負けないアジア:マハティール首相

1999年7月21日  田中 宇


 7月8日、マレーシアの首都クアラルンプールの近郊に、アジアのシリコンバレーともいうべき、巨大なハイテク産業都市「サイバージャヤ」がオープンした。

 サイバージャヤは、マレーシアが国家プロジェクトとして進めている新しい首都建設計画「マルチメディア・スーパーコリドー計画」(MSC)の一部だ。MSCは、クアラルンプールから南に高速道路で30分(30キロ)ほどのところにある、縦15キロ、横50キロの、細長い廊下(コリドー)のような地域である。

 この地域内に、インターネットや電話、放送などに使う、高速回線を張りめぐらせ、金融取り引きから役所への申請まで、政府と民間の業務のなるべく多くを、マルチメディアによって行おうとする計画だ。

 マレーシアの首都機能のほとんどや、大学などの研究施設が、ここに移転してくるほか、アジア屈指の新空港や、世界一高いビル「ペトロナスタワー」も完成している。

 MSCの地域内では、マレーシアの従来の法律ではなく、今後の情報化社会に即した、新しい法律を実験的に使っていくことも計画されている。マレーシアは新首都を、情報化社会にどんな法律がふさわしいか、という世界的な実験場としても、位置づけようとしている。

 そして、新首都のビジネス地区が、サイバージャヤである。(「ジャヤ」はマレー語で「栄光」という意味で、クアラルンプール周辺の多くの新興都市が「なんとかジャヤ」という地名を持っており、その流れを汲んでいる) ここには、マイクロソフト、インテル、NTT、ブリティッシュ・テレコム、ロイター、シーメンスなど、世界的な通信・ハイテク関連企業が、拠点を置くことを決めている。

●マハティールの「勝利宣言」

 サイバージャヤのオープンは、マレーシアの首相マハティールにとって、世界に対する一つの「勝利宣言」だった。

 1997年以来、東南アジアを襲った金融危機の中で、マレーシアは唯一、為替市場で投機筋からの攻撃を受けながらも、世界各国の金融当局を監督する、当局中の当局であるIMFによる救済策に頼ることなく、独力で金融政策を実施してきた。

 金融危機が頂点に達していた昨年8-9月、マレーシアでは、金利を上げて国際投資家が自国通貨を売ってしまうのを食い止め、政府の支出を減らして財政を黒字化し、自国通貨に対する信頼を回復する(借金が多い国の通貨は信用されないので) という、IMFの政策を導入しようとするアンワル副首相と、それに反対するマハティール首相との間で、対立が深まった。

 マハティールは、9月にアンワルを失脚させ、IMF型とは正反対の政策を実行に移した。その一つは、高金利で外国人投資家を誘惑するのではなく、逆に、自国の通貨や株式に対する短期売買を禁止する政策だった。そしてもう一つ、政府支出を減らすのではなく、政府支出による公共事業を増やし、景気をてこ入れする、という政策も実施した。

 マハティールは以前から、IMFとその背後にいるアメリカ政府など、欧米の政府やマスコミが、アジアに対して、政治的な「腐敗」や経済的な「不公正」、それから「人権問題」などがあると攻撃してきたことに対抗し、「欧米こそ、アジアを植民地支配し、人権抑圧をしてきた」「アメリカこそ、自国の産業を守るために、不公正な貿易ルールを作っている」といった趣旨の発言を行ってきた。

 これらの批判は、欧米にとって耳の痛いものであり、以前からマハティールは欧米当局者や人権団体から、煙たがられていた。97年にアジア経済危機が始まってからは、マハティールの欧米批判はさらに強くなり、国際投機家であるジョージ・ソロスを名指しで批判し、ソロスとアメリカ当局が裏でつながって、アジアを危機におとしめているとの持論を展開した。

 そのため、昨年9月にマハティールがIMFと正反対の政策を取り出すと、欧米の役人、アナリスト、マスコミの多くは「マハティールはマレーシアを破滅に追い込もうとしている」と批判した。そして「マハティールはインドネシアのスハルト前大統領と同様、国民の怒りを受けて失脚するだろう」という予測が、数多く発表された。

●投機家は去ったがメーカーは残った

 ところが、現実はそうならなかった。マレーシアのGDP(国内総生産)は、昨年はマイナス6.7%だったが、今年は1%前後のマイナスか、うまくいけばプラス成長に転じる可能性も出てきている。2%台のプラス成長を予測するアナリストもいる。

 バンコクやジャカルタなどでは、建設が途中で止まったままのビルが、あちこちで無残な姿をさらし、動いているクレーンはほとんどないが、クアラルンプールでは、ビル建設もさかんに続いている。

 国際経済の教科書的な理論では、通貨や株式に対して、短期間で利益を出すための売買を禁止するといった規制をすれば、自由な売買を好む内外の投資家から敬遠され、その国に投資された資金は流出してしまう、とされている。

 ところが、マハティールの政策により、マレーシアの通貨リンギットは、国外での取り引きを禁止され、国内では1ドル=3.8リンギットの固定相場となり、リンギットの海外持ち出しを制限したため、リンギットの相場は安定した。

 通貨の安定は、相場の上げ下げで儲ける投資家にとっては面白くないが、海外からモノ作りをしにやってきたメーカーにとっては、ありがたいことだった。(一般にメーカーの利益は、5%とか10%とかいう幅であり、1-2週間のうちに為替相場が何10%も上下するのは危険すぎる)

 相場師たちはマレーシアを離れたが、モノ作りをする人々は逆に、マレーシア通貨の安定を好んだ。そのため、たとえば半導体と家電関係をとってみると、今年の1-5月の間に、65件の新規投資が海外から入ってきた。こうしたメーカーの輸出が、マレーシア経済の回復に貢献した。

●「無用の長物」ではないマレーシアの公共事業

 また、大規模な公共事業は、たとえば日本のような経済基盤がすでに成熟した国では、自動車がほとんど通らない立派な橋や、利用率の低い文化会館などを生み出すだけの「無用の長物」と化す傾向が強い。

 だがマレーシアは、本格的な経済成長が始まってから、まだ15年ほどしかたっておらず、橋や道路や建物を作れば、作っただけの経済効果をあげやすい状態にある。

 日本でも、今から20-30年以上前の巨大プロジェクトだった東海道・山陽新幹線や、東名・名神高速道路、東京の地下鉄網などは、日本経済の発展に大いに役立ったはずだ。

 戦後間もなく、まだ日本にモータリゼーションが起きる前、名古屋市では、空襲で壊滅した街を再建するとき、広々とした大通りを、市内のあちこちに貫通させる都市計画を実行したと聞く。

 その際、世の中の人々の中には「あんな大きな通りは無用の長物だ」という批判が多かったが、その後50年たって、車があふれる時代になると、名古屋は渋滞の少ない便利な街だ、と言われるようになり、昔の批判は笑い話となった。

 今後の世界では、インターネットなどの通信網が、情報のハイウェイとして、経済に不可欠な存在となると言われている。だとしたら、今日のクアラルンプールは、50年前の名古屋と同じなのかもしれない。

 日本では巨額の公共事業が、国民の消費増加の起爆剤にならず、政府を悩ませているが、マレーシアの場合、まだ人々のモノに対する消費意欲が旺盛なので、公共投資が民間需要に結びついた。マレーシアの自動車販売や電力需要など、消費動向を表す経済指標は、昨年秋以来、回復傾向にある。

●貧しい人々を直撃したIMF

 IMFとマハティールが出した、通貨危機に対する2つの対照的な政策のうち、IMFの側に立ってマハティールの政策を批判し、マレーシアの破綻を予言した人々は、間違っていたことになるが、他方、IMFの政策そのものは、間違っていなかったのだろうか。

 その答えは、現在の東南アジア経済が示しているように思われる。今年に入って、IMFが高金利プラス緊縮財政という、それまで東南アジア諸国にとらせてきた政策の欠陥をある程度認めて引き締めを緩和させ、各国の金利が下がっていくのと並行して、タイやインドネシアに経済成長が戻り始めている。

 タイでは、今年1-3月の経済成長率が、危機の始まった1997年以来、初めてプラスに戻った。そしてタイでは、予定より早くIMFの支配下から出たいという意向が、政府の中から出ている。インドネシアでも、経済成長がプラスに転じつつある。つまり、東南アジアがIMFという足かせから逃れることができた途端に、経済が回復し始めたのである。

 IMFの高金利政策は、海外から入ってきた資金の流出を食い止めることが目的だったが、高金利は同時に、金を借りて商品を作る国内の企業活動に大きな打撃を与えた。

 たとえば、年に10%の利益をあげられる会社は、銀行から金を借りる際の金利が10%以上になったら、利益が出るはずがなく、事業を展開できなくなってしまう。

 またIMFが、タイやインドネシアの政府に、支出を減らすよう命じたことは、政府からの補助金が生活に対する支援になっていた、貧しい人々を直撃した。インドネシアでは、小麦粉や燃料に対する補助金がカットされたことが、国民的な怒りとなり、スハルト大統領を失脚させた。

 「独裁者スハルトがいなくなって結構だ」という人もいるが、一連の混乱で、インドネシアの人々の生活がどれだけ苦しくなったかを考えると、そのような単純な図式でとらえるのは不十分だろう。

●円の国際化とIMFの方針転換

 IMFは、昨年末あたりから、通貨危機に対する従来の政策を改めることを模索し始め、いくつかの案が出されている。その中の一つとして、世界を3つの通貨圏に分割し、ヨーロッパではユーロを、南北アメリカではドルを、アジアでは円を基軸とする構想が、浮上している。

 (これを受けて最近、日本の官僚や政治家の中から「円の国際化」という言葉が出てくるようになった)

 ところがこの案は、まだIMFが緊縮政策に固執していた1997年秋のIMF総会の際、日本の大蔵大臣(三塚氏)によって提案され、東南アジア諸国も歓迎したものの、IMFと欧米諸国の強い反発を受けて、2-3日後につぶされた経緯があった。

 あのときIMFは「アジア人だけに任せると、談合してお互いに甘い判断をするので、危機回避策として必要な改革が進まないから駄目だ」という理由で、このアジア版IMF構想に反対した。この理論は、IMFや欧米の金融アナリストたちがマハティールを批判するときの理屈と同じだった。

 だが、それから1年半、今やアメリカは「判断が甘い」はずのアジア人に、自分たちの地域の広域金融システム運営を任せることを検討している。これも、アメリカの金融当局者が、自分たちの「厳しい」政策の過ちを認め、方針変更したことの表れといえる。

●マレーシアの不動産バブル

 今回の筆者の記事は「反米・親マハティール」色が強いが、現在のマレーシアに問題がないわけではない。

 マレーシアでは、経済の回復とともに、ビル建設が盛んだが、すでにテナントの不動産市場は、供給過剰の感がある。ホテルの客室も、すでに多すぎるのに、今後も新しい大型ホテルのオープンが予定されている。

 すでに、ホテルの客室利用率が、20-40%しかないところもある。マレーシア経済は今後、不動産バブルの破裂という国内要因によって、再び失速する可能性がある。

 マレーシア経済が好調なのは、輸出が伸びていることが大きな要因だが、最大の輸出先はアメリカだ。そして、マレーシアに対する最大の投資家も、アメリカの個人や企業である。

 マレーシアだけでなく、アジア経済全体が、今春以降、回復基調に入った大きな原因は、アメリカの好景気が続き、対米輸出が好調なことだ。そして、アメリカの株価が上がり、高すぎる懸念が出ているため、アメリカ市場に投資していた投資家が、アジア市場に資金の一部を移していることが、クアラルンプールから東京までの、株式市場の好転に貢献している。

 アメリカは、マハティールにとって、論争での宿敵であると同様、経済面では重要なお客様ということになる。それを十分に知った上で、アメリカ批判を展開しているのが、マハティール首相の興味深いところでもある。

 


 

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