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インドネシア「首狩り族」の復活

2001年3月19日   田中 宇

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 インドネシアでおきる大きなニュースは、他の国とは違う風合いを持ったものが多い。ニュースの中核となる出来事はショッキングではっきりしているのだが、その出来事が起きた経緯や背景はぼやけており、後々まで真偽のほどが不明な話や謎が多い。

 インドネシアの伝統芸能に「ワヤン」(ワヤンクリ)という影絵の人形劇があるが、この国では政治の伝統もまるで「影絵」のように、白黒はっきりしているように見えながら、よく見ると謎のまま霞んでいる。

 バリ島などいくつかの地域では「黒魔術」と「白魔術」の戦いについてよく語られるが、それは社会の片隅にひっそりと息づいているものではなく、首都ジャカルタの政治や、各地の島で起きている殺し合いに、魔術師どうしの戦いが関与していると信じられている側面がある。それを迷信だと馬鹿にして切り捨ててしまうと、インドネシアという国を理解することができないようにも感じられる。

 2月下旬以来、ボルネオ島の中部カリマンタン州で激化したダヤック人(ダヤク人)によるマドゥラ人に対する虐殺も、例外ではない。ここ1カ月ほどの間に、500−1000人のマドゥラ人が虐殺されたと報じられている。また4万人が危険を避けて家を捨て、難民キャンプに入ったり、出身地のマドゥラ島に戻ったりしている。

 ダヤック人は、ボルネオ島の内陸部にもともと住んでいた人々で、植民地政策の一環として布教されたキリスト教に改宗するまで「首狩り」を含むアニミズムを信仰していた。部族外の勢力と戦うとき、殺した敵の首を切り取って集めておくほど、その男の持つ力が強くなるという黒魔術を信じていた。

 一方、マドゥラ人は1950年代から盛んになった政府肝いりの国内移民政策によって、ジャワ島の近くにあるマドゥラ島から移民してきた人々で、インドネシアの中では比較的熱心なイスラム教徒である。

▼裏目に出た地方自治の強化

 中部カリマンタン州には、マドゥラ島からの移民のほか、ジャワ島やバリ島からの移民も住んでいるが、ダヤック人は州の人口の約1割を占めるマドゥラ人(総数40万人)だけを選び出し、殺している。

 この虐殺のニュースが世界にショックを与えたのは、ダヤック人が殺したマドゥラ人の首を切り取って持ち歩いたり、心臓をえぐり出して食べたりしたと報じられたからだった。100年前に終わっていた黒魔術的な行為が、復活したのである。

 ダヤック人がマドゥラ人を虐殺する事件は1997年と99年にも起きた。中央政府の弱体化が目立ってきた97年の事件では、1000人以上のマドゥラ人が殺された。首を切り取る殺され方をした人も多く、恐怖にかられて5万人以上のマドゥラ人が軍の警備する難民キャンプに避難した。

 今回の虐殺事件のきっかけは、インドネシアでの地方自治強化策と関係していると思われる。インドネシアはもともと、島ごとに異なる人々を強大な軍事力で束ねていた中央集権国家であったが、97年のアジア経済危機後の混乱で政府が弱くなり、あちこちで分離独立運動が激しくなって国家解体の危機に陥った。弱体化したインドネシア政府による国家統合の延命策が、地方自治を強化して地方住民に納得してもらうことだった。

 地方自治は一見、インドネシアの多民族性が引き起こす分離独立問題の解決策であるように見えたが、実は逆に問題を悪化させる要因となった。カリマンタンのような地方では、先住民であるダヤック人と、後から来た移民であるマドゥラ人やジャワ人の、どちらが自治の主体になるかをめぐり、対立が高まったからである。

▼和解が決まった後に煽動された虐殺

 2月18日、中部カリマンタン州のサンピットという町で、2人のダヤック人が地元の行政機関を解雇されたことを怒ってマドゥラ人5人を殺した。マドゥラ側が報復にダヤック人を殺したため、ダヤック人が地域を挙げてマドゥラ人を殺して回る事態に発展した。

 双方の代表による話し合いの結果、マドゥラ人が難民キャンプなどに避難することで合意し、2月25日、ジャングルに逃げ込んでいたマドゥラ人に、安心して町に出てくるよう拡声器で呼びかけが行われた。

 そして、呼びかけに応じて出てきた400人ほどのマドゥラ人が、用意されたトラックの荷台に乗って難民キャンプに向かう途中、槍や山刀、自作の銃器などを持ったダヤック人の男たちに車を止められて襲われ、子供28人、女性64人を含む118人が虐殺された。それ以外にも、この前後の日々に、山刀を持ったダヤック人に追われたマドゥラ人があちこちで殺された。

 この事件の奇怪さの一つは、小銃で武装した警察官たちがトラックを警護していたのに、ダヤック人が現れると警官たちは防戦せずにどこかへ行ってしまい、翌朝になって殺害現場に戻ってきたことだった。また、金を渡して殺害役のダヤック人の若者たちを集めていた疑いのある人物が逮捕されている。この人物は、スハルト政権時代の地元政府の役人とされ、地方自治の拡大に反発して騒ぎを扇動したと指摘する報道もあるが、本人は関与を否定している。

 今回のケースは、双方が和解しようとしたときに、扇動によって再び虐殺が激化した可能性が大きいが、同様の例は、昨年から殺し合いが続いているモルッカ諸島でも起きている。

 いずれのケースも、誰が何のために殺し合いを再拡大させたのか、はっきり分からないままだ。「失脚したスハルト元大統領に近い勢力が再び権力の奪回をめざしている」とか「軍の内部分裂と関係している」「インドネシアをイスラム原理主義化したい勢力の策動」など、いくつもの憶測が飛び続けている。

 自治権を求めるダヤック人の男たちは、サンピットで虐殺を起こした後、州都のパランカラヤへと押し掛けてそこのダヤック人と合流し、周辺の主要な道路に検問を作り、町を支配下に置いた。軍は静観し、警察は警察署の周りにダヤック人を寄せつけないようにしただけで、警察署の周りにマドゥラ人たちが避難してくる状態だった。

▼「使われていない土地」にされたダヤックの土地

 この虐殺事件に関して分からないことは多いが、遠因は大体分かっている。それは、カリマンタンへの移民が始まった60年代にさかのぼる。

 インドネシアでは、国の中心であるジャワ島とバリ島に人口の大半が集中し、その周りにあるボルネオ島、スラウェシ島、スマトラ島、モルッカ諸島、チモール島、ニューギニア島などは、人口密度が低かった。オランダの植民地になる前にはジャワ島に王朝があり、そこでは高度な稲作文明があったが、その他の島にはそれが及んでいなかったため、人口密度に大きな差があった。

 そこで、1948年に独立した後のインドネシア政府は、ジャワ島やバリ島の人々が、家族で周辺の島々へ移民し、密林を切り開いて田畑を作ることで食糧生産を増やす政策を展開した。国内移民の流れがピークを迎えた80年代中頃には、国家予算の6%が、移民に与えられる旅費や新生活の準備費用にあてられていた。旅費や支度金が支給される魅力から、多くの人が移住した。

 政府が人口密度の低い島の「使われていない土地」を区分けして移民に無料で分譲することは、望ましい政策とされたが、実はそれらの多くは「使われていない土地」などではなかった。ダヤック人などの先住民が、大昔から、狩猟をしたり、焼き畑農業を営んでいた土地であった。ダヤック人は政府の移民政策に反対して小規模な武装蜂起を各地で行ったが、強力な軍隊によって鎮圧され、沈黙した。

▼憎しみの防波堤だったマドゥラ人

 移民した人々のうち、ジャワ島やバリ島の出身者たちは、もともとコメを作っていた農民だったので、移民先でも開拓農民となった。だが、ジャワ島東部の沖合いにある小さなマドゥラ島では、雨が少ないため農業に適さず、多くの人々は、製塩業を手がけるか、軍人になるぐらいしか生きる道がなかった。

 マドゥラ島からの移住者の多くは、ボルネオ島にきても農業をしなかった。代わりに、熱帯雨林の伐採という林業を手がけた。虐殺がおきたサンピットは、伐採した木材を製材し、川の港から船に載せてジャワ島方面に出荷する内陸の港町だった。マドゥラ人が木を切るほど、森に住んでいたダヤック人は追い出され、町外れの貧しい地域に住むようになった。

 町に出たダヤック人は、市場の物売りや、港での荷役の仕事に就こうとしたが、そこにもすでにマドゥラ人の労働者がたくさんおり、仕事の奪い合いとなった。木材の伐採権は、1998年まで独裁的な政治を30年以上続けたスハルト大統領と親しいビジネスマンたちが握っていた。伐採で儲けたの彼ら財閥であり、マドゥラ人は雇われて伐採を手がけていただけであったが、最も目につくマドゥラ人だけが憎まれるようになった。

 マドゥラ人は、インドネシア人の中では気性が荒い人々とされ、農民が多いジャワ人などより好戦的だといわれている。そのため、ボルネオ島への移民政策の中で、ダヤック人と直接わたり合う先兵として「憎しみの防波堤」の役割を負わされていた。

 強い軍隊や警察などが、政府に反抗するあらゆる勢力を厳しく弾圧していたスハルト政権時代には、対立が表面化することは少なかった。だがアジア危機の後、政権が崩壊の道をたどるようになると、軍や警察は統率力を失い、殺し合いを止めることもできなくなった。

 この先、インドネシアがどうなっていくのか、明るい方向性は見えていない。影絵の人形劇「ワヤン」は、夕暮れ後間もなく始まるが、物語がクライマックスを迎えるのは、未明の午前3時とか4時である。2億人のインドネシア人を巻き込んだ巨大な政治の影絵劇は、まだクライマックスに至っていないのかもしれない。



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