マハティール首相の「通貨鎖国」は成功するか

98年9月11日  田中 宇


 「判官びいき」(ほうがんびいき)という言葉がある。大昔、源義経(判官)が兄の源頼朝に妬まれて邪険にされて追放されたことに端を発し、魅力があるのに上の人から妬まれて薄命に終わる英雄に同情する気持ちを表す言い方である。

 判官びいきは日本人に伝統的な発想かと思ったら、そうでもないらしい。日本から何千キロも離れた南国マレーシアで、判官びいきの気持ちが人々の間に広まりつつあるからだ。

 マレーシアで現代の「判官」になっているのは、先日まで副首相・蔵相をつとめ、次期首相間違いなし、と思われていたアンワル氏(51歳、Datuk Seri Anwar)である。

 そして悪者である頼朝役は、アンワル氏を副首相の座から引きずりおろし、与党UMNO(統一マレー国民組織)の党籍も剥奪してしまったマレーシアの絶対権力者、マハティール首相(72歳)である。

 アンワル氏が罷免されて以来、クアラルンプール郊外の高級住宅街にあるアンワル氏の自宅前には、支持者たちが集まるようになった。その数は当初の数百人から、今では3000-5000人へとふくらみつつある。

●アンワル氏は首相自らが育てた後継者だった

 アンワル氏はもともと、マハティール首相によって政治的才能を見出され、政府のナンバー2にまでなった人だ。マハティール首相は今から20年前の1979年、当時31歳だったアンワル氏にすでに目をかけており、この年にマハティール氏は自分の親戚を通じて、アンワル氏に花嫁を紹介してやっている。

 それ以来20年にわたり、マハティール氏はアンワル氏の政治能力を育て、自分の後継者としてきた。それなのに、ここにきて突然、アンワル氏が切られてしまった背景には、昨年からのアジア金融危機があった。

 1996年まで、マレーシアは9年間にわたり、年率8%以上の高度経済成長を続けていた。かつて田舎町だったクアラルンプールには高層ビルが林立するようになり、国内は高速道路網でカバーされ、誇り高き国産車プロトンが快適に走り回るようになった。

 だが、1997年の夏以降、状況は変わった。通貨リンギの暴落を受け、日本や欧米からの投資資金は雪崩を打って逃げ出してしまい、金融機関が破綻し、ビジネス活動も停滞した。経済難は今年に入ってさらに深刻となり、経済成長は1-3月がマイナス2.8%、4-6月はマイナス6.8%と、悪化する一方だ。

 通貨危機後、世界一の高層ビル「ペトロナスタワー」や、アジア屈指の大空港であるクアラルンプール新空港など、高度成長の輝かしい象徴となるはずだった巨大プロジェクトが相次いで完成したが、次第に生活苦が深刻になっている人々にとっては恨めしい限りだ。

 昨年まで高度成長の立役者だったマハティール首相は、このような状況に対し、当初はIMFや欧米諸国の経済専門家たちのアドバイスを聞き入れて、政府財政の緊縮や高金利政策を容認していた。そして、これら欧米流の政策を推進していたのが、アンワル副首相を頂点とする若手派だった。

●日本風の政策で成功したマレーシア

 マハティール首相は以前から、「自由市場原則」や「言論の自由」など、欧米流の政治価値観に批判的で、代わりに「アジア的な価値観」を重視していた。その一つが、1981年に始まった「ルックイースト」戦略で、これは日本風の経済システムを作ろうというものだった。

 マレーシアでは1970年代から、人口の約60%を占めるマレー系国民を経済的に優遇する「ブミプトラ」政策が続けられていた。これは、人口の約30%を占める中国系国民が、放っておけば経済的にマレーシアを支配してしまうので、多数派であるマレー系の政治的な優位を使って、中国系による支配を防ぎ、マレー系も豊かになれるようにする、という考え方に基づいていた。

 そしてこのブミプトラ政策を元に、マレー系のエリート実業家たちが、政府から有利な扱いを受けることのできるマレー系企業を経営し、彼らが進めるプロジェクトによって、マレーシア経済を豊かにしていく、という計画だった。日本が戦前に財閥を優遇し、戦後は自動車など重点産業に対して低金利の融資を続ける政策で経済成長したのと同じ戦略である。

 また、マレーシアの与党政治システムもまた、日本の自民党に似たものだった。マレーシアは多民族国家であるため、政治に民族対立が持ち込まれやすい。そこで、多数派であるマレー系の政党UMNOは、中国系とインド系の利害を代表する政党との連立政権を組み、3者間の利害を調整するかたちで政治的安定を実現させている。

 日本の自民党が、国内各地各層の利害を調整する機能として存在し、競争や対立ではなく、調和や談合を重視する組織であるのと同じである。

 マレー系を優遇するブミプトラ政策は、中国系とインド系の利害を損なうものではあったが、その代わりにUMNOは、マレー系がイスラム色を強めて宗教的に他民族を攻撃することを禁止して、社会の安定を実現することで、ある程度は少数派が経済的成功をおさめることに貢献した。

 だが、こうした安定志向型システムがうまくいく前提には、経済成長が不可欠だった。たとえマレー系の人々の収入が20%増で、中国系の収入増が10%だったとしても、中国系の収入が増えている限り、不満は一定の範囲にとどまっている。これが、マレー系の収入がマイナス5%で中国系がマイナス10%という感じになってくると、中国系だけでなく、マレー系も不満を増大させてしまう。

 アジア金融危機によりマイナス成長に陥ったことで、経済成長を前提としたマハティール首相の政策の神通力は失われつつあった。

●6月の党大会で世代間抗争が表面化

 一方、若手のアンワル副首相は、自由競争による経済運営を主張していた。先日まで中央銀行(Bank Negara)の総裁だったアーマド氏(Tan Sri Ahmad Mohamed Don)らも、同じく欧米派だった。

 彼らは、マハティール首相の意向を受け、インドネシアや韓国のようにIMFが直接マレーシアの政策に口出しすることは拒否したものの、IMFの勧めにしたがって、昨年末から緊縮財政と高金利政策を進めていた。(これらの政策は、外国からの投資を引き止めるためにプラスとなる)

 だが、今年に入ってますます経済が悪化するにしたがい、マハティール首相はIMF方式の政策が悪の根元だ、と主張し始めた。IMF方式とは正反対の、赤字を出しても財政を拡大して公共事業を行い、低金利にして企業活動を再び活発化させるべきだ、と言い出したのである。

 対立は、今年6月のUMNO党大会で表面化した。アンワル派の一人が演説の中で「政府には腐敗とコネ重視の風潮がはびこっている」と批判した。「腐敗」と「コネ重視(ネポティズム)」は、マハティール体制の欠点を象徴するものとして、欧米の新聞がマレーシア批判を展開する時に使う言葉だった。

 アンワル派は、この演説を通じて、マハティール首相が進める「アジア的価値観」「日本風のシステム」を非難し、「欧米流の改革」を進めるべきだ、と宣言したに等しかった。

●マハティール氏の権力を軽視していたアンワル氏

 だが、経済難で神通力を失っていたかに見えたマハティール首相の反撃は素早かった。UMNO大会の後、首相は自分と気脈を通じていた元大蔵大臣のダイム氏(Daim Zainuddin)を特別経済顧問として登用し、大蔵大臣だったアンワル氏の権限と重複する立場に置いてアンワル氏を牽制した。

 ダイム氏は、マハティール首相の片腕として、1980年代からの巨大プロジェクト戦略を進めた人で、今では東南アジアを代表するリゾートとなった「ランカウイ島」の開発構想をデザインした人である。

 さらにその後、アンワル氏と親しかった新聞社の幹部が3人、辞職に追い込まれた。アンワル寄りの論説を展開するとこうなるぞ、という見せしめだ、との憶測を呼んだ。

 ダイム氏が経済顧問に就任した直後には、ファーイースタン・エコノミック・レビューという、東南アジアのビジネスマンによく読まれている英字週刊誌が、ダイム氏のことを大々的に特集したが、そこではアンワル対マハティールの対立がダイム氏登用につながった、などとは一切書かれていない。

 これは実は、英文メディアを使ったアンワルとマハティールの対決だったのではないか、と筆者は感じている。というのは、アンワル氏については昨年10月、アメリカの大手週刊誌タイムが特集を組んでおり、そこでは「アンワルがもたらす欧米流アジアの未来」といった論調になっていたからだ。(特集記事はこちら)

 これによってマハティール氏は、欧米とアンワル氏が結託してマレーシアを変えてしまおうとしているのではないか、とみて、対抗してダイム氏をファーイースタン誌が特集するよう、持っていったのではないか。アンワル氏は先日、罷免された後の記者会見の後、タイム誌の記者がいるのを見止めて、「君たちがすべての原因だよ」と、冗談めかして言ったという。

 一般に、英文雑誌が特定の政治家を大々的に取り上げて、誉めそやす傾向の特集を書いたときは、何か裏があると勘ぐってみた方がいいだろう。

●性的スキャンダルは陰謀か

 経済政策をめぐる対立が激化するのと並行して、マハティール対アンワルの政治対立も深化した。発端は、アンワル氏と親しい実業家が、拳銃の実弾の不法所持で逮捕されたことだった。

 その取り調べの中から、アンワル氏が過去に売春したり、ホモセクシュアルな行為をしていた、との供述が得られた、ということになり、公開されるはずのない供述書の内容がマスコミに漏れて、アンワル氏の性的スキャンダルが大々的に報じられた。

 8月下旬になると、マレーシアの4-6月の経済成長率がマイナス6.8%と異常に悪いことが明らかになり、マハティール氏は、アンワル氏らが進めた欧米流の経済政策が失敗の原因だと断定し、マハティール流の財政拡大・低金利政策に転換することを決めた。

 そして9月1日、マハティール首相は、それまで制限を加えていなかった通貨リンギの取り引きを規制し、海外でのリンギ取り引きを10月以降は認めないとする政策を打ち出した。また、海外でのマレーシア企業株の取り引き禁止や、外国人がマレーシア企業株を買った場合、その後1年間は売却を禁止する、といった株式取引規制も含まれていた。

 この政策は、マレーシアの金融市場を世界の金融市場から隔離することを目的としていた。自国市場を隔離すれば、それまで市場を撹乱して儲けていた欧米の投機筋が入り込めなくなる、との理論からだった。

 投機筋をシャットアウトすれば、為替が安定し、工業への投資など、マレーシアにとってプラスとなる資金が入るようになり、来年には経済は再び成長に転じるはずだ、というのがマハティール理論だった。

 冷戦崩壊を予見して行われた1985年のプラザ合意以降、世界の金融市場は自由化していく方向が続いてきたが、その流れに真っ向から対立する政策に踏み切ったのである。

●コモンウェルス大会の期間中はにらみ合い?

 この政策を打ち出すことを決めた際、マハティール首相は、中央銀行のアーマド総裁から強く反対されたが、聞き入れなかった。総裁と副総裁は、政策発表の前日に、抗議の辞任をした。

 そして政策発表の翌日、9月2日には、アンワル副首相も辞任させられた。アンワル氏は自ら辞めることを拒否したため、マハティール首相から罷免通知を受け取ることになった。

 罷免の理由は、経済政策の違いではなく、性的スキャンダルと、国家機密を欧米に漏らした、という容疑であった。その翌日には、アンワル氏は与党UMNOの党籍も剥奪され、国会議員の立場だけが残った。

 マレーシアの人々の中には、アンワル氏の性的スキャンダルを、マハティール首相による陰謀ではないか、と考える人もいて、そういう人々がアンワル宅の前に集まるようになった。

 マハティール氏が最高権力者の立場を利用して、忠実な部下だったアンワル氏に無実の罪を着せるのはひどいじゃないか、という人々の反発が、アンワル支持の判官びいきとなっている。

 アンワル氏は、政治経済の改革を求める全国遊説ラリーを行う、と発表したが、マハティール首相の意を受けたマレーシア当局は、アンワル氏の行動いかんでは逮捕もありうるという態度で、緊張が続いている。

 そんな中、マレーシアでは9月11日から、世界的なスポーツ大会であるコモンウェルスゲームが開かれることになっている。もともとこの大会は、日本にとっての東京オリンピックと同様、マレーシアが世界に先進国として認めてもらうための祭典となるはずだった。(コモンウェルスゲームについての解説はこちらにも)

 経済の混乱により、その夢を達成するのは難しくなったが、9月21日までの大会期間中は、マハティール・アンワル両陣営とも、国家のイメージが傷つくことを懸念して、大きな行動を起こさないのではないか、と予測されている。

 (追記・アンワル氏は9月20日、逮捕された)

●「世界同時革命」と同じ末路か?

 マハティール首相が、自分の大切な部下だったアンワル氏を政治的に殺してまで実行した「金融鎖国」政策は、世界的な波紋を呼んでいる。

 というのは最近、ロシア経済が崩壊し、インドネシアでも再び暴動が起きるなど、IMFの言いつけにしたがって引締め政策を進めた国々の多くが、状況が良くなるどころか、逆にいっそうの苦境に陥っており、IMFの処方箋が間違っているのではないか、という意見が、欧米専門家の間からも出ているからだ。

 中でも、アメリカ・マサチューセッツ工科大学のクルーグマン教授は、「非常時には非常手段が必要だ」として、プラザ合意以来タブー視されてきた通貨管理を強化する政策が、一時的に必要ではないか、と主張する論文を、英文雑誌「フォーチュン」に書き、波紋を広げた。

 クルーグマン教授は、東南アジアが危機に陥るはるか前の1994年に、すでに危機を警告していた人物として知られている。マハティール首相は、クルーグマン教授の考え方に影響され、通貨鎖国に踏み切ったとされる。

 そのためクルーグマン氏は、通貨鎖国が発表された同日に、「通貨管理をやるのはいいが、一般の経済活動を損ねてしまう可能性もあるので、あくまでも経済改革の一環としての一時的な政策にしないと失敗しますよ」といった趣旨の公開書簡を、インターネット上に掲載した。

 この先、もしマハティール首相の政策が成功する兆しが見えるようなことがあれば、韓国やタイ、インドネシアなど、IMFの管理下に置かれている他の国々の当局も、IMFに対して反逆を開始するかもしれない。そうした動きを先取りして、すでにIMFが各国に求める政策要求は、数ヶ月前よりも、かなり緩いものになっている。

 こうした世界経済全体の大きな流れを見ていると、筆者は、かつて「世界同時革命」が本気で語られた時代があったことを思い起こす。「世界同時革命」も、IMFとアメリカが進めている、世界を単一市場にしようとする「世界市場改革」と同様、一時は世界中の知識人たちに「世界の将来はこの方向で決まりだ」と思われていた。

 だが、人間の欲望やアイデンティティは、その素晴らしい理論が現実となることを許さなかった。「世界同時革命」を実現できずに社会主義陣営が崩壊した後、今度はアメリカが世界的な革命を打ち出したのだが、それもまた今日までの数年間で、うまくいかないことが明らかになりつつあるのではないか、と思う。





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