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イスラエル・パレスチナのEU加盟

2004年2月10日   田中 宇

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 長く独裁政権下で生きてきたイラクの人々は、権力の移動に対して敏感なようだ。ブッシュ大統領が国連のアナン事務総長に対し、イラク人に政権移譲する選挙のやり方について一任し、2月7日に国連の代表団がバグダッドに到着すると、イラクの各派の有力者たちは早速、国連代表団の意志決定に影響を与えようとして、自派に都合の良い政権移譲を主張する決議を出したり、集会を開いたりし始めた。(関連記事

 その一方で、イラク暫定評議会は、これまで批判を避けてきたアメリカ占領軍政府(CPA)に対し「戦争で壊されたイラクのインフラを復旧する工事の発注方法が不透明で、イラクの企業に仕事が回ってこない」と不満を表明し始めた。この件は、これまでもイラク側から不満が出ていたが、CPAが持っている絶大な権力のため、正面切った批判は出にくかった。(関連記事

 アメリカ政界では、タカ派のチェイニー副大統領の系列の企業であるハリバートン社がイラク復興事業を不当に多く受注しているとして批判が強まっているが、イラク暫定政権の不満表明は、中道派によるタカ派攻撃に荷担する動きでもある。イラク人は米政界の権力闘争の流れを見ながら、自分たちへの利益誘導を兼ねた不満を表明する戦略を採っている。

 アメリカでは、イラク開戦前の大量破壊兵器をめぐるウソに関してブッシュ政権への責任追及が強まっており、世界のマスコミは、イラクをめぐる報道に満ちている。だがそんな中、中東のもう一つの大問題であるパレスチナ和平交渉をめぐって、画期的な新展開がほとんど報道されないままスタートしている。

 それは、イスラエルとパレスチナが和平を成功させ、パレスチナ人国家が誕生したあかつきには、イスラエルとパレスチナの両方がEUに加盟できるという、新たな和平のメカニズムが提案されたことである。

▼ガザ撤退とEU加盟

 提案は、スペインを中心に行われた。2月6日からマドリッドで「社会主義インターナショナル」の年次総会が開かれたが、そこに、イスラエルの野党労働党の党首であるシモン・ペレス、パレスチナ自治政府の和平交渉担当の閣僚であるサエブ・エレカットがともに参加した。2人はスペインのアナ・パラシオ外相の仲裁で会談を持ち、そこで「和平が成功したらイスラエルとパレスチナはEUに加盟する」という案が検討された。イスラエルとパレスチナ双方は、この案に賛同し、スペインはEUの他国と調整してこのメカニズムを進めていくことにした。(関連記事

 イスラエル・パレスチナのEU加盟構想は、大々的に発表されたものではない。イスラエルのペレスが、社会主義インターナショナル会議の講演で、この構想について少しだけ触れた。その後行われたペレス・エレカット会談の後の記者発表で、仲裁者のスペイン外相だけが数分間の発表を行い、3人でその場を立ち去りかけたところを、記者団が後ろからペレスに「本当にEUに入るんですか」と大声で質問し、ペレスが「(加盟方法は)いろいろ可能性がある。EUには(地中海の島国である)キプロスもマルタも入るのだから、もはやEUは(ヨーロッパだけでなく)地中海を包含する組織ですよ(だからイスラエルが入ってもおかしくない)」と答えただけである。(関連記事

 ペレスは2月6日、マドリッドに着いたときに「中東には今、新しい建設的な風が吹いている。われわれとパレスチナ人の間にも、新しい動きがあるかもしれない」とほのめかし「1993年のオスロ合意も、交渉は社会主義インターナショナルの年次総会における密会から始まった」と、ロイター通信に対して述べている。(関連記事

 もしかすると、イスラエルとパレスチナをEUに入れるという構想は、秘密裏に進めるはずだったのかもしれない。EU内には、ヨーロッパのキリスト教国以外の国をEUに入れることに反対する声が大きく、トルコの加盟に対しても賛否両論がある。キプロスやトルコのEU加盟が決まるまで、イスラエルやパレスチナの加盟構想は伏せられる予定だったのかもしれない。

 ところがイスラエル国内は、そんな悠長なことをいっていられない状態にある。イスラエルのシャロン首相は最近、ガザにあるイスラエル人の不当入植地を撤去する方針を発表したが、これは多分、EU加盟を見越して、EU内で根強いイスラエル批判を和らげるために打ち出した戦略だったのだろう。ところが、裏にあるEU加盟構想をイスラエル国民に対して秘密にしたまま、入植地の撤退だけを進めようとすると、国内からの反対が強すぎてうまくいかない。

 そこでペレスは、EU加盟構想について一端を披露し、それがイスラエルのマスコミでだけ報じられるようにして、イスラエル国民に裏のからくりを気づかせようとしたのだと思われる。EU加盟構想は、イスラエルやトルコなどでは報じられたが、アメリカでも日本でもほとんど報じられていない。この件を報道したのは、ロイターとAPという国際通信社で、イスラエルの新聞の特ダネではない。これは、地元新聞の特ダネにすると、イスラエル国内で大々的な扱いとなり、アメリカなど世界のマスコミが転電するところとなり、むしろ告知度が高まってしまうからだと考えられる。

▼新生イラクもいずれEUに?

 スペインでの交渉に臨んだペレスは野党党首だが、交渉での位置づけは野党党首ではなくイスラエル代表だろう。ペレスの労働党は、シャロンのリクード党が進める撤退政策に賛成している。今後リクード内の右派が撤退問題をめぐってシャロンへの反発を強めれば、労働党は右派を外したリクードと連立を組み直し、政権に入るかもしれない。

 そもそも、イスラエルの政治家の多くは「現実派」であり、自国の生存権が確保できるなら、イデオロギーに関係なく取り込む傾向がある。イスラエル政界では、シャロン以上に右派であるネタニヤフ元首相も、2002年11月に外相に就任した直後、EU加盟を希望すると発言し、内外の人々を驚かせたことがある。(関連記事

 ネタニヤフは、以前はアメリカのネオコンに入れ知恵され、パレスチナ自治政府を破壊し、パレスチナ人を全てヨルダンに強制移住させる「民族浄化」や、米軍を使ってイラクを皮切りにアラブ諸国を全部潰す「大イスラエル主義」の戦略を考えていた。シャロンも、好戦的な戦略を好んできた点ではネタニヤフに負けない。

 彼らの中で「民族浄化」と「パレスチナ人の人権を尊重してEUに入る」という全く相反する2つの戦略が矛盾なく併存していることは一見理解に苦しむが、いずれの戦略も「油断すればアラブ世界に潰される」というイスラエルの危険性を乗り越えようとするものだと考えれば納得できる。(関連記事

 EUに加盟すれば、イスラエル国家の存続はEUによって守られることになる。これは、これまでのイスラエルが採ってきた「アメリカの政界で影響力を拡大し、アメリカに守ってもらう」という戦略よりも確実である。アメリカを使う作戦は、米政界を長く支配してきた中道派がイスラエルの影響力を嫌うという結果を生み、イスラエル(ネオコン)は中道派と対立せざるを得なくなった。

 イスラエルとパレスチナがEUに入るということは、新生イラク、シリア、レバノン、ヨルダン、エジプト、リビア、アルジェリア、モロッコなど、他のアラブ諸国もEU圏に入る方向になる。パレスチナ問題は、EU内部の問題になり、戦争ではなく話し合いで解決されることになる。EUは1995年に、これらの地中海岸の諸国との関係を強化するための組織「ユーロメッド」を作っており、イスラエル・パレスチナのEU加盟構想は、それを強化していく流れの中にある。

▼アメリカが大統領選挙に忙殺されている間に・・・

 すでに経済関係では、EUはイスラエルにとって最大の貿易相手になっている。だが政治的には、これまでイスラエルにとってはアメリカの方が頼りになった。EUが政治統合を目指し、その先の目標として地域覇権を確立する方向に動き始めたのは、ECがEUに改組された1993年以後のことでしかない。

 EU発足と同年にオスロ合意が成立し、EUがパレスチナ自治政府に援助する動きが始まった。これがイスラエルEU加盟構想の手始めだったのだろうが、その後のイスラエルは、むしろEUと敵対して大イスラエル主義を目指す方を選択した。ところが、昨年のイラクの泥沼化の後、アメリカでは中道派がタカ派を一掃しようとする動きが始まり、イスラエルはアメリカを頼りにくくなった。

 アメリカ抜きでパレスチナ問題を解決しようとする動きは、他でも出ている。ペレスとエレカットがスペインで会談したのと同じ2月7日、ドイツで開かれたNATOによる安全保障の国際会議に出席したパレスチナのナビル・シャース外相は「アメリカ政府が大統領選挙に没頭して今年11月までパレスチナ和平交渉を進めるどころではないというなら、EU、ロシア、国連という、中東和平のロードマップを提唱した他の三つの勢力が代わりに動くべきだ」と呼びかけた。同会議では、ヨルダンのアブドラ国王も、そこまではっきり言わなかったものの、パレスチナ問題を早く解決しなければならないと主張した。(関連記事

 これらの発言と、スペインから出てきたEU加盟構想をつなぎ合わせて考えると、大統領選挙前のアメリカでタカ派と中道派が戦っている間に、EUが主導してパレスチナ問題を不可逆的に解決しようとする動きが感じられる。ドイツのNATO会議では、NATO軍がイスラエルとパレスチナの国境監視に当たる構想も出されている。

▼アラブ民族主義とEU加盟

 イスラエル・パレスチナのEU加盟には、問題がいくつもある。ひとつは、EUは域内の住民が他の国に引っ越して働くことを認めており、パレスチナがEUに加盟したら、パレスチナ人の多くがドイツあたりに引っ越してしまうのではないかという問題である。同じ問題は、トルコなど他の中東諸国のEU加盟にも当てはまる。

 おそらく現実的には、まず先にイスラエルをEUに加盟させ、その後パレスチナが安定して経済発展し、人々が西欧に引っ越さなくても生活していけるようになってからEUに加盟するようになると思われる。それまでにいったい何年かかるのか、という問題になる。

 またパレスチナ人にとっては、イスラエルの加盟を許可する前に、EUがどれだけイスラエルに圧力をかけてヨルダン川西岸地域の不正入植地を撤去させるのか、不安がある。パレスチナ自治政府のクレイ首相は「イスラエルに対し、EUがアメリカ以上の圧力をかけてくれる可能性は低い」と語っている。(関連記事

 イスラエルからみれば、EUに加盟するとパレスチナ人がイスラエルに引っ越してくることが可能になる。これは長期的にみると、イスラエルが「ユダヤ人の国」であるということを阻害する可能性があり、イスラエル右派からの反対が予想される。(それ以前に、右派は入植地からの撤退に猛反対するだろう)

 アラブの側からみると、パレスチナがEUに入り、他のアラブ諸国も順番にEU圏に入ることになると、これまで目指してきた「アラブの統一」「アラブ民族主義」の夢が破れることになる。ヨーロッパ中心のEUがアラブ諸国を飲み込むことは、以前の英仏による植民地支配の変型にすぎないという主張も、アラブ人の中に出てくるだろう。

 しかし私からみると、アラブ民族主義は、1969年の第三次中東戦争でアラブ諸国がイスラエルに負けた時点で終わっている。その後のアラブ民族主義は、アラブ諸国の独裁的な指導者たちが、国民の批判を逸らすために掲げ続けた建前にすぎなかった。たとえばシリアとイラクは、いずれもアラブ民族主義を党是とするバース党の政権だったが、両国を併合しようとする努力は過去40年間途絶えている。(関連記事

 今後アラブ諸国がEU圏に入っても、住民投票をやってアラブ諸国が再統一してEU圏から出ていくことを民主的に決定するなら、いつでもアラブは統一できる。だがその前に、多くのアラブ諸国がEU圏に入る際、それまで行われてきた選挙に関する規制を取り払う必要に迫られる。その結果、シリア、リビア、エジプトなどの独裁的な指導者たちが政権を追われることになるかもしれない。少数派(アラウィ派)が独裁的な世襲政権を維持してきたシリアなどは、下手をすると内戦に陥る。

 EU加盟構想に対し、パレスチナ自治政府は乗り気だが、他のアラブ諸国は反対するかもしれない(どこもまだ意思表示していない)。半面、パレスチナ側からみれば、今まで他のアラブ諸国からイスラエルと戦う際の「盾」として使われてきた苦境から抜け出すチャンスだということになる。

▼EU拡大とサダム潰しの関係

 EUとしては、イスラエルがアメリカを牛耳ったように、EUに対しても謀略的な政治を展開する懸念がある。すでにイスラエルは、ヨーロッパで反ユダヤ主義が勃興しているとして、EU諸国に対策をこうじるよう要求している。(関連記事

 アメリカでも、イスラエル系の団体が政治力を拡大する際に「反ユダヤ主義が広がっている」と主張して反対派を倒す「差別糾弾」式の政治闘争が行われた歴史がある。差別は良くないが、差別を政治の道具に使って利権を拡大する勢力もまた、洋の東西を問わず、批判されるべきである。

 パレスチナ問題の解決策は、これまでいくつも浮上しては消えていった。新たに出てきたEU加盟構想も、うまく行くとは限らない。だがEU側は、昨年からイスラエルのEU加盟を視野に入れた検討をしており、すでに詳細な計画が立てられている可能性もある。昨年11月中旬、EU諸国の外相とイスラエル外相、それからアメリカのパウエル国務長官も加わって、イスラエルとEUの関係について話し合ったことが分かっている。(関連記事

 EU加盟構想は、パレスチナ問題の範囲を超えて、新生イラクを含む他のアラブ諸国も、いずれEU圏に入れていく構想を含んでいると思われるが、だとしたら、イラクのフセイン政権が潰され、アラブ全体が弱体化することが、この構想の前提条件として必要だったという考え方もできる。

 巨額の石油収入と、独裁的で強いサダム・フセインが支配するイラクが現存していたら、アラブ諸国はいまだにアラブ民族主義を希求し、EU圏に入る構想も現実性がない。イラクは分割されそうで、シリアもサウジアラビアもエジプトも弱い状態にある今だから、EU加盟構想が出てくるのだと思われる。



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