。日本は戦時中からミャンマーとの関係が強く、ミャンマーの経済利権をライバルの中国に奪われていくのを看過したくなかった。 (With eye to China's growing sway, Japan pledges $7.4 billion in aid to 5 Mekong nations) ミャンマー制裁の解除は4月になって一気に進展したが、こうなることは昨年から予測されていた。昨年末以降、欧米から投資家がミャンマーの鉱山などを見学しにくるようになり、ジョージ・ソロスも年末に8日間もかけてミャンマーを訪問した。 (Western investors target Burma) 今回ミャンマーが国際社会に再参加するにあたってドタバタ劇を展開したのが英国だ。第二次大戦までミャンマーを植民地支配した英国は、旧宗主国としてミャンマーで経済利権を得るのが当然と考えている。英国はここ数年、中国がミャンマーの利権を漁るのを歯がみして見ていたが、英国の世界戦略は米国と同一歩調をとって米覇権を自国の利得に使うことなので、米主導の制裁を無視してミャンマーに接近できなかった。 (Cameron to make historic Myanmar trip) EUでドイツやイタリアがミャンマー制裁の緩和・解除を提唱してきたのに対し、英国はごく最近まで、制裁緩和に強く反対してきた。だが、いよいよ国際社会がミャンマー制裁を解除する段になって、英政府は突然に態度を180度転換した。英キャメロン首相は、日本を訪問した帰りの4月13日、事前の旅程を変更してミャンマーに立ち寄り、ティンセイン首相やスーチーと会い、英国としてミャンマー制裁の解除を支持した。 キャメロンは訪問の際、10人の英国財界人を同行した。EUは4月23日のサミットでミャンマー制裁の解除を決めたが、英首相は、その直前に他の諸国を出し抜いてミャンマーを訪問することで、ミャンマーの利権のできるだけおいしいところを自国企業が取れるようにしたのだろう。英国は、米国金融覇権にぶら下がって金融で儲けた25年間の国家戦略がリーマンショックとともに破綻し、財政危機に陥っている。他の欧州諸国にあきれられても、なりふり構わずミャンマーなどの利権を漁らないと国家存続できない。 (UK2 cozies up in Myanmar) 英首相は訪日時に、武器輸出三原則を緩和した日本と組み、日英で兵器を共同開発して世界に売って儲けることを提案した。単独覇権主義の米国が、最新兵器の技術を英国に開示しない中で、これも財政難を緩和するための英国の苦肉の策だろう。 ▼少数民族との和解がアジアの時代を招く 米欧などがミャンマー制裁を解除した動機は、制裁が効かなくなる中で中国がミャンマーの利権を独り占めする傾向が強まったからだ。しかし現実を見ると、制裁の解除で最も得をするのは、欧米や日本の企業でなく、中国企業である。中国企業は、すでにミャンマーの各分野の市場を席巻している。制裁が解除され、ミャンマー経済がにぎわうと、受注が最も増えるのは中国企業だ。この20年、ミャンマーで低調な活動しかできなかった欧米や日本の企業が、中国勢を抜き返すのはかなり難しい。 (Europe undams Myanmar sanctions) ミャンマーでは今後、建設需要が急増しそうだが、建機の分野では中国の三一、長沙、中聯といったメーカーがミャンマー市場を席巻している。米国のキャタピラーなどが入ってきても、価格の面で中国勢に太刀打ちできないだろう。しろもの家電では中国のハイアール(海爾)などが強いが、こちらも価格の面で、日本のメーカーが参入しても勝てそうもない。いずれミャンマーの経済成長が続いて国民の購買力が強まると、高級品が売れるだろうが、そのころには中国企業が高級品を作り、日本企業は今よりさらに衰えているかもしれない。 (European firms face Myanmar catch-up) 中国に次いでミャンマーで儲けていきそうなのは、タイなどASEANと韓国の企業だ。米国は議会の抵抗があり、まだミャンマー制裁を部分的にしか解除していない。米政府は、自国ができない分、アジア諸国やオーストラリアに対し、ミャンマーへの関与を強めるよう求め、中国の独占を打破しようとしている。全体として米国は、ミャンマー制裁を解除したことで、中国とアジア諸国がミャンマーへの関与を強め、中国中心のアジアが台頭する時代が早く来ることを手助けしている。ミャンマー制裁を08年ごろに解除していたら、米欧日が得をしたかもしれないが、今や遅すぎる。 欧米日が制裁を解除するのと前後して、ミャンマー政府は、カレン族など辺境地域で分離独立の武装闘争をしてきた7つ以上の少数民族と相次いで和解・停戦した。ミャンマーで少数民族の反政府ゲリラ活動が全面的におさまるのは60年ぶりだ。カレン族などの反政府蜂起は、隣国タイの軍部や米CIAに支援されてきた。ミャンマーの少数民族問題は、中国、インド、東南アジアに接するミャンマーを、米英が意図して不安定にしておく、冷戦型の地政学的戦略だった。米政府は、ミャンマー制裁をやめると同時に、ミャンマー辺境の少数民族の反乱をCIAなどが支援することもやめて、その結果、ミャンマー政府がカレン族など少数民族と和解できたのだろう。 (Myanmar strikes Karen peace deal) アジアの広域で見ると、ミャンマーへの経済制裁が解除されたことよりも、ミャンマー政府が独立後初めて少数民族と全面和解しつつあることの方が意味が大きい。ミャンマーで少数民族の蜂起が続くことは、中国、インド、東南アジアのすべてを不安定にしていた。ミャンマーが安定し、経済発展していくと、中国、インド、東南アジアをつなぐルートが確立し、それらのアジア全域の経済関係が緊密化し、発展に寄与する。いずれ中国製の新幹線が、中国南部からミャンマー経由でインドまで走るかもしれない。 逆に、これまでの展開の中で、もし米国が介入を強めて軍事政権を転覆していたら、ミャンマーは中央政府が国家を掌握する力が弱まり、少数民族の反乱がひどくなってアフガニスタンやイラクのような弱くて混乱した国家になったはずだ。中国に悪影響が出るとともに、英米が戦後やってきた、アジアを分断して支配する冷戦型のユーラシア包囲網の構図が永続化されていただろう。しかし実際にはそうならず、むしろミャンマーの軍事政権は表向きだけの政治改革を経て世界から許され、経済制裁解除によって、中国だけでミャンマーを経済的にテコ入れする必要もなくなり、中国は負担を軽減できることになった。 (イラク化しかねないミャンマー) ミャンマー政府は、米欧から許されていく一方で、中国が計画していた大規模なダム建設計画を環境問題を理由にやめさせるなど、ミャンマー政府が中国と関係を疎遠にしていると指摘されている。しかし実際のところ、ミャンマーに対して最も影響力を及ぼしている国は、依然として中国だ。中国は、目立たないように影響力を行使し、ミャンマーにおける存在感を意図的に消している観がある。中国がミャンマーから排除されているという報道は、楽観的すぎるか、歪曲が入っている。 (New balance in China, Myanmar ties) 軍事政権が転覆されてミャンマーがアフガンのように混乱することが、中国包囲網や米英覇権の強化につながるのと対照的に、軍事政権が許されてミャンマーが安定することは、中国やBRICSの台頭、アジアの時代の到来につながる。ミャンマー制裁の解除は、一般に報じられているような「ミャンマーを欧米日の側に引きつける」のでなく、逆に、中国包囲網の消失につながる。これに加えて、インドとパキスタンの和解、NATOのアフガン撤退、イランが核問題の濡れ衣を解かれることなどが実現すると、1967年の英国の「スエズ以東からの撤退」以来、ゆっくりと進んできた米英覇権から多極型覇権への転換が加速する。 (アジア経済をまとめる中国)
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