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欧米のエネルギー支配を崩す中露

2010年1月26日   田中 宇

 昨年末12月28日、ロシア極東のウラジオストク郊外に、新しい石油積出港としてコズミノ港が開所した。約5000キロ離れたシベリアの油田から送ってきた原油を、アジア太平洋地域に輸出するための港である。開所式には、開港を国家事業として推進してきたロシアの最高指導者プーチン首相も出席し、あいさつの中で「これは単なるパイプライン事業ではない。地政学的な大事業である」とぶちあげた。 (Putin opens oil-export route

 コズミノ港は、シベリアの油田地帯にあるタイシェトから、中国国境に接したスコボロジノを経てコズミノまでの石油パイプラインと組み合わせて「東シベリア太平洋石油パイプライン」(ESPO、East Siberia-Pacific Ocean oil pipeline)と呼ばれる。ESPOは、このルートを通ってアジア太平洋地域に供給され始めた原油の銘柄の名前にもなっている。

 ESPOのパイプラインは昨年11月、産出地のタイシェトから中間点のスコボロジノまで2700キロが完成し、残りの部分は2015年までに完成予定となっている。それまで、未完成区間は鉄道で原油を輸送する。スコボロジノでは、中国向けのパイプラインが分岐し、中国のパイプライン網の出発点(かつての大油田)である黒竜江省の大慶までつなぐ工事が昨春に始まっている。石油パイプラインと並行して、ロシアの国営ガス会社ガスプロムが天然ガスのパイプラインを建設する予定もある。 (Russia launches 'geopolitical' oil pipeline to Asia

▼ロシアと欧州の関係を変えるアジア向け原油販売

 プーチン首相がESPO事業を「単なるパイプラインではなく地政学的な大事業」と呼んだのは、この輸送路の新設によって、ロシアの原油の新たな売り先として、中国をはじめとするアジア太平洋諸国が加わり、ロシアは原油の9割を欧州に売っていた従来の状態から脱せられるからだ。原油の輸出はロシア経済の大黒柱だが、その売り先がほとんど欧州だった従来は、欧州がロシアの原油を買ってくれなくなるとロシア経済がたちゆかないという弱みがあった。欧州はロシアの原油に頼っているが、ロシアも欧州の消費に頼っていた。

 しかし今後、中国などアジア諸国に原油を売リ出すと、ロシアは欧州に原油を売らなくても大して困らないようになる。従来、シベリア(西シベリア)の原油は欧州向けに輸出されていたが、シベリアの油田地帯から欧州国境まで約5000キロで、太平洋まで距離とだいたい同じだ。ロシアは、これまで西に送っていた原油を東に送ることで、たとえ欧州との関係が悪化してEUがロシア原油の不買活動をしても、ロシアは大して困らなくなる。EUに対するロシアの政治的な力関係は、大きく優位になる。

 現在、ロシアは原油輸出の6%しかアジア太平洋諸国に売っていないが、2030年にはこれを20−25%まで増やす構想になっている。JPモルガンのアナリストは「ESPOの登場で、世界の原油市場は変わり出す」と予測している。 (Russia Pipeline Sets New Course in Oil Market

 凍土の上の長距離パイプラインの建設費は巨額だ。建設費から輸送コストを算定すると、ESPOの送油は油田から積出港まで、1トンあたり130ドルかかるが、パイプラインの運営主体である国有企業のトランスネフチは55ドルしか徴収していない。この事業は年間10億ドルの赤字となる。

 しかしプーチンは柔道の猛者らしく、この赤字問題を、敵の力を使って敵を倒す「背負い投げ」方式で政治的に解決している。ロシア政府は昨年から、欧州向けの原油輸出にトンあたり約30ドルの輸出関税をかけ、この収入を使ってESPOの赤字を埋めている。西向きの原油は関税がかけられて割高になるが、東向きの原油はそれがないので、ロシアの石油業界にとっては、西向きで欧州へ輸出するより、東向きで中国などに輸出した方が良いことになり、シベリアの原油は自然に東向きに流れていくようになる。 (Russia launches 'geopolitical' oil pipeline to Asia

 ロシアが原油の輸出先として中国などアジア市場を得ることは、欧州(EU)だけでなく、ポーランド、ウクライナ、ベラルーシといった、ロシアから欧州へのパイプラインが経由する国々をも不利にする。これらの国々は従来、自国を通過する原油や天然ガスのパイプラインの利用を規制するとロシアを脅すことで、自国に対するロシアの影響力拡大の動きに対抗し得たが、今後はそうした脅しも効果が薄くなる。

 ロシアとベラルーシの間では昨年末から、原油の輸出関税の支払い問題でもめている。ロシアはベラルーシに対し、新関税の課税分を含めた原油価格を払えと求めているが、消費者であるEU諸国はベラルーシに課税分を払ってくれない。ベラルーシはロシアに対し、税金分は払えないと通告したが、それなら原油を止めると言われて困っている。ロシアに原油を止められると、ベラルーシだけでなくEU全体が困る。このロシアの強気の姿勢は、原油価格の高騰をも招くので、ロシアにとって一石二鳥だ。 (Belarus and Russia fail to agree Russian Oil supply deal

▼プーチンの功績

 プーチンは、欧州(欧米)特に英米に対して、優位に立とうとしている。その理由は冷戦終結後、英米が、レーガンとゴルバチョフの間で冷戦終結時に約束した「欧米はロシアに対する敵視をやめ、国際社会の仲間として扱う(代わりにロシアは東欧を手放す)」という事項を守らなかったからだ。ロシアは、ワルシャワ条約機構を廃止したのに、欧米はNATOを解体せず、それどころかバルト3国やポーランドなど、ロシア近傍の国々をNATOに入れ、ウクライナやグルジアも加盟させようとするなど、NATOをロシア包囲網として強化した。

 冷戦後のロシアは、欧米資本が自由に入ってこれるようになったが、その結果、欧米資本や英イスラエルの諜報機関と結託した、オリガルヒと呼ばれる新興財閥(主にユダヤ人)がロシアを政治・経済の両面で牛耳り、国営企業の民営化政策を使って私腹を肥やし、エリツィン政権の中枢に入り込んでロシアの国策を骨抜きにした。 (ロシア・ユダヤ人実業家の興亡

 エリツィンは、政権末期に自らの過ちに気づき、後継者に諜報機関出身のプーチンを立ててから辞めた。プーチンは、私物化された石油ガス産業などの国有企業を政府の手に戻し、オリガルヒを逮捕や亡命に追い込んで、荒っぽくロシアの国策を立て直した。サハリンなどでロシアの石油ガス田の開発利権を取得していた英米日企業も、環境問題などでいちゃもんをつけられ、利権をロシアの国営企業に譲渡させられた。

 ESPOの事業も、初めは最有力オリガルヒだったホドルコフスキーの石油会社ユコスが01年に立案した。だが、ホドルコフスキーが逮捕され、06年にユコスが消滅すると、ESPOはプーチン主導の国営事業になり、ロシアが中国の需要を使って欧米に対抗する構図に塗り変わった。諜報戦略の一環として世界のマスコミ論調を握る英米は、プーチンを独裁者として描く傾向がいまだに強いが、ロシア人の大多数にとって、プーチンは祖国を英米の傀儡状態から救った英雄である。 (プーチンの光と影

 欧州では、ドイツがシュレーダー前首相の時代に、プーチンのロシアとの関係を強化した。米国の単独覇権主義に頼って反ロシアの姿勢をとりがちなポーランドやウクライナを迂回してロシアからドイツに天然ガスを直送する、バルト海の海底パイプライン計画(ノルドストリーム)も進められ、今春から建設工事が始まる予定だ(11年完成予定)。だがドイツは、05年にメルケル政権になった後、米英の覇権下から出ていく姿勢をとることに慎重になり、独露関係は良いものの、目立たないかたちになっている。 (Germany is aiding Russia's run around Central Europe) (Gazprom confirms plans to start Nord Stream construction in April

▼中露協調で実現したESPO

 中国はESPOのパイプライン建設に出資している。代わりに中国は、ESPOの原油を20年間購入する権利を得た。中国の協力を得て、ロシアの石油ガスを中国に売るのがESPOの中心事業である。プーチンはESPOの事業を皮切りに、今まで開発が遅れていたロシアの極東から東シベリアにかけての地域に新たな産業基盤を作りたい考えだが、それにも中国の投資を誘致しようとしている。

 ロシアと中国は、歴史的に相互不信が強くて仲が悪く、以前ならロシアのパイプライン建設費を中国に出してもらうことは、ロシアの安全保障を危うくすると考えられて実現しなかっただろう。だが近年、プーチンはむしろ「政治は独裁、経済は自由化」という中国共産党のやり方を評価し、極東やシベリアの開発を中国に手伝ってもらう道を選んでいる。

 極東のロシア人の間では、中国人に商売の儲けを奪われているという反感が根強いが、中露の政府間では、ロシアがパイプライン建設に対する中国からの投資を受け入れたことで、伝統的なわだかまりが取り除かれた。ロシアは従来、極東シベリア開発を日本に手伝ってもらおうとしたが、対米従属の日本は、ロシアとの相互の警戒心を解く工夫をしなかった。 (中国の内外(3)中国に学ぶロシア

 ESPOの石油開発は、日本や韓国、東南アジアやインドなども売り先として想定しており、インド企業もロシアの油田開発に参画している。シベリアの油田は、今まで欧州向けに生産してきた西シベリアの油田がそろそろ枯渇期に入り始めている。東シベリアの方はまだ未開発で、その開発が予定通りに進むかどうか懸念がある。不安材料はあるものの、リスクのあるホルムズ海峡もマラッカ海峡も通らず、数日で東アジアに原油を供給できるロシア極東の積出港を持つシベリアの油田の意味は大きい。 (Changing the rules of the energy game

 中東情勢は不安定で、イスラエルとレバノン(ヒズボラ)やハマスとの戦争がいつ再開してもおかしくない。イスラエルとレバノンが戦争になると、イランも参戦し、サウジアラビア産など世界の原油の25%が通行するイラン前面のホルムズ海峡が封鎖される可能性が一気に高まる。イスラエルの南にあるスエズ運河も閉まりうる。中東からの原油供給が大幅減になった場合、ロシア原油の価値は一気に上がる。太平洋に面したコズミノ港からなら、米国の西海岸にも短期間で原油を運べる。ロシアはOPECに加盟していない。OPECは米国からの圧力に弱い。ESPOによって、ロシアはアジアでOPECをしのぐ勢力になりうる。 (原油安に窮するロシア

▼トルクメニスタンのガスからEUを締め出す

 ロシアと中国は、中央アジアの天然ガス利権をめぐっても、協調的な動きをしている。昨年12月、中国と中央アジア諸国の間で、トルクメニスタンの天然ガスを中国まで運ぶ6千キロのパイプラインの建設契約が調印された。パイプラインが経由するウズベキスタンとカザフスタンも天然ガスの産出国で、それらの国々のガスもパイプラインに合流し、中国に売られる。 (China Scores Again in Energy: Russia & Central Asia

 トルクメニスタン政府は、天然ガスを輸出する契約を中国と締結したのと前後して、南に隣接するイランに対してもガスを輸出する契約を結んだ。従来からの輸出先だったロシアと合わせ、トルクメニスタンのガスは、全量がロシア、中国、イランの3カ国に輸出される体制が固まった。 (Russia, China, Iran redraw energy map

 この事態は、欧州にとって大打撃である。欧州はこれまで、天然ガスの大半をロシアから輸入しており、欧州が米英に引っ張られてNATOがロシア包囲網的な態度をとる中で、ロシアは欧州にガスを輸出しないと脅してきた。EUはエネルギー安全保障のため、トルクメニスタンのガスをカスピ海、アゼルバイジャン、トルコ経由で欧州に送る「ナブッコ・パイプライン」の計画を進めてきた。しかし、トルクメニスタンのガスの全量がロシア、中国、イランに売られることが決まった今、EUがナブッコを経由して買えるガスはなくなってしまった。 (プーチンの逆襲) (エネルギー覇権を強めるロシア

 トルクメンは従来ロシアだけにガスを売ってきたので、中国がトルクメンのガスを買い始めることを「ロシアがトルクメンのガス利権を中国に奪われた」という中露対決の構図で描く記事もある。だが、要点は別のところにあるとの指摘もある。ロシアは、トルクメンのガスの全量を中国やイランと分け、EUのガス輸入を不可能にすることで、EUがロシアのガスに頼らざるを得ない状況を作ることに成功した。 (China ends Russia's grip on Turkmen gas) (Turkmenistan-China pipeline changes energy balance

 天然ガスの埋蔵量で見ると、ロシアが世界第1位、イランが2位、トルクメニスタンが4位である(3位はペルシャ湾のイラン対岸のカタール)。イランは南北をつなぐガスのパイプラインがないが、北からトルクメンのガスを買って首都のテヘランなどで消費し、代わりに自国南部のガス田のガスを輸出して、その代金をトルクメンに支払う予定にしている。イランのガスをトルコ経由で欧州にパイプラインで送ることもでき、トルコはそれに期待しているが、EUは米英イスラエルがイランに「核兵器開発」の濡れ衣をかけて制裁していることに協力せざるを得ず、EUはイランからガスを買えない。 (Beware the winds of December

 しかし、何もしなければ、EUはロシアの言いなりでガスを買い続けねばならない。最近、米国がイランに対する制裁強化をあきらめ始めているのを見て、ドイツはイランのガスを買う契約の交渉を開始した。イラン制裁の網はほころんでいる。 (Iran in billion-euro gas deal with Germany

▼心もとない日本

 トルコは今後、イランだけでなくイラクの石油ガスを欧州に送る通り道として機能するだろうが、すでにロシアは先回りして、エネルギー輸送に関してトルコとの協調関係を築いている。正月早々、トルコのエルドアン首相がモスクワを訪問してプーチン首相と会談し、黒海の海底にパイプラインを作ってロシアの天然ガスをトルコまたはブルガリア経由でEUに送る「サウスストリーム」と「ブルーストリーム」の構想に協力する方向を打ち出した。 (Russia says Turkey backs all its energy projects

 ロシアと中国のESPOパイプライン計画が、石油ガスの輸送だけでなくロシア極東の経済開発計画になっているのと同様、ロシアとトルコの石油ガス輸送構想も、エネルギー以外も含む全面的な経済協力となっている。以前の記事に書いたように、トルコはEUに入りたいが入れてもらえない「欧州の辺境」から、オスマン帝国時代の中東の覇権国としての立場を取り戻す「イスラム再重視」の方向に転換している。ロシアもエリツィン時代には、G7(G8)に入れてもらって欧米の仲間入りを目指したが、プーチンはその国策を捨て、中国(上海協力機構、BRIC)やイスラム諸国などと組んで覇権の多極化を目指す国策に転換している。今のトルコとロシアの国家戦略は重なるところが多い。 (Turkey and Russia on way to `strategic partnership') (近現代の終わりとトルコの転換

 中露と中央アジア諸国で構成する「上海協力機構」は、参加国の顔ぶれからは、NATOや日米同盟によって構成される米英覇権によるユーラシア包囲網(冷戦体制)を崩すための「ユーラシア内部の結束機能」と考えられるが、上海機構は縛りのゆるい組織なので、米欧日の政府当局者や「専門家」らは「上海機構は地政学的なバランスを崩す組織ではない」と言って油断していた。 (多極化の進展と中国

 しかし実のところ、上海機構は石油ガスの共同開発を中心とする経済協力の面を持つ。それがESPOや、トルクメニスタンから中国へのパイプラインのかたちで結実し始めた今になってみると、上海機構はエネルギー利権の面から米英覇権を崩している。中国やロシア、イランの国営企業が、欧米企業からエネルギー利権を奪う構図は、2007年にFT紙が描いた「新セブンシスターズ」の分析とも一致する。エネルギー利権は、基軸通貨制度と並び、世界の覇権構造にとって最重要の分野だが、利権の構造は、米英中心から中露などの多極的な状況へと、不可逆的に転換しつつある。 (反米諸国に移る石油利権

 こうした状況下で、わが日本が置かれているエネルギー安全保障の状況を見ると、はなはだ心もとない。日本は対米従属を重視するあまり、ロシアとの関係改善を怠ってきたので、ロシアの石油ガスを安く買えない。日本の原油輸入の80%は狭いマラッカ海峡を通っている。中国はインド洋に面したミャンマーの港から雲南省までの原油を運ぶパイプライン建設を進めており、これができるとマラッカ海峡が通行不能になっても中東の原油を中国に送れる。 (Big brother focuses on stability in Burma

 ロシアの石油ガスは、中国のような迂回ルートを持たない日本にとってこそ重要であるはずなのだが、ロシアの石油ガスの最優先の売り先は中国になってしまっている。中露が相互不信を乗り越えてエネルギー戦略で協調できたのだから、日本も国策を工夫すれば、冷戦型の思考を乗り越えて中露との協調関係を強め、エネルギーの安全保障を強化できるはずだ。小沢一郎が中国との関係強化を開始したとたん、小沢は日中国交を正常化した田中角栄がやられたような検察とマスコミからの潰しに遭っているが、このような事態が続く限り、長期的な日本の安全保障はむしろ危うい。



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