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メキシコを動かした先住民の闘い

2001年4月2日   田中 宇

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 メキシコではこのところ「サパティスタ」と呼ばれる覆面集団の話題で持ちきりだ。彼らは、約1億人のメキシコの人口のうち25%(一説には10%)を占める先住民(インディオ)の権利を守ろうとするゲリラ組織である。彼ら自身は、貧しい先住民が多く住む南部のチアパス州の人々で、自分たちが住む38ヶ村に対する中央からの支配を拒否して1994年に武装蜂起し、軍に攻撃されながらも村の自治を守ってきた。

 約70年ぶりにメキシコの政権が大きく代わり、政府が寛容になったため、彼らは2月下旬、運動を平和的なやり方に切り替えて再スタートした。武器を持たずに山を降り、バスをチャーターして先住民が多い南部の11州を2週間にわたって遊説した後、首都メキシコ市へと凱旋したのである。

 沿道の町村では同胞である先住民たちの大歓迎を受け、メキシコ市では、北京の天安門広場に次いで世界で2番目に巨大な広場「ソカロ」に熱狂する20万人を集めた。この間、遊説に参加した24人の幹部たちは全員が、身元を隠して政府の弾圧を避けるため、目と口だけが開いているスキー帽をかぶって覆面していた。

 新任のフォックス大統領は、先住民の権利を拡大することを約束し、彼らが政府との交渉のために山から降りてきても逮捕しないと決めた法律まで制定した。もともと彼らは反政府軍であり、軍は彼らを見つけしだい殺していたのに、今では国民的英雄として特別な扱いを受けている。

 3月28日には、数人の代表がメキシコ議会に招かれ、覆面をつけたまま、先住民の権利回復を訴える演説を行った。議会では、大統領が提案した先住民の権利拡大法案について、検討が始まろうとしている。マヤやアステカという輝かしい文明を築いたものの、16世紀にスペインに征服されて以来、無視されてきたメキシコ先住民たちの人権が、500年ぶりに認められ始めた、と大々的に報じられている。

▼サパティスタが起爆剤になった70年ぶりの政権交代

 正式名称を「サパティスタ国民解放軍」(Ejercito Zapatista de Liberacion Nacional)という彼らの組織が、94年に最初の蜂起を起こしたとき、メキシコはまだ、国のかたちは民主主義のようにみえるが実際には一党独裁型の国家であった。メキシコでは1929年以来「制度的革命党(PRI)」という巨大政党による支配が続いていたのである。

 PRIは、中小政党が乱立して暗殺や戦闘でしか政治が決まらなかった1910ー20年代の混乱をおさめるために設立され、左翼から右翼まで、資本家から貧農まで、あらゆる勢力を取り込むことにより、与党の座を維持し続けた。PRIの傘下に入るなら、どんな勢力にも利権が配分されたが、逆らう勢力はのけ者にして弾圧が加えられた。

 PRIは、少し前までの日本の自民党にも似た体質を持っているといえるが、自民党と同様、PRIの一党独裁は冷戦時代にはうまく機能していた。他の中南米諸国はクーデターや内戦、軍事独裁などが相次いだのに比べ、メキシコは比較的安定していた。しかし80年代に入ると不正や財政危機、貧富の格差が目立つようになり、90年代に入って経済自由化が始まると、隣の超大国アメリカに接する北部地方は経済が成長したが、先住民が多い南部は発展から取り残された。

 94年1月には、アメリカとの経済統合を強めるNAFTA(北アメリカ自由貿易協定)が始まったが、これはアメリカに従属する度合いが強まるばかりだとの批判がメキシコ国内から多く出された。そんな中、NAFTAが発効するまさにその当日、サパティスタが先住民の生活向上と政治の民主化をかかげ、チアパス州で蜂起した。「PRIの一党独裁のもとでは穏便に権利要求をしても受け入れられないので武装蜂起した」というのが、武力を正当化するサパティスタの主張だった。

 先住民の蜂起を支持する国民が多いとみたメキシコ政府は、ゲリラ組織を完全に潰すことはせず、停戦してサパティスタと交渉しながら時間を稼ぐ道を選んだ。しかし、間もなくメキシコ通貨危機が起き、貧しい人々の生活はいっそう苦しくなり、その分サパティスタに対する支持が増え、政府とPRIに対する信任は減っていった。

 こうした変化の結果として、昨年の大統領選挙でPRIの候補が破れ、「国民行動党」(PAN)という党から立候補したビセンテ・フォックスが当選した。フォックスは選挙公約として、当選したらサパティスタの要求を受け入れ、先住民の権利拡大を実現することを掲げ、多くの有権者の支持をとりつけた。フォックスの当選は70年に及ぶPRIの一党独裁を終わらせたが、その政権交代は、サパティスタの人気に便乗することで実現したものだった。

▼「チェ・ゲバラ」の再来

 サパティスタの蜂起を成功に導いたのは、この組織の戦略立案者やスポークスマンをつとめる指導者「マルコス副司令官」の能力によるところが大きい。今やメキシコで彼の名を知らぬ者はおらず、彼は行く先々でスーパースターのような扱いをうけている。

 彼の覆面姿を刷り込んだTシャツや、マークのついた覆面スキー帽、トレードマークのパイプなど、ゆかりの品々がよく売れている。「チェ司令官」と呼ばれ親しまれているキューバ革命の英雄「チェ・ゲバラ」が再来したかのような扱いだ。

 彼は、公の場に出るときは常に目出しスキー帽の覆面をして正体を明かさない。メキシコ当局はマルコスの正体について、今年43歳になるラファエル・ギエン(Rafael S. Guillen)という人物である、と発表している。ギエンは83年までメキシコ市の大学でマルクス主義などの哲学を教えていたが、その後チアパスに引っ越して先住民の村づくりに協力するようになったという。

 サパティスタには何人もの「司令官」がいる。それなのに、最も有名なマルコスが「副司令官」という肩書きであるのは奇妙だ。これは、彼が先住民ではなく、メキシコの階級社会で上の方に位置する白人系の人物であるからだろう。他の司令官たちと並ぶと、マルコスだけが頭一つ長身なので、覆面をかぶっていても人種が違うということは分かる。

 先住民が白人系による差別と戦う組織なのに、そのリーダーに白人系の人物が就任するのはおかしい。だから補佐役にとどまる意味を込めた「副」司令官なのだと思われる。

▼左翼を魅了した「辺境の最貧民」と「最先端の国際運動」の融合

 マルコスの戦略は、チェ・ゲバラに象徴される「古き良き正義の左翼ゲリラ」のイメージを喚起しつつ、インターネットを通じた広報活動を展開したり、世界的な「反グローバリゼーション運動」の流れの中に自分たちを位置づけたりすることで、国際的な支援も集めることに成功した。

 サパティスタの幹部たちは、一般の先住民と同様、伝統衣装をまとい、足はサンダル履きで、テレビが全国中継した国会演説にも、その格好で登場した。その一方で、彼らは山中の拠点から、VHFトランシーバーを使ったパケット通信のインターネットを通じ、世界中の支持者に電子メールで情報交換し、http://www.fzln.org.mx/など彼らのサイトで記事を更新している。94年元旦のNAFTA発効日を選んで蜂起した彼らは「世界で最初にグローバリゼーションに反対した人々」と賞賛されてもいる。

 サパティスタのこうした特質は、メキシコや欧米のマスコミや活動家、政治家などの有識者から好感を持たれた。どこの国でも有識者の多くは「抑圧された貧しい人々が立ち上がらなければ、真の改革は成し遂げられない」と考える左翼的な傾向がある。

 左翼の観点から見るならば、1960−70年代には世界各地で民衆蜂起や学生運動が巻き起こったが、その後91年のソ連崩壊までに左翼の思想は弱体化した。かつての左翼ゲリラは方向性を失って単なる暴力組織になってしまう一方、アメリカ中心のグローバリゼーションによって世界的に貧富の格差が拡大する事態になっている。

 そうした暗黒の時代にサパティスタは、理想的でロマンチックな左翼ゲリラとして、欧米の知識人に歓迎された面がある。ポルトガルからはノーベル文学賞をもらった作家、フランスからはミッテラン大統領の未亡人や、マクドナルドを襲撃して有名になった反グローバリゼーションの運動家などが支持を表明し、運動の中心地チアパスを訪問している。

▼「わが国の旗は私たちが作ったもの」

 マルコスは左翼だが、日本の左翼のような反愛国主義ではない。むしろ人々の愛国心を利用するかたちで運動を進めている。マルコスは山を降りてメキシコ市に向かうときの演説で、国旗を手にして「わがメキシコの赤、緑、白という三色旗は、私たち先住民の旗である。赤は私たちの血の色だ。緑は私たちが育てている作物や果樹の色。白は私たちの気高い心の色だ。わが国の旗は、私たちが作ったものなのだ。しかし私たちは、自分たちの国でふさわしい場所を与えられていない。だから、今からそれを獲得しに行くのだ」と述べた。

(この演説は、サパティスタがメキシコからの分離独立をめざす組織ではないということを示す目的もあったようだ)

 サパティスタの成功は、他の中南米諸国の先住民の権利獲得運動にも大きな影響を与え始めている。エクアドル、ボリビア、ブラジルなどの国々の先住民の組織が、サパティスタのもとに代表団を送り込んでいる。その点でもマルコス副司令官は、中南米やアフリカの独立運動に多大な影響を与えたキューバ革命のチェ・ゲバラの再来を思わせるものがある。

▼サパティスタ人気を利用するフォックス大統領

 チアパスは今や国際左翼運動の聖地となった観があるが、サパティスタと「連帯」することで利益を得ているのは左翼運動よりも、むしろメキシコのフォックス大統領である。先住民たちの要求を受け入れることを約束して当選した彼は、昨年12月の大統領就任後、サパティスタと戦っていた軍隊の撤退を進め、住民の権利を拡大するために憲法改定を含む大々的な新法案(COCOPA先住民法案)を議会に提出した。

 これはフォックスにとって、自分がPRIとは違って民主化を進める指導者だということを示して人気を維持し、下野しながらも政権への返り咲きを狙っているPRIを潰す狙いがあるようだ。

 しかしフォックスの新法案は、PRIだけでなくメキシコの裕福層全体の既得権益を侵すものだった。法案が通れば、先住民の居住地域にある地下資源の採掘権は、先住民に引き渡されることになる。これは石油その他の地下資源で儲けてきたメキシコの支配層にとって、この上ない脅威となる。このためフォックスはPRIだけでなく、自分の政党であるPANからも法案に反対されることになった。PANの支持基盤は財界や都市中産階級で、その点ではライバルであるPRIと似ている。

 新法案は、先住民の居住地域では、既存のメキシコの政治制度や司法制度をそのまま適用せず、先住民が昔から行ってきた習慣に基づいた制度を導入し、先住民による自治を認めることを盛り込んでいる。フォックスの改憲案に反対する政治家はこの点を突き「村の自治が先住民の習慣で行われると、首長が独裁を敷いて民主主義が失われる」「先住民の裁判所と従来の裁判所が並び立つことになり、犯罪取り締まりに大混乱をきたす」という反対論陣を張っている。

 94年の蜂起以来サパティスタが自治を行っているチアパス州の38ヶ村では、自治が始まってから犯罪が減り、かつては多かった麻薬運搬にかかわる人も激減したという報告もあるが、メキシコ全土で先住民の自治を大幅に拡大した場合、それが成功するかどうかは、実施してみないと分からないだろう。

▼覆面を外しても魅力を保てるか

 サパティスタがチアパスの山から降りてメキシコ市まで出てきたのは、フォックスが提出した新法案を議会が承認して法制化するよう、議会に圧力をかけるためで、彼らの今回の行動は、3月28日の議会での演説がクライマックスとなった。

 議員の過半数はフォックスの新法案に反対だとみられるが、サパティスタは国民に人気があるため、先住民の利権拡大に反対していたはずのPRIが、執政党のPANを悪者にするための策略として「サパティスタを議会に呼んで演説してもらおう」という一部議員勢力の声に賛成する側に回った結果、演説が実現した。

 とはいえ、サパティスタへの人気が今後も続くとは限らない。新政権から主張を認められ、武装蜂起を続ける必要がなくなった今、彼らは「ゲリラ組織」から「政党」への衣替えを始めている。だが、サパティスタは「辺境に住む最も貧困な人々」が声を発した運動だったからこそ、人々の賛同を得られたのであり、首都の政治のドロドロした駆け引きにまみれてしまうと、その魅力が失われる可能性がある。

 そうした現状を先取りしてか、3月28日の国会演説にはマルコスは参加せず、他の司令官たちだけが交代で演説した。サパティスタが反乱軍から政党に変身するとともに、マルコスがトレードマークの覆面をとらないまま姿を消すとしたら「正義の味方」的なエンディングだが、それでは運動が続かないだろう。マルコスが今後どう動くのか、メキシコの政治は今後も興味深い展開が続きそうだ。



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