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イスラエル・スパイ事件の奇妙

2004年9月3日   田中 宇

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 アメリカの首都ワシントンで、奇妙なスパイ事件が発覚した。国防総省でイランに関する諜報や政策立案を担当するラリー・フランクリンという中級幹部が、イランに対してブッシュ政権が採ろうとしている戦略についてまとめた米政府の機密文書を、在米ロビー団体(AIPAC)を通じてイスラエル政府に流した容疑で、FBIが捜査を進めているというスキャンダルである。8月28日にアメリカのCBSテレビでスクープとして報じられた。(関連記事

 この事件が奇妙なのは、米政府内では現在、イスラエルと親しい関係にある「ネオコン」の人々が外交政策、特に中東に関する政策を取り仕切っており、イスラエルのシャロン首相ら高官は、ネオコンの人々といくらでも自由に話し、アメリカの対イラン政策の全容を簡単に聞き出すことができるはずなのに、なぜわざわざ国防総省の中級幹部から文書をもらわねばならないのか不可解だ、という点である。

 イスラエルのエルサレム・ポストは、イランの反体制人士の言葉を引用し「アメリカはイランに対する諜報をイスラエルに頼っているのだから、イスラエルがアメリカから機密をもらう必要などないはず。この事件は怪しげだ」と書いている。(関連記事

 また、米政権中枢の動きに敏感なウェブログ筆者の中には「アメリカが対イラン政策を考えているのはイスラエルのシャロン政権であり、ブッシュ政権は最初から密接にシャロンと連絡をとってきたのだから、シャロンはアメリカの対イラン政策を書いた紙など見る必要がない」と分析し、このスキャンダルは、ネオコンの高官たちが自分たちのもっと大きなスキャンダルから目を逸らすために、地位が低くユダヤ系でもないフランクリンをスケープゴートにしたのではないか、と推測している人もいる。(関連記事

▼共和党大会との関連性

 このスパイ疑惑は、まだ逮捕者を出しておらず、一人も逮捕者を出さないままFBIの勇み足と批判されて終わる可能性もあるが、この疑惑が暴露されたタイミングを考えると、逮捕者が出なかったとしても、政治的に意味のある事件になっていることが感じられる。その一つは、この事件が報じられたのが土曜日で、その次の週の月曜日から、ブッシュを大統領候補にするための共和党大会がニューヨークで開かれたという点である。

 ブッシュ政権は911事件を機に、それまで主流派だった中道派を押しのけてタカ派(チェイニー、ラムズフェルド)やネオコンが権勢を振るうようになったが、その後イラク占領が泥沼化したため、その責任はタカ派とネオコンにあるとする意見が共和党内で高まっている。今後の展開しだいだが、今回のスパイ事件は、ブッシュが再選された場合に、2期めのブッシュ政権で中道派が主流に戻る結果を生むかもしれない。

 共和党政権では、かつて1981年から2期つとめたレーガン政権が、1期目はネオコンに牛耳られたものの、2期目になってネオコンを追い出して中道派的な政策に転換した歴史がある。

 レーガンが当選した1980年の大統領選挙の前年には、イランでイスラム革命が起こり、テヘランのアメリカ大使館がイラン側に占拠され、大使館員が1年以上にわたって人質にされる事件が起きていた。現職の民主党カーター政権は、人質の救出に失敗したが、これはレーガン陣営が秘密裏にイラン側と接触し、自分が選挙に勝つまでは人質を解放しないでほしいと要請したためだった。イラン側との交渉を仲介したのはイスラエルの諜報機関で、この功績に対する報酬として、親イスラエル勢力であるネオコンの人々(まだ若かった)がレーガン政権に入り、中東政策の決定に影響力を持つようになった。

(イスラム革命までのイラン諸都市にはユダヤ教の市民がけっこうおり、彼らがもたらす情報がイスラエルの諜報機関の強さで、アメリカはこのときすでにイランに関する諜報をイスラエルに頼っていた)

 だが、レーガン政権内のネオコンは、共和党内のタカ派(冷戦扇動派)と組み、1983年にレバノンで起きていた戦争にアメリカ軍を巻き込まれそうになる事態を引き起こした。レバノンには、南隣であるイスラエルの軍隊が前年から侵攻したが苦戦しており、米軍がレバノン戦争にはまり込むことは、イスラエルにとって好都合だった。ネオコンとタカ派はソ連とも対立を扇動し、事態は核戦争の一歩手前にまでなった。

 これらの破壊的な計略に対して共和党中枢から反発が起こり、1985年にレーガン大統領が再選を果たした後、ワシントンではイラン・コントラ事件とジョナサン・ポラード事件という諜報スキャンダルが相次いで起こり、ネオコンやタカ派が追放される結果となった。イラン・コントラ事件は、米政府高官が秘密裏にイランに武器を売却していた事件で、売却の仲介にはイスラエルが関与していた。また、ジョナサン・ポラードは国防総省で諜報を担当するユダヤ系の分析官で、18年間にわたってイスラエルに機密を流していた罪で逮捕され、終身刑になった。

 最近のアメリカでは、大統領選挙でイスラエルロビーに嫌われた候補はまず当選できない。そのため、レーガンも再選を果たすまではネオコンを政権内に置いておいたのだろうが、再選を果たした後、スキャンダルをかぶせて権力を剥奪したのだろう。その後のレーガン政権では、国際協調路線の中道派が再び主流派となり、ソ連のゴルバチョフと対話路線を開始し、冷戦を終わらせる結果となった。

 ブッシュが再選された場合、こうしたレーガン時代の「1期目はネオコン主流、2期目は中道派が主流」というあり方が繰り返される可能性がある。ブッシュは、レーガン元大統領のような存在になりたいとよく言っているが、それは暗にこのような展開のことも含んでいるのかもしれない。そして奇妙なことに、8月28日に機密漏洩疑惑が暴露されたラリー・フランクリンは、イラン・コントラ事件にも登場するイランの反体制人士と何回も会い、ブッシュ大統領の許可を受けずにイランの政権転覆について話し合ったことも分かっており、イラン・コントラの再来を思わせる事件となっている。

▼CIAと国防総省の諜報戦争

 今回のイスラエル・スパイ疑惑のもう一つの特徴は、国防総省とCIAとの諜報をめぐる権力闘争の一環ではないかと感じられることだ。イスラエルの著名政治家の中にも「この事件は国防総省とCIAの権力闘争の結果、間違って起きたことだろう」と述べる人がいる。(関連記事

 アメリカにはCIAのほか、国防総省傘下のDIA、NSA、陸・海・空軍と海兵隊の情報部など、合計で15の諜報機関があるが、911事件後のブッシュ政権では国防総省が他の省庁から権力を奪って急速に力をつけ、国防総省が諜報関連予算の80%以上を持っていく形になっている。名目上は、CIA長官がすべての諜報機関を統括していることになっているが、実態は逆に国防総省が多くを取り仕切っている。(関連記事

 力をつけた国防総省を拠点に、タカ派とネオコンの人々は、湾岸戦争終結時に成し遂げることができなかった「イラク侵攻」を実行することを目標に動き出した。(湾岸戦争当時、チェイニーが国防長官、ウォルフォウィッツが政策担当の国防次官で、彼らは米軍をクウェートからイラク領内まで進軍させてフセイン政権を倒そうとしたが、中道派のベーカー国務長官、パウエル統合参謀本部長らによって阻止された。それが、イラクをめぐるタカ派と中道派の対立の発端となっている)

 湾岸戦争後、国連査察団がイラクに入り、イラクに大量破壊兵器の製造計画を破棄させた。これは1998年まで続き、イラク側は隠蔽工作を続け、最後は査察団を追い出したが、この時点でイラクの大量破壊兵器とその製造施設の90−95%は破棄されたと国連は結論づけた。その後、911後に米政権の中枢でイラク侵攻計画が起案されるまでに5年程が経過し、その間アメリカはイラクに調査に入れず、大量破壊兵器に関する諜報を得にくい状態にあったが、CIAは、イラクが大量破壊兵器を再び製造・保持している可能性を示す情報が何もない以上、イラクにはその後も大量破壊兵器は存在しないだろうと結論づけていた。

 戦争後のイラクで大量破壊兵器が見つかっていないことから、この分析は結果的に正しかったことが証明されたが、当時の国防総省のネオコンやチェイニー副大統領らは、CIAの分析を受け入れることを拒否した。代わりに、彼らは国防総省内に「特別計画室」(特殊計画室、OSP)という部署を作った。ここは、CIAなど各諜報機関からイラクに関する諜報データをコピーして収集し、それを「フセインは大量破壊兵器の製造を再開しているに違いない」といった仮定を持って再調査し「イラクが大量破壊兵器を持っている可能性が大きい」とする分析結果を導き出す作業を開始した。

▼特別計画室の誇張作戦

 CIAなどが集めた諜報データの中には、たとえばフセイン政権を嫌ってイラクから欧米に亡命してきた亡命者の証言もあった。CIAは「一般に亡命者は保身のため、フセイン政権の実態を実際よりも悪く言う傾向があり、証言は信憑性に疑いを持ちながら聞くべきだ」と考えて扱っていた。だが、国防総省の特別計画室では、亡命者の証言を真実として積極的に受け入れ、それを前提に、フセインは大量破壊兵器を持っている、という結論を出した。

 また諜報データの中には、他国の諜報機関などが何かの意図を持って作成したニセモノの文書も混じっており、イラクの大量破壊兵器の場合には、フセインがアフリカのニジェールから核兵器原料になるウランを買ったことを示すニジェール政府の公文書が出てきたが、これがニセモノだった。CIAはこの文書をすぐにニセモノと判断したが、特別計画室は本物として扱い、文書の真偽があらためて議論される機会もないまま、フセインがウランを買った話がブッシュ大統領の2003年の年頭教書演説に盛り込まれた。

 CIAは、情報を慎重に分析し現状がどうなっているか判断する、という姿勢だったが、特別計画室は順序が逆で、イラク侵攻を実現するために分析書を作る、という作業を行っていた。特別計画室の分析には誇張が多かったが、そもそも1998年以降のイラクの兵器の状況について確定した情報がない中では、「それは誇張だ」と指摘するCIAの反論も力強いものにならなかった。

「フセインは信用できない。悪の化身だ」といった前提で行われている大統領と側近たちの会議の中では、CIAのテネット長官らの主張は、下手をするとネオコンから「お前はフセインに味方するのか?」とやり込められかねない状況だった。こうした状況下では、ブッシュ大統領自身に「フセインは大量破壊兵器を持っている」と思い込ませるのは簡単だった。

▼土壇場でCIAの大逆転か?

 しかも、イラク戦争が一段落し、大量破壊兵器に関する誇張がばれるようになると、ネオコンの人々は、気脈を通じたマスコミのコラムニストらを動員し「CIAの分析が間違っていたから、こんなことになった」「CIAは911事件も防げなかった。徹底改革が必要だ」といった論調が出てきて、いつの間にか、悪いのは国防総省ではなくCIAだ、という話になってしまった。諜報の世界では、誰が何をやっているか秘密にされる傾向が強いため、CIAの側は証拠立てて「俺たちじゃない」と反論することができなかった。

 米政界では今年になって、CIAの改革案が有力議員などから出されるようになったが「CIAの権限を強化する」という方向性と、逆に「CIAを3分割するとともに、米政府内のすべての諜報機関を束ねる新しい閣僚ポストをホワイトハウスに置き、3分割されたCIAはその傘下に入る」といったようなCIA解体の方向性の改革案の両方が出てきた。これは「改革」とは名ばかりで、実際のところは、CIAを潰そうとするタカ派ネオコン系の勢力と、CIAを守ろうとする中道派系の勢力とのせめぎあいだった。7月にはCIAのテネット長官が辞任し、CIAと国防総省との戦いは、CIAの敗北で終わりそうな気配が出てきた。(関連記事

 ところが、8月27日にブッシュ大統領が下した決定は、CIA長官の権限を拡大する、というものだった。そしてその翌日の8月28日、国防総省の諜報担当者がイスラエルに機密を漏洩したという今回のスパイ事件の報道が始まっている。事態は一転して国防総省に不利になった感がある。(関連記事

 スパイ容疑で名前が挙がっているラリー・フランクリンは、イラクの諜報を誇張した特別計画室の仕事にたずさわっていた一人だった。イラク戦争を実行にこぎつけた後、国防総省の特別計画室は、イランの政権転覆の準備に入り、2003年7月に部署の名前を「ペルシャ湾北部対策室」(Northern Gulf Affairs office)に変更した(イランはペルシャ湾の北部にある)。フランクリンはこの対策室の数人の要員の一人で、イランの反体制人士とローマやパリで面会していた。(関連記事

 フランクリンがFBIの容疑者として挙げられたのは、ネオコンがイラクに続いてイランに対して「政権転覆」や「先制攻撃」を行おうとしているのに対し、ブッシュ政権内の中道派が、国際協調主義の観点からそれを阻止しようとしているからかもしれない。このスキャンダルはまだ始まったばかりで、今後どうなるか見通しにくいが、アメリカがこれからどうなっていくかを象徴する転換点の事件になるかもしれないので、注視すべきだろう。



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