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台湾の外交攻勢とアジア

2004年8月11日   田中 宇

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この記事は「中国の勃興と台湾」の続きです。

 台湾北部、台北市から30キロほど離れた桃園県の山中、慈湖という湖の近くに「慈湖」と「頭寮」と呼ばれる2つの屋敷がある。ここにはそれぞれ、蒋介石と蒋経国という台湾の元総統(大統領)の遺体が安置されている。

 蒋介石は中国大陸の浙江省の生まれだが、第2次大戦後、国民党軍を率いて共産党軍との内戦を戦って破れた結果、1949年に国民党の主力部分とともに台湾に逃げてきた。蒋介石はそれ以来、大陸に反攻して共産党を倒すことを目標に掲げ、それを達成できないまま1975年に死去した。「大陸を奪還するという志が半ばであるうちは死に切れない」「遺体は大陸の故郷である浙江省奉化県に埋葬してほしい」という本人の遺志に基づき、遺体は埋葬されず「お通夜」の状態に留め置かれ、生前に蒋介石が「故郷の景色に似ている」と言ってお気に入りの場所だった慈湖のほとりの別荘が遺体安置所に定められた。

 蒋介石の死後、長男の蒋経国が総統職を継いだが、1988年に蒋経国が死去したときにも、まだ「大陸反攻」は実現していなかった。それどころか、1979年にアメリカと中国共産党政権が国交を回復し、事態は台湾にとって不利になるばかりだった。蒋経国は晩年には、大陸反攻の目標を捨て、台湾だけで単一の国家になる「台湾化」の方向を模索し、自分の後継者として副総統に本省人(国民党が来る前から台湾に住んでいた土着の家系の人)である李登輝を据えていた。

 とはいうものの、蒋経国の死に際し、父親の蒋介石が葬儀もせぬままの状態なのに、息子の埋葬を先にするわけにはいかなかった。蒋経国の遺体は、父親同様に埋葬されず、父親の遺体が安置されている慈湖の屋敷の近くにある別の屋敷(頭寮御陵)に安置された。

▼「過去」の埋葬にとりかかる台湾

 その後、政治の「台湾化」が進み、誰も大陸反攻を語らなくなる中で、蒋親子の遺体は宙ぶらりんな状態になった。台湾では、中国の共産党政府と交渉して蒋介石の故郷である浙江省に墓を作らせてもらい、そこに埋葬する構想も出たが、これは独立傾向を強める台湾側が「一つの中国」の建前の象徴である蒋親子を中国側に葬り、台湾と切り離して忘れ去ろうとする行為に見えるため台中双方で反対があり、実現しなかった。

 代わりに現実的な解決策として最近取りざたされているのが、台湾国内で本葬を行う、ということだ。7月上旬、台湾政府や国民党は、蒋経国の遺族が政府に対し、蒋親子の本葬を行い、台北市郊外の軍人用墓地(五指山國軍公墓)に埋葬してほしいと要請してきていると発表した。話がまとまれば、来年にも本葬が行われそうな事態となっている。(関連記事)

 この時期に、蒋親子を埋葬しようとすることには、政治的な理由がある。地元桃園県の朱立倫知事(国民党)などは「五指山への埋葬は、蒋家が家族として決めたこととは考えにくい」と疑っている。遺族の意志からこの動きが起きたのではなく、政府や国民党の中から遺族に対して先に要請があったのではないか、という疑いである。(地元の桃園県は、蒋親子の廟がなくなると観光収入など財政面で打撃を受けるので、このような異議が出てきたのだろう)(関連記事)

 今年3月の総統選挙で民進党の陳水扁が再選されたことは、民進党政権が1期4年やった上で、それまでの国民党政権に代わるものとして民意の支持を受けることに成功したことを意味している。今後、2008年やそれ以降に国民党が政権に返り咲くかもしれないが、それはもはや民進党の「独立」と国民党の「統一」の政策との間の選択ではなく、台湾が中国とは別の国家であり続けることを前提とした二大政党制になると予想される。

 今年5月に陳水扁総統が2期目の就任を行った時点で、台湾政治の「台湾化」は完了に近づき、1949年から引きずってきた国民党の「大陸反攻・再統一」の方針は、過去のものとなった。台湾の国是は、大陸の内戦で再起を目論むことから、台湾地域だけを統治することへと変更される過程が完了しつつある。

 今後、台湾が抱える各分野の状況を、この新しい状態に対応させる必要がある。その一つが、蒋親子の長いお通夜を終わらせ、安らかな永遠の眠りについてもらうことである。国民党にとっても、台湾人の民意を再びつかむためには、過去の政策を捨てて新しい方針を採り入れたことを世の中に示す必要があり、蒋親子の本葬が必要なのだと思われる。

▼台湾・フィリピン・シンガポールの暗黙の軍事同盟

「大陸反攻」から「台湾化」への国是の転換は、台湾内部の作業だけでは完了しない。陳水扁政権は5月に2期目の就任をして以来、国際社会に台湾を認知してもらう新しい動きを始めている。まず狙っている相手は東南アジア諸国で、7月9日には蘇貞昌・総統府秘書長(大統領首席補佐官)がフィリピンを訪問した。(関連記事)

 台湾高官のフィリピン訪問は、対東南アジア外交攻勢(南向政策)の一環として1994年に李登輝前総統が訪問して以来で、訪問の目的は表向き、再選されたアロヨ大統領に祝辞を述べることや、フィリピンから台湾への出稼ぎ者をめぐる協議などとされているが、それ以外にも訪問の目的があったのではないかと憶測を呼んでいる。

 7月10−13日には、8月にシンガポールの首相になった李顯龍(リー・シェンロン)が首相就任の直前に台湾を訪問した。彼はシンガポールの国父的な独裁者である李光耀(リー・クアンユー)前首相の長男である。李顯龍は、今年5月に北京を訪問した後、7月に台湾を訪問した。台湾訪問の直前、中国政府は李顯龍に行くなと要請したが拒否され、台湾訪問が実行された後、不快感を表明している。李顯龍の台湾訪問は「私的な行為」と発表されたが、それを信じる人はおらず、台湾のマスコミでは訪問の意図についてさまざまな分析がなされた。

 李顯龍は、シンガポール国防大臣の張志賢(テオ・チーヒエン)を台湾に同行させており、台湾の李傑国防大臣とも面談している。李顯龍一行と台湾側の議題の一つは、シンガポール軍が台湾で軍事訓練を行うために駐留する「星光計画」についてだったと考えられている。台湾政府は、フィリピン、シンガポールとの3国間で暗黙の軍事同盟を結び、3カ国で合同軍事演習を行ったり、中国から侵攻されたときフィリピンやシンガポールが台湾に支援を行ったりする体制を作る「敦邦計画」を練っている。台湾政府がフィリピンやシンガポールとの関係強化に動いているのは、この計画を実現するためとも思える。(関連記事)

 シンガポールと台湾の関係強化の背後に、アメリカが関与しているふしもある。李顯龍は台湾に滞在中に、事実上の駐台湾アメリカ大使であるダグラス・パール米国在台協会(AIT)台北事務所長に面会している。

▼シンガポール李親子の台中バランス外交

 李顯龍の訪台や、星光計画、敦邦計画といったシンガポールと台湾との軍事同盟強化の動きからは、シンガポールが親台湾・反中国に鞍替えし、アメリカのタカ派が主導する「中国包囲網」に参加しつつあるようにも見えるが、シンガポールは華人(中国系)中心の国だ。以前から中国と台湾の間のバランスをとることで国を発展させてきた経緯があり、冒険的なことをするとは思えない。むしろ李顯龍の動きは、中国の勃興が進む新事態に対応し、シンガポールのような国が安全保障の面で台湾側につくことで、中国と台湾との新たなバランスをとり、東アジアの安定を維持しようとする戦略なのかもしれない。

 李光耀は早くから中国の勃興を自国の発展と絡めて考えており、1990年代の初めから国内での中国語の使用を拡大し、中国を「ASEAN+3」の枠組みの中に招待することで東南アジアとと中国との橋渡しをしたりした。その一方で、台湾への配慮も行い、1990年には台湾の行政院長(首相)のカク柏村を「休暇の旅行」の名目でシンガポールに招き、これが東南アジアに対する台湾の外交攻勢(南向政策)の先例となった。(関連記事)

 こうした台中間をバランスする戦略は、1992−93年に台中交渉(江辜会談)を李光耀が仲裁してシンガポールで行うことにつながった。だがこのときは、中国政府は国際社会で自国の覇権力が強まる中で台湾側に譲歩することに抵抗があり、台湾政府は民主化の結果中国からの自立を維持したいと望む民意が強まる中で中国側に譲歩することに抵抗があり、うまく行かなかった。

 その後、李光耀は、シンガポール企業の中国への投資を活発化させる必要もあって、1994年からは中国側に態度を偏らせた。李光耀は李登輝に「一つの中国」を認めるよう求めて強く拒絶され、両者は犬猿の仲になると同時に、シンガポール政府は中国の蘇州に大規模工業団地を作るなど、対中投資を増やした。

 ところがその間にも李光耀は、当時まだ台北市長だった陳水扁を何度もシンガポールに招待し、親しい関係を築くという先見の明を持っていた。2000年に陳水扁が大統領になった後、李光耀は陳水扁から招待されて2回台湾を訪問するなど、台湾との関係を再び緊密化した。(関連記事)

 李顯龍は今回台北に滞在中、市内の圓山ホテルで李登輝と秘密裏に面会し、父親時代の不仲を解消した可能性がある。台湾の報道では、李登輝が他の用事で圓山ホテルに来たときに李顯龍と鉢合わせしそうになったが、当局の采配で回避されたことになっている。李登輝は2000年に李光耀が台湾を訪問したときも、李光耀と偶然同じ桃園市内のホテルに滞在したが、このときも2人は面会していないことになっている。実は、そもそも李登輝と李光耀は仲違いしておらず、政治的・外交的な意図に基づき、仲違いしたふりをしたのかもしれない。

 李登輝は意味深長な行動をする人だ。私は、李登輝と宋楚瑜<親民党党首>の15年来の仲違いも、一党独裁だった国民党を弱体化させて台湾政界を2大政党制に移行させるための演技だったかもしれないと疑っている。李登輝と李光耀はいずれも、国際的な一族のネットワークを持ち「中国のユダヤ人」と呼ばれる「客家」(はっか)の血を引く人々である。(関連記事)

▼すでに「国際問題」になっている台中対立

 中国の中枢は、党内や国内の結束を維持するために台湾問題で強硬な姿勢を見せる必要があるのかもしれないが、前回の記事で述べたように、中国がうまく大国になろうと思ったら、いつまでもそんなことを続けてはいられないのも確かだ。中国が台湾に軍事侵攻すると、日本からシンガポールまでのアジア諸国は、中国を地域の安定を脅かす危険な国として見ざるを得なくなる。

 中国がいくら「台湾問題は国内問題だ」と叫んでも、周辺国にとってはもはや台湾問題は大きな「国際問題」になっている。周辺国としては、台湾問題は中国の国内問題ではない、ということを示す必要がある。そう考えると、李顯龍の台湾訪問は意味があったと感じられてくる。

 中国と周辺国とはここ数年、ASEAN+3(中国、韓国、日本)の枠組みを作って協調対話を行い、これが地域の安全保障体制として機能する方向にゆっくり動いている。今後は、この枠組みの中で台中の問題を話し合うことが解決策の一つになりうる。

▼日米安保体制に入りたい台湾

 東南アジアと並んで、陳水扁政権が外交攻勢をかけている相手は日本である。2000年3月の総統選挙で陳水扁が当選した直後から、民進党の台湾独立派の親日的な人々によって、日本の若手政治家に対する働きかけなどが開始され、日本の自民党と民主党に、相次いで台湾との交流を目的にした議員連盟が作られた。

 日本に対する台湾側からの政治攻勢の主な目的は、日米安保条約を中国を仮想敵とした防衛同盟として再編してもらい、米台関係の基本を定めたアメリカの「台湾関係法」と連携させることで、台湾・アメリカ・日本の3国防衛同盟へと発展させることである。倫理的なうたい文句としては「アジアの民主主義体制を守るため、日本と台湾が協力し、中国の抑圧的な体制と対峙する必要がある」というものだ。(関連記事)

 台湾政府は、日米が1997年に定めた防衛ガイドライン(日米防衛協力のための指針)の「周辺事態」(日本の周辺で戦争が起き、日本に悪影響を与えそうなとき)の範囲に台湾海峡も含まれていると認識しており、中国が台湾に侵攻してきた場合には、アメリカだけでなく日本も自衛隊を派遣して中国軍と戦うことができると考えられている。(関連記事)

 この態勢をさらに発展させ、日米同盟と台米同盟を融合して台米日同盟にするため、台湾政府は日本側との交流を深めようとしている。台湾が日米安保体制に入るとともに、フィリピン・シンガポールとの安保体制である「敦邦計画」も実現すれば、台湾を中心に南北の防衛ラインが形成され、台湾が独立に向かって動いても中国は手出しできないようになる、という作戦である。

 今年5月、2期目の陳水扁政権が始まった後、台湾側の動きが再び活発化した。7月24日には、台湾政府の国家安全保障会議の邱義仁秘書長ら、台湾で外交や安全保障問題を担当する高官たちが日本を訪れ、日台や台中の関係などについて、日本側の政府関係者や学者らと話し合う会合を箱根で開いた。邱義仁はこれまでもたびたび日本を訪れているが、最近では陳水扁政権が展開する新しい外交戦略を担い、アメリカやシンガポールなどをも訪問している。(関連記事)

 7月5日には台湾の駐日代表(事実上の大使)が交代したが、新任の許世楷代表は着任の挨拶で「日米安保条約と台湾関係法を繋げる防衛の鎖を強化したい」と述べている(同様のことは前任の羅福全氏も述べていた)。2期目の陳水扁政権は、各国大使に台湾独立派を多く起用しており、許世楷氏もその一人である。(関連記事)

▼中国を仮想敵とした日米安保は無理がある

 日本がアメリカに従属するという片務的で非対称な日米安保体制は、冷戦時代にソ連の脅威に対応する必要性があったために作られたものだ。日本の安定に大きく寄与したため、日本の上層部では今後もこの体制の維持を望む意志が強く、日米共通の仮想敵としてソ連の代わりに中国を置くことで日米安保体制を維持しようとする考え方は、日本の政治家や言論人の中に多い。この路線には、台湾が日米安保体制に入る余地がある。

 ところが、中国を仮想敵国とする考え方は、かなり無理がある。というのは、アメリカの上層部では1950年の朝鮮戦争勃発以来、親中国の中道派と、反中国のタカ派のせめぎ合いが続き、この10年ほどは親中国派が強くなっているからだ。アメリカを全体としてみると、中国は「脅威」かもしれないが「敵」にまではなっていない。むしろ、911以降の「テロ戦争」では、アメリカは中国の協力を求めて準同盟国として扱い、中国が勃興してアジアを安定させることを期待する傾向が強まっている。(関連記事)

 米中枢には親中国と反中国の両方の勢力が存在するため、外部からはどちらとも取れる状況で、日本の外交専門家の中にも「アメリカは反中国だ」と考えてしまっている人が多い。その考え方が「中国を仮想敵とした日米安保体制」の構想を生み出しているのだろうが、この構想はアメリカの国家意思と合致していない。

 むしろアメリカは日本に対し、独自の安全保障戦略を持つことで非対称な日米関係を解消し、日米が従来より対等な同盟を結ぶことを望んでいるように感じられる。アメリカの要望に沿って、日本がアメリカに頼る度合いを減らし、独自に自国の安全を考えた場合、中国と敵対関係になることは非常に危険であり、中国とは慎重につき合わねばならないという結論が出てくる。台湾の現状を維持することは日本の国益にも合致しているが、それと日米関係は切り離して考えた方が良い。

【続く】



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