ロシアに行った
2025年12月5日
田中 宇
2年ぶりにロシアに行ってみた。2週間弱で、ソチとクリミア、クラスノダール、ロストフ(ドヌ)、チェチェン、ダゲスタンに行った。私はロシア語ができないので「取材」でなく物見遊山だ(日本政府が渡航制限をかけているこれらの地域に物見遊山に行った私を制裁しろという人がいそうだけど)。前回の記事に書いたウズベキスタンのタシケントは、ソチに行く際の乗り換え地だった。
(ユーラシアの真ん中で世界の流れをとらえる)
最近もたまにイスラム主義勢力(ISIS)がイスラエル批判などを口実に反乱しているダゲスタン(ハサヴユルト、マハチカラ、デルベント)には、自動小銃と防弾チョッキの兵士(警察)が時々立っていた。だが、検問所はなく、バスターミナルの入口も検査なしで、平時の警備は緩い。
再建されてモスクワ郊外みたいな高層ビルのニュータウンになったチェチェンのグロズヌイ市街には、武装要員がいなかった。クリミア(シンフェロポリ、セバストポリ、ヤルタ)も、ソチやクラスノダールやロストフも、ものものしさは全くなかった。街頭などで当局者に呼び止められることもなかった。
ソチ空港でウズベク人の観光客たちに混じって入国したが、私の入国審査は問題なく3分で終わった。入国管理官は英語が全くできず、私がロシア語を話さないとわかると、それ以上質問せず押印してくれた(モスクワでの出国時は審査が1分だった)。
クリミアの諸都市はいずれも、繁華街に良い感じのカフェやレストランが並び、市民や国内観光客で賑わっていた。ヤルタやセバストポリは、ソチと並び、ロシア屈指の観光地らしい。
ロシア最古の都市デルベント(世界遺産)も、とてもおしゃれな街だった(昨年反乱があったので観光客は少なかった)。
前回記事に書いたが、イスラム諸国は政府主導の「上から」イスラエル敵視をやめていく流れにある。ISIS(すでに終わったテロ戦争の「道具」として、リクード系や英国系が創設・支援していた)などイスラム主義勢力に上から流入する資金が減って「下から」の反乱も沈静化していく。ダゲスタンもそのうち安定する。
クリミアやクラスノダールやロストフは、ウクライナの近傍だ。ニュースによると、無人機やミサイルで頻繁に攻撃されている。しかし片言の英語ができる地元の人は「ニュースはね、(事実というよりも)ニュースだよ(笑)」と言っていた。
要するに、ウクライナ軍が激しくロシアを攻撃し続けているという露国内(や欧米日)のニュースは、ロシア(やウクライナ)の当局の意を受けて実際よりも熾烈で華々しい感じに仕立てられている(それを欧米日は鵜呑みにしてきた)。ロシアとウクライナの政府は、高強度に見せかけた低強度な戦闘を延々と続けてきた(低強度にして長期化する策)。
さすが旧ソ連の人々は、欧米日と異なり、ニュースの本質を見抜いている。その理由は、欧米日が英国流の巧妙なニュースの歪曲運営をしてきたのと対照的に、ソ連はやり方が未熟で歪曲が露呈していたからなのだが。
ダゲスタンは要注意だが、チェチェンとクリミア、ソチやクラスノダールやロストフは、行っても危険でない。
平和なので「書くべきこと」はあまりない。追記するとしたら、以下のグロズヌイの話とか。
チェチェンのグロズヌイでは、ロシア政府がいったん市街を全破壊して反乱軍とその支持者たちを全部追い出し、市街地をゼロから再建し、親露な指導者(カディロフ)と親露な市民だけが住む都市にするというリセット戦略が行われた。
プーチンは2000年の大統領就任後このやり方で、エリツィンが失敗したチェチェン平定を実現し、権力を確定した。いったん街を全破壊することで、住民の精神構造を無理やりリセットし(虚無化し)敵愾心を失わせた。(敗戦で日本人が米傀儡になったように)
「真の囚人」だったチェチェン人に対しても、この策が有効だった。いや、相手が手強いチェチェン人だから、全破壊してその跡地にきらびやかなモスクワ郊外みいたな高層ビル群を作ったり、ピカピカの巨大モスクを作って夜に美しくライトアップしたりして、露政府は新しいグロズヌイを魅力的に見せる必要があった。
(真の囚人:負けないチェチェン人)
チェチェンは、高速道路など交通インフラも、農村の家並みも最新だが、となりのダゲスタンに入ると急に道が狭くなり、家並みがボロボロになる。
ダゲスタンは反乱勢力が残っているが、かつてのチェチェンに比べて徹底した反乱でないので、全破壊策をやらず、対症療法的な取り締まり策で良いという話になっているのかもしれない。ISISは欧米のテロ戦争の道具であり、反乱はいずれ下火になる。単一民族的なチェチェンと異なり、ダゲスタンは多民族だという違いもある。
街を全破壊する策は、ガザ戦争でも行われた。チェチェン人と共存せざるを得ないロシアと異なり、イスラエルはガザ市民を国外(エジプトとか)に追い出したい。ガザ市街は再建されない。
だが全破壊が、ガザ市民のパレスチナ人としての精神を破壊する策である点は、チェチェンと同じだ。イスラエルは、ガザとエジプトの国境線(フィラデルファイ回廊)に抜け穴を作り、傀儡のエジプト当局と諮り、虚無化したガザ市民のかなりの部分をこっそりエジプトに移住させたのでないかと私はしつこく疑ってきた。それが、イスラエルにとって最良の策だからだ。
ここで終わりにするのが良いのだろうが、旅行中に書き散らかしたガラクタみたいな文書があるので、その一つである「ロシアを旅行することの善悪観」を貼り付けて終わりにする。旅行術のたぐいも書きかけた(外国からの短期旅行者がロシアの携帯番号を買えなくなったので苦労した話とか)。
「ヤルタでヤルタ体制を考えた」とかも。グロズヌイやダゲスタンでの詳しい話とか。それらも改めて配信するかもしれない。
善悪観の是正。ウクライナ戦争は、ロシアにとって、旧ソ連の一部だったウクライナ(ドンバス)のロシア系住民を助けるための「邦人保護」「正義の戦い」だ。
この戦争を誘発した悪役(ロシアに正義の戦いをやらせた勢力)は、米英欧の覇権運営を(トランプ以前に)担当していた英国系(米民主党と英独仏EU)だ。(もう一歩深く見ると、リクード系が英国系にやらせた自滅策)。
英国系は、かつて欧露のバランスをとっていたウクライナの政府を、カラー革命の政権転覆によって露敵視・米英傀儡にして、ウクライナ政府に国内の露系住民への弾圧を強めさせ、ロシアの邦人保護の特殊軍事作戦(侵攻)を誘発した。
もともとソ連だったロシアとウクライナは、完全な外国どうしでなく、ソ連崩壊という独自な歴史の上に立つ特殊な関係だ。だから、今のウクライナでの戦闘は、外国どうしが行う「戦争」でなく、特殊作戦になる。
ロシアによる2014年のクリミア併合(再編入)も、クリミアが1954年までソ連内のロシア共和国に属していたこと、ロシアはソ連崩壊後、ウクライナが親露である前提でクリミアをウクライナ領のままにしてあげていたことを考えると、ウクライナが英傀儡な露敵視になったことを受けて住民投票を経て併合したのは正当性がある。
ウクライナやクリミアをめぐる話において、ロシアは悪くない。ロシアを経済制裁するのは正しくない。(対露制裁やウクライナ戦争は、ロシアの強化と非米側の結束、米国側の衰退を誘発するので、ロシアと非米側にとって「良いこと」だが)
この善悪観に立つと、ロシアやクリミアを旅行するのは、悪いことでない。危険も少ない。「極悪なロシアに行く奴は悪人だ」とか「ロシアが無理やり併合したクリミアなんかに行くな」「秘密警察に逮捕されるぞ」などと言い出だす多くの人々の方が、英国系の歪曲話に洗脳された間抜けである。
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