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イランを強化するトランプのスレイマニ殺害

2020年1月7日   田中 宇

1月3日、イラク駐留米軍がトランプ米大統領の命令を受け、イラン革命防衛隊のスレイマニ司令官を無人機を使って殺害した。スレイマニは軍人だが、彼のこの数年の活動の多くは、イラクやシリア、レバノンなどに対するイランの影響力を拡大したり、サウジやクウェートなどとの関係を改善するなど、外交官としての任務だった。スレイマニは頻繁にイラクを訪れており、今回はレバノンを訪問した後、定期便の民間航空機でバグダッドに到着し、外交旅券での入国審査を経て空港からバグダッド市内に向かおうとした時に空爆され殺された。スレイマニは、テロリストでなく外交官だった。イラクが仲裁する、イランとサウジの和解交渉をやりに来て殺されたという説もある。 (Iranian Revenge Will Be a Dish Best Served Cold) (Soleimani Was in Baghdad on Mission for Saudi Peace) (Gabbard blasts Iran strike: 'Trump's actions are an act of war' タルシ・ガッバードが一番正しい

トランプは19年4月に、スレイマニが率いていたイラン革命防衛隊(国軍よりずっと強いイラン軍)を「テロ組織」に指定しており、トランプ流の理屈としてはいつでもスレイマニを殺す可能性があった。しかし、さらに一歩踏み込んで考えると、イラン革命防衛隊の任務はシーア派を殺戮してきたISアルカイダと戦うことであり、防衛隊はテロ組織どころか逆に「テロ組織と戦う組織」だ。防衛隊のテロ指定自体がトランプ特有のお門違い策の一つだった。米国は覇権国だから、イラン防衛隊をテロ組織指定するお門違いな不正な策が世界的に黙認されてきた。スレイマニはイランの防衛相に相当する閣僚であり、しかも外交活動のためにイラクに来ていた。スレイマニ殺害は米国による戦争行為だと言っているイラン政府は正しい。トランプの側近たちは、トランプか本気でスレイマニを殺そうとしているのを見て仰天したという。 (Pentagon Officials Reportedly “Stunned” by Trump’s Decision to Kill Soleimani) (Armed Forces of the Islamic Republic of Iran - FWikipedia

イラン防衛隊のテロ指定やスレイマニ殺害は不正行為であるが、トランプ的な理屈では不正でない。しかし、トランプ的な理屈を使っても、なぜ今スレイマニを殺したのかは説明できない。それまで米国側はイラク滞在中のスレイマニの居場所をほぼ常に把握していたが殺害しなかった。米国(軍産でなくトランプ政権の側)はISISを退治しようとしており、イランもスレイマニを司令官としてISISを退治しようとしていたので、米国とイランは隠然とした協力関係にあった。ISISやアルカイダは、米国の軍産複合体が育てたスンニ派テロ組織で、シーア派とは仇敵どうしだった。トランプはISカイダを作った軍産と仇敵の関係だった。イラン側は、米軍がスレイマニを殺すとは全く思っていなかったはずだ(思っていたらスレイマニはイラクに来るのをやめただろうし、居場所をわかりにくくしたはずだ)。これまで自由に泳がせていたスレイマニを殺すことにしたトランプの転換の意図は何か。なぜ今なのか。 ("Calm, Cool & Collected": How Trump's Risky Decision To Kill Soleimani Unfolded) (Donald Trump's Iran Policy Comes Down to One Word: Chaos

トランプは、スレイマニ殺害の前に、12月29日に米軍にイラク民兵団(PMU。イラン系)の拠点を空爆させている。米軍がイラクで、ISISでなく民兵団を攻撃したのは2014年に米軍がイラクに戻って以来初めてであり、これ自体が、米国がイラクを敵視し始めたこととして画期的だった。空爆された側の民兵団は激怒して大晦日からバグダッドの米国大使館を占拠・破壊しており、それへのトランプからの再報復が1月3日のスレイマニ殺害だった。12月29日の米軍による民兵団空爆は、その前の12月27日に何者かがイラクのキルクーク近郊の米軍基地を砲撃したことへの報復で、米軍は「砲撃してきた犯人はPMU民兵団に違いない」と決めつけて民兵団の基地を攻撃したが、実のところ27日の攻撃の犯人は民兵団でなくISISだった可能性が高い。キルクーク近郊の米軍基地はISISと戦うイラク国軍を訓練していたからだ。トランプ側は、民兵団に濡れ衣をかけて攻撃し、民兵団との対立を意図的に激化した疑いがある。トランプは、なぜ今のタイミングで民兵団やイラン側との対立を激化しているのか。 (Targeted Killing of Iranian General Puts U.S. at Crossroads in Middle East

「トランプはイランと戦争する気になった」と考えるのは間違いだ。トランプはスレイマニを殺した直後、イランと戦争する気はないと表明している。トランプは、イランが米国と交渉する気ならいつでも受けるとも言っている。イランの方から報復としてイラク駐留米軍などを攻撃してきて米イラン戦争になる可能性もゼロだ。イランは軍事力が米国よりはるかに弱いので、自分の方から米国に戦争を仕掛けない。トランプは中東撤兵の意志を変えておらず、WSJやFTといった軍産エスタブ系のマスコミも「米国とイランは戦争しない」という趣旨の記事を早々と出している。ロシアと中国は今回の殺害後、早々とイラン支持を表明している。米国がイランに戦争を仕掛けたら、露中とも戦争になりうる。たとえトランプがそれをやりたがっても、軍産や米議会が全力で阻止する。軍産が望んでいる戦争は、世界大戦でなく、米覇権維持のための小競り合いだ。 (More Conflict Is Inevitable; War With Iran Isn’t) (US Slams Russia, China For Blocking UN Statement On Baghdad Embassy Attack) (Trump Says US Not Seeking Iran Regime Change, Or To Start A War

スレイマニ殺害後の大きな影響は、軍事でなく政治面で出ている。イラク議会は1月5日、駐留米軍に撤退を求める決議を初めて行った。この決議はイラク政府を拘束するものでないので決定的ではないが、これまで不満を表明しつつも米軍駐留に正式に反対してこなかったイラク議会の主流派(親イランのシーア派の2派が最大会派)が、初めて米軍に撤退を求めたものとして画期的だ。 (Iraqi Parliament Votes in Favor of Expelling U.S. Troops) (170 Iraqi lawmakers sign draft bill to expel US military forces from country

イラク駐留米軍は、2011年にオバマ前大統領が軍産の反対を押し切っていったん撤兵したものの、軍産はISISを育てて決起させた。イラク北部をISISに占領されたイラク政府は困窮して米軍に再駐留を求め、オバマもしぶしぶ了承し、米軍が14年からイラクに再駐留した。その後、トランプ時代になってシリア内戦が露イランアサドの勝利・軍産ISカイダ米トルコの敗北で確定し、ISカイダは大幅縮小し、残党が、トルコの監視下でイドリブに幽閉されたり、米軍の監視下でシリアから撤退してイラクの砂漠に逃げ込んでいる。 (US forces transferring Daesh terrorists from Syria to Iraq) (US influence in Iraq wanes as Iran strengthens grip

ISカイダの大幅縮小と同時に、今春来、イラクでは米軍に撤退を求める声が強まった。しかし同時にイラクには、イランに支配されることを嫌がるナショリズムの国民感情もあり、米軍など米国勢が撤退すると、イラクの支配勢力がイランであることが露呈してイラク人の反イラン感情が高まりかねなかった。そのためイランは米軍や米国勢をイラクから追放するのを急がず、イラクが米国とイランの影響力のバランスの中で存続し、イランのイラク支配が隠然とした状態のまま続くようにしてきた。米国側もこの状態を認知していたので、イラン上層部でイラク支配を担当するスレイマニがイランに頻繁に来てバグダッドなどをうろうろしても米軍は黙認してきた。 (戦争するふりを続けるトランプとイラン

昨年10月からは、イランに支配されているイラクの政府や議会を批判する反政府運動がイラク各地で強まり、イラク政府は親イランの首相が辞めたまま後任が決まらない混乱状態になっている。この反政府運動は、シリア内戦の敗北で力が低下している米国の軍産・諜報界が、イラク占領中に張り巡らしたスパイ網を使って、イランの力を削ぐために扇動している運動と考えられるが、この運動に対してもイランはあまり対抗せず、慎重な態度をとって放置していた。イラク各地のイランの領事館は、反政府運動に襲撃されるままになっていた。 (As Tensions With Iran Escalated, Trump Opted for Most Extreme Measure) (イラクやレバノンの反政府運動がスンニとシーアの対立を解消する

トランプのスレイマニ殺害は、このようなイラクにおける米国とイランの均衡状態を破壊した。スレイマニはイランでもイラクのシーア派の間でも英雄視されてきたので、殺害はシーア派の琴線に触れる「英雄の殉教」として扱われ、イランとイラクのシーア派が一気に結束し、米国に復讐する姿勢になった。マスコミは、イラン側が急先鋒な軍事的に米国に報復するかのように喧伝するがそれは間違いで、イラン側は時間をかけて政治的に報復し、米国を中東全域から追い出す策をこれから何年もかけて展開していく。 (Iraqi armed factions vow revenge for Shiite commanders’ killings) (S400迎撃ミサイル:米は中露イランと戦争できない

イスラエルは表向きスレイマニ殺害を歓迎しているが、それと同時に1月5日、ネタニヤフ首相が初めて自国が核保有国であることをポロッと表明した。すぐに訂正したが、これは意図的な表明だろう。イスラエルは米国の中東撤退を予測し、その後は自国の核兵器しか抑止力がなくなることを覚悟している。 (Netanyahu calls Israel a ‘nuclear power’ before correcting himself in apparent slip of tongue

1月5日のイラク議会の米軍追放決議は拘束力の弱いものだが、これはまだ初盤戦として出されてきている。トランプは「イラク側が米軍基地の建設にかかった全費用を賠償しない限り撤兵しない」と、いつもの独自の強硬姿勢を表明している。だがその裏で、米軍の司令官がNATO側に対し「米軍が撤退していくので後のことは頼んだ」という感じの書簡を出していたことが報じられている。米国防総省は「あれは出来の悪い草案が漏れたもので、正式には撤兵などしない」と否定したが、撤兵の草案があること自体は間接的に認めてしまった。米軍と一緒にイラクに駐留していたNATO諸国は「撤兵について事前に何も聞いていないし、米軍だけ撤退した場合の代替案も作っていない」と大騒ぎになっている。NATO軍が総崩れで動揺しているのを見て、イラクのシーア派やイランはますます強気になり、この趨勢を利用して米軍やNATO軍をイラクから総撤退させようと言い出している。いずれ、もっと拘束力が強い米軍追い出し決定をイラクの議会や政府が出すようになる。 (Chaos: Pentagon Denies "Poorly Worded" Iraq Withdrawal Letter, Esper Says "No Decision To Leave Iraq, Period") (Nato warns on Iran crisis as EU powers scramble to cool tensions

トランプは、この手の流れが起きることを予測した上でスレイマニを殺したのだろう。スレイマニ殺害はイラン敵視に見えるが、実のところ、イラクの米国敵視・イランを許す国民感情、米国よりイランの方がマシだという感情を思い切り扇動し、米軍や米国がイラクから追い出される状況を作っている。イラク政府が正式に米軍に撤退を要求しても、しばらくトランプは撤退を拒否する演技をするかもしれないが、それをやるほど同盟諸国が米国に愛想をつかして離反していき、米国の覇権が低下する。トランプは米国の覇権を弱め、イランを強化している。彼は「隠れ親イラン」である。これは、覇権放棄屋・隠れ多極主義のトランプの意図的な策略である。 (Iran's New Top Military Commander Vows To "Remove America From The Region" As Vengeance For Soleimani) (Trump Says "US Will Not Leave" Iraq Unless Billions For Air Base Are Repaid

スレイマニは、イランの中東支配戦略を立案実行していた責任者で、イランの体外戦略において、最高指導者のハメネイ師に次ぐ権力を持っていた。イラクやシリア、レバノン、イエメンなどのシーア派の民兵団がスレイマニの傘下にいた。スレイマニは、内戦後のシリアでアサド政権を軍事的にテコ入れしたり、イラクに駐留する米軍をシーア派議員らが追い出す動きを支援したり、レバノンでシーア派のヒズボラが政権をとり続けることを助けたり、イエメンのシーア派の武装勢力フーシ派を支援してサウジを停戦に追い込んだりしてきた。スレイマニの死は、これらのイランの中東支配戦略にとってかなりの打撃だ。しかしそれは短期的な悪影響だ。長期的には、イラクの反米感情が扇動され、米軍が追い出されていき、イランが再び漁夫の利を得る。WSJなどマスコミもそう書いている。 (Pelosi: House To Introduce 'War Powers Resolution' To Limit Trump In Iran) (Soleimani’s Death Hands Iran a Reason to Retake Mideast Initiative

「米軍が撤退したらISアルカイダが復活し、イラク自身が混乱して損するぞ」とマスコミが書いているが、軍産マスゴミのプロパガンダはいい加減にしろだ。ISアルカイダは、米軍など軍産にこっそり支援されてイラクなどで人殺ししてきた。米軍など米国勢力がイラクから撤退させられると、中長期的にISカイダはイラク民兵団などに潰されて雲散霧消していく。軍産マスコミは世界最大のテロ組織である。ISカイダと同時にマスコミも潰れた方が世界が平和になる。多くの軽信者たちからの反論誹謗を恐れずに書くと、欧米流のジャーナリズム自体が撲滅されるべき存在だ。 (The U.S., Iraq and Iran - The Baghdad vote isn’t the last word on American troops

米軍を完全に撤退させたら、イラク政府は米軍の代わりにロシア軍から空爆支援を受けられる。安定しつつあるシリアから、イラクのISISの残党を退治しに、ロシア空軍やレバノンのヒズボラがが支援しに来てくれる。シリアが安定したら、アサドのシリア政府軍も恩返しのためにイラクのIS退治に参加してくれるだろう。非米的なISカイダ退治はシリアの成功で先例がある。もう米軍は要らない。

トランプのスレイマニ殺害が逆効果で理不尽なものなので、米国では民主党が支配する議会下院で、トランプがイランと戦争する前に議会の承認を義務づける法案を出そうとしている。もともと米国憲法では、戦争開始の決定権が議会下院にある。01年の911事件直後の有事立法で、大統領が議会にはからずにテロ戦争を遂行できる法律が作られ、それ以来ずっと、議会は大統領の戦争に口出しできない違憲な状態が続いている。911後の米大統領主導の戦争は、アフガニスタン、イラク、リビア、シリアなど全て失敗している。この間、米議会は何度か大統領から戦争権限を奪おうとしてきたが、軍産・米諜報界にとっては議会でなく大統領を動かして戦争させる方がやりやすいので、軍産傀儡の議員たちが賛成せず、戦争権限は米大統領が持ったままだ。しかし今回、トランプがイランと戦争しそうな演技を続けるほど、米議会は民主党主導で戦争権限の剥奪を本気でやろうとする。トランプは表向きこれに抵抗し続けるが、本音では議会に戦争権を奪ってもらった方が軍産の力を削げるのでこっそり剥奪を歓迎している。 (Democrats try to hold Trump to account over Iran strike) (Bernie Sanders introduces law to stop Trump from starting war with Iran

CFRのハース会長は、米国とイランが世界を巻き込んで戦争するかもしれないと、おどろおどろしい警告を発している。私から見ると、まったくのプロパガンダである。これからしばらく、ハースの警告に象徴されるような、今にも戦争になりそうな感じの仮想現実の醸成が続くかもしれない。多くの人が、戦争になりそうだと思い込むほど、反戦運動が拡大し、米国の戦争権限が大統領から議会に戻り、軍産が濡れ衣戦争をやりにくくなり、軍産が米国の覇権を牛耳ってきた状況が終わりになる。CFRも隠れ何とかである。 (America must be ready for Iranian retaliation) (CFR President Says "The World Will Be The Battlefield" After Iran Escalation



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