プーチンの光と影2006年1月16日 田中 宇前回の記事「プーチンの逆襲」では、プーチン大統領が、冷戦後の10年間、弱い状態が続いていたロシアを、国家経済の中心をなすエネルギー産業の再国有化と強化によって、強い状態に戻しつつあることを書いた。プーチンは、そうした手法をどうやって身につけたのだろうか。彼の経歴を見ていくと、その答えを考えていくことができる。 ウラジーミル・プーチンは、ソ連時代に「レニングラード」という都市名だったロシア西端の大都市、サンクトペテルブルグ市に生まれ育ち、1975年にレニングラード大学の法学部国際関係学科を卒業した。その後、子供のころからのあこがれだったKGB(ソ連国家保安委員会)に就職した。(関連記事) KGBは、国内では公安警察や秘密警察の機能を果たし、国外では西側に対するスパイ活動を行う諜報機関である。プーチンは、最初はレニングラード市の反体制活動家の監視活動などを担当していたが、その後1985年から90年まで、東ドイツのドレスデンに派遣されていた。89年末にベルリンの壁が崩壊し、90年に東西ドイツの統合が進む中、東ドイツのKGB組織も廃止され、プーチンは故郷のレニングラード(サンクトペテルブルグ)に戻った。 プーチンが東ドイツでどんな仕事をしていたか公開されていないが、故郷に戻った翌年にはサンクトペテルブルグ市長の国際問題の顧問団のひとりとして、欧米企業によるサンクト市への投資を誘致するための担当者になっている。彼はこの仕事で大成功をおさめ、1994年にはサンクト市の副市長に抜擢された。 こうした経歴から察するに、プーチンは東ドイツで、西側企業との関係作りを担当していたのではないかと推測される。米ソ対立が続く中で、東西ドイツは、西ドイツ側の外交努力の結果、例外的に1970年代に国交を正常化し、プーチンが東ドイツに派遣された80年代後半には、87年に東ドイツのホーネッカー議長が東独首脳として初めて西ドイツを訪問するなど、東西ドイツの経済交流が活発化していた。 KGBは、西側企業に対する産業スパイや、資金調達ノウハウの獲得などを任務にしており、プーチンがドレスデンを拠点に、西ドイツ経済界への食い込みや人脈作りを担当していたとすれば、彼がサンクト市に戻った後、西欧からの投資を誘致する担当者となり、成功をおさめたことは納得がいく。冷戦のために培った人脈が、冷戦後、経済発展のために使われたということである。 プーチンは特に、西独最大手のドイツ銀行と、業界3位のドレスナー銀行というドイツの2つの大手銀行と、1990年代にはすでに親密な関係を築いていたと指摘されている。プーチンの過去を詮索したウォールストリート・ジャーナルによると、プーチンがサンクト副市長だったとき、彼の妻が事故で背中を痛めたが、ドレスナー銀行が交通費を負担して彼女をドイツの病院に運び、治療を受けさせたという。(関連記事) ▼90年代に書いた提案を実現しているプーチン プーチンがKGBに入省したのは、それが愛国的な仕事としてソ連時代に国民から見られていたからだ。ソ連が崩壊し、ロシアでは愛国心より金儲けが奨励される時代となったが、プーチンは愛国的な考え方を捨てなかったらしい。サンクト市の副市長だった1994年ごろ、プーチンは同市内に新設された「国家鉱業研究所」の研究員も兼務しており、そこで彼は「ロシアの豊かな資源を活用すれば、世界的な大国の座を取り戻すことができる」と主張する論文を書いた(部下たちに書かせたものをプーチンの名前で発表したという説もある)。(関連記事[pdf]) プーチンは「ロシア経済発展のための鉱物資源戦略」("Mineral Raw Materials in the Strategy for Development of the Russian Economy")と題したその論文で、石油やガスといった資源産業を再国有化し、その国有企業群の経営を欧米並みに効率化するとともに、金融機関の機能を併設して「金融産業企業群」となることで、世界からロシアの資源開発への投資資金を集めるメカニズムを作ることを提唱した。(関連記事) プーチンが使った「金融産業企業群」(financial-industrial corporations)という言葉は、ソ連時代の経済の中心的な存在だった「軍事産業複合体」(military-industrial complex)に対抗する概念である。ソ連は「軍事力」で世界的な覇権を獲得したが、冷戦後のロシアは「資源」で覇権をとる。「戦車より石油だ」という提案だった。 その後プーチンは、1996年にエリツィン大統領の目にとまってモスクワに引き抜かれ、エリツィンの側近として、ロシア連邦政府の高官を歴任した。99年には首相になり、その年の暮れに行われた議会選挙で、プーチンを擁立する政党「統一」(今の「統一ロシア」)が圧勝し、他のライバルを抜き去って最有力のエリツィンの後継者となった。エリツィンは同年の大晦日に大統領職をプーチンに譲った。(関連記事) 2000年に大統領になってから、現在に至るまで、プーチンが最も力を入れて行ったことは、彼が1990年代に書いた「資源を使ってロシアを世界的大国に戻す」という論文で提唱した戦略を、一つずつ実現していくことだった。 ▼KGBならではのライバル潰し エリツィンが大統領をしていた時代には、石油など資源産業は、ソ連崩壊後に国有企業が民営化される過程で経営権を握った新興資本家「オリガルヒ」たちに握られていた。オリガルヒは儲けた金で政治献金し、エリツィン政権の中枢に座っていた。 自由市場経済に転換した冷戦後のロシアでは、企業には名目上、納税義務があったが、取り立てる行政メカニズムが未整備だったため、誰も税金を払っていなかった。プーチンはこれに目をつけ、オリガルヒたちに「脱税」容疑をかけた。特に、最大の石油会社だったユコスに対しては、企業資産を凍結した上で巨額の重加算税を科して支払不能に陥らせ、国有石油会社ロスネフチなどに安値で買収させ、国有化してしまった。(関連記事) 政敵を犯罪者に仕立ててしまうのは、KGBという公安警察出身のプーチンならではのやり方である。プーチンの側近にはKGB出身者が多い。彼らは公安警察やスパイの出身だから、特定の人物の過去の経歴や日々の行動、人脈などを調べ、必要なら盗聴や、関係者を脅迫して密告者に仕立てることなども、気心の知れた部下に命じられる。プーチンは、エリツィン時代に拡大された地方自治の権限を再び中央政府に戻すため、反抗的な地方の州知事の汚職を摘発し、辞めさせたりもしている。 オリガルヒの中には、勝ち目がないとみてプーチンとの対立を避ける者もおり、彼らは自分の石油会社などを他の国有企業に売却した。イギリスのサッカーチーム「チェルシー」を買収して有名になったロマン・アブラモビッチもオリガルヒのひとりだが、彼は昨年、所有していた大手石油会社の「シブネフチ」を、すでに国有化されていたガスプロムに売却した。(関連記事) 国有化した企業のトップには、プーチンが信頼できる側近を就任させた。ロシアの資源産業は、ガスプロム、シブネフチ、ロスネフチといった、主要な国有企業9社に統合されたが、それらの経営トップはすべてプーチンの側近である。この9社は合計で、ロシアのGDP(国内総生産)の40%を占める年間2220億ドルの生産を行っている。(関連記事) ▼プーチンを支援するドイツ金融界 資源産業をオリガルヒから奪って再国有化する過程で、プーチンは、以前からのドイツの大手金融機関との親しい関係を活用している。たとえば、最大手石油会社だったユコスの油田部門を国有化するにあたり、ユコスの油田の資産価値を鑑定したのは、ドレスナー銀行傘下の投資銀行だった。(関連記事) ユコスの株式の何割かは、欧米の石油会社や金融機関などの機関投資家が保有していた。彼らは、ロシア政府がユコスの資産価値を低く見積もって格安でロシア政府系の石油会社などに売ることを恐れ、そのような事態になったら対抗措置をとると言っていた。そのため資産価値の鑑定には、プーチンと親しいドレスナー銀行系の会社が選ばれた。ドイツの大手銀行系の会社が出した見積もりなら、他の欧米の投資家も文句をつけにくい。同社は、いろいろな理由をつけてユコスの油田の価値を安めに見積もり、プーチンは、ユコスの油田を国有石油会社ロスネフチのものにする再国有化に成功した。 この例に見られるように、ロシアの資源産業をめぐるオリガルヒとプーチンの戦いの中で、米英系の投資家はオリガルヒの味方をする傾向があったのに対し、ドイツ系の投資家はプーチンの味方をしていた。ロシアをめぐる地政学的な戦いは、表向き「プーチン」と「欧米」との戦いのように見えるが、実は「プーチンとドイツ」と「米英」の戦いになっている(米英でも「多極主義者」はプーチンをこっそり支援した)。(関連記事) プーチンとドイツの結びつきは、ロシアのガスをドイツに運ぶ独露直結の海底パイプラインにも見て取れる。2010年に完成予定のパイプラインは、ガスプロムが51%、BASFなどドイツの大手企業2社が24・5%ずつを出資して作られた「北欧ガスパイプライン社」(North European Gas Pipeline Company)によって建設される。(関連記事) 今年の元日からこの会社の社長になったマチアス・ヴァルニヒ(Mattias Warnig)という人物は、もともと東ドイツの諜報機関(秘密警察)シュタージにつとめ、1980年代にドレスデンでプーチンの仕事に協力する担当をしていた。その後ヴァルニヒはドレスナー銀行に入り、昨年末まで同銀行のモスクワ支社長をつとめていた。(関連記事) この独露合弁会社の顧問には、ドイツ首相を辞めて間もないゲアハルト・シュレーダーが就任した。合弁会社は今年、株式を公開する予定で、欧米の投資家に向けたイメージ作りをシュレーダーに頼んだのだろう。シュレーダーは首相時代にプーチンを絶賛する発言を繰り返し、独露関係の蜜月を演出していた。だが、独露関係の中枢はシュレーダーではない。独露関係の隠された要点は、プーチンがKGBの東ドイツ駐在だった時代に作ったと推測される、ドイツの大手金融機関との関係である。(関連記事) ▼東欧諸国でもマフィア式買収 プーチンが、KGB仕込みの経済マフィア風のやり方で手に入れようとした対象は、ロシアの資源産業だけではない。旧ソ連東欧の他の国々のパイプラインや精油所なども標的になった。 2000年には、アイルランドのオフショア市場に法人登記されたペーパーカンパニーが、ハンガリーのパイプライン網を所有する大手化学会社ボルソドケム(Borsodchem)の株式の25%を買い集めて買収攻勢をかけるという事件が発生した。(関連記事) ハンガリー当局が調べたところ、ペーパーカンパニーの所有者はガスプロムの幹部であることが判明し、ロシアが西欧にガスを送るため、ハンガリーのパイプラインを乗っ取ろうとしていることが分かった。ガスプロムは他のペーパーカンパニーを動員して株を買い増したが、ハンガリー政府は財界を動員してボルソドケム株を防戦し、最後にはロシア勢を敗退させた。(関連記事) 2003年には、ポーランドの沿岸工業都市グダニスクの精油所の民営化をめぐって、ロシアの諜報機関FSB(KGBの後継機関)の要員がポーランドの大富豪に接近し、精油所をロシアの石油会社ルコイルが落札できるよう、ポーランドのクワシニエフスキ大統領(元共産党)に働きかけてくれと頼んだ事件も発覚している。これらの経済事件は、KGB出身のプーチンの側近たちによって考案されたものに違いない。 ▼株価つり上げ策としてのガス供給停止 昨年末、閣僚や側近を集めて開いた会議でプーチンは「これからロシアは、エネルギー部門における世界の指導者となる」と宣言した。プーチンは、大統領になってやってきたことの最終目的を、このとき初めて明確に語った。(関連記事) プーチンの戦略の中で、昨年までの過程は、オリガルヒに私物化された資源産業を、国家の手に取り戻す段階だった。今年から、プーチンの戦略は、90年代に書いた論文の中の次の段階に入っている。国有化され、欧米の投資家に乗っ取られる懸念がなくなったロシアの資源産業の、株式の半分未満を欧米の投資家に売り、世界から資金を集めてロシアの資源をもっと開発する、という段階である。 今年、ロシアの大手資源産業のうち、ガスプロムとロスネフチが株式の一部を公開し、ロシアと欧米で売り始める。ガスプロムは、株式の49%を、ロンドンとモスクワの株式市場に上場し、ロスネフチは株式の20%を上場する。(関連記事) この上場予定と、元日のウクライナに送るガスの一部を止めたガスプロムの荒っぽい値上げ要求とを結びつけて考えると、ガスを止めたことのもう一つの意味が見えてくる。ガスの売り値が大幅に上がったことで、ウクライナへのガス販売でガスプロムが得る利益は、昨年の年間11億ドルから、今年は39億ドルに急増する。(関連記事) 利益が上がる企業ほど、株の値段が高い。元日の値上げは、上場にあたって株価の値段を上げるための計略だったことが分かる。ガスプロムは、モルドバ、ブルガリアなどに送るガスも値上げすることを決めた上、国際的なガスの価格が上がった場合は、売り値をさらに上げることを新契約に盛り込んでいる。 株式上場の決定を予感し、従来限定的に取引されてきたガスプロムの株価は、昨年1年間で2・6倍となった。ガス値上げによる増収を好感し、同社の株価は今年1月に入ってからの数日間の取引で、さらに17%上昇した。(関連記事) ▼ガスプロムの世界野望 油田や天然ガス田の開発には巨額の資金がかかり、石油やガスを消費地や積み出し港まで運ぶパイプラインの建設も資金が必要だ。ロシアは、地理的にユーラシア大陸の西から東まで広がっているため、国内にパイプラインを引き、それを海外に延長することで、西欧にも、インド方面にも、中国など東アジアにもエネルギーを売れる。 ロシアからドイツへの直結ガスパイプラインが2010年に開通するほか、シベリアから中国への石油パイプラインが2008年から稼働する予定となっており、同じルートで天然ガスを売り込む構想がある。日本や韓国も、売り込みの対象となっている。昨年11月には、当面は解決不能の北方領土問題を議論しないことを前提にプーチン大統領が訪日したが、その主目的は「ロシアのエネルギー産業に投資しませんか」「石油やガスは要りませんか」という売り込みだった。(関連記事) ガスプロムは、ロシアとトルクメニスタンの天然ガスを、アフガニスタンを経由してパキスタン、インド方面に運ぶパイプラインを建設する構想を持っている。これは911事件の前、アメリカの石油関連会社ユノカルがアフガニスタンのタリバン政権と組んで作ろうとしたパイプラインのルートだ。ガスプロムは、イランからパキスタン、インドにつながるパイプラインの建設も手がけようとしている。(関連記事) またガスプロムは、アメリカに天然ガスを売り込む構想も発表している。ロシア北西部の沖合にある北極圏の海域であるバレンツ海の海底には、天然ガスが埋蔵されており、これを欧米企業と合弁して掘り出す構想だ。2010年からガスを売り出し、アメリカの天然ガス市場の10-20%を取ることを目標にしている。(関連記事) アメリカは、今でこそ地球温暖化対策を拒否しているが、今後もし西欧などと歩調を合わせ、二酸化炭素の排出量を減らすことになったら、天然ガス利用を増やさねばならなくなる。そうした時流に合わせ、プーチンはアメリカにガスを売り込もうとしている。(関連記事) アメリカでは「エネルギーをロシアに頼るなんて、とんでもない」とい見方が強いが、アメリカの財テク雑誌は「ガスプロムの株は安値感があるので買いだ」と書いている。アメリカの新聞は、政治記事では「ガスプロムの拡大はプーチンの独裁を強化する」と批判する半面、経済記事では「ガスプロムの株は買いだ」と推奨するという、矛盾した状態になっている。(関連記事) プーチンは、株価を上げるため、欧米人をロシアの国有資源会社の経営者として招くことも画策した。昨年12月、1期目のブッシュ政権で商務長官をつとめたアメリカ人ドナルド・エバンスは、ロシア政府に招待されてモスクワに飛んだ。モスクワに着いてみるとプーチン自身との会談がセットされており、そこでプーチンはエバンスに、ロスネフチの会長か副会長に就任してほしい、と要請した。(関連記事) プーチンは、ブッシュの元閣僚を経営者として招くことで、株式上場するロスネフチに関する企業イメージをアメリカで向上させ「プーチンが支配する会社」という悪い印象を消すことを狙ったのだろう。エバンスは結局、就任要請を断ったが、この出来事は、投資家集めを重視するプーチンの戦略を象徴している。 ▼国民に好かれる独裁者 まさに今のロシアは、経済も政治も、プーチンという「秘密警察出身の経済マフィア」が一人で握っている独裁国家である。だがロシアの世論を見ると、ロシア人は、以前のオリガルヒよりもプーチンの方を、はるかに強く支持している。それは、オリガルヒが自分の金儲けを越えた大目標を持たず、エリツィン時代のロシア政府を私物化して混乱させるばかりだったのに対し、プーチンは最初から「ロシアを再び世界の強国にする」という国家的な目標を持って独裁政治をやっているからだ。 ロシア人の多くは、かつて強かったソ連を壊してしまったゴルバチョフを嫌い、自国がソ連時代のような強い国に戻ることを望んでいる。資源を使ってロシアを再強化するプーチンの戦略は、こうしたロシア人の気持ちに沿っている。 プーチンは、ゴルバチョフとエリツィンが廃止した、ソ連時代の国歌や紋章などを復活させる政策を採っており、これもロシア国民の多くに支持されている。このような背景があったため、プーチンは2004年の大統領選挙で71%の得票で再選され、プーチンの政党である「統一ロシア」は2003年の連邦議会選挙で圧勝した。 欧米のマスコミでは、リベラルなゴルバチョフが好かれ、プーチンを嫌う傾向が強く、ロシア人の気持ちとは逆だが、この逆転状態は、ゴルバチョフがソ連を壊して欧米の食い物にされる状態を作った人で、プーチンがロシアを弱い状態から脱却させて再強化している人であることを考えれば、理解できる。
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