崩れるメキシコの国家体制

1999年4月12日  田中 宇


 メキシコのカリブ海沿岸に、カンクンというリゾート地がある。昨年の夏休みに筆者はキューバに行ったのだが、その行き帰り、カンクンに立ち寄った。日本やアメリカからキューバに行く最も便利なルートが、カンクン経由だったからだ。

 カンクンのリゾートは、潮流の影響で砂丘が象の鼻のように半島状の陸地となった地形の場所にある。細長い陸地の上に、多くのホテルやリゾートマンション、レストラン街などが立ち並んでいる。

 お客の大半はアメリカ人で、筆者が泊まったホテルの隣の部屋からは、夜中に男同士が愛し合う声が聞こえて来たりして、思わぬ「社会勉強」をさせてもらった。

 こんな個人的な体験からこの記事を書き始めたのには、理由がある。カンクンを中心とするメキシコのキンタナロー州は、コロンビアなどからアメリカに流入する麻薬の約3分の1が通過する場所だ、ということが最近分かったからである。

 そして、カンクンの海岸沿いに立ち並ぶホテルやレストラン街のうちの何割かは、麻薬取り引きで儲けた「闇のビジネスマン」たちの、マネーロンダリングのための投資対象となり、彼らの資産となっているという。

 しかも、この麻薬ビジネスの頂点には、キンタナロー州の知事がいて、彼は州内の飛行場の貨物ターミナルの一部を、麻薬密売組織に貸していたことが判明している。

 マリオ・ビラヌエバというこの知事に対しては、1年ほど前からメキシコ連邦警察が捜査を続けていたが、知事の任期中は不逮捕特権があるため、捕まえられなかった。去る3月29日、知事の6年の任期が終わったため、警察は彼を逮捕しようとしたのだが、一足早く彼は姿を消し、行方知れずとなってしまった。

 彼はスイスの銀行に7000万ドル(約100億円)の預金を持っているという。州の最高権力者である知事自らが麻薬取り引きに手を染め、手数料を取っていたというのだから、これ以上の腐敗はない。

 これはメキシコ史上最大の麻薬事件なのだが、昨今のメキシコでは、際立って驚くべきことではない。というのは、メキシコ当局筋は、すでにすっかり麻薬の利権に漬かった状態になっていると思われるからだ。

●地元警察が麻薬捜査官を逮捕

 たとえば、こんなこともあった。南米からアメリカに持ち込まれる麻薬の多くは、コロンビアからメキシコまで、船か飛行機で運んだ後、メキシコとアメリカの国境を、夜の闇に乗じて通り抜け、消費地であるアメリカへと運ばれる。

 そのため、アメリカは数年前から、メキシコの麻薬捜査官をアメリカ側で訓練し、国境の両側でおとり捜査などを展開し、麻薬組織を検挙しようとしてきた。

 アメリカで訓練されたメキシコのエリート捜査官の中に、カリジョ(Carrillo)とガルシア(Garcia)という、2人の若手がいた。彼らは国境地帯でおとり捜査に励み、優れた業績をあげていたのだが、昨年9月、国境の町ティファナの警察に逮捕されてしまった。その容疑は「誘拐」だった。

 2人の捜査官は、麻薬組織の幹部に近づき、商談をした上で検挙するという、おとり捜査の最中だった。だが、途中で麻薬組織側がおかしいと気づいた。

 麻薬組織は、前から丸め込んであった地元の警察幹部に頼み、捜査官と自分たちがホテルの一室で麻薬の商談をしているところに、警察に踏み込んでもらった。麻薬購入者になりすました捜査官が、麻薬組織の幹部を脅して誘拐しようとした、という罪で警察に立件させ、2人の捜査官を拘留してしまった。

 アメリカとメキシコの麻薬取り締まり当局は、ティファナの警察の腐敗ぶりを非難しているが、ティファナの警察は、2人の麻薬捜査官こそが腐敗しており、麻薬組織から金を巻き上げて大目に見てやる、といった行為を繰り返してきたと主張、判断は裁判所に持ち込まれている。どちらが正しいにせよ、メキシコの捜査当局の一部は腐敗しているということになる。

 キンタナロー州の知事の麻薬疑惑も、任期が満了したらすぐに逮捕しようと以前から策を練っていたはずの警察当局は、まんまと容疑者に雲隠れされてしまった。

 この事件は、アメリカの麻薬取り締り当局からの圧力もあって、捜査が進められていたのだが、メキシコの警察当局は、それほどやる気がなかった可能性もある。前日まで公人だった人物の足取りが、急につかめなくなることなど、考えにくいからだ。

 またメキシコでは、サリナス元大統領の兄が、麻薬の密輸に関わり、5億ドル(600億円)の利益をスイスの銀行に預けていた、という疑惑も持ちあがっている。

 口座を調べたスイス当局によると、サリナスの兄は、弟が大統領だった1988年から94年までの間、一時はメキシコを通過するすべての麻薬流通を牛耳り、手数料をとっていた。サリナスの兄は95年以来、他の容疑で獄中におり、元大統領である弟も国外に出て、半分亡命したような形をとっている。

 元大統領だけでなく、与党PRIや軍も、麻薬流通を手助けしてきた可能性も指摘されている。

●借金を返すほど犯罪が増えた

 メキシコでは麻薬だけでなく、犯罪全般が増えている。大都市では、金持ちや中産階級に対する誘拐が増えている。強盗も増え、防弾ガラスつきの自動車が売れすぎて、生産が追いつかない状態だ。

 昨年11月初め、メキシコ市当局は、犯罪の増加を抑えこむために、集中的な取り締まり作戦を始めた。だがその後1週間に、メキシコ市での犯罪は、逆に25%も増えてしまった。

 戦いを挑まれた犯罪組織は、自分たちの力を示すため、犯罪を増やしたのだった。その中には、市の警察本部前で、通行中の女性が強盗に遭う、という警察をなめ切った犯行もあった。メキシコの犯罪検挙率は現在、5%以下と概算されている。

 こうした犯罪増加のウラには、1994年のメキシコ通貨危機以降、メキシコ政府はアメリカを中心とする欧米金融機関から借りた金を返すために、緊縮財政をとらざるを得ず、そのために貧しい人々への補助金はカットされ、国有企業が民営化されて、失業者が増えるなど、人々の生活が圧迫されたことがある。

 メキシコ政府はこれまで70年間、「制度的革命党」(PRI)という与党が牛耳る一党独裁体制が続いてきたが、彼らは金持ちから労働組合、地方の有力者たちまでの、すべての利益集団をある程度以上、満足させるよう、国家予算を配分する、いわばかつての自民党にも似た存在であった。

 だが94年以降の緊縮財政によって、党の資金力と、それに付随していた指導力が低下した。その分、政治家や地方の有力者は、麻薬取り引きなどの犯罪組織と手を組んで資金調達することが必要になった。

 貧しい人々にとっても、事態は同様で、これまで頼っていたオモテ社会のボスが食わせてくれない分、ウラ社会のボスを頼らざるを得なくなっている。

 つまり、アメリカなどが自国の金融機関の代理人として、メキシコに借金返済を迫れば迫るほど、メキシコの犯罪は増え、麻薬の流通も盛んになっている。

 そもそも、麻薬を消費しているのはアメリカ人であり、彼らが麻薬をほしがらなければ、メキシコの麻薬問題も存在しない。それなのにアメリカ政府は自国民を叱る前に、メキシコ当局を非難するのはおかしい、と多くのメキシコ人が感じている。

●民主化ととにも激しくなる与党内の派閥争い

 こうしたメキシコの体制の崩壊は、今後も続きそうだ。というのは最近、与党PRIが解体の危機に瀕しているためだ。現職のメキシコ大統領であるセディジョは、経済への市場原理の導入や、国有企業の民営化を積極的に進めており、アメリカから親しみを持たれているのだが、彼は経済の自由化だけでなく、政治の「民主化」も求められている。

 そのため、これまで現職の大統領が、後継大統領とPRI党首を指名するという「非民主的」なやり方を改めて、党内選挙を実施するようになったのだが、これによって党内の派閥争いが激しくなっている。民主化が派閥争いを激化させるという、パラグアイと同じ構図だ。

 メキシコでは来年に大統領選挙が控えているため、PRIではそれに先立って、3月末に党首が交代した。その際、PRIの歴史上初めて、党首を選ぶ党内選挙が行われた。だがセディジョ大統領は、前党首に対して辞めるよう圧力をかけた上、新党首も自分の腹心を立候補させる一方、他の候補に対しては党の幹部組織の力で立候補を辞退させてしまった。

 そのため、党内からは「これまでのやり方と実は変わっていない」と不満の声が強くなっており、来年の大統領選挙の際は、反主流派が脱党して独自候補を立てる可能性も出ている。

 メキシコの選挙は、競争が厳しくなると不正が行われる可能性が高くなる。たとえば今年2月に行われた、太平洋側のゲレロ州の知事選挙では、PRIの息がかかった選挙管理委員が、委員全体の7割を占め、PRIの候補者が当選するよう、不正が行われたとの疑惑が持ちあがった。その選挙以降、野党に味方したゲリラ組織が、不正選挙の仕返しとして、警察の派出所などを襲撃する、という事件が起きている。

 来年の大統領選挙の前後、全国で暴力が広がる可能性もあり、メキシコの国家体制は危機の度合いを強めている。

 





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