マハティールとユダヤ人2003年11月3日 田中 宇10月31日まで22年間、マレーシアで首相の座にあったマハティールは、含蓄のある辛口の発言をする政治家である。 彼は「ヨーロッパ人はいまだに世界に対する植民地支配を続けようとしている」「ユダヤ人が世界を支配している」といったような発言をたびたび発し、欧米やユダヤ人団体などから非難を浴び、議論を巻き起してきたが、彼の発言には的を得た鋭い指摘が多く含まれている。だからこそ、マレーシアのような小国の首相の発言なのに欧米のマスコミが怒り出すのだろう。 マハティールの最近の発言で目を引くのは、身内のイスラム教徒に対する厳しい自己批判である。今年1月には、イスラム教の最高学府であるカイロのアズハル大学での講演で、イスラム教徒の自爆テロに関して「怒りを発散し、復讐するためだけにやっている。イスラム教徒を敵視する勢力に攻撃拡大の口実を与えており、害悪である」と酷評した。 「もともと一つだったはずのイスラム教は、今や多くの分派が対立している。それぞれの派閥が、勝手に自分たちこそ真のイスラム教徒だと主張し、他の派閥を背教者だと決めつけて殺し合っている」「テロをやるのでさえ統一した戦略を欠き、ばらばらに挙行している」「われわれイスラム教徒は世界の石油の大半を所有しているのに、それを有効に使っていない」「イスラム教徒は、昔はヨーロッパ人より科学技術がずっと進んでいたのに、今では科学技術に対して無知で遅れている」「イスラム教徒は歴史上最低の状態にあるのに、現状を直視したがらない」・・・。(関連記事) 911以後、ブッシュ政権が戦争を扇動し、イスラム原理主義勢力がそれに呼応して「文明の衝突」が激化しているが、その狭間で苦しむ多くのイスラム教徒の知識人にとって、マハティールの演説は、酷評であるがゆえに、いくつもの点で同意できるものであろう。イスラム世界には「科学技術を含め、欧米文明は害悪なのだ」と考える人も多いが、マハティールは「ルネサンスまでの長い間、世界の科学技術の最先端知識は中東イスラム社会が持っていた」と述べ、そうした考え方を否定している。 ▼「イスラム教徒は表面的なことに執着している」 マハティールは、同様の演説を何回も披露している。今年7月、マレーシアに世界のイスラム学者たちが集まって開かれた国際会議でも同じ趣旨の演説を行った。彼は「テロリストはキリスト教徒やユダヤ教徒、仏教徒の中にもいるのに、イスラム教だけがテロと結びつけられて語られている」と欧米の言論を批判した上で「イスラム教が悪いのではなく、イスラム教を間違って解釈している(原理主義の)人々が悪いのだ」「無実の人々を殺すテロでは、攻撃をはねかえすことができない。科学技術を使って自らを防衛できる武器を持つことが必要だ。だが、われわれは科学技術を軽視している」と述べた。(関連記事) この演説から私が思い出したのは、北朝鮮のミサイルがエジプトからコピーさせてもらった設計図から作られたことだ。イスラム世界の一員であるエジプトは旧ソ連から設計図をもらったが、自国ではミサイルを作れず、今も外国から買っている。これに対し、東アジア文明圏の一員である北朝鮮は、もらいものの設計図でミサイルを作り、外国に売りさばいている。これは、日本や韓国、台湾が欧米の技術をもとにして欧米より優れた製品を生み出し、いまや中国もそれを達成しかけていることと同類の、東アジア圏の「ものづくり」の特性であるといえる。 マハティールがかつて「日本に学べ(ルックイースト)」政策を展開したのは、東アジアのものづくりの特性を、イスラム世界の一員である自国に植え付けようとしたのだと考えられる。今やマレーシアは、イスラム世界ではほとんど唯一、経済発展に成功した国となっている。インドネシアからモロッコまでのイスラム世界ではマレーシアと、「イスラム世界から脱けること」を近代80年間の国家目標としてきたトルコをのぞき、どこも工業生産による経済発展に成功していない。一部の国が石油収入で潤っているだけである。 マハティールの辞任は昨年から「来年のイスラム諸国会議機構(OIC)首脳会議まで」と決まっており、辞任直前の10月16日、首相としての最後の国際的な仕事として、クアラルンプール郊外で開かれたのOIC会議で講演した。ここでも再び話の主題は同じだった。 「イスラム教徒は、世界の人口の3分の1を占める13億人もいるのに、迫害をはねのける力がないと勝手にあきらめ、テロという無意味な報復に走っている」「今のイスラム教徒がダメなのは、コーランやスンナ(預言者ムハンマドが残した言葉)の本質を理解せず、どういう格好をしろとか、どういう行為をしてはいけないとか、表面的なことにばかり執着しているからだ」・・・。(関連記事) ▼「世界の多くの新聞はユダヤ人が所有している」 だが、この演説に対する欧米の反応は、これまでの同種の演説に対するものと違っていた。それは、マハティールがユダヤ人についても言及したからだった。 「われわれは13億人もいるのに、なぜ数百万人しかいないユダヤ人に負けている」とマハティールは述べ、人数が多いことは強さであるはずだと強調した。そして敵方は少数なのにずっと上手にやっている、という趣旨で「ヨーロッパ人は(ホロコーストで)1200万人のユダヤ人のうち600万人を殺したが、ユダヤ人はそれを乗り越え、今や世界を間接支配している。彼らは(アメリカ兵など)他の人々が自分たちのために死を賭して戦ってくれる仕掛けを作っている」と述べた。(関連記事) この発言に、列席していたイスラム諸国の指導者たちは拍手喝采した。だが欧米の政治家やマスコミ、ユダヤ人団体などは「ユダヤ人が世界を支配しているというマハティールの言葉は、ユダヤ人に対する強い人種差別だ」とする論調を展開した。 ユダヤ系など欧米の金融資本家からはマレーシアから資金を引き上げようとする動きも出て、マハティール演説の翌日、マレーシア政府は「演説の趣旨はイスラム教徒に対し『きちんと考えて動きなさい』と諭すもので、国際紛争を扇動しようとするためのものではない」と釈明した。(関連記事) だが「懲りない」マハティールはその後、タイの新聞「バンコクポスト」のインタビューの中で反撃している。「(私の講演に対する)世界の反応そのものが、彼ら(ユダヤ人)が世界を支配しているということを象徴している。先日、イタリアの首相が『すべてのイスラム教徒はテロリストだ』と言ったが、私の発言を非難するEUも、この身内の発言は容認している。矛盾してないか?」・・・「世界の多くの新聞はユダヤ人が所有している。世界のマスコミが『イスラム教徒は全員がテロリストで、遅れたおかしな奴らだ』という間違ったイメージをばらまき、世界の多くの人々がそれを軽信してしまっているという現状の裏側にユダヤ人がいると考えることは、不自然なことではない」。 ▼アメリカの源流とユダヤ教 マハティール発言が巻き起こした騒動は、ユダヤ人とアメリカとの関係を考える際に参考になる副産物を与えてくれている。 マハティールは演説の中で「ユダヤ人は【考える】人々である。彼らは(欧州で)2000年間続いた差別を、【反撃する】ということによってではなく【考える】ということで乗り越えてきた。彼らは『社会主義』『人権』『民主主義』などの概念を考え出し、彼らを迫害することが悪いこととして認識されるような平等な社会を作り出そうとした。そんな人々と対決しているのだから、われわれも武力だけでなく、頭を使って対抗しなければならない」と述べた。(関連記事) これに対し、マハティールは間違っているとする欧米系の一つの論調として「近代民主主義の考え方はユダヤ人が作ったのではない」というのがある。ヨーロッパで、腐敗している教会(聖職者)が神と信者の間を仲介することを嫌うプロテスタント運動が「聖書のみが聖典であり、その解釈権は(教会ではなく)各個人にある」という考え方をとり、そこから「(神のもとでは)万人が平等だ」「(教会や王室ではなく)各個人の意志決定が集積されたもので政治が動くべきだ」という考え方に発展し、それが人権や民主主義という概念になった。(関連記事) だが、この歴史的な過程で私が重要だと思える2つのポイントがある。一つは、人間が主体的な選択に基づいて神との契約を結ぶという概念はユダヤ教に強く、プロテスタントの運動はユダヤ教の考え方を借りて成立したということ。 もう一つは、プロテスタント運動の中で最も強く政治的な方向性を伸ばしたのが欧州での迫害から逃れて新大陸アメリカに入植した清教徒(ピューリタン)であり、彼らが旧大陸から新大陸に渡る際、自分たちの行動を、古代のユダヤ人がエジプトの圧政を逃れて「約束の地」(今のパレスチナ・イスラエル)へと移住する旧約聖書の「出エジプト記」の故事になぞらえたということである。 その後、アメリカの清教徒入植地で社会運営の方法として確立した「民主主義」は、イギリス本国にも大きな影響を与え、米英が民主主義の権化である状態を生み出した。英国系プロテスタントの人々が主導したアメリカの建国と発展の際、自国を「約束の地」だとする考え方がたびたび出てきている。今も米国民の多くが「アメリカこそ理想の国である」と考える根元には、こうした宗教的な考え方があると思われるが、その考え方はもともとユダヤ人から借りたものである。 ユダヤ人の中ではその後、建国運動(シオニズム)が始まってイスラエルを建国したが、アラブ人の敵意に囲まれたイスラエルを維持するため、イスラエルを支持する人々(シオニスト)は、アメリカがユダヤ人の考え方を借りて国家を運営している点を突き、アメリカの支配層にシオニズムを支持させる方向に持っていった。 アメリカ中枢のシオニスト勢力である「ネオコン」が911後に政府内でウソ情報を含む諜報プロパガンダ作戦を展開した結果、米軍のイラク侵攻が行われた過程などをみると「シオニスト(ユダヤ人)がアメリカを動かしている」という見方ができないわけではない。 だがその場合、欧米のユダヤ人の中にはシオニズムに反対している人が数多くいるので「ユダヤ人」と「シオニスト」は分けて考えるべきで、しかも「シオニスト」の中にも、パレスチナ人との共存ができるはずだと考えるイスラエル労働党系の中道派と、アラブ人に効き目があるのは武力だけだと考える傾向が強いイスラエルのリクード党系の右派がおり、ネオコンは右派である。 このような私の見方でマハティール発言を再解読すると、彼が「ユダヤ人」と呼んでいるのは、実は「英米の支配層(アングロサクソン系)とシオニスト(特にリクード系)の連合体」と呼ぶべき勢力であると考えられる。 「イスラム原理主義」と呼ばれる勢力は、「コーランのみが聖典だ」と主張し、腐敗している現在のアラブ諸国の政権の権威を否定し、アフガニスタンやチェチェンといったイスラム教徒が戦っている辺境の戦場を新天地とみなして入り込んでいく傾向があるが、これらは清教徒がアメリカを建国したときの考え方と類似性がある。そもそも「イスラム原理主義」という呼び方は、イスラム教徒の側が自称したものではない。清教徒の中でも過激な人々をアメリカでは「キリスト教原理主義者」と呼ぶが、それをイスラム教の側に拡大して呼んでいるだけだ。 キリスト教とユダヤ教、イスラム教という、地中海沿岸地域で発展した三つの「一神教」は、ユダヤ教の聖典をベースにしており、私からみれば三つの宗教ではなく「地中海一神教」という宗教の三つの「宗派」である。日本など東アジア圏は、その宗教圏から外れており、人々の考え方も異なる。「テロ戦争」を永続させるためにアメリカ政府が扇動している「文明の衝突」は、地中海一神教内部での宗派争いを激化させる戦略なのだろうが、私としては、その宗派争いに巻き込まれるのは愚かなことだと思える。 ▼「民主主義は危険」 この記事では一神教批判ではなく、もともとマハティールのことを書くつもりだったので、話がそれて長くなって恐縮だが、本論に戻して続ける。 マハティールに対しては批判も多かった。彼は、反政府活動家を令状なしに逮捕できる治安維持法(ISA)を作り、言論弾圧やライバルとなりそうな政治家の逮捕を行って、独裁政治を維持してきた。アジア通貨危機後の1998年には、アメリカ(IMF)が要求する「経済改革」を進めるべきだといって自分と対立し始めたアンワル副首相(後継者として予定されていた)に、同性愛の容疑をかぶせて逮捕し、投獄した。 そんな「汚点」はあるものの、マハティールはイスラム世界と東アジアの両方に軸を置いた発展途上国であるという自国の多様性・両義性を活用し、スケールの大きなバランス戦略を行ってきたという点では、特異な政治家である。最近では、世界的にドルに対する不安感が強まったのを受け、金本位制を取り入れた「ゴールド・ディナール」をイスラム基軸通貨として使おうとイランと共同して動いたり、中国の雲南省やインドとマレーシアを結ぶ三角形の東南アジアの新鉄道路線の構想を推進したりしている。いずれも、自国の利益と世界の動きを組み合わせている点がユニークだ。 副首相のアンワルを切ったのも、もし当時IMFの要求に従い、その延長で独裁者マハティールが引責辞任していたら、独裁者スハルトが辞めた後の隣国インドネシアのように、二度と立ち直れない大混乱に陥っていたかもしれない。彼はアンワルを切った後、以前から経済担当の腹心だったダイム・ザイヌディンを自分の後継者含みで蔵相に据えた。ダイムは経済開放と180度異なる「通貨鎖国」政策を始めたが、3年後の2001年にマハティールはダイムを解任し、また経済開放の方向に舵を戻した。ここで欧米資本家と「手打ち」をしたわけだが、反欧米的な通貨鎖国は声高に宣言されたのに引き替え、手打ちはひそやかに行われた。 マハティールは「欧米から押しつけてくる民主主義や改革は危険だ」と主張するが、それは現実的な選択である。彼はミャンマーに関しても、スーチー女史を欧米の傀儡として嫌い、軍事政権にいろいろと入れ知恵している。(関連記事) ▼中国系への接近 巧妙な彼は、ヨーロッパのことは公然と非難するが、アメリカに対してはあまり声高な批判はしない、という使い分けもやってきた。アメリカは、マレーシア製品の主要な輸出先だからだ。911後、彼はいち早くブッシュ政権の「テロ戦争」の考え方に賛同した。これは対米関係を維持できるだけでなく、マレーシア国内で勃興するイスラム原理主義を叩く、という意味があった。 このような彼の立場は、中国の共産党政権が置かれている現状とも通じる。マレーシアでは伝統的に、経済活動では人口の35%を占める中国系(華人)が強く、55%を占めるマレー系は中国系の経済独占に反対し、1970年に暴動を起こした。これ以後、マレーシアではマレー系優遇政策が採られ、大学の入学枠から企業の株主比率まで、マレー系住民が有利になるように決められており、中国系は抑圧されてきた。(関連記事) だが、マハティールはここ1−2年ほど「マレー系優遇政策は、マレー系を勤勉にしてこなかった。これからは実力主義を導入する」などと言い出し、状況を変えると宣言し始めた。 実際には、マハティールは首相退任直前にマレー系優遇政策を強化しており「変える」というのは口だけかもしれない。リップサービスが必要になっている理由は2つある。その一つは「中国経済の勃興にあやかりたい」ということ。もう一つは、イスラム原理主義政党(PAS)がいくつかの州で政治力を伸ばしており、これに対抗するために中国系の票が必要になっていることだ。(関連記事) 中国経済の勃興は、マハティールが国際政治の場で辛辣な発言し続けるのに便利なファクターだ。これまでは、欧米人やユダヤ人を批判しすぎると、欧米からマレーシアに流れ込んでいた資本が引き上げられてしまうので注意が必要だった。だが中国が経済発展し、欧米人やユダヤ人に支配されていない中国系の資金がマレーシアにも流れ込むようになれば、発言の自由度も増す。 マハティールの欧米批判の多くは、中国共産党も賛同できるものだろう。両者の関係はほとんど表に出てこないが、すでにかなり親密になっていると思われる。最近の中国は、無言で外交をするのが好きなようだが、マハティールにイスラム世界との橋渡しを期待しているのかもしれない。 この点では、日本はアメリカに対して非常に従属的なので、日本の資金は中国の資金に比べて政治的なパワーが弱い。今後世界の政治混乱がさらに続いた場合、パワーのない日本の資金はしたたかな運用ができず、日本人はやがて資産を失うのではないかと懸念される。 ▼イスラム世界の水戸黄門になる? マハティールについていろいろ分析してきたが、私にはよく分からないことがある。それは「なぜ彼は辞めるのか」ということだ。マハティールは昨年6月の与党UNMO(統一マレー国民組織)の党大会の演説で突然、首相(党首)を辞めると宣言し、側近や支持者らに泣きつかれて説得され、1年あまり辞任を延ばしたが、結局辞めてしまった。最初に辞めると言ってから実際に辞めるまで、納得できる辞任の理由は説明されておらず、推測するしかない。 悲観的に考えた場合「イスラム原理主義の台頭を抑えられないと考えて辞任したのではないか」という推測ができる。だが、そのような政治危機が予測される場合、自負心の強いマハティールは辞めるどころか、むしろあらゆる手段をとって権力の座に残り、危機を乗り越えようとするのではないかと思われる。彼の後継者として首相になったアブドラ・バダウィは、彼のようなカリスマ性を持っていない。(関連記事) イスラム原理主義は、貧困層が多い社会で勢力を拡大する力を増すが、経済発展が続いたマレーシアでは、すでに中産階級が増えており、その分イスラム原理主義政党が支持される可能性は減っている。(世界銀行によると、貧困層は1973年にマレーシア国民の50%を占めていたが、95年には8%に減った) そうではなくて、アメリカの扇動で激化している「文明の衝突」に対抗するため、首相を辞めてイスラム世界側を代表する国際言論人としての活動に専念するつもりかもしれない。イスラム世界でも、マハティールほど明確に発言する指導者はいない(あとはリビアのカダフィぐらいだ)。首相を辞めてもマハティールの国際的な知名度は下がらないだろうし、彼自身「これからはもっとはっきりものを言う。マスコミは挑発的な質問をどんどんしてほしい」と辞任時の記者会見で述べている。(関連記事)
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