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沿ドニエストルへの回廊

2024年3月1日  田中 宇 

2月28日、ウクライナとモルドバ(ルーマニア系の旧ソ連の国)にはさまれた「沿ドニエストル共和国」の議会が、ロシアに安全保障上の保護を求めることを決議した。
ソ連は第二次大戦でルーマニアの一部を自国に併合し、そこに住んでいたルーマニア人を「モルドバ人」という別の民族に仕立てた。ソ連崩壊後、モルドバは独立国になってルーマニアに戻る道を歩み始めたが、モルドバの中でも再ルーマニア化に反対する人が多かった沿ドニエストル地域は、モルドバから分離独立してロシアの一部になることを1990年に決定し、モルドバと紛争になった。
ソ連の後継国となったロシアは、欧州の反発に配慮して沿ドニエストルを国家として承認しなかったものの、1992年から現在まで1500人前後のロシア軍を駐留させ、モルドバが沿ドニエストルを強制併合することを阻止している。
沿ドニエストルは、世界のどの国からも国家承認されていないが、モルドバからの独立を維持し、事実上国家として存在している。
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沿ドニエストルは2006年に国民投票を行い、圧倒的多数でモルドバからの分離独立(96%)とロシアへの併合(98%)を支持した。
沿ドニエストルの住民のうちロシア系は29%で、残りはモルドバ系(ルーマニア系)やウクライナ系だ。ロシア系でない人々もロシアへの併合を望んだのは、ルーマニア化を強制されるより、それまで同様のロシア(ソ連)風の生活や習慣を維持したかったからだ。
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ロシア(ソ連)は多民族社会で、ロシア語を使えれば誰でもロシア人、みたいな寛容さがある。正教徒でなく、ムスリムや仏教徒でもかまわない。風貌も白人系以外に、シベリアには日本人と同じモンゴル系が多く、それより西にはトルコ系やイラン系が多くて多様だ。
それと対照的に、モルドバやグルジアやウクライナなど、ソ連から分離独立した諸国の中には、ロシア(ソ連)的なものを全面否定し、モルドバ(ルーマニア)やグルジアやウクライナの太古からの民族主義を全面に掲げ、その民族主義に対して消極的な者、ロシアやソ連を肯定する者は国家の敵だと猛攻撃する悪しきナショナリズムを強制する傾向がある。
ロシア語は制限・禁止される傾向になった。ロシア系でなくても、そういう新たな民族主義の強要・多民族性の否定はいやだ、ロシアの方が寛容で良いと考える人が多くなる。
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ロシアより貧しいグルジアやウクライナやルーマニアへの新たな同化を強いられるより、すでに同化しているロシア人のままが良い、ロシアでの差別の方が、グルジアやウクライナやルーマニアでの差別よりましだ、と思う人々がいて当然だ。
グルジア民族主義を嫌った南オセチアやアブハジアが分離独立し、ウクライナ民族主義を嫌ったクリミアやドンバスも独立してロシアに編入させてもらった。いずれも、ロシア系以外の人々も独立に賛成した。同様に、沿ドニエストルはモルドバから分離独立している。

沿ドニエストルは内陸国だが、ウクライナのオデッサ港から140キロで、ウクライナ開戦前、ロシアは、オデッサ経由でウクライナを通って各種物資(支援品や貿易品)を沿ドニエストルにウクライナ黙認の密輸出で送っていた。
ロシア国営ガスプロムは、天然ガスをウクライナ経由のパイプラインで沿ドニエストルに無償で供給していた。沿ドニエストルは、もらったガスの一部をモルドバに売ったり、発電してモルドバに電力供給して稼いでいた。
ウクライナ開戦後、ウクライナは沿ドニエストルとの国境を閉鎖した。ロシアの船がオデッサに行くこともできなくなった。沿ドニエストルはロシアやウクライナとの交易路を絶たれ、経済的にモルドバに頼らざるを得なくなった。
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ロシアからウクライナを通るガスのパイプラインは(欧州がロシアのガスをこっそり欲しがったので)開戦後も生きており、沿ドニエストルにもガスが供給されている。
2022年末からガスプロムが欧州を困らせるためにガスの送付量を3分の1に減らし、沿ドニエストルがモルドバに転売するガスや電力も減った。モルドバはEUから電力を買わざるを得なくなったが、その価格は沿ドニエストルから買っていたのの4倍近かった。
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ウクライナ開戦まで、ルーマニア(EU)やモルドバは、欧米とロシアの両方と親しくしていた。だが戦争が長引くにつれて欧米やEUはロシア敵視を強め、ルーマニアやモルドバは、EU側にいる限りロシア敵視を義務づけられた。
EUは昨年、沿ドニエストルを「ロシアによる不法占領地域」に指定した。地元住民が自然な気持ちの発露としてモルドバから分離独立し、それを守るためにロシアに頼んで軍を派遣してもらったのでなく、ロシアが勝手に派兵して占領しているかのような間違った認識による指定だ。
沿ドニエストルが、地元住民の意向でモルドバでなくロシアに帰属したいのなら、モルドバ政府やEUがすべきことは地元住民を説得してモルドバ帰属を了承してもらうことだった。だが、露軍の不法占拠地域にしたことで、EUやモルドバ政府がすべきことは、露軍を追い出すこと、つまりロシアとの戦争が解決策に変わってしまった。
EUは、わざわざ間違った認識に転換して、ウクライナだけでなく沿ドニエストルでもロシアと戦争したがり始めた。この大馬鹿な転換は、おそらく(露敵視を稚拙に過激にやって失敗したがる隠れ多極派に牛耳られている)米国がEUにやらせたことだ。
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EUのロシア敵視強化を受け、モルドバ政府は分離独立運動を違法行為に指定した。それまで自由にモルドバに行けた沿ドニエストルの人々は、行くと逮捕されかねないので行けなくなった。
モルドバ政府はまた、沿ドニエストルとの境界線に検問所を設置し、物資の流通に対して課税を開始した。分離独立を認めないと言いながら、境界線を国境線のように扱って関税をかけ始めた。これは沿ドニエストルに対する経済制裁だった。
ウクライナとの貿易路は開戦以来閉鎖されている。モルドバとの道路交通が唯一の貿易路だった。経済制裁で、沿ドニエストルの人々は生活に困窮した。
EUやモルドバは、沿ドニエストルをロシアから引き離す説得や外交解決をするのをやめて、沿ドニエストルをロシアの一部とみなして敵視・制裁する態度に大転換した。
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EUはロシア敵視させたモルドバを自分たちの側に取り込むため、昨年11月からEUへの加盟交渉を開始した。モルドバとNATOとの合同軍事演習も始まった。ルーマニアはEUとNATOに加盟しており「ルーマニアの田舎」になる予定のモルドバも入るべきだという流れだった。
欧米は、ウクライナに対してもEUとNATOへの加盟をちらつかせることでロシア敵視を強めさせ、ドンバスの露系住民を弾圧させ、ロシアが邦人保護のために侵攻してこざるを得なくなる状況を作った。それと同じことが、モルドバと沿ドニエストルに対しても行われている。
沿ドニエストルの紛争を解決するため、沿ドニエストル、モルドバ、ロシア、ウクライナ、OSCEの5者と、オブザーバーのEUと米国で構成する「5+2」の対話の場があったが、昨年から停止している。開戦前のウクライナ紛争でミンスク合意の対話体制があったのと同じだ。
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ウクライナ開戦後、モルドバやEUがロシア敵視の一環で沿ドニエストルを敵視制裁するようになったのと同機して、沿ドニエストルの人々はロシアの一部になりたいという気持ちを強めた。
ウクライナ領だったドンバスやクリミアは、地元の人々の意志に沿って、露軍の庇護のもと、ロシア領になった。沿ドニエストルも、露軍の庇護のもと、ロシア領にしてもらえるという期待が強まった。
沿ドニエストルの人々は、EUやモルドバから敵視制裁されるほど、ロシアの一部になりたがる。ロシアの一部になりたがるほど、沿ドニエストルへの敵視制裁が強まる。

今年に入り、この悪循環が進んだ。1月10日、ロシア政府がモルドバの駐露大使を呼びつけて沿ドニエストルへの敵視制裁を非難した。
そして今回、2月28日に沿ドニエストルの議会が招集され、ロシア政府に対し、モルドバから敵視制裁されている状況を救ってほしいと嘆願する決議を可決した。
この議会は、重要事項がある有事にしか開かれない。前回開かれたのは18年前の2006年、分離独立とロシア併合の希望を問う国民投票(住民投票)を行うと決めたときだった。

今回この議会は、ロシアに対して併合を求める決議をするのでないかと事前に予測されていたが、それはせず、ロシアに助けを求める決議をしただけだった。
おそらく、沿ドニエストル議会は事前にプーチンの露政府に相談した上で今回の決議をした。プーチンはたぶん今後いずれかの時に、沿ドニエストルを軍事的に助けるつもりなのだろう。
沿ドニエストルがロシアへの併合要請を出し、それに沿って露軍が沿ドニエストルに追加派兵する展開になると、米国側から「ロシアの領土拡張欲」を非難されてしまう。だからロシアは沿ドニエストルに、ロシアへの併合要請でなく、モルドバやEU(米国側)から敵視制裁されて困っているので助けてほしいと要請させたのだろう。
Transnistria Congress Accuses Moldova of ‘Blockade’, Gives Russian Annexation a Miss

プーチンは2月29日の定例の年頭教書演説をした。そこに沿ドニエストルの話を盛り込むため、前日の2月28日に沿ドニエストル議会が18年ぶりに招集されてロシアに助けを求めたのでないか。だがプーチンは、演説で沿ドニエストルに触れなかった。今はまだ「その時」でないようだ。
モルドバ政府は、沿ドニエストルの議会は存在自体がプロパガンダであり、決議に意味などないと高をくくってみせている。だが、モルドバの兄貴分であるルーマニアのテレビは、間もなくロシアが沿ドニエストルに侵攻して併合すると喧伝している。
Moldova doesn't expect escalation after propaganda congress of so-called MPs of unrecognised Transnistria

私の見立てでは、ロシアが沿ドニエストルをテコ入れするのはまだ先のことだ。露軍は、沿ドニエストルに直接行くのでなく、まずウクライナの港湾都市オデッサを占領し、露軍の占領地をドンバスからオデッサ近郊の沿ドニエストル国境まで行ける回廊を作る。
これで、ウクライナの露軍占領地(というか、ウクライナの露系住民に頼まれて邦人保護のために露側が取り込んだ地域)は、ドンバスからオデッサを経由して沿ドニエストル国境までつながる。ロシアは陸路で物資を沿ドニエストルまで送れるようになる。ロシアは沿ドニエストルを併合しない。沿ドニエストルを経済的に助ける補給路・回廊を作るためにオデッサ周辺を取る。
ロシアの優勢で一段落しているウクライナ

ウクライナは黒海の海岸部を失って内陸国になる。もともと(中世)のウクライナは黒海に面しておらず、オデッサはウクライナでなかった(だから取ってもかまわない)とプーチンも言っている。オデッサは、古代ギリシャの港町から、リトアニア公国、モンゴル帝国、オスマン帝国のものになり、18世紀末にロシア帝国が取っている。
ドンバスからオデッサを通って沿ドニエストル国境まで続く地域は露系住民もけっこういるので、プーチンや、ロシアの拡張主義者は「ノボロシア」と呼んで、歴史的なロシアの一部だと言っている。
What Putin spoke about in interview with Carlson
ノボロシア建国がウクライナでの露の目標?

プーチンは、ウクライナ開戦の前後、ノボロシアに何度か言及しており、ドンバスだけでなくウクライナの黒海岸全体を取るつもりでないかと騒がれた。だがその後、露軍はドンバスしか取っておらず、ノボロシアという地域名も露高官から発せられていない。
しかし最近、、プーチン傘下で好戦プロパガンダを担当するメドベージェフが「オデッサを早くロシアに戻してやるべきだ」と発言した。再び「ノボロシア」がロシア上層部の会話に出てくるかもしれない。
Medvedev wants Ukrainian city of Odessa brought 'home' to Russia

ウクライナ戦争は、軍事的にロシアの勝ちが確定している。ウクライナ軍は兵士がいない。ゼレンスキーは戦死者3万人とウソを言ったが、本当は米国がやらせた下手な戦略によって10万-30万人の兵士が戦死している。そうでなければ今のような徹底的な兵力不足にならない。
欧米軍(NATO)が自らウクライナに進軍してロシアと直接戦争しない限り、勝敗は覆らない。フランスのマクロン大統領が欧米軍のウクライナ進軍の可能性について語ったら、すぐに西欧の多くの諸国から猛烈な否定の発言が殺到した。
How Macron’s latest Ukraine comments blew NATO apart

欧米はウクライナに兵器弾薬を送り込み続け、米国を牛耳る隠れ多極派が兵器弾薬と兵士の生命を露軍にどんどん破壊してもらう意図的な稚拙策をウクライナにやらせた。欧州(欧米)は深刻な兵器弾薬不足に陥っており、ウクライナから求められた弾薬の3割しか送れてない。こんな状態だから、欧米軍はウクライナに進軍しない。
Delinquent Europe: Zelensky Claims EU Only Delivered 30 Per Cent of Promised Artillery Shells

ウクライナや欧米の敗北は確定的だ。それなのに欧米は敗北を認めず、まだ何とかして勝敗を覆せないかと呻吟している。そんなことしても無駄ですよ、と言うためにマクロンは進軍発言を放った。
欧米ウクライナ側はすでに決定的に負けていると赤裸々に発言したら、裸の王様と化しているバイデンの米国から叱られ、米傀儡の欧州人たちから否定的に非難されて終わる。だからマクロンは逆方向から発言した。
French PM backs Macron’s troops in Ukraine comments

欧米ウクライナの敗北と、ロシアの勝利はすで確定している。だがプーチンは、この戦争構造を終わらせたくない。米露が鋭く対立する限り、米欧は自滅し続け、露中など非米側は米欧に気兼ねなく多極型世界を構築して発展していける。
欧州はエネルギー不足がひどく、対露敵視をあと5年も続ければ経済が自滅して「先進国」でなくなる(温暖化対策の効果だと絶賛される)。対照的に非米側はエネルギー資源が豊かになり、発展していける。米英覇権が終わり、世界は多極型の覇権構造に転換する。
非米側が作る新世界秩序

逆に、米露対立が早く終わってしまうと、米覇権が完全崩壊せず存続もしくは蘇生し、非米側で米国覇権下に戻りたがる国が増える。中共も、米覇権が蘇生するなら親米なトウ小平派が盛り返し、非米・多極主義の習近平を追い出すかもしれない。そうなると中露結束で台頭しているロシアが窮地に陥る。
そうならないよう、プーチンはウクライナの戦争構造を長期化し、米覇権の自滅と世界経済の非米化を進めたい。激しい戦闘は必要ない。すでに米欧ウクライナは負けが確定し、兵士も兵器弾薬も払底している。ロシアは、軍事対立の構造だけを続ければよい。米国側マスコミは、激戦とウクライナの挽回を勝手に誤報し続けてくれる。
多極型世界システムを考案するロシア

プーチンは、この構図を米中枢(諜報界)の隠れ多極派に作ってもらった。米中枢(政府でなく諜報界)がこっそり欧米の自滅と覇権喪失を引き起こし、ロシアや非米側を台頭させて世界を多極化してきた。それは今後も続く。プーチンや習近平は多分この状況を理解して利用している。
2つの世界秩序

ウクライナ軍は破綻し、露軍は優勢だから、ロシアがオデッサやノボロシアをウクライナから奪い、沿ドニエストルへの回廊を構築するのは難しくない。楽勝できる。だが、プーチンはまだそれをやらない。
今年は米大統領選挙の年なので、バイデンの米国は対露敵視し続ける。欧米がウクライナを軍事支援してロシアと戦い続ける姿勢を見せている間は、プーチンもノボロシア強奪に進まない。
Ukraine’s frontline situation ‘catastrophic’ - Moscow

そこに進むのは、欧米が窮乏し、ウクライナ戦争をやめて対露和解したがるようになってからだ。欧米の対露和解の気持ちを削ぐように、ロシアが沿ドニエストル支援の名目でノボロシアやオデッサを強奪して回廊を作る。
ノボロシアを奪われると、ウクライナは黒海岸の領土を失い、国家としての体裁が悪化して戦争継続が難しくなる。それは、今のプーチンの望むところでない。2-3年後ぐらいに、その時がくるかもしれない。
Screw The Facts - Europe Commits Itself To Further Escalation

EUとロシアの対立軸としては、沿ドニエストルのほか、エストニアやラトビアの当局が国内のロシア系住民をいじめたがっている話もある。こちらも、一線を越えて露系いじめが激化すると、露軍が「邦人保護」のために侵攻する可能性が出てくる。ウクライナと同じ戦争構図がバルト三国に広がりうる。こうした戦争構造の長期化が米欧覇権を自滅させる。
EU state’s leader sees elderly Russians as potential threat



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