動き出すイラクの宗教と政治2003年4月22日 田中 宇イラクの首都バグダッドには、門前町ができて賑わっているモスクが、少なくとも2つある。カズミヤ廟とアザミヤ廟である。この2つのモスクには今「シーア派もスンニ派もない。イスラムはひとつだ」といった内容のアラビア語の横断幕が掲げられているという。カズミヤ廟はシーア派のモスクで、アザミヤ廟はスンニ派のモスクである。(関連記事) 私が今年1月にイラクを訪れたとき、この2つの廟の存在は当時のイラク情報省のガイドから聞いていたが、カズミヤ廟がシーア派でアザミヤ廟がスンニ派だというのは聞かなかったため、私はカズミヤ廟だけしか行かなかった。(シーア派とスンニ派の対立については「イラク日記:シーア派の聖地」参照 ) イラクの人口の60−65%はシーア派だが、イラク政府の権力を握ってきたのは、1932年の独立以来ずっと、人口の15−20%を占めるスンニ派だった。スンニ派は、イラクが独立する前のオスマントルコ帝国時代からこの地域の政治を動かしてきた勢力で、フセイン政権時代にもそれは変わらなかった。 シーア派は、人口の過半数を占めているにもかかわらず、貧困層が多く、中産階級にもシーア派の人々はいたものの、人数にふさわしい政治力を持たせてもらえなかった。そのため、フセイン政権下のイラク情報省は、イラク国内のスンニ派とシーア派の関係について「関係は良い」ということ以外、カズミヤ廟がシーア派でアザミヤ廟がスンニ派だということも言わなかった。 つまりイラクには、スンニ派とシーア派が対立する素地が潜在しているということになる。その中で、カズミヤ廟とアザミヤ廟の両方の入り口に「シーア派もスンニ派もない。イスラムはひとつだ」という横断幕が掲げられていることは、フセイン政権後の不安定な状態を内戦に向かわせず、国民の統合感を何とか維持しようとするイラクの人々の気持ちを表しているように思える。 ▼シーア派よりスンニ派が反米? とはいえ、冒頭に紹介したBBCの記事によると、スンニ派とシーア派では、モスクに掲げた横断幕は少し違っていた。スンニ派のアザミヤ廟には「(米軍の)戦車は出て行け」「イラク人は(アメリカによる支配という)屈辱を拒否する」という反米的なスローガンも掲げられていたが、シーア派のカズミヤ廟には、そうした反米的な主張がなかったという。 シーア派よりスンニ派の方が米軍の早期撤退を求める傾向が強いとしたら、それはスンニ派がこれまでずっとイラクにおける主導的な立場にあり続け、イラクの官僚機構を形づくってきた人々だったことと関係していると思われる。イラク政府の官僚機構は4月9日に忽然と消えたが、これはたぶんフセイン大統領もしくはその側近が「政府解散命令」を発した結果であり、官僚機構を構成してきた人々のほとんどは、役所に行かなくなっただけで、そのまま生活している。(関連記事) イラクの官僚機構は、フセイン政権時代に事実上唯一の政党だったバース党の組織とほぼ一体の関係にあったが、バース党はフセイン政権の首脳たちが消えたり死んだり逮捕されたりした後も、数日間機能を停止しただけで中堅幹部以下の組織は再び復活しており、バグダッドなどのバース党の地域事務所は、フセインの肖像画を外したうえで業務を再開している。 最近米軍が雇った2000人のイラク人警察官も、全員がバース党員だった。バグダッドで世界のジャーナリストたちが泊まっているパレスチナホテルには、フセイン政権消失以前は毎日、イラク情報省の職員たちがガイド(監視役)としてやってきていたが、彼らの多くは政権消失後、何日か来なくなったが、その後またガイドとしてホテルにやってきているという。(関連記事) バース党はもともとアラブ統一をめざした社会主義政党で、中国の共産党体制と似ている。役所の職員、軍の将校、警察官、教師、大学の教職員、病院幹部、銀行員、町内会の役職員など、いわゆるテクノクラートの中堅幹部以上は、原則としてすべてバース党員だった。作家や俳優なども、表立った活動をするには党員である必要があった。バース党は、これらのテクノクラートの職能組織の統合体だった。党員にはシーア派の人もたくさんいるが、党組織や官僚組織を全体としてみると、スンニ派が握っていた。 (中国で経済開放が始まって間もないころと同様、党員でない人々が活躍しているのは、ヤミの輸入業者、製造業者などビジネスマンの業界だった)(関連記事) もし米軍が早期に出て行ったら、その後再びイラクの行政機構の中心に座るのは自然とスンニ派になる可能性が大きい。半面、シーア派の組織は各地のモスクを中心とするイスラム指導者と信者のネットワークで、国家運営を行うだけの技能が不足しており、それを補うには、アメリカもしくは国連など、いずれかの外国からの支援をしばらくは受ける必要がある。そのため、シーア派よりスンニ派の方が、米軍の早期撤退を強く望んでいるのだと思われる。(シーア派の人々の中にも、米軍の早期撤退を望む声はあり、今後状況は変わりうる) ▼復活したアシュラ シーア派宗教指導者たちは、フセイン政権の消失直後から、若い信徒たちに銃を持たせて略奪を受けた公共機関の前に配置して警備させたり、停電で信号が機能しなくなっている交差点に若者を差し向けて交通整理したり、人々から寄付を集めて病院の運営費を出したりといった、行政機能の肩代わりを始めている。 イラクではちょうど、シーア派の年中行事の中で最も重要な、シーア派の始まりであるイマーム・フセインの殉教を悼む命日の祭典(アシュラ)が、殉教地の聖都カルバラで今週行われており、何百万人かのシーア派の人々がイラク全土から結集している。この祭典が大々的に行われるのは1989年以来で、フセイン政権はこの祭典の開催自体は容認していたが、無数のシーア派が結集することで政治的な政府批判を始めてしまうことをおそれ、目立たない小規模な開催しか認めていなかった。 カルバラの祭典では、フセイン政権下で抑圧されていたシーア派の信仰意識が一気に吹き出て、カルバラは宗教的な熱気にあふれ、無数の人々が恍惚となっていると報じられている。スンニ派と違ってシーア派は、宗教を身体で感じることを重視している。預言者ムハンマド(マホメット)の孫であるイマーム・フセインが、スンニ派の謀略によって西暦680年に殺されたことを悼むため、自分も痛い思いをしようと、鎖のついた棒で自分の背中を何度も打ったり、わざわざ裸足になって徒歩でカルバラまで何10キロも歩いたり(いずれも男性のみ)、ある種の踊りをみんなで踊ったり、本気で悲しんで泣き続けたりして、恍惚となることで信仰を感じる仕組みになっている。 こうした宗教の噴出が起きている一方で、これからできるイラク新政権での要職を狙って政治活動を開始したシーア派指導者もいる。中でも、1999年に暗殺されたシーア派の大アヤトラ(最高位の指導者)ムハマド・アル・サドルの息子であるサイード・アル・サドル(Sayyid Muqtada Al-Sadr)は、最有力のシーア派政治家になろうとしている。(関連記事) シーア派の民衆は、大アヤトラを非常に尊敬していた。シーア派が多いバグダッド郊外の広大な貧民街「サダム・シティ」が、フセイン政権の消滅後すぐに「サドル・シティ」に名前を変えたほどだ。中東では父親のあとを息子が継ぐのは当然で、今後イラクで選挙があれば、国民の6割を占めるシーア派の多くがアル・サドルに投票する可能性がある。シーア派内部では、シーア派の宗教指導者がイラクの国家権力を握るのが民主主義だと主張する勢力と、宗教指導者は政治をやらない方が良いと主張する勢力との対立が始まっている。シーア派にとって、イラクの独立以来の正念場である。(関連記事) ▼親米国になりそうなイラン シーア派は、隣国イランの国教でもある。イランでは1979年にイスラム革命があり、ホメイニ師らシーア派の宗教指導者たちによる反米的なイスラム(原理)主義の政権ができ、現在まで続いている。シーア派がイラクの政権を取った場合、イラクもイランのような反米的なイスラム主義の政権になってしまうのだろうか。 その可能性はある。アメリカはそれをおそれ、シーア派指導者の動きを警戒している。だが、アメリカはまだ、フセイン政権消滅後、はっきりとイラクのシーア派を政治的野心を批判したことはない。アシュラの祭典が行われているカルバラでは、米軍はシーア派との衝突を避けるため市街地から出て行き、巡礼者たちから見えないよう郊外に駐屯している。 しかも、そもそも反米だったイランが、親米に転じるきざしも見え始めている。イランのラフサンジャニ前大統領は、イラン国内の雑誌インタビューで、アメリカとの関係を好転させるべきかどうかを問う国民投票を行うことを検討していると述べた。ラフサンジャニはイランの国政の調停役である最高評議会の議長をする権力者の一人で、対米関係の好転を望む声が出ている政界と、反米色の強いイスラム指導者との間を取り持つかたちで、国民投票を呼びかけた。イラン国民の大半は、すでにイスラム主義の体制に疲れており、今後国民投票が行われると、イランは親米国に転じる可能性がある。(関連記事) この動きに対し、アメリカのマスコミなどでは「イラク戦争後、次はシリアがアメリカに潰されそうになっているのをみて、恐れをなしたイランは態度を軟化させたのだ」という主張が出ているが、イラン外務省は「ラフサンジャニのインタビューは、イラク開戦前に行われた」と言っている。イラン外務省の広報官はまた「アメリカが今のようなパレスチナ人に対して暴虐なイスラエルを支援している限り、イランはアメリカと平和な関係を結ぶことはできない」とも言い、アメリカがパレスチナ和平の「ロードマップ」を進めるのと並行して、親米姿勢に転じるつもりなのではないかとも思える。(関連記事) (ロードマップについてはその後、イスラエルの新聞ハアレツなどを読む限り、ブッシュ大統領はイスラエル系圧力団体などに脅されても、和平交渉に対するやる気を変えていないようだ)(関連記事) イランが親米に転じてしまうと、すでにイラクが潰れ、北朝鮮も多国間交渉や韓国との対話を進めるといっているので「悪の枢軸」は解散ということになる。 イラクでシーア派の政権ができても、それが反米のイスラム主義になるとは言い切れず、むしろこれまで権力の中枢にいたバース党の勢力が行政技能を武器に再び台頭してくることを防ぐため、シーア派はアメリカや国連を必要としている点を考えると、反米になりにくいのではないか。 ▼ブッシュは穏健化した? もし今後、シーア派の宗教勢力とバース党などが対立した場合、イラクは分裂するのだろうか。今イラクの人々が謳歌している自由は、はかない「バグダッドの春」として終わるのか。 私は今のところ、その可能性は低いと思っている。アメリカが早期に撤退してわざとイラクを混乱に陥れる懸念もあり、イラクの秩序回復にむけたアメリカの動きがかなりのろいのも確かだ。だが、イラクに対する最近のアメリカのやり方をみると、かつてネオコン系シンクタンクの企画書によくあった、中東をわざと混乱させるような政策は、しだいに影をひそめているようにも思われる。 アルジャジーラによると、バグダッド市内の3分の1の地域に電力を供給する発電所の入り口に、入ると爆発する仕掛け爆弾がセットされているのが発見され、そのため技術者が発電所に入れず、電力の復旧が遅れた。発電所内部には米兵用の携帯食糧の空き箱がいくつも落ちているのが外から見え、爆弾は米軍がセットしたものではないかと疑われている。米軍はまた国営石油会社の入り口に陣取り、何日かぶりに出社しようとしたイラク人従業員を入れなかったという。(関連記事) これらが事実だとしたら、米軍がイラクの復興をなるべく遅らせようとしているという証拠になる。だがその一方で4月21日には、ネオコンだと思われていた行政官のジェイ・ガーナーが着任したその日のうちにバグダッド中心部の電力が回復した。 また、4月22日には、ニューヨークタイムスなどが「米軍は中東全域ににらみを利かせるため、イラクの4つの基地に長期間駐留する」「サウジアラビアなどイラクの周辺各国では米軍基地を減らすが、それは米軍の影響力を弱めるということではなく、必要なときにはまたいつでも駐留基地を増やせる関係を、地中海から中央アジアまでの広範囲の国々と築いておく」とする記事を載せた。(関連記事) 昨今の倣岸なアメリカのやり方からすると、そのくらいの計画を持っても誰も驚かないだろう。だが報道に対し、ラムズフェルド国防長官は記者会見で、慌てふためいた感じで事実無根だと言い「書かれているようなことをやっても事態を悪化させるだけで、ありえない話だ」と強く否定した。 ブッシュ政権の態度からは、少し前までの「逆らうものはすべて潰す」という不遜ぶりが、少なくとも表向きは消えている。イラク戦争が終わるまではさんざん煽っていたイスラム世界の怒りを、今はなるべく煽らないようにしているように感じられる。パレスチナ和平の「ロードマップ」と関係した動きとも思える。 そうしたブッシュ政権の穏健派的な新動向に対し、怒りの扇動を復活させたい勢力(ネオコン?)が、ニューヨークタイムズなどに、アメリカの世界覇権構想を再度リークして書かせたのかもしれない。 イラクでは今後、クルド人地域が分離独立していく可能性は濃厚だ。だが、その他の地域でシーア派とスンニ派が分裂するような事態は、アメリカがイラクの混乱を煽らないで、逆に復興を支援するようになれば、起こりにくいのではないかと思われる。
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