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イラク化しかねないミャンマー

2007年10月23日  田中 宇

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 東南アジアのミャンマーで今年8月に起きた反政府運動は、不可解な部分がある。反政府運動は、ミャンマー政府が8月15日に、ガソリンや軽油、ガスなどの燃料に対して負担していた政府補助金を突然に打ち切ったことによる生活費の急騰に怒った人々が起こしたものだ。

 政府補助金の打ち切りによって、ガソリンは2倍に値上がり、自動車燃料として使われている天然ガスの価格は5倍にもなった。バスやタクシーの運賃が一気に上がり、燃料費の高騰を受けて食品価格も上がり、市民がよく食べるミャンマー式の各種の麺の中には、値段は1週間で3倍に跳ね上がるものもあった。(関連記事

 こんな事態の中で、市民が怒って反政府運動に参加し、市民の苦しみを見た僧侶たちが立ち上がったのは無理もない。私が不可解に感じているのは、なぜ市民が立ち上がったのかではない。なぜ政府が突然に燃料補助金を全廃したのか、ということの方である。(関連記事

 ミャンマー国民の、政府に対する不満は、以前からくすぶっていた。ミャンマー政府は、05年に首都をヤンゴンから500キロ離れたジャングルの中のネピドーに移転したが、新首都の建設費に10億ドル以上の金がかかり、もともと苦しい政府財政がいっそう苦しくなり、教育や医療などの予算が削られていた。政府は紙幣を刷りすぎてインフレが激しくなり、市民は物価高に苦しんでいた。

 今年2月には、政府に物価の安定や医療体制の改善を求め、市民運動の小規模なデモがヤンゴンで起きた。デモは、警察によって30分で解散させられたものの、政府内には緊張が走り、この直後、政府は、ヤンゴンの治安を安定させる特命の担当官を設置した。(関連記事

 ミャンマー政府は、遅くとも今年初めには、生活苦にあえぐ国民の間で反政府感情が高まっていることを把握していた。燃料に対する補助金を突然に全廃したら、国民の不満が一気に爆発することは、十分に予測できたはずだ。それなのに、政府は突然の補助金全廃を行った。私が不可解なのは、この点である。

▼IMFが政権転覆を狙って補助金を廃止させた?

 ミャンマーの軍事政権は以前から、奇抜な政策を突然実行することで知られていた。ジャングルの新首都はその象徴だ。軍事政権の将軍たちは頭のおかしい無茶苦茶な人々なのだから、後先を考えずに気まぐれに突然補助金を全廃するぐらいのことはやりかねない、という見方をする人もいるだろう。しかし、独裁的な国家運営は、高度な技巧を必要とするものである。軍事政権の奇抜な政策は、彼らなりの政権維持策になっている。

 たとえば、政府の最高指導者であるタン・シュエ将軍は、政府を強く支持する青年組織を作って軍事訓練と教育・洗脳を施し、彼らに反政府組織の密告や弾圧をさせ、市民に恐怖感を持たせて体制を維持してきた。タン・シュエは、この手法を軍や政府全体に拡大し、軍人や公務員を一般市民から隔離して教育・洗脳し、愛国的な組織を拡大しようとしている。ジャングルの中に新首都を作り、公務員を強制移住させるのは、その政策の一環である。

 亡命ミャンマー人たちの組織は「燃料の値上がりによって、タン・シュエの娘婿である財界人のタイ・ザが経営する企業がぼろ儲けしている」と指摘し、政府補助金の廃止はタイ・ザを儲けさすための施策ではなかったかと分析している。だが、政府補助金を廃止したら国家危機に陥ることが予測されていた。タン・シュエが、政権を危うくしてまで一族を儲けさせようとしたとは考えにくい。

 私が注目しているのは、これとは全く異質な「補助金廃止は、IMFの要求を受けて実施されたのではないか」という見方である。突然の補助金廃止が実施されたのは、ちょうどIMFと世界銀行の代表がミャンマーを訪問していたときで、IMFと世銀は以前からミャンマー政府に対し、補助金の廃止を要求していた。(関連記事その1その2

 IMFの主張は、補助金を廃止して市場原理に基づく経済体制に移行すれば、経済が活性化し、財政赤字も減るというものだ。しかし、1997年のアジア通貨危機の際には、IMFがインドネシアのスハルト政権に緊急融資する見返りに政府補助金の削減を求め、スハルト政権がそれに応じて補助金を削減した結果、国民の生活が急に苦しくなり、反政府運動が広がって、スハルト大統領は辞任に追い込まれ、インドネシアは混乱期に入った。この先例から考えて、IMFは、ミャンマーでも補助金廃止が政権転覆につながりかねないことを十分に知ったうえで、ミャンマー政府に補助金廃止を求めていたと推察できる。

 IMFは事実上、アメリカの支配下にある。そして米政府は2005年に、ミャンマーを、イラン、北朝鮮、キューバなどとともに「拡大版・悪の枢軸」ともいうべき「圧政国家」(outpost of tyranny)の一つに指定し、ミャンマーの軍事政権を転覆して「民主化」したいと表明している。これらのことから考えて、アメリカがIMFを通じて「経済改革」の名目でミャンマー政府に補助金を廃止させ、ミャンマーの反政府運動を盛んにして軍事政権を転覆しようとした疑いがある。(関連記事

▼アメリカの戦争の一部としての反政府運動支援

 ミャンマーでは1988年に大規模な反政府運動が起き、軍事政権はこれを弾圧したものの、国民の間に不満がくすぶり続けたため、90年に総選挙を実施した。その結果、国民的英雄だったアウン・サンの娘であるアウン・サン・スー・チーが書記長をつとめる野党「国民民主連盟(NLD)」が圧勝したが、軍事政権は選挙結果を無視し、NLDへの政権移譲を拒否して、現在まで政権をとり続けている。

 88年の反政府運動以来、アメリカでは、表向きは「民間団体」「市民運動」だが、CIAや国務省から支援されている「National Endowment for Democracy」や「Freedom House」「Open Society Institute」(ジョージ・ソロスが作った組織)、「Albert Einstein Institution」といった運動体が、ミャンマーの反政府活動家をリクルートし、タイに越境させ、タイやアメリカで反政府運動のやり方を訓練してミャンマーに戻し、反政府活動を強化する作戦を続けてきた。

 アメリカの分析者ウィリアム・エングダールは、この米政府肝いりの作戦について、表向きはミャンマーの「民主化」を支援するものだが、実際にはミャンマーの軍事政権を倒してアメリカの傀儡国家に変質させ、ミャンマーの石油やガスを米企業の権益下に置いたり、ミャンマー沿岸のインド洋に米軍基地を作ることが真の目的だろうと指摘している。(関連記事

 ミャンマーの反政府運動をテコ入れするアメリカの作戦の中で、CIAなどにノウハウを提供しているのは、ハーバード大学の学者で市民団体「Albert Einstein Institution」を創設したジーン・シャープ(Gene Sharp)という人物である。彼は、インドのマハトマ・ガンジーの「非暴力抵抗運動」を研究するうちに、非暴力抵抗運動を使って、世界中の圧政国家を、内側から市民の反政府運動によって倒すことができるはずだと考えるようになった。

 そして、デモを組織したり、当局に見つからないように反政府組織を維持拡大したりといった技能を集積し、世界中の圧政国家の反政府活動家に教える市民団体として1983年に「Albert Einstein Institution」を作り、同時にハーバード大学にも研究拠点として「Non Violent Sanctions Program」を作った。(関連記事

 シャープは、世界の人々を幸福にするために活動を開始したのかもしれないが、彼の活動は、アメリカと敵対する国々の政府を内側から崩壊させられる不正規戦争の手法としてCIAや国務省の注目するところとなり、本来の目的から逸脱していった。

 シャープは、ミャンマーの反政府運動へのテコ入れのほか、イスラエル軍の心理戦の強化を手伝ったり、天安門事件の直前に中国の民主化運動を支援しようと訪中して中国政府から追放されたり、チベットの反政府組織を統合してダライ・ラマのもとに結集させる手伝いをしたり、台湾で民主化や、中国からの独立を希求する民主進歩党(1986年結成)の組織作りに協力したりした。

 ソ連崩壊後は、バルト3国の独立運動を支援し、90年代後半には、セルビアの反政府運動や、コソボの独立運動にノウハウを提供し、2002年には南米ベネズエラでチャベス政権を倒そうとする野党の運動にCIAとともに協力したり、イラク侵攻の半年前に、米国防総省と一緒に亡命イラク人の組織を強化したり、03年のグルジアでのシュワルナゼ政権打倒の運動や、ウクライナの民主化運動を組織するのを手伝ったりした。最近では、イランの反政府運動を強化することに励んでいる。

 シャープの活動の歴史を見ると、反米諸国の政府を内側から転覆させる運動は「世界の人々を圧政から解放する」という建前とは裏腹に、アメリカの戦争行動や世界支配の一端を担っていることがわかる。特に近年は、イラク占領の失敗によって、米政府が進めてきた反米諸国の民主化が、実はアメリカのエゴに基づいた汚い戦略だったのだというイメージが世界的に定着し、シャープの活動も、米政府が行う悪事への加担として見られがちになっている。

▼軍事政権を倒すとイラクのような大混乱に

 ミャンマーは、国の中央部分には、国民の7割を占めるビルマ族が住んでいるが、その周囲の辺境地域には約50(細分すると135)の少数民族が住み、多民族国家になっている。

 軍事政権は、国民の不満が高まっていた1989年に、少数民族をなだめる目的で、国名をビルマからミャンマーに変えている。ビルマという国名は、ビルマ族を想起させ、少数民族の存在を無視した印象があるので、古くから使われているもう一つの自国の呼び名であるミャンマーに国名を変え、ビルマ族から抑圧されているという少数民族の反感を緩和しようとした。

 多民族国家のミャンマーは内政が不安定で、1948年に独立したものの、辺境地域ではその後長いこと、少数民族による反政府ゲリラ戦が続き、内戦状態だった。このような状態なので、歴代あまり政治技能の高くないミャンマー政府は、圧政に頼るしかなく、最も強い政府組織である軍隊が政府を取り仕切る体制が続いてきた。軍事政権の将軍たちは「ミャンマーを統治できるのは軍だけだ」と豪語しているが、これは当たっている。

 もし今後、国民の反政府運動によって軍事政権が倒され、軍の影響力を排除したうえでスーチー政権ができたりしたら、その直後から、中央政府は強権を発動できないと考えた辺境地域の少数民族が、ゲリラ戦による独立運動を再燃させ、ミャンマーは再び内戦になる可能性が高い。ミャンマー人は、今より辛い生活を強いられるが、中央政府は弱く、アメリカなどの支援に頼らざるを得ないので、もしアメリカがミャンマーに米軍基地を置くことを目的としているなら、かえって好都合だろう。

 多民族国家を強権で統合している点で、ミャンマーは、サダム・フセイン政権時代のイラクに似ている。アメリカがフセイン政権を倒した後、イラクの政府は弱くなり、クルド人・シーア派・スンニ派が対立し合う内戦状態になっている。ミャンマーも、軍事政権が倒れたら、イラクのようになるだろう。国連事務総長をつとめたミャンマー人ウ・タントの孫で、歴史学者のタン・ミン・ウ(Thant Myint-U)は最近「ミャンマーは情勢が急変すると、イラク型の大混乱に陥る可能性がある」と警告している。(関連記事

 以前の選挙で圧勝したスーチーは、民主主義の原則で考えれば、ミャンマーの政権をとる資格がある。しかしスーチーが政権につく一方で、軍を政権から遠ざけると、ミャンマーは内戦になる。スーチーが政権をとるなら、軍と折り合いをつけ、軍の協力を得て新政権の運営を進める必要がある。

【「中国の傘下に入るミャンマー」に続く】



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