石油利権とイラク戦争2004年9月7日 田中 宇イラク戦争が始まってから、ずっと解けない謎がある。それは「ネオコンはイラク侵攻によって何がしたかったのか」ということである。 米軍のイラク占領が泥沼化して1年以上がすぎ、ブッシュ政権がどのような経緯でイラク侵攻に踏み切ったのか、アメリカを中心とする多くの分析者たちの努力により、しだいに事の本質が明らかになってきている。イラク戦争は、チェイニー副大統領、ラムズフェルド国防長官のタカ派(2人はイェール大学レスリング部時代からの友人)と、ウォルフォウィッツ国防副長官、ファイス国防次官、リビー副大統領首席補佐官ら「ネオコン」が、湾岸戦争のときに慎重派(中道派)の反対で果たせなかった「フセイン政権を潰す」という目標を、10年越しの追求の結果、実現したものだ。 911事件でアメリカが戦争モードに入ったことを機に、ネオコンは国防総省内に誇張した諜報分析を行う部署「特別計画室」(OSP)を新設し、フセイン政権が危険な大量破壊兵器を持っているとする報告書を作り、ブッシュ大統領と米国民にそれを信用させた。(イギリスの新聞や、ネット上で記事を発表するアメリカの分析者などからは、OSPが作った報告書は間違いだとする指摘が開戦前から出ていたが、アメリカではマスコミがネオコンの影響下にあり、その指摘は広く知られることはなかった)(関連記事) 戦後のイラクが混乱に陥ることを懸念した国務省は、開戦の1年ほど前から戦後イラクの復興計画を策定したが、国防総省のネオコンは、その策定報告書を実行することを拒否した。開戦前には「イラク復興には30万−50万人の米軍兵士が必要だ」とする国防総省内の制服組の強い主張に対し、ウォルフォウィッツは「5万人で大丈夫だ」と言って拒否した(結局間を取って15万人で開戦したが案の定、兵力不足が起きている)。(関連記事) 占領が始まると、米軍はイラク人をわざと怒らせるようなやり方をした。これは、イスラエル軍がヨルダン川西岸地域などでパレスチナ人をわざと怒らせて倍返しの弾圧をしてきた戦略とそっくりだった。(関連記事) ▼ネオコンはアメリカを愛していない イラクが十分に混乱した後、ネオコンはイランとシリアに対しても、イラクと同様の「政権転覆」を実行しようとしている。イランに対しては、原子炉で核兵器を作っているのではないかという疑惑が持ち上がっているのを利用して、イスラエル軍がイランの原子炉に先制攻撃的な空爆を行う可能性が出てきている。(関連記事) イスラエルは1981年にイラクのオシラク原子炉を空爆しており、それと同様のことをイランに対して行おうとしている。イランが反撃すれば、イラクにいるアメリカ軍はイランとも対峙しなければならなくなる。イラクの政権転覆は、結局のところ米国民にとって何もプラスになっていない。軍事力を無駄遣いし、国際的な威信を失墜させただけである。それなのに、ネオコンは懲りもせずイスラエルと組んでイランやシリアの政権転覆を企てている。 彼らはアメリカにとって良いことをやっていない。ネオコンがアメリカを愛しているなら、そもそも誇張した分析を使ってイラク侵攻することもしなかったはずだ。戦争をするにしても、日本やサウジアラビアやドイツに戦費を出させた湾岸戦争のように「国際協調」を押し立ててやっていれば、まだ金銭面ではアメリカの「国益」にかなっているが、今回のイラク侵攻ではEUや国連と不必要に仲違いした結果、戦費はすべてアメリカの自己負担である。ネオコンはアメリカに対する愛国心からイラク侵攻を主導したとは思えない。 イラク戦争はアメリカが自らの「石油利権」を拡大する目的で起きた、という説明も存在するが、ネオコンの行動はむしろ石油利権と敵対している。アメリカの石油利権は、1930年代にロックフェラー系のカリフォルニア・スタンダード石油(現シェブロン)がイギリス勢を出し抜いてサウジアラビア王室から石油利権を受注して以来、サウジ王室とともに歩んできた。 ところがネオコンは、911事件の「犯人」の多くがサウジアラビア人だったため「サウジアラビアからの石油輸入を減らし、サウジと縁を切るべきだ」という主張を、911以来よく展開している。911事件は、アメリカの石油利権を陥れるための格好の材料としてネオコンに使われている。ネオコンは911を機に、石油利権というアメリカ中枢の主流派勢力に対して殴り込みをかけた観がある。 ▼イスラエルはアメリカの石油利権を狙っている? すでに何度か書いたことだが、ネオコンはイスラエルの現リクード政権を強く支持してきた。たとえばダグラス・ファイス国防次官は、シオニズム(イスラエル建国運動)の闘士だった父親のダルク・ファイス(Dalck Feith)とともに、シオニズムに対する貢献を讃えられ、イスラエルの政府系団体から親子で表彰されている。ダグラス・ファイスやリチャード・パールは、ブッシュ政権に入る前の1996年、イスラエルのネタニヤフ政権の顧問として「パレスチナ和平(オスロ合意)を潰し、フセイン政権を倒すべきだ」とする政策提案書(A Clean Break)を書いた。その後、事態は彼らが提案した通りになっている。(関連記事) 911以来、イスラエルは不安定さを増し、失業者が増えて人々の生活水準が悪化し、世界からイスラエルへのユダヤ人入植者も減っている。イスラエルは明らかに苦境にある。ネオコンがやったことは、イスラエルのためになっているように見えない。そのため私は「ネオコンはイスラエルの仕業に見せかけて、実は中道派など他勢力のために働いているのではないか」と考え「ネオコンは中道派の別働隊だった?」という記事を今年6月に書いたりしたが、父親の代からイスラエルに貢献しているファイスのような人が、そのような背信を行うとは考えにくい。(分析が揺れてすみません) イラク占領の泥沼が長引き、アメリカは軍事力や財政力、国際的な信用力など失墜し、今後はイラン、シリア、サウジの政権も転覆される可能性もあるが、それらの動きがネオコンによってイスラエルのために行われるのだとしたら、イスラエルにどのような利点があるのか。 私が最近考えた新しい仮説は、イスラエルはアメリカが持っている中東の石油利権を奪いたいのではないか、ということだ。アメリカの石油利権をイスラエルに委譲させる下地を作るために、ネオコンはイラク戦争を計画したのではないか、という推測である。 フセイン政権亡き今、中東でイスラエルに立ち向かってきそうな国はイランとシリアである。これらの国の政権が転覆されると、中東でイスラエルに立ち向かってくる国はなくなる。各国の政権が転覆された後、親イスラエルの人間が新政権につけば、イスラエルは現在の軍事力だけで十分やっていけるようになり、アメリカの庇護が必要なくなる。アメリカが占領の泥沼に懲り、財政難に陥って中東から出て行っても問題ないどころか、アメリカの覇権が縮小する過程で、イスラエルが隠然とアメリカの石油利権を奪取できる好機が訪れる。 ネオコンは国際協調を嫌ってアメリカ単独でのイラク侵攻を希求したが、これは国際化すると石油利権も国際的に分配せねばならず、イスラエルが全部とることが不可能になるからだ、とも考えられる。 ▼チャラビが首相になっていたら・・・ イラクでは、ネオコンは自分たちと親しい亡命者組織のトップだったアハマド・チャラビを新政権のトップにつける予定だった。これは米政権中枢での中道派からの反撃の結果、CIAと仲が良かったイヤド・アラウィが首相に就任し、チャラビは逮捕状まで出されて窮地に陥っているが、この反撃がなかったら、チャラビが首相になっていただろう。 ネオコンは湾岸戦争直後からチャラビに資金提供して亡命者組織「イラク国民会議」を作らせ、フセイン打倒の準備をしていたが、それに対抗してCIAは「イラク国民合意」を作り、そのトップに据えられていたのがアラウィだった。チャラビとアラウィの対立は、ネオコンと中道派、国防総省とCIAの対立と完全に重なっている。 イラク駐留米軍の中には、イスラエルの軍や諜報機関の要員がかなり混じっている。市内をパトロールする下っ端の兵士としてではなく、諜報分析や作戦立案、勾留者の尋問などを行う頭脳要員としてである。これらの派遣要員は米軍の中で「第三国要員」(third-country nationals)という隠語めいた呼び方をされ、半ば秘密事項とされている。アブ・グレイブ刑務所で勾留者を虐待していた尋問担当要員の中にも、イスラエル軍からの派遣者が含まれていたことが分かっている。(関連記事) イスラエルの諜報要員は、イラク北部のクルド人地域では、フセイン政権時代から活動していた。クルド人の防衛軍である「ペシュメガ」の訓練にもイスラエルが協力したのではないかと私は疑っている。クルド人は、イラク、トルコ、シリア、イランなどにまたがって住んでいる。イスラエルはクルド人を支援することで、かつてはイラクの政権潰しの活動を行い、フセイン政権打倒後は、シリアやイランの内情を探り、両国の情勢不安定化や政権転覆を狙っている。(関連記事) イスラエルはほとんど一般に知られぬまま、すでにイラク統治にかなり参画している。今後アメリカが財政赤字増大などの結果、何らかの経済的な崩壊に至ったり、長期化する占領の泥沼に耐えかねて反戦ムードが高まったりしてイラクから一方的な撤退を余儀なくされた場合、その後のイラクではイスラエルの隠然とした影響力が強まる可能性がある。その場合、イスラエルは表に出て政治を張ったりしない。チャラビやクルド人などの代理人を動かして、裏から政治を操作するだろう。 ▼サドル師を強化してイスラエル化を防ぐ? イラク、イラン、シリアは多様な民族構成になっているため、政権を転覆されると国内が分裂する可能性があるが、イスラエルにとっては中東が今よりもさらに小国ばかりに分割された状態になると、いっそう統治しやすくなる。イラクは今後、北のクルド人、真ん中のスンニ派、南のシーア派、という3つの地域に分裂する可能性があるが、このうちクルド人とシーア派は、比較的統治しやすい。油田地帯はこの2つの地域で、真ん中のスンニ派地域は石油がほとんど出ない。 イラクの石油は、親イスラエル国家であるヨルダンをパイプラインで抜けて、イスラエルの港から世界に積み出せる。外交バランスだけで生きてきた小国ヨルダンは、少し石油を分けてもらえれば協力するだろう(フセイン政権からも石油を無償でもらっていた)。 現実は、イラクの首相にはチャラビではなくアラウィが就任した。このことからは、アメリカの石油利権(中道派)がイスラエル(ネオコン)の勝手な計画を許さないという意志を持って動いたことが感じられる。FBIがダグラス・ファイスらネオコンを狙ってイスラエルスパイ事件を捜査しているのも、同じ動きだろう。(関連記事) イラクの米軍の司令官の中には、ワシントンの許可を得ずにナジャフのサドル師やファルージャの民兵組織に対してけんかを売り、一触即発の事態を作った上で米軍側が撤退し、結果的にサドル師やファルージャの民兵を「国民的英雄」に仕立ててしまっている勢力がいる。これは、わざとこれらの反米勢力を英雄に仕立て、イラクのナショナリズムを勃興させ、米軍が撤退してもイラクの統一が保たれ、イスラエルの勝手にされずにすむように仕掛けているのかもしれない。(関連記事) (今年7月末、ナジャフの米軍が陸軍から海兵隊に交代した直後、海兵隊の新司令官が国防総省の許可を得ないまま、6月から続いていた停戦協定を破ってサドル師を逮捕しようと襲撃をかけて失敗した。これを宣戦布告と見なしたサドル師は、イラク南部の諸都市でマホディ軍を決起させた。米軍は、マホディ軍が立てこもるナジャフのアリ・モスクを破壊しかけたが、このモスクは世界の2億人のシーア派にとって最重要の聖地であり、反発が高まった。モスクの破壊は回避され、米軍とサドル師は8月末に再び停戦したが、イラク国民の6割を占めるシーア派の反米感情が増すとともに、アメリカに負けなかったサドル師への支持が増えた)(関連記事) ▼正体不明の原油市場 原油は、流通や価格形成の構造が分かりにくい商品である。今年に入って原油高が続いているが、多くのアナリストがなぜ原油高が続くのか分からないと表明し、苦しげな説明を繰り返している。原油市場が正体不明なのは、石油利権が植民地支配や傀儡政権の樹立など、国際政治の産物であるからだ。 自動車や航空機が人類全体に必要不可欠なものになり始めた1910−20年代以来、アメリカ、イギリス、フランス、ロシアといった大国が石油利権の獲得にしのぎを削ってきた過程は国際政治の歴史そのものだ。油田地帯であるイラクやイランの現代史は石油利権をめぐる暗闘の連続であり、それゆえに謀略や謎が多い。 石油利権を最初につかんだのは、第一次世界大戦に勝ってイラクを植民地化し、イランにも影響力を行使したイギリスだったが、その後、アメリカがイギリスの利権を侵食するようになった。その過程でフランスやオランダも登場するが、石油利権の本筋はイギリスとアメリカというアングロサクソン勢力である。暗闘や謎の中でビジネスを展開するのが上手なもう一つの人々であるユダヤ勢力は、これまで石油利権の表側に出ることはなかった。 ▼アングロサクソンとユダヤ アングロサクソンとイスラエル(シオニスト)とは、根本的なところで味方ではない。イスラエルが建国された歴史を見ると、そう感じる。イギリスはもともとユダヤ人やキリスト教に改宗したユダヤ系の勢力が、財閥(ロスチャイルドら)や政界(宰相ディズレイリら)で強かった。第一次世界大戦(1914−18年)が始まり、オスマントルコ帝国が崩壊しそうなって、パレスチナを含むアラブ地域の将来をイギリスが決定する事態になると、イギリスの上層部で、政府にイスラエル建国を認めさせようとする動きが起きた。 第一次大戦でイギリスはドイツの攻勢に苦戦し、1916年になると、追加の軍資金や、アメリカに参戦してもらう必要が出てきた。これに乗じて、英上層部のユダヤ系勢力は、政府に軍資金を貸したり、アメリカのユダヤ系有力者に呼びかけて米政府を動かして参戦させたりする代償として、パレスチナへのイスラエル建国を認めさせることに成功した。これが1917年の「バルフォア宣言」だった。 だが、英上層部には、パレスチナにユダヤ人の国ができることを警戒する声もあった。アラブ人とユダヤ人の対立が中東を混乱させる懸念のほかに、イスラエルが中東の強国となり、中東におけるイギリスの利権を侵害するのではないか、という懸念があった。当時はちょうど、T型フォードの発売(1908年)による自動車大衆化の始まり、タングステン電球の発明(1910年)による電力需要の増加など、石油が産業界にとって急速に重要なものになっており、それまで列強にとってあまり価値がなかった中東が、潜在的な油田地帯として注目され始めていた。 イスラエルの国旗は、2本の川(水平の青い線)の間にユダヤの象徴であるダビデの星が描かれているが、この2本の川は、ナイル川とユーフラテス川の象徴であるとされる。旧約聖書の創世記に、神が始祖アブラハムに対してこれらの川の間の土地を与えると言ったと書かれていることに由来しているのだが、ユーフラテス川までイスラエルが狙っているとなると、イギリスの支配下にある油田地帯が含まれてしまう。 アラブ人は貧乏で軍事技術も持っていなかったが、欧州から入植してくるユダヤ人は違っていた。欧米のユダヤ資本家たちが提供する豊富な資金や、国際政治を動かす力もあり、イギリスにとって警戒すべき存在だった。 ▼約束の4分の1からスタートしたイスラエル イギリスは、バルフォア宣言がユダヤ人国家について「国家」ではなく「ホームランド」という曖昧な表現をしている点を使い、1922年のチャーチル白書で、イギリスはパレスチナに国家的な性格を持ったユダヤ人の共同体が作られることは認めるが、アラブ人(パレスチナ人)の共同体と合同の国家でなければならず、ユダヤ人だけの国家を別に作ることは認めないと明言した。(関連記事) そして同時に、イギリスはパレスチナを南北に流れるヨルダン川で二つに分割し、ヨルダン川東岸に「トランスヨルダン」(のちのヨルダン)という国家に準じる地域を創設し、アラブ人の王を据えた。イスラエルは、パレスチナの西半分だけを、しかもアラブ人と分け合うかたちで領有する事態に追い込まれた。ユダヤ人は、イギリスから約束されたはずのパレスチナのうち、4分の1しか与えられなかった。(関連記事) 当時、イギリスはすでに斜陽の帝国になり始めていた。国内政界でユダヤ系が政治力を使ってもイスラエルの領土を拡大できないようにするため、イギリス政府はパレスチナをイギリス一国ではなく、国際的に管轄する地域に指定し、国際社会の舞台として新設された国際連盟がイスラエルの問題を決定するかたちにした。 現在、イギリスのこうした行為は「パレスチナ人を守るため」であったかのように言われているが、当時の一般的な人権意識や国際情勢から考えると、それは実態を隠すための後世の「別の説明」であり、本質はイギリスがユダヤ人による中東支配を警戒していたのだと思われる。 その後、イギリスから中東の覇権を受け継いだアメリカも、イギリスよりは親イスラエル的な態度をとったものの、イスラエルとパレスチナとのバランスをとる政策を続けた点は、イギリスと同じだった。一方イスラエルは、国連など「国際社会」がパレスチナ問題を「仲裁」することを強く拒否し続けている。 イスラエルはパレスチナの4分の1の小規模国家として建国されたが、最初から戦争によって領土を拡大する「戦士の国」だった。建国前に世界からユダヤ人の移民を集めたときから、兵士になれる若い男を中心に集めており、建国後は、有力な政治家には元将軍が多い。(関連記事) シオニズム運動が本格化してから約100年、ネオコンがアメリカをイラク戦争に落とし入れたことで、世界最大の油田地帯であるユーフラテス下流(ペルシャ湾岸)をめぐり、ユダヤとアングロサクソンの最後の戦いが始まっているのかもしれない。 (ユダヤ人の中には、アングロサクソンの世界支配の枠内で活躍して儲けた方が得策だと考える勢力と、アングロサクソンと対立してもイスラエル国家を発展させるべきだと考える勢力がいると思われるが、この件に関してはまだ私にも分からないので、今後の課題とする)
田中宇の国際ニュース解説・メインページへ |