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揺らぐドル

2010年2月20日   田中 宇

 世界的に著名な投資家(投機筋)であるジョージ・ソロスは、1月末にスイスで開かれたダボス会議で「金は究極のバブルだ」と発言した。ソロスは、世界各国の政府が不況対策として低金利と巨額資金供給の政策を続けているため、資金過剰が起こり、世界的にバブルが拡大していると警告し、そのバブルの究極のかたちが金相場の上昇だと示唆した。金相場が史上最高値を更新した後だったので、この発言を受けて「ソロスは、金相場のバブル崩壊を予測した」とする報道が出回った。 (Davos 2010: George Soros warns Gold is now the 'ultimate bubble'

 しかし実は、ソロスは金を売るどころか逆に、金関連の金融商品(ETF)を買っていた。ソロスの投資基金が米当局に申告した昨年末の資産残高の中に、7億ドル近い金のETFが含まれていたことが2月17日にわかった。 (Soros Doubles Gold Holdings: Expect Others to Follow

 ソロスは昨年末、ドルの代わりにIMFのSDRを使った通貨体制や、中国を地域覇権国として容認する新世界秩序の容認、より多極型の国際社会への移行などを盛り込んだ政策を提言した。ソロスは、米国とドルの覇権が崩壊し、中国やBRICが台頭して世界が多極化すると予測した。ドルが崩壊するなら、金が高騰するはずである。ダボス会議でのソロスの「金は究極のバブルだ」という発言が、金相場の大幅下落予測を意味するのなら、それはソロス自身の多極化予測と矛盾する。 (A New World Architecture George Soros) (中国が世界経済の中心になる?

 ソロスのダボスでの発言に裏があると思った米国の分析者は「金が究極のバブルだという指摘の意味は、今は株や債券にたまっている価値(バブル)が、最後にはすべて金に行くということで、金融崩壊が進むと金が高騰するという予測なのだ」「ソロスが『売りだ』と言ったときには、買うのが正解だ」などと指摘していた。ソロスが金関連に投資していたことは、この分析が当たっていたことを示している。 (Why Soros Is Probably Buying Gold Now

 この先、どのぐらいの速さで進むか不透明なものの、米英の経済悪化と財政難深化、金融危機の再燃、ドルの基軸通貨性の喪失、金の再高騰などが起きていく感じがする。ソロス発言の顛末をみて、その感じに間違いがないようだと改めて思った。

▼人民元ドルペッグの終わりがドルの終わり?

 2月15日には、中国が米国債を売った結果、中国の米国債保有残高(7550億ドル)は日本(7688億ドル)より少なくなり、日本が再び世界最大の米国債保有国になったと報じられた。この日、米財務省が昨年12月の各国別の米国債売買を発表し、中国が342億ドル分を売却したことがわかった。日本も同月に115億ドル売却したが、中国より売った額が少なかったので、逃げ遅れた感じで世界一に戻った。12月の全世界合計の米国債の売却総額は530億ドルで、史上最大だった。 (Treasuries suffer as sentiment shifts

 中国が米国債を売っているのと対照的に、英国は米国債を買っている。英国の政府や金融界は赤字や損失を拡大しており、米国債を大量購入する余裕がないはずなので「中国がドルペッグ維持のため、ロンドンの機関を通じてこっそり米国債を買っているのだろう」との推測もある。だが、中国では昨春からドルや米国債の過剰発行について高官や学者らが繰り返し懸念を表明しており、中国は、米国債を買う危険さを知っている。むしろ米国の連銀あたりが、国債金利高騰を防ぐためにドルを刷って米国債をこっそり買っているのかもしれない。実態は不明だ。 (China: a Slow Soft Kill for the Dollar; Sells $34.2 Billion in Treasury bonds in December

 人民元のドルペッグをめぐる話は、矛盾と不透明に満ちている。米政府は今後数カ月間に、米国から中国への輸出を増やす目的で、人民元の対ドル為替を切り上げろという中国への要求を強めるつもりだと報じられている。だが、中国が人民元の切り上げを容認すると、米国債を大量保有する必要性が下がり、米国債は買い手が減って下落(金利高騰)に近づく。 (U.S. Expected to Press China on Yuan

 中国の高官や学者は「ドルや米国債は危ない」と言い続けるが、その一方で中国の温家宝首相は「人民元の対ドルペッグは絶対変えない」と明言し、これを受けて「今年上半期は人民元の切り上げはない」とする予測が出回った。ドルペッグを続けるなら、危険な米国債を持ち続けねばならない。それと対照的に「BRIC」という言葉を作ったゴールドマンサックスのジム・オニールは最近「中国政府は、間もなく人民元を切り上げるだろう。いつ切り上げが行われても不思議ではない」と発言している。高度成長の中国は、不況のぶり返しそうな米国と同期する通貨政策を続けられなくなるとの予測である。 (Goldman's O'Neill Says `Something Brewing' in China on Currency) (Renminbi Roller Coaster

 米経済は再び不況に入っていきそうな感じを強めている。連銀も、失業が来年まで減りそうもないと認めた。米国では、失業増と連動して住宅ローンの返済不能が急増し、住宅市場が史上最悪になっている。連銀は「景気が回復しそうだ」と言って公定歩合を引き上げたが、金融界では、銀行から企業への融資が急減している。この急減ぶりも史上最速だという。景気が回復するなら、融資は増えるはずだが、実際は全く逆だ。これは不況がひどくなる予兆にしか見えないと指摘されている。 (US Fed: US unemployment remains high for years) (A Bad Time For Fed To Tighten?) (US home loan foreclosures reach record high %%%

 米国の景気が回復せず不況が再来するなら、不況の米国と、好況の中国の齟齬がひどくなり、中国は人民元のドルペッグを続けられなくなる。「いつ中国が人民元を切り上げてもおかしくない」という見方が正しそうだ。市場では「ドルは中国に見放されたら終わりだ」という見方が強い。人民元が切り上げられたら、ドルに対する世界的な信頼低下が加速し、人民元のドルペッグ維持はいっそう難しくなる。

 中国が米国債を売った結果、日本が世界最大の米国債保有国に返り咲いたことに関して、日本の対米従属筋は「米国に対して貢献できる事態が戻ってきた」と思うかもしれない。だが米国では「日本は世界最大級の財政赤字を抱えている上に、金のかかる高齢者ばかりの国になりつつあり、他国の赤字を背負う余裕はない。ずっと日本に米国債を買ってもらえるとは思えない」という、米国債は今後も高度成長する中国に持ってもらった方が安心だと言わんばかりの分析が出ている。 (At least U.S. has Japan to fall back on

▼ケインズ式景気てこ入れ策の間違い

 米国ではここ2年ほど「公共事業を増やせば雇用が拡大し、景気が好転する」というケインズの理論に基づき、財政赤字を増やして公共事業を急拡大したが、いっこうに雇用が拡大しない。今年2月には、米政府が失業者数を過小に見積もっていたことを認め、07年末に米経済が不況入りして以来の約2年間の失業者数を100万人増やす修正を行った。 (US data send mixed message as 1m more jobs lost

 ケインズ理論に基づくなら、1ドルの公共事業投資は1・5ドル分の経済成長として跳ね返ってくる。不況突入以来1・6兆ドルの財政支出を公共事業に投入した米国は、2兆ドル分以上の経済成長をするはずで、米経済は今ごろ過熱状態だったはずだが、実際には経済も雇用も回復していない。「ケインズ理論はインチキだ」という指摘が、米分析者から出ている。 (Why the Stimulus Failed - Fiscal policy cannot exnihilate new demand) (The Stimulus Didn't Work

 日本には、ケインズ経済学を固く信じている人が多い。日本がケインズ理論に基づいて財政赤字を急増して公共事業を延々とやった結果、使いものにならないハコモノばかりの未来のない高齢の大赤字国になったことと、ケインズ理論が正しくないかもしれないことが、日本で関連づけて考えられることは少ない。ケインズ信奉者が多い中高年は、何とか死ぬまで年金をもらい続けられるが、下の世代は、終身雇用も年金も経済成長も失われる中で、今後何十年も国の借金を背負わされる。

「ケインズは、ブレトンウッズ会議で米国に覇権をとらせた英国の外交官で、米国に金を使わせる英国の戦略を実現するため、ケインズ理論という詐欺を人々に信じ込ませたMI6の要員だ。戦後の日本のケインズ信仰は、英米に対する従属と関係ある」と書くと、中高年の読者から「あなたに失望しました」と批判メールが来そうだ。だが、1980年代に流布して多くの日本人を信用させた「財政赤字を増やすと、金が民間に回って倍増の税収として政府に戻り、財政は黒字になる」という「レーガノミクス」が隠れ多極主義者の詐欺だった可能性が高くなっていることから考えて、ケインズが絶対正しいとはいえない。(いまだにレーガノミクスを信じる日本人もけっこういそうだが) (アメリカは破産する?) (拡大する双子の赤字

 話がそれて行くが、そもそも「経済学」なる学問自体、大資本家層が絡んだ詐欺であると考えてみることは無駄ではない。マルクスが詐欺でケインズは真実だというのは、イスラム教はテロリストの迷信で、キリスト教は真実だと考える宗教信者と大して違いがない。さらに言うなら、心理学や社会学など「社会科学」には全般に詐欺が多く紛れ込んでいる疑いがある。地球温暖化問題のIPCCの学者群による歪曲を見れば「自然科学」も大差ないかもしれない。

 学問をする人はラディカルな(根本的に深く考える)姿勢を持つのが良いので、詐欺と言われて怒り出す学者は、学問ではなく「宗教」をやっていると思われてもしかたがない。欧州で学問を担ったユダヤ人はラディカルな思考が好きだったので、欧州は学問が発達した。中世のイスラム世界の人々もラディカルだった(神と自分が直結し、人的な権威に対する転覆が許される)。「お経をそのまま信じるのが良い」と考える傾向が強い日本(や中国・朝鮮の)人々は、ラディカルな思考をしたがらず、学問を発達させる役に向いていないのかもしれない。

▼連銀理事がドルの超インフレを予測

 日本の財政赤字はほとんど国内で消化され、ツケは後世の国民が払うが、米国の財政赤字は約半分を海外に売っており、外国人が買わなくなると債務不履行だ。すでに米国の地方政府(郡、市町など)の中には、財政破綻を裁判所に申請する動きが広がっている。州は債務不履行の宣言を許されないので、厳しい支出の切り詰めしかない。 (Muni Threat: Cities Weigh Chapter 9

 米連銀のホエニッヒ理事(カンザスシティ連銀総裁)は最近「新たな財政緊縮策を打たない限り、今後数年間に米連邦政府の財政赤字が急増し、超インフレになる。連銀が景気回復を重視しすぎてドルの過剰発行を続けると、事態は意外な速さで悪化するだろう。2020年以降に財政破綻するという予測もあるが、すでに破綻が始まっているという考えもある」とする警告の論文「破綻に向かう連銀」を発表した。 (The feds on course to doom By THOMAS M. HOENIG) (Federal Reserve Officials, Often Tight-Lipped, Openly Voice Deficit Concerns

 米連銀内では、ホエニッヒの主張に賛同する理事がほかにもおり、彼らの突き上げを受け、連銀は2月18日に公定歩合を1年3カ月ぶりに引き上げた。これを「連銀は金融引き締めに入った」と見る向きもある。だが実際には、連銀は失業が減らない限り金融引き締めには入らないので、今回の利上げは、連銀内の利上げ主張に配慮した一回きりの動きだろう。連銀が最も重視するのはFF金利であり、公定歩合はそれほど重要ではない。連銀自身が、雇用は少なくとも来年まで回復しないと予測しているのだから、来年まで連銀は金融引き締めをしない。その分、ホエニッヒが懸念する超インフレや国債金利の高騰の可能性が高くなる。 ('Groundhog Day' Will See Year of Low Rates: Pimco's Gross

 英国も米国と同様、国債破綻の予兆が見え出している。英国では1月に財政収支が意外な悪化を見せた。通常、1月は金融機関のボーナス月で所得税収が増えるのだが、今年は金融界の不振から税収が前年比9%減で、支出の方は景気テコ入れのため15%増となり、赤字が急拡大した。英国の新聞は「英国は、ギリシャ並みの財政難になった」と報じた。投資家は英国債を売り、国債価格が15カ月ぶりの安さとなった。英政府は財政赤字を増やせない分、通貨ポンドの増刷で対応せざるを得ず、英国のインフレ率(消費者物価指数)は12月の2・9%から1月に3・5%へと上がった。すでに英国は、米連銀のホエニッヒが指摘した超インフレによる財政破綻への道を歩み出している。 (Shock as British deficit equals that of Greece) (UK2 monetary isolation) (Inflation soars to 3.5% and prompts Bank letter to Darling

 2月16日、財政難に苦しむギリシャの首相がロシアを訪問し、プーチン首相と会った。EUが助けてくれないので、ギリシャ政府は、外貨準備が豊富なロシアに助けを求めたと推測されているが、プーチンは共同記者会見で「ギリシャの財政はそんなにひどくない。ギリシャに劣らずひどい財政状態の国が海の向こう(米国)にある。彼らこそ、金融危機の元凶だ」と、ギリシャ擁護と米国批判を展開した。 (Putin calms Greek, says U.S. debt big too

 米欧日のマスコミでは、プーチンの発言は信用ならないものとされ「あんなやつの言葉を信じるのか」ということになる。だが私には、プーチンの発言はかなり当を得たものに感じる。米連銀のホエニッヒも、同じように考えているだろう。



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